第12話 風呂は甘えなんだよ
さて、今日は色々あって疲れた。
陽芽との登校に始まり、鬣からの相談、奏江に呼び出された昼休み、陽芽との下校、そして帰った時のドロ子の反応。
正直、俺程度の情報処理能力では一杯一杯だ。
夕食も済ませたことだし、今日のところはゆっくりと風呂にでも入って寝てしまおう。
ちなみに、今日の夕食はうどんだった。市販のものにホウレン草だの油揚げだのをトッピングしただけの簡単なもので、多少手抜き感は否めないが、今日ばかりは許して欲しい。
ドロ子は美味しそうに食べてくれたが、お兄ちゃんとしての俺の矜持が警鐘を鳴らしていた。明日はもっと頑張ろう。
風呂に湯を張り、さあ入ろうという段階になって、ドロ子がまたも、
「一緒に入る」
と言い出した。
……さて、どうしよう。
ぶっちゃけて言えば今はそんな気分では無い。心身ともにくたくたで、どちらかと言えば一人ゆっくりと浸かりたい。
だがちょっと待って欲しい。
こんな時だからこそ、あえて勇気を振り絞って一緒に風呂に入るべきではないか?
俺はまだ若い。
いや、だから何だと言うわけじゃないが、ここはいっそ欲望に忠実になってこそ元気を取り戻せるかも知れない。
あ? 取り戻すのはどこの元気かって?
ばか! 元気にどこもクソもあるか! 本当もう、ばか! ばか! あんぽんちん! 本当もうお前は!
心の中で葛藤という名の小芝居をしながら考える。
結論はおよそ五秒で出た。
「よし、ドロ子、風呂に入るぞ!」
勢いよく立ち上がり「脱げ!」と言い放とうとしたところで、
ジリリリ! ジリリリ!
「…………」
備え付けの電話が鳴り響いた。
「脱ぐ!」
「待て」
嫌な予感しかしない。
デジャブの多い日だな、と思いつつ受話器を取る。
「はい、御木です」
『私』
どこかで聞いたような声が響いてきた。
「またお前か」
ちくしょう。なんなんだこいつは。俺がようやくなけなしの気力を振り絞ったところだっていうのに、それを根こそぎ奪っていきやがった。
ひょっとしてあれか? 児ポ法関連のあれとか何かそういうあれか?
しかし、現在アンドロイドに人権は無いわけで、当然ドロ子に何をしようが法律には引っかからない。
いや、何をする気も無いけど!
そもそも、ドロ子に年齢は無いに等しい上、俺の家がピンポイントで狙われる意味もわからない。となるとやっぱり法律関係の人では無い。
一体こいつは誰で、何のために俺の邪魔をしやがるんだ。
『もしかして待っててくれたの?』
何やら寝惚けたことを宣ってくれる。
「おう、お前からの電話を一日千秋の思いで待ってたぜ」
『本当? 嬉しい』
「君が嬉しいと僕も嬉しいよ」
『二人の気持ちは一緒なのね』
「結婚しよう」
『そうしよう』
「ってんなわけねえだろ!」
無駄な小芝居打っちまった!
勢い電話を叩き切る。
いかん、あいつはあいつでどうも調子が狂う。
ふわふわしていると言うか、つかみ所が無いというか。
いや、それで俺までふざけていては収拾がつかないのはわかっているのだが、どこまで寝惚けたことを言うのかつい試したくなってしまった。
結果としてわかったことは、どうやら相手はどこまでも突っ走るタイプの人間だったらしい。
うん、実にどうでもいい情報だ。
「ドロ……」
ジリリリ! ジリリリ!
脱ぎかけの体勢のまま固まっているドロ子に声をかける暇もなく、再度電話が鳴り響く。
「御木です」
『私』
「ファックユー」
中指を突き立てる。相手に見えていないのが実に残念だ。
ふと見ると、ドロ子が不思議そうな顔をしていたので、慌てて指を引っ込める。
『やだ、そんな急に』
「すまんな、根が下品なもんで」
引いたか。それなら二度と電話をかけてこないで欲しいものだが。
『だって……それ……プロポーズだよね?』
「全然違うわ!」
蛆でも湧いてんのか!
またしても衝動的に通話を切ってしまった。
いかん。今度こそ冷静に問い詰めようと思っていたのに。
次こそはと待つこと数分。
今日もまた、三度目がかかってくることは無かった。
「はああああ」
どっと疲れた。
あいつはひょっとすると、受話器の向こうで変な踊りでもしているんじゃ無いだろうか。
そう考えたくなるほど短時間で猛烈に精神力を削られた。
しかし、本当に何の用事があるんだか。
今日で二日目ということは、間違いの可能性は薄そうであるわけだが。
「お兄ちゃん?」
ドロ子が待ちきれないといった様子で俺を急かすが、
「すまん、ドロ子。今日も一人で入ってくれ……」
振り絞った俺の気力は、既に底を突き破って一欠片も残っていないのだった。
〇
夜、布団に入ったはいいものの、俺は中々寝付けなかった。
疲れてはいる。ただ、頭の中を様々なことがぐるぐると回っていた。
奏江雪。
あいつは結局どうしたいのだろう。
何故今更俺に声を掛けてきたのだろう。
何度も考えたことだが、未だに明確な結論は出ない。
あいつは俺に自分を好きでいろと言った。そうすれば俺を将来的に好きになるかも知れないと。
だが、それは裏を返せば好きにならないかも知れないということだ。
本当に自分勝手だ。
ただ、一つどうしても気になっていることがある。
奏江は、人を好きになる気持ちは酷いことを言われた程度で消えはしないと言っていた。
ということはつまり、一年前にあいつが俺に言った暴言は、すなわち演技だったということだ。
では、あいつが俺を試していたのだとすると、本当は俺のことをどう思っているのだろう。
いつもここで思考が止まる。
いや、仮にあいつがどう思っていたところで、もう俺には関係ない。
そう思い打ち切る度に、何やら落ち着かない気持ちになる。
いっそ、陽芽と付き合ってしまえば、と思わないでもない。
陽芽は良い子だ。
可愛いし、健気だし、何より一緒にいると落ち着く。
ただ、俺が本当に陽芽のことを好きなのかと言われると、出会ってまだ二日だ。
正直あやしいところもある。
人間としては好きだが、果たして恋愛感情かどうか。
少なくとも、こんなあやふやな気持ちで陽芽の真剣な告白を受け入れるわけにはいかない。
……まあ、その割には一緒に登校の約束をしたりと気を持たせるようなことをしちゃっているわけだが、その辺はほら、なんだ。勘弁してほしい。
俺だって人間なんだよ! あんな可愛い子に告白されれば嬉しいに決まってんだろ! そんなはっきり切れないんだよ! わかれよ!
まあ、鬣の妹ではあるし、極力傷つけないようにしたいとは思う。
ふと、隣でよだれを垂らしながら寝ているドロ子を見る。
そういえば、今日はドロ子の様子が少しおかしかった。
さっきは特に問題ないと思っていたが、状況から察するに、もしかしてドロ子は家の外に出たのではないだろうか。
そこで偶然、俺と陽芽が一緒に歩いている姿を目撃、ヤンデレ属性が発動したとか?
いやいや、さすがにそれは無いよな?
ドロ子には一人で家を出ないように強く言ってある。
第一、俺と陽芽は別にやましい関係では無いのだ。
そりゃ多少は意識しているが、付き合っているわけでもないし、天に誓って潔白だ。
そもそも、この仮説を支持するならば、ドロ子が俺の言いつけを破り外に出かけ、偶然俺と陽芽を発見、俺達の仲を誤解した上で、ドロ子は俺に嘘をついたということになる。
可能性は限りなく低いはずだ。
やはり、普通に考えれば庭に遊びに出てて嫌なことでもあったのでは無いだろうか。
もしくは、感情系回路の一時的な故障という線も考えられる。
そういえば、気にしたことが無かったがアンドロイドのサポートはどうなっているんだろう? 説明書に載っているのだろうか? ドロ子と長く付き合っていく以上、そういうことも調べておかないといけないだろう。
「ふあぁ……」
欠伸が出る。
どうやらようやく眠れるようだ。
とりとめの無い思考を何とかまとめようとしながら、俺の意識はゆっくりと沈んでいくのだった。
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