第8話 シスコンは悪いことじゃない

 教室に入ると、隣の席には既に鬣がいた。

 陽芽が来ていたのだから高確率でいるだろうとは思っていたが、本当にいるとは。


 とりあえず先ほどのことは一度忘れ、鬣と親しくなるための会話でもすることにしよう。


 視界の端で、奏江が取り巻きにちやほやされているのが見えた。


「おはよ」

「ああ」


 相変わらず挨拶すれば簡単な返事だけがある。


 考えてみれば、陽芽に告白されてから鬣に会うのは今が初めてだ。

 少しだけ後ろめたい気持ちもあるが、別にいけないことをしていると言うわけでもない。気にしすぎる必要は無いだろう。


「鬣さ、妹っていんの?」


 とはいえ気にはなるので、さぐりは入れておく。


「ああ?」

「すいません、嘘です」


 ものすごい瞳で睨まれたので即座に土下座しておいた。


「……何が嘘なんだよ。ていうか、何でてめえが陽芽のこと知ってやがる」

「い、いや、その、昨日廊下で鬣って呼ばれてる一年の女子がいたもんでな。もしかしたら兄妹なのかなーって」


 この反応を見るに、鬣は妹が俺に告白をした事実を知らないらしい。

 適当な言い訳だが、深く突っ込まれることはなかった。


「ちっ。まあいるな。一年に陽芽って名前の奴が。それがどうしかしたのか?」


 およ?

 実のところあまり興味も無いのだろうか。予想したよりも淡泊な返事だ。


 俺の可愛い妹にちゃっかい出したら殺すぞ、くらいのことは言われるかと思っていた。あんな可愛い子が実際に妹だったら、俺だったら毎日気が気じゃ無い。

 実際、ドロ子が同じ学校に登校している風景を想像したら、授業なんてとても手につかないだろう。男がドロ子の情報を聞いてきたりしようものなら絞め殺す自信がある。


「いや、ただどんな子なのかなって気になっただけだ」

「そうか」


 鬣が思案するように上を向く。

 そして、


「まず見て分かっただろうが外見はいい。お袋に似たのかも知れんな。よく似てない兄妹だなんて言われるがまあむしろ似なくて良かったと思ってる。おやじも俺も基本ごつい。女には合わないだろう。趣味は料理だ。元々お袋の家事手伝いを率先してやっていたわけだが、いつの間にか陽芽のほうが全部うまくなっちまった。中でも料理は絶品だな。あの見てくれで料理が出来て性格もいい。そりゃもてるわけだ。ただなんつーか、あいつは純粋な分どっか抜けてるところがあるからな。将来悪い男に騙されないかどうか心配なところはある」


 聞いてもいない情報をぺらぺらと語る鬣。


 いかん、これは溺愛している。


 普段寡黙な鬣が、饒舌に頬を染める様子は不気味を通り越してもはや悪夢だ。


「ほ、ほう。そりゃ出来た妹さんだな」

「まあそれほどでもねえ。まだまだガキだ」


 それで隠したつもりか鬣よ。

 今更取り繕ったところでお前がシスコンである事実は十二分に伝わってきたわけだが。無駄に親近感を覚えたが、それ以上に冷たいものが背中を流れる。


「ちなみに、万が一。万が一だぞ。他意は決してないんだが、妹さんに悪い虫がついたらどうする?」

「殺す」


 即答だった。


 あひーがくがくと膝から崩れ落ちそうになる。実際、席についた状態でなかったらその場に腰を抜かしていただろう。


 まずい。これは非常にまずい。

 いや、俺はまだ陽芽の彼氏じゃないし特に手を出したりもしてないわけだが、とにかくまずい。


 もしかしたら怒るかなー? 程度には考えていたが、まさかここまでガチ命の危機に発展するとは想定もしていなかった。

 せっかく築いてきた鬣との信頼関係も完全におじゃんである。

 まあそんなものが本当にあったかどうかは定かではないが。


「へ、へえー。そりゃ大変だな」


 だらだらと汗が止まらない。

 そういえば、俺は今日陽芽と一緒に帰る約束なんかしちゃってたんじゃないだろうか。

 今朝は運良く見とがめられなかったようだが、放課後もそうとは限らない。


 いや、待て。よく考えたら、陽芽が特に何も言っていなかったので二人だと思い込んでいたが、鬣を含めて三人で下校という事態も十分あり得るのでは無いだろうか。


 シット! なんという地獄。

 俺の命は今日潰える定めなのか。


「そういえば御木」

「あ、ああ、どした?」


 チワワのように震える俺の様子には気付いていないようで、鬣は真面目な顔で切り出した。


「なんだ、その。あれだ。俺には友達と呼べるような奴はいねえ」

「うん?」

「だからこういうことを誰に聞けばいいのかわからなくてな。っち、つまりあれだ。わかんだろ」


 イマイチ要領を得ない。こんなに歯切れの悪い鬣も珍しい。そういえば、先ほど俺のことを御木と呼んだ気もする。


「相談がある」


 果たして、鬣の口から出て来たのは予想外の台詞だった。


「お、おお!」


 思わず命の危機も忘れて感動してしまう。

 あの鬣が、俺に相談があるという。友達がいないから俺に、この俺に頼るのだと。


 なんということだ。奏江に話しかけられたことといい今日は何か珍しいことが起こる日なのだろうか。


「よし、よし、どんとこい。ふははは、この俺がお前のどんな悩みでも立ち所に解決してやろう」


 一気にテンションが上がった。なんという全能感。今なら神とだって戦える気がする。


「いいのかよ?」

「ああ、勿論だ、俺達、その、親友だろ!」

「ふん、言ってろ」


 憎まれ口は叩くが、鬣は明確に否定しなかった。


 ついにデレた! あの鬣がデレたのだ!


 感無量。俺はこれからどんな相談をされようとも全力で取り組むことを誓いつつ、


「妹のことなんだが」


 テンションが地に落ちた。

 あ、なんかすごい嫌な予感がする。


 というより嫌な予感しかしない。せめて誕生日プレゼントを選びたいが何がいいか考えてくれ、というような平和なものだったらいいなと祈るが。


「ほ、ほう。それで?」

「ああ、どうも最近好きなやつが出来たらしい」

「へ、へえー、それはそれは」


 鬣の瞳が剣呑な色を帯びる。

 ごくりと鳴ったのは俺の喉の音だろうか。

 目に見えるほどに場の空気が重くなった。


「ま、まあ、高一にもなれば好きな男の一人や二人出来るわな。そんな特別なことじゃないと思うが」

「相手が知りたい」


 聞けよ俺の話。


「な、なんで?」

「……兄として妹が惚れた相手がどんなやつかぐらい知っておきたい」


 なるほど、俺としては非常に納得出来る言葉だが、鬣さん、それは世間一般では過保護と言われる類のものでは。


「ち、ちなみに、超いいやつだったらどうするんだ? ほら、お前、否のない相手を問答無用でぶっ飛ばすようなマネは俺はあんまり感心しないんだけどな」

「いいやつだあ?」

「仮に、仮にの話ね!」


 こええ。まるで相手がいい人だなんてこと有るわけねえだろと言わんばかりだ。

 最近少し慣れてきていたんだが、本気の鬣はやはり圧力が半端ない。

 常人なら既に「あわわわわ」などと言いながら這って逃走しているだろう。

 俺も逃げたい。


「……まあ見てみないとわからねえな」


 拳を鳴らしながら言われても説得力が無かった。


「ち、ちなみに全部お前の勘違いって可能性は?」

「ない。あいつがあんまり挙動不審だから問い詰めた。はっきりとは言わなかったが長い付き合いだ、反応でわかる」

「へ、へえー、そりゃすごい……」


 どうやら誤魔化しは利きそうにない。


「いや、むしろ昨日のあいつの様子を見るに、既に付き合っている可能性もある」


 一体どんな様子だったんだ陽芽。

 振ってこそいないものの、半ばそれに近い形で別れたはずだ。付き合うことが出来なかったんだから落ち込んでいたかと思っていたが、まさかのハイテンションだったのだろうか。


 わからない。あの子のことが本当にわからない。

 とはいえ、真実を知っている俺としては、鬣の言っていることを認めてしまうわけにはいかない。


「い、いや、それは流石に無いんじゃないか? 付き合うにしても早すぎるだろ」

「まあ実際どうなのかはわからねえがな。妙に落ち込んでたかと思えばいきなりにやけ出したり、何かあったことだけは確実だ」


 察するに、俺と友達になれたことは嬉しいが恋人になれなかったことが残念という感じか?


 一人で一喜一憂する陽芽を想像して微笑ましい気持ちになる。

 だが、現実問題として俺の目の前にいるのは怒気を孕んだ鬣だ。

 胃が痛い。


「とにかくだ」


 チャイムが鳴り響くと同時、鬣が会話を締めくくるようにして言った。


「何かわかったら教えろ。礼はする」

「お、おう。善処するわ」


 絶対にばれないようにしなければと心に誓う。


「そういえば、お前昨日のラブレターはどうなった?」

「い、悪戯だった」

「そうか。残念だったな」


 授業中にそんなやり取りがあり肝を冷やした。

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