第11話 異変
陽芽との帰り道は予想以上に会話が無かった。
居心地が悪いわけではないのだが、お互いに、というよりほとんど陽芽が緊張しまくっていたのが原因だ。
無駄に天気の話を三回もしてしまった。
自分のコミュ力の低さが恨めしい。
「あ、あの」
T字路での別れ際、陽芽が意を決したように顔を上げた。
必然、俺達の足は止まる。
「今日はその、ありがとうございました!」
「い、いや、別に改まって礼を言われるようなことじゃない」
どちらかといえば俺のほうが感謝したいくらいだ。
陽芽がいなければ、俺はずっと奏江のことをうじうじと考え込んでいたに違いない。下手をすれば家に帰るまで立ち直れず、ドロ子に余計な心配をかけることになったかも知れない。
流石にドロ子に情けない姿を見せるわけにはいかないからな。
「こっちこそ今日は楽しかったよ、ありがとな」
素直にお礼を言っておく。
「は、はい! わ、私も、私も楽しかったです!」
どことなく暗かった陽芽の顔がぱっと華やぐ。
うん、やっぱり陽芽はこうじゃないとな。
陽芽の落ち込みの原因は十中八九、会話が盛り上がらなかったことだろう。
俺としてはまるで気にしていないのだが、誘った当人としてはやはり思うところもあるのかも知れない。
本当は俺のほうから積極的に話題提供できればよかったんだがなあ。
そこは次回の反省点にしておこう。果たして次回があるのかどうかは知らないが。
「あ、あの、そ、それで、ですね。あの、差し支えなければですね……明日なんですけど……」
「ん?」
似たようなことを考えていたようで、
「一緒に……その、とうこぅを……ですね……」
消えるような声で呟かれた。
思わず笑ってしまう。
しかし、明日も一緒に登校か。
脳裏に浮かぶのは拳を鳴らす鬣だ。
ま、まあ今日も大丈夫だったことだし問題ないだろう。
うん、いざという時はミッキーと接触しそうだったからさり気なくガードしてたとか適当に言いくるめよう。
しかし、昨日の今日で登下校のお誘いとは、陽芽はこう見えて結構押しが強い。鬣に意見していたことといい、実は芯のところは強い子なのかも知れない。
「んじゃ、明日は一緒に行くか」
「!」
陽芽の顔が跳ね上がる。
何度も首を上下に振ると、
「は、はい! お願いします!」
と嬉しそうに微笑むのだった。
……一瞬だけ脳裏に奏江の姿が浮かぶが、気のせいということにした。
〇
「ただいまー」
声を掛けて玄関を開く。
もしかしたら昨日のようにドロ子が待っていてくれるのではないかと期待したが、残念ながら廊下に姿は見えなかった。
「ドロ子ー?」
声を掛けて居間に入る。
あれ、おかしいな。
室内は電気もついておらずシンとしていた。
多少散らかっているのはいつものことだとして、ドロ子はどこへ行ったのだろう。
俺が帰ると同時に飛びついてくると思っていたのに。陽芽に続いてドロ子に癒やされようという俺の計画がこれでは台無しだ。
「まさか!?」
一瞬、誘拐の二文字が頭を過ぎる。
「ドロ子っ!」
転げるようにして部屋を出る。
迂闊だった。あれほど可愛いドロ子を一人きりで放っておくなんて!
ドロ子が俺の言いつけを破って勝手に外に出るなどということは考えにくい。つまり、恐れていたことがついに起こってしまったのだ。平日昼間から、変質者による犯行。
顔から一気に血の気が引いた。
「ちっくしょう!」
自分でもどこへ行くつもりなのかわからないまま外へ。
果たして、俺の予想に反しドロ子はすぐに見つかった。
玄関先に一人佇んでいたのだ。
「ど、ドロ子!?」
扉を開けたらすぐそこにいた形になり、俺は危うく衝突するところだった。
「ドロ子、無事かっ!?」
慌てて状態を確かめる。
ドロ子は、先日購入した服では無く、相変わらずサイズの合わない俺のシャツに身を包んでいた。といってもこれは部屋着ならこれでいいと言う本人の意見を尊重したものであり、決しておかしなことではない。
当然俺の趣味なわけでもないので、そこは誤解されないよう願いたい。
特に服が乱れた様子も無く、いつも通りのドロ子だ。
ほっと息を吐く。
よく考えれば、こんなタイミングよく我が家が狙われるというのもおかしな話だ。俺はドロ子を購入したことを誰にも伝えてはいない。
ドロ子は昼間家に閉じこもっているわけだし、そうそう犯罪に巻き込まれることなどないだろう。
はて、では何故ドロ子は外にいたのだろうと首を傾げる段になって、俺はようやく何かおかしいことに気がついた。
「ドロ子?」
ドロ子が顔を上げないのだ。
特別うつむいているわけではないが、俺とドロ子の間にはそれなりに身長差が有る。
必然、顔を上げてくれなければ表情を窺うことができないわけで。
「どうしっ!?」
肩に置こうとした手が止まった。
「お兄ちゃん」
ドロ子がようやく俺のほうを向いた。
目だ。
目が合った。
ただそれだけで、俺は何も言えなくなってしまう。
なんだこれ……。
俺の中で、ドロ子はいつでも天真爛漫に笑っているイメージしか無かった。短い付き合いとはいえ、怒った姿は見たことが無かったし、ましてや何かに悪意を向ける姿など想像もできなかった。
悪意?
自分の思考に疑問を挟む。
これは悪意なのか?
一言でいえば、今のドロ子には表情が無かった。
そういえば彼女はアンドロイドだったのだ、なんて当たり前のことを今更ながらに思い出すほどに。能面、無機物、無関心。どう表現すべきかはわからないが、明らかに異常事態だと察することができた。
何より目だ。
深い、闇よりなお深い黒。
全てを飲み干し奥深く沈めるような瞳が、ただひたすらに俺だけを見つめている。
「お兄ちゃん」
「あ、ああ、なんだ?」
声が震える。目の前にいるのはドロ子なのに、何か見知らぬ生物と相対しているような違和感を覚える。
「ドロ子のこと好き?」
「あ、ああ……」
勿論、という言葉は絞り出すように喉から出ていった。
そういえば、陽芽が俺の前ではこんな声を出していたな、と思う。
もっとも、あれはもっとプラス方向の響きではあったが。
プラス方向?
では、今の俺は何なのか。
「一番?」
「あ、ああ、一番だ」
以前もこのやり取りをしたような気がする。
いや、そうだ、昨日だ。もう遙か昔のことのように思えるが、確かに昨日も帰宅した時に同じことを聞かれた。
これはドロ子にとって何か大切なことなのだろうか?
「そっか!」
俺の答えを聞いた瞬間、ドロ子の表情がふっと緩んだ。
同時に、今まで感じていたプレッシャーも溶けて無くなる。
「ど、ドロ子?」
「ドロ子もお兄ちゃんのこと好きー!」
勢いよく抱きついてくるドロ子。その嬉しそうな様子に、先ほどまでの異様な雰囲気は既に無い。
なんだったんだ一体……。
未だに高鳴る心臓を押さえ、ドロ子をゆっくりと抱きしめた。
とにかく、ドロ子が元に戻ってくれて良かった。
もしかしたら家にいる間に何か嫌なことでもあったのかも知れない。例えばゴキブリが出て逃げてきた、とか。
それだけであんな風になるものかどうかわからないが、ドロ子はアンドロイドだ。ひょっとすると人間とは違う反応をするのかも知れない。
と、そういえば。
「そういえば、ドロ子、なんで外にいたんだ?」
「お庭に出てた」
いけなかった? と申し訳なさそうに尋ねられる。
シャツの裾をぐしゃぐしゃにして不安がる姿が実に可愛らしく、俺の顔にようやく笑みが戻ってきた。
「いや、ただ次からはちゃんとお兄ちゃんに言ってから出ような」
「うん、わかった!」
「えらいなー、ドロ子は」
頭を撫でながら、二人で家に入る。
そういえば、ドロ子には家の中なら自由にしてていいと伝えていた。おそらく、庭も家の一部であると解釈したのだろう。
だから、おそらく何も問題はない。
そう、特におかしなことは無かったはずだ。
自分でも何か違うということはわかっていた。ただ、俺にはまだその思考を明確に形にすることができず、一先ず見て見ぬふりをする。
このことが将来にどう影響を及ぼすのか。
今の俺にはわからなかった。
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