第4話 伝説のラがつくブのレター
授業中。
何故か一時限目から自習ということで、クラスは案の定盛り上がっていた。
何でも本来割り当てられていた国語教師が体調を崩したとかで、急遽課題のプリントだけ配られ、教室内は束の間の解放感に酔いしれていた。
「雪ってさ、なんでアイドルとかにならないの? そんだけ可愛いのに」
「やばくね? 可愛さ一千万ボルトとかそんなかんじじゃん。わけてわけて、それ私らにわけてちょうだいよ」
「もう、やだ、やめてよ二人とも、そんなことないってば」
前方では、学園のアイドルがここぞとばかりにちやほやされていた。
まあ、いつものことなので放っておく。
俺はと言うと、家に一人置いてきたドロ子のことが気になってプリントどころではなかった。
大丈夫だろうか。下手に高いところに上ろうとして頭を打ったりなんかしていないだろうか。帰らない俺を心配して一人で外に出たりしてないだろうか。
一応、簡単な昼食は用意してきたつもりだが、ちゃんとレンジでチンできるのだろうか。一度気になり出すともう何もかもが手につかない。
ドロ子は可愛い。だからこそ、目をつけた変質者が誘拐などとよからぬことを考える危険性もある。
俺は慌てて頭を振った。今いくら気にかけたところで仕方ない。流石に早退するわけにもいかないのだ。
学校は今日だけでは無い。である以上、こうした心配にも慣れなければいけない。
授業が終わったら即座に帰ることだけを心に誓い、俺は気を逸らすべく鬣のほうをのぞき見る。何を考えているのかわからない顔でゴムボールをにぎにぎしていた。
「……」
さて、どうするか。先ほどは失敗したものの、鬣のほうから俺に声を掛けてくるなど千載一遇といっていい。ひょっとするとひょっとするのだが、ここ数日俺が休んだことで、鬣さんったら少し寂しくなっちゃったりなんかしたんじゃないだろうか。
いつも俺に話しかけてくるあいつ。しかし、ある日、いなくなって初めて気付く、あいつが俺の中で意外に大きなウェイトを占めていたことに! みたいな。
……まあそんな恋が芽生える瞬間みたいのは勘弁してほしいが、少しぐらいはこちらを気にかけてくれていたのかも知れない。だとしたらこの機会を逃しても良いのだろうか。
否、断じて否、ここは多少強引にでも話しかけていくべきでは無いだろうか。押してダメなら押し通せ。
「鬣さあ」
「あ?」
極力自然に自然に。
「俺びっ」
「…………」
「…………」
「……俺び?」
噛んだ。まさかこの肝心なところで噛むとは。俺は一体何をやっているんだ。
失敗は許されないという極限シチュエーションが、どうやら俺の心に僅かな波紋を投げかけたようだ。
まさかの悪戯の女神降臨。全く、本当にお茶目さんだぜ女神は。
ちくしょう、恥ずかしくて仕方ない。
俺は無かったことにした。
「おい、俺びって何だ?」
こういうときに限って鬣がしつこく食いついてくる。
「え、何が?」
「とぼけんな。今、何か言いかけただろうが」
「いや、何も。俺真面目にプリントしてたし」
「ああ?」
訝しげに眉をひそめる鬣。
しかし、結局のところ、突き詰めるほどでもないと判断したのか、「なんなんだよ」と文句を言いながら前に向き直る。
よし、うまいこと誤魔化せた。というか、先ほど俺は何を言おうとしたんだったか。失敗のインパクトに予定していた言葉が頭からすっぽりと抜けてしまった。
まあいいか。元々、話しかけることが目的で、内容など二の次だ。気を取り直して次に行こう。
「鬣さあ」
「ああ?」
「好きな奴とかいんの?」
今度はごく自然に話しかけることに成功する。
俺は内心ガッツポーズをとった。
「……なんだそれは」
「なんだって言われても、そのままの意味だけど……」
「……」
あ、あれ、おかしいぞ。完全に黙り込んでしまった。俺の予定では、こうした修学旅行の夜にするような気のおけない恋愛話をすることにより、一気に仲を深めるつもりだったのに。
「……てめえはどうなんだよ」
「あ?」
「好きな奴だよ。こういうのは普通、聞いたほうから言うもんだろうが」
なんと、意外なことに鬣は俺が投げたストレートをそのままピッチャー返しにしてくれた。やっぱこいつ、実はいい奴なんじゃないだろうか。
嬉しい反面、今度は返答に窮するはめになる。
「いや、むしろ聞いたのは俺なんだからお前が先に答えるべきじゃね?」
「なんだ、そのお前理論は。くせえ考え押しつけんな。いいからお前が先に言え」
「んだよ、いいからお前が言えって」
調子に乗った俺は、肘で鬣の脇腹をつついてやる。
「うぜえ」
ひょっとすると怒られるかと思ったが、意外にも鬣は俺の肘を更に肘で押しのけてきた。
つつく俺。押しのける鬣。
「んんっ、このっ」
態勢を傾けて、脇腹を三連つんつんしてやった。
「ばっ、やめろアホ!」
鬣がつられるようにして、俺の脇腹をつんつんしてくる。
「わひゃっ、お前、それは反則」
更に肘を打ち付け合い、主導権の取り合いに興じる。
気付けば、教室中の視線を感じた。
「ひそひそ……前々から怪しいと思って……」
「ひそひそ……やっぱあの二人って……」
「ひそひそ……どっちが受けでどっちが責め……」
何やらとんでも無い誤解が生まれてないだろうか。
「何見てんだ、てめえら」
流石というか何というか、鬣の威嚇一発、クラス中の視線は蜘蛛の子を散らすように逸れていった。
しかし、鬣よ、それは根本的解決になっていないのではないか?
ふと、視線を感じたような気がして前を向くと、一瞬だけ学園のアイドルと目が合ったような気がした。まあ、そりゃあこんだけクラス中が注目していたんだから見るだろうけども。
……誤解されたのかね。まあいいけど。
「おい」
「ん?」
気付けば、鬣が射殺さんとばかりに俺を睨み付けていた。
「くだらねえ用で声かけるな」
「はい」
子供が小便漏らして逃げ出しそうな眼光に、俺は思わず二つ返事で頷いてしまった。
まあ、今日のところは、これで一歩前進ということにしておこう。あまり急ぎすぎても逆効果だと判断して、俺はプリントに取りかかることにしたのだった。
〇
待ちに待った放課後。終わりの号令と共に勢いよく教室を飛び出した。
廊下、人の間を縫いながら、階段を二段抜かしで飛び降りる。
帰り際、一瞬だけクラスメイトからちやほやされ始めている学園のアイドルが見えたが、まあいつものことなので気にも止めない。
一応、鬣に別れの挨拶はしておいたが、その返事までは聞き取れなかった。
今は何より、一秒でも早くドロ子の元へ。
「はあ、はあ、はあ」
ようやくのことで昇降口まで辿り着き、急いで靴に履き替えようとしたところで。
「ん?」
ふと手が止まる。
本来なら一分一秒が惜しい。こうしている間にもドロ子が一人寂しく俺の帰りを待っているかも知れないのだ。
とはいえ、それでもなお止まらざるを得ない事情があった。何やら見慣れない物が目に入ったためだ。
手紙だった。
ハートのシールで閉じられた古典的なまでの封筒。それが俺の靴の上にちょこんと乗っかっている。
「…………」
一瞬頭が真っ白になった。
え、なにこれ?
思わず、下駄箱を閉じて自分の名前を確認してしまう。
名前は御木御琴。間違いなく俺の棚だ。
開く。当然、手紙は先ほどまでと同じようにそこに存在している。
「そんな馬鹿な」
これは何だ。
取りあえず手に取ってみると、そこには可愛らしい丸文字で『御木御琴さんへ』と書かれてあった。裏を見る。差出人は書かれていない。
いやいやいや、ちょっと待て、ちょっと落ち着こう。
確かにこの手紙は一見あれに見える。あの、ラがつくブなレターだ。しかし、果たして本当にそうだろうか?
世の中目に見えることが全てではないし、期待させてから落とすという残虐な手法もあると聞く。
いや、もっと現実的に考えて果たし状という線もあるのではないだろうか。
日頃から俺を疎ましく思っている不良グループ辺りが、業を煮やして溢れる想いをしたためたのかも知れない。
あの御木の野郎、今日という今日は勘弁ならねえぜ。あいつのことを考えると夜も眠れねえ。仕方ない。この想いを手紙に乗せて、届けあいつまでフォーエバー、みたいな。
いやいやいや、我ながらその発想はないわ。つか何かきもいわ。
俺は混乱していた。
「何してんだお前」
いつまでも突っ立っている俺を訝しく思ったのか、いつの間にかやってきていた鬣が声を掛けてきた。
そうだ。こいつなら俺なんかより余程果たし状についての知識があるはず、と失礼なことを考える。
「鬣、これ何に見える?」
取りあえず、靴箱に入っていた手紙を手渡してみる。
「…………あ?」
鬣が首を捻った。
「何に見える?」
再度尋ねてみる。
鬣の表情が驚愕に染まり、ごくりと唾を嚥下する。
「お前まさか……」
「ああ、そのまさかだ……」
流石は鬣。どうやら一見して手紙の本質を見抜いたらしい。顔を逸らすようにして手紙を突き返してくる。
「すまん。俺にはそういう趣味は……ねえ」
「あ?」
一瞬どういう意味か図りかねたものの。
「いやいやいやいや! 違うから! そういうことじゃねえから!」
俺からの恋文だと思ってたのかよ! そりゃ驚愕もするわ! ていうか表に思いっきり御木御琴さんへって書いてあるだろうが! お前の目は節穴か!
「まあそれは冗談として、これがどうした?」
どうやら鬣流の冗句だったらしい。
冗談って顔かお前は。
そう言ってやりたかったが、実際のところまだ少し怖いので止めておいた。
万が一鬣様を怒らせてしまったが最後、俺は一瞬で血祭りに上げられるだろう。
ため息一つ、手紙を受け取る。
「鬣、正直に言って欲しい。それは俺の命を狙う残忍な刺客からの果たし状か?」
「何言ってんだお前」
思いっきり馬鹿にされた。ちくしょう。自分だってくだらないジョークを飛ばしたくせに。
「どう見てもこりゃ、ラブレターだろ」
「それはない」
とりあえず否定しておいた。
「あ?」
鬣の眉が寄る。無駄に怖い。
「ラブレターだと何かまずいんかよ?」
「いや、まずいっていうか、お前。そんな無駄な期待したら違った時の俺のがっかり感が半端ないだろうよ」
だったら最初から疑って掛かった方がいざという時俺が傷つかないで済むというわけだ。
「小者だな」
「ほっとけ」
俺みたいなガラスハートはそうやって自分を守らないと生きていけないのだ。
そういえば、と思う。鬣とここまで普通に話したのは初めてかも知れない。いつもは何だかんだでどちらも一歩引いている感があるが、今は俺が必死だったせいか、ごく自然にコミュニケーションが取れていた気がする。
「まあ俺には関係ねえけどな。開けるなり燃やすなり好きにしろよ」
靴を履き替え去って行く鬣。
釈然としないものを感じながらも、引き留めることはせずに黙って見送る。
肝心の手紙はというと、もちろん燃やす気になんてなるわけも無く。
高鳴る心臓を抑えようとしながら、手近な空き教室に入って手紙を開封するのだった。
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