第13話 穏やかな朝?
「ドロ子!」
「お兄ちゃん!」
今日も今日とて、俺達は別れを惜しんで抱擁する。
「行かないであなた」
ドロ子が夕べ見ていたドラマの台詞で引き留めてくる。
こういう無駄な知識を吸収されるとお兄ちゃんはちょっとだけ心配になっちゃうわけだが。
まあ俺にしか使わないのだったら構わないか?
とはいえ、本当に自主休校にしたくなるので使いどころは考えて欲しいものだが。
「すまん、俺は行かねばならぬ」
陽芽との約束もある。俺は心を鬼にして言い放った。
「ああ、なんというさだめ」
「さらばだ」
踵を返し、玄関を出ようとして。
「だめ」
服をしっかりと掴まれた。
「……」
「行ったらダメ」
「いや、あのな、ドロ子。そこは『お帰りをお待ちしています』って涙するシーンだろ?」
「一緒にお留守番しよう?」
さも名案だというように瞳を輝かせる。
ああ、眩しい。
正直頷いてしまいたい。頷いてしまいたいのだが、今日は例の交差点で陽芽が待っている。既に約束の時間も迫っていることだし、ここでゆっくりしている暇は無い。
というか、俺まで残ったらそれはもうお留守番じゃない。
「ドロ子、あのな」
「ダメ」
「お兄ちゃんには学校がな?」
「ダメ」
どうしたんだドロ子は。
いつもはこんなに強情な性格じゃ無いのに、今日に限ってやけに聞き分けが無い。
時間は一刻一刻と過ぎてゆく。
ドロ子の決意は固いのか、服を握る手が離れる様子は無かった。
仕方ない。
「ぐっ、た、大変だ! 胸が苦しい!」
「っ!?」
俺は心臓の辺りを手で押さえ、苦しむふりをする。
「このままでは俺は死んでしまう! 学校に! 学校に行けさえすれば助かるのに! うう!」
「お兄ちゃん!」
ドロ子が見るからに動揺する。視線を辺りにさまよわせ、あっちに行こう、こっちに行こうとしてはどうしていいかわからず目に涙を溜め始める。
その慌てぶりはすさまじく、
……なんだか見ているこっちが可哀想になってきた。
「な、なーんてね、冗談でした!」
「っ!」
俺は復活せざるを得なかった。
相変わらず弱い。
ほっと一安心したためか、ドロ子はことさら強く俺にしがみついてきた。
ぐりぐりと頭を胸に押しつけられる。
まいったな……。
結局、ドロ子の説得にはそれから五分ほどを要した。
ドロ子のことが一番好きだと三回言わされた挙げ句に、お土産のロールケーキを買って帰るということで決着した。
〇
「すまん、待たせたか」
陽芽の元に辿り着いたのは約束の時間を十分近く過ぎてからだった。
学校は我が家から徒歩二十分程度なので、まだ始業までには余裕があるが、それでも彼女を待たせたことには違いない。
しかし、陽芽は俺の姿を認めると怒るどころか嬉しそうに微笑んだ。
「い、いえ、私も今来たところですから」
優しい嘘とともに「おはようございます」と頭を下げられる。
陽芽の性格からして、間違いなく予定より早く到着していたはずである。それがどれぐらいの時間かは知らないが、なるべく短時間であったことを祈るばかりだ。
「あ、ああ、おはよう」
ぎこちなく挨拶を交わし、俺達は並んで学校へ向かう。
道中は昨日と違い、多少会話のキャッチボールらしきものが成立していた。
「そういえば、陽芽は何で俺なんかのことが好きなんだ?」
その問いが切っ掛けだった。
陽芽は顔を真っ赤にしてあわあわと言い淀んでいたが、俺が聞いてみたいと頼み込むと、ぽつぽつと語ってくれた。
「あ、あのですね。私、王ちゃん、あ、王ちゃんっていうのは兄のことなんですけど。それがですね、珍しく家で思い出し笑いしてたんです」
陽芽いわく、鬣は家族にも滅多に笑顔を見せない男で、どちらかといえば眉間に皺を寄せていることのほうが多いらしい。
……実にイメージ通りだが、陽芽の前でもそうだとは思わなかった。
シスコンのくせに。
「私どうしたのかなって思って、聞いてみたんです。そしたら、最初は教えてくれなかったんですけど、私があんまりしつこいもんだから根負けしてくれたみたいで……」
そこで出て来たのが、なんと俺の名前だったという。
「最近面白い奴がいるって。俺なんかに毎日話しかけてくる変人がいるんだって王ちゃん楽しそうに笑ってました。あ、えと、変人っていうのはそういう意味じゃなくて、いえ、あの、御木さんがいい人だっていうのは王ちゃんもわかってますから、きっと良い意味で――」
「大丈夫、大丈夫、その辺はわかってるから」
慌ててフォローを始めた陽芽をなだめる。
正直、この話の流れで悪意を疑うほど馬鹿じゃない。
背中がむず痒いのは事実だが、それは不愉快とはまた別の理由でだ。
陽芽は俺が本当に気にしていないことに胸をなで下ろすと、やっぱり仲良いんですね、というように微笑んだ。
……思わず訂正したくなるがここは黙っておこう。
「あんなに楽しそうな王ちゃんを見たのは初めてでした。王ちゃん昔から喧嘩だけは強くて、その上あの性格ですからお友達なんかいたことが無かったんです。その王ちゃんが、御木さんのことを嬉しそうに話すんです。びびってるのが丸わかりの癖に何か知らないけど寄ってくるって。仕方ねえから時々相手してやろうかなって。あ! え、ええと、す、すいません!」
「い、いいえ、別に」
あの野郎。
頬がひくつく。
しかし、意外な一面というか、まさかあの鬣がそんな風に考えていたとは知らなかった。
大丈夫か。なんか無駄なフラグが立ってないだろうか。
俺ははっきり言っておホモだちエンドなんて望んでないのだが。
今度から鬣の前に出る時は尻の穴を引き締めていたほうがいいのだろうか。
どうせフラグが立つなら陽芽と立てばいいのに。
って、よく考えたら既に立っていたんだてへぺろ。
……我ながら全国の男子を敵に回しそうな発言だった。自重しよう。
「あー、まあ、あいつが良いやつっぽいってのは知ってたからな」
どうでもいいけど、こんな話を聞いたことが本人にばれたら、俺殺されるんじゃないだろうか。
密かに戦々恐々とするが、陽芽はくすりと笑うだけだ。
かと思えば、急に顔をうつむかせて両手の人差し指をくっつけ始める。
「え、ええとですね、それで、あの、私の話になるんですけど、その、王ちゃんが嬉しそうに話す御木さんってどんな人なのかなーって気になりまして」
「気になっちゃったのか」
「は、はひ、気になりましゅた」
どうやらテンパりモードに入ってしまったようだ。
かく言う俺も恥ずかしい。
目の前で顔を茹で蛸みたいに赤くして「あなたのことが気になりました」などという告白紛いの台詞を言われた日には、男なら意識せずにはいられない。
「そ、そそそれで、毎日御木さんを見かける度に『あ、御木さんだ』とか思ってたら、いつの間にか習慣になってしまいまして。も、元々優しそうな人だなっていうにょは思ってたんでしゅけども。気がついたら御木さんを探している自分がいたというか……その……好きになって……」
やばい。
予想以上にこれは照れる。
言わせたに等しいとはいえ、聞いてる俺の顔から火が出そうだ。
「あ、ありがとう」
「い、いえ」
そうとしか言えない。
お互い視線を合わせることすらできずに、あらぬ方角を向く。
「そ、そういえば、鬣のやつ、あ、ここでいう鬣は兄のほうのことだけど、あいつ俺のこと大好きだったんだな!」
おかしくなった雰囲気を誤魔化すために、あえて話を元に戻す。
気持ち悪いことこの上ない内容だが、なんだかんだで俺と陽芽の最大の共通点は鬣だ。会話を盛り上げようと思えば、どうしても引き合いに出さざるを得ない。
「は、はい、王ちゃんは御木さんのこと大好きみたいです!」
肯定されるのもどうなのか。
少しだけげんなりした。
しばらく鬣の話題が続く。
陽芽からの情報によると、鬣の好きなものは納豆、嫌いな物はピーマンで、休日は家で筋トレしていることが多く、合間に読書を挟むとか何とか。実は大の動物好きで、ロードワークの際は必ずペットショップの前をコースに入れるらしい。
動物を飼いたいみたいなんですけど、王ちゃんアレルギーがあって難しいんです、とは陽芽の談。
なるほど、かくいう陽芽もおそらくは動物好きなのだろう。
鞄につけている犬のストラップからも窺える。
……しかし、仕方なかったこととはいえ、どんどん鬣の情報が集まっていくな。
鬣と仲良くしたいのは事実だが、必要以上のことは知っても仕方ない。野郎の知識など有りすぎても何も得しないのだ。
おそらく鬣も同意してくれるに違いない。
そうこうしているうちに、基海学園の校門が見えてきた。
この辺で念のために解散したほうがいいだろう。
鬣にバレでもしたら俺の命がない。
俺が切り出すと、陽芽も同感のようで、快く承諾してくれた。
「え、ええと、御木さん、それで放課後なんですけど……」
「ごめん、今日はちょっと用事が……」
陽芽はどうやら一緒に下校したかったようだが断らせて貰った。
本当に用事があるわけではない。
引っかかる、というほどではないが、ドロ子の様子を見たかったためだ。
陽芽といると鬣にバレる危険性が高まるというのも理由の一つである。
「そ、そうですか」
傍目にわかるほど肩を落とす陽芽。
俺は慌てて付け加える。
「い、いや、でも明日の朝なら大丈夫だから、うん。もし陽芽がよければ」
「は、はい! よろしくお願いします!」
ぱあぁと顔を輝かせる。
優柔不断と笑わば笑え。
ドロ子といい陽芽といい、どうも強く出られない俺だった。
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