第6話 風呂は甘え
ここにきて問題が発生した。
結果から言うとドロ子の服は無事購入できた。
最初にドロ子が欲しがったのは意外にもキャラ物のパジャマだった。パンダに似たキャラクターに模されたそれは当然普段着には使えそうもなかったが、ドロ子が欲しがっていたこともあり即決で購入した。甘い俺である。
勿論それだけでは目的が果たせないので、何着か私服は購入した。多少、というかかなり俺の趣味が入ったことは否定できないが……まあ喜んでくれたので良しとする。
帰りに夕飯の材料を購入し、約束通りハンバーグを作る。
「ハンベーグ!」
「おう、ハンベーグ作るぞ」
もう訂正は諦めた。格別美味いわけではないが、それなりに焦がさずに出来たハンバーグをテーブルにならべてやる。
ドロ子は喜色満面、残さずに出された量を平らげた。
ここまでは良かった。
問題が起こったのは、食後三十分も立とうかという頃である。
「ドロ子、風呂はどうする?」
何の気なしに尋ねたのがまずかったのか。
俺としては深い意味はなく、ただ先に入るか後に入るか程度の質問だった。
思い出してみれば、昨日は色々あって風呂に入らないまま就寝してしまった。
元々、男の一人暮らしのような生活をしていた上、俺自身、絶対に毎日入るなどというこだわりは持っていなかったのが原因だが、ドロ子は仮にも女の子だ。これからは兄である俺が気を使ってやらなければならない。
「入る」
「おー、そうか、じゃあ先に入って良いぞ」
「?」
首を傾げられた。
「ん? どうした?」
俺も首を傾げる。
何かまずいことを言っただろうか。
まさかアンドロイドだから風呂には入らないのだろうか、とか、そもそも風呂自体知らないなんてことは、と危惧する。が、よく考えたら入ると返答している時点でそれはないだろう。
ならどうしたと言うのだろうか。ますますわからなくなって首を捻る。
俺につられるように首の傾きを大きくするドロ子。目線を合わせるために更に首を傾ける俺。ドロ子も続く。お互いにが真横に倒れそうになって……ってなんだこれ! 鞭打ちになるわ!
あ、ドロ子がずっこけた。
「お兄ちゃんは?」
「ん?」
「お風呂入らないの?」
「いや、後で入るけど」
ドロ子が再度小首を傾ける。
なんだ、何を疑問に思っているんだ?
口に出して聞こうとしたのも一瞬のこと。
「一緒に入らないの?」
体が凍り付いた。
いま……なんて言った?
俺の聞き間違いでなければ、ドロ子は一緒に風呂に入ろう的な意味のことを口に出したのではなかったか。いや、いやいやいや、いくらなんでもそんなことはあるはずがない。
確かに子供っぽい性格設定とはいえ、仮にも年頃の女の子。お兄ちゃんとお風呂に入ろうなんて発想自体出てこないだろう。
そうだ、全ては俺の壮大な聞き間違いだ。捨てきれない煩悩が生んだ幻聴、夢の類に違いない。
「なんで一緒に入らないの?」
追撃が来た。
思わずドロ子から視線を逸らしてしまう。
馬鹿! 俺の馬鹿! 目を覚ませ! 恥ずかしいと思わないのか! こんなに純粋なドロ子を汚れきった目で見るなんて! こんな、やましい気持ちでお前はアンドロイドを買ったのか! 違うだろ! 俺はもっと純粋な……。純粋な……。
「……」
「お兄ちゃん?」
だがちょっと待って欲しい。果たして本当にそうだろうか? なんか違うのか? むしろやましい気持ちが全開で何か問題があるのだろうか。俺だって年頃の男の子だ。据え膳食わないほうがおかしいという理屈もある。
というより、誘われて断る方が失礼にあたるのではないだろうか。ここは兄として妹の気持ちを汲むべき時なのでは? そうだ。よく考えれば俺達は兄妹なのだ。スキンシップの意味も込めて一緒にお風呂ぐらいごく普通のことではないだろうか。
我ながら言っていることが矛盾しているのには気付いていたが、俺はすごい勢いで自己を正当化した。
「おー?」
そう、不純な気持ちなど感じようがないのだ。
仮に一緒にお風呂に入って背中の流しっこをしようが、その際にちょっといけないところに視線がいこうが、あまつさえ変なところを触ってしまったとしてもそれは全て事故。兄妹のスキンシップの範疇にすぎない。むしろそこに妙な躊躇いを覚える心こそが悪、俺達の仲を引き裂く狡猾な罠なのではないだろうか。
必要なのは兄弟愛。
それさえ忘れなければ大丈夫だ。
「よし」
俺は勢いよく立ち上がった。
「脱げドロ子!」
ジリリリ! ジリリリ!
盛大に家の電話が鳴った。
「……」
「脱ぐ!」
「待て」
ドロ子がシャツを脱ぎ捨てようとするのを静止する。
内心は荒れ狂っていた。
誰だよこのクソ大事な時に電話なんか掛けてきやがってぶっ殺すぞクソがまじセールスだったりしたら命ねえぞあほんだらがふざけんなよダボ空気読めやボケ。
何とも言えない気持ちを抱えたまま受話器を取る。
「はい、御木です」
『私』
誰だ。
『私だよ、私』
「詐欺は間に合ってます」
『ぐへへへ、事故にあったから三十万振り込めやー』
黙って通話を切った。
「ちっ」
思わず舌打ちも出ようというものだ。実に無駄な時間を使った。
ドロ子はというと、何が何やらわからない様子で目を丸くしている。
とにかく、何とか話を戻して風呂に……。
ジリリリ! ジリリリ!
「はい、御木です」
『私』
「誰だ」
『私だよ、私』
人語が通じない相手なのだろうか。
こめかみが軽くひくつくのを感じる。
「私なんて名前の知り合いはいません」
『なんでやねんー。ちゃいまんがなー』
クソみたいな突っ込みをいただいた。
「さよなら」
俺は受話器を思いっきり叩きつけた。
…………。
さすがに三度目の追撃は無かった。
なんだったんだ一体。
妙な脱力感を感じる。単なる悪戯電話だったとしたらなかなか嫌がらせのセンスがあった。
「お兄ちゃん?」
脱ぎかけの体勢のままドロ子が固まっている。
「……ああ」
なんだか気持ちが萎えてしまった。
同時に、一緒にお風呂に入ることに軽い罪悪感を覚えてしまう。
くそっ。チキンな俺が顔を出す前に勢いで乗り切りたかったのに。
再度もんもんとし始める。
まあ、なんだ。これから一緒に暮らしていくとして、こういう機会は毎日のようにくるだろうし、今日はドロ子一人で入って貰うことにするか。
「はあ」
ため息も出る。
可能なら明日またチャレンジしよう。
〇
翌朝、何やら息苦しくて目が覚める。
まず視界に入ってきたのは真っ白なもの。
何これ雪国?
とりあえず触ってみる。
温かい。
何かぬいぐるみのようなものが俺の顔に覆い被さっているようだ。
とりあえず思いっきり押しのける。
「ぴゃっ!」
何やら可愛らしい悲鳴とともに顔面への圧迫はなくなった。
と、そこでようやく意識が覚醒した。
「ど、ドロ子!?」
慌てて声がしたほうを見る。
ベッドから落とされたドロ子が涙目で頭を押さえていた。
どうやら何が起こったのかいまいち分かっていないらしく、不思議そうにしながら、ぷるぷると震えている。
どうやら俺がドロ子をベッドから突き落としたらしいと気付くまでゼロコンマ一秒。
「ど、ドロ子、大丈夫か!? く、くそっ、誰がこんな酷いことを!」
ドロ子に嫌われたくない一心で、俺はあえて知らない振りをした。
我ながら安定のクズっぷりである。
「……痛い」
「よし、お兄ちゃんが痛いの痛いの飛んでけしてやるからな! ほら、痛いの痛いの飛んでけ! ドロ子の頭から飛んでいけ!」
「……痛くなくなってきた」
本当はまだ痛いだろうに。健気にも俺を気遣うドロ子に涙がちょちょ切れそうだ。
すまん、ドロ子。
明日から気をつけるから悪いお兄ちゃんを許しておくれ。
お詫びと言ってはなんだが、朝食に昨日買っておいたプリンを一つ、デザートとしてつけておいた。
おいしいと言ってドロ子が笑う。
少しだけ心が軽くなった。
「んじゃ、今日も留守番よろしくな。誰か尋ねてきても出ちゃいけないぞ。相手は悪いおじさんかも知れないからな」
「うん」
頷きながらも、ドロ子は俺の服を掴んで離さない。
嬉しいのだけど、これでは出かけられなくて困る。
今日こそ早く帰ってこようと心に誓う俺だった。
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