第3話 学校行きたくない

「お兄ちゃーん!」

「ドロ子ー!」


 がっしーんと大きな音が立つ勢いで、俺とドロ子は抱擁した。


 平日の朝。いつまでも眠りこけている俺をドロ子が起こしてくれたのだ。

 ただ起こすのでは無く、少しでも俺に甘えたいという心を満たすため、ベッドにダイブしてきたドロ子。既に目覚めていながらそれを迎え撃った俺。


 ドロ子が届いてから数日が経過し、俺達の仲はこれ以上ないくらい良好だった。


「お兄ちゃん、起きてたー!」

「おう、お兄ちゃんは起きてたぞー!」

「えへへ、えへへへへへへ」

「げへへ、げへへへへへへ」


 ドロ子の姿は、俺のTシャツを頭からすっぽりと被っただけの格好だ。近々服を買い与える予定だが、一応の緊急手段として着せてみたらこれがまた存外可愛かったのだ。


 だぼだぼの裾を引きずって歩く姿はさながら天使そのものだ。普段着を買い与えた後も、パジャマはこれにしようかと考えている。


 ちなみに、寝るときは一応同じ部屋の同じベッドを使っている。

 まあ、兄妹だしな。うん。やましいこともないし普通だろうこのくらい。


 寝る前にドロ子が必要以上にくっついてくるため、少々寝返りは打ちづらいが現状さしたる問題は無かった。


 ダイブを成功させたドロ子はいたずらっ子のように瞳を輝かせ、頬を赤くしていた。


「それじゃ、朝ご飯にしようかドロ子」

「サンマ?」

「いや、確か冷蔵庫に鮭の残りがあったから、味噌汁に塩鮭でいいだろう」


 何故サンマ?


 そういえば、数日前に出したサンマをえらく気に入っていたような気がする。好物に設定した覚えは無いが好きになったのだろうか。覚えておこう。


 実のところ、ドロ子は普通に食べるものは食べるし飲みもする。最初は驚いたが、一緒にご飯が食べれるというのもこれはこれで悪くないものだ。


 照れて教えてくれないので詳しくは聞いてないが、実は排泄もするらしい。全く持って、高性能というか、ロボットであることを忘れてしまう。


 ドロ子がついてくるのを確認してから階段を下り、リビングへ向かう。

 途中、ドロ子が小走りに追いかけてきて、俺の手を握ってきた。

 顔を見ると、にへらと微笑むので、頭をくしゃくしゃにしてやった。


「というわけで、今日はお留守番出来るか、ドロ子」


 俺が用意したご飯を食べ終えた後、時計を見ながら切り出してみた。


 時刻は午前八時を回ろうかというところ。

 実のところ現役の高校生である俺は、そろそろ仕度して学校に行かなければならない時間だった。


 ここ数日、ドロ子が届いた嬉しさで思わずサボってしまっていたが、流石にそろそろ顔を出さなければまずいだろう。

 一応、学校側には風邪をひいて休むと伝えてある。

 

 我が家は片親で、その母親についても普段から仕事仕事で滅多に家に帰ってこない。必要以上の生活費は入れてくれるため何とか暮らしてはいけるが、子供の頃はひどく寂しかったものだ。

 まあ、そのおかげで一日二日サボったところでバレないのだが、あまり長期に渡って休むのはよろしくない。


 そんなことを一通りドロ子に説明する。


「うん、大丈夫」


 ドロ子は首を縦に振って頷いた。

 物わかりがいいのは助かるが、顔はあからさまに悲しそうだった。


 心が痛む。くそ、高校などというハイパーどうでもいいことのために可愛いドロ子に辛い思いをさせることになるとは。


「夕方に学校が終わったら猛ダッシュで帰ってくるから」

「約束?」

「ああ、お兄ちゃんが嘘ついたことがあるか?」


 出会って数日のくせに、俺は完璧にお兄ちゃん風ふかしまくっていた。


「無い」


 ドロ子は壊れた玩具のような勢いで首を横に振った。

 その子供らしい動作が微笑ましくなり、俺は努めて優しく語りかける。


「そうだ、今日の夕ご飯はドロ子の好きなものを作ろう。何が食べたい?」

「本当!? えーっとね、えっとね、ハンベーグ!」


 ハンベーグ?

 ハンバーグのことだろうか。てっきりサンマかと思ったが、よく考えればドロ子は起動したばかりでまだ大した数の食事をしていない。知識だけはあるようなので、色々食べたいものもあるのだろう。


「よし、じゃあ今日はハンバーグにするか!」

「ハンベーグ!」

「ハンバーグな!」

「ハンベーグ!」


 わざと言ってないかこれ? まあ、喜んでくれたなら何よりだ。これで、少しは寂しさを紛らわせてくれるといいんだが。


「……本当は俺がいなくて悲しい?」

「うん」


 なんとなく気になったので、ついつい聞いてしまう俺。

 ドロ子はこっくりと頷くのだった。


「……ごめんな」

「早く帰ってきてくれるっていったから、大丈夫」


 何を置いてもすぐに帰ろう。心に誓う俺だった。



 〇



 市立基海(もとみ)学園高等学校。

 俺が通う高校は、地元ではそこそこの進学校だ。校門前の桜並木が有名だが、他はこれといってぱっとしない高校で、地元民からすれば、へえ基海なんだ、とそれなりの感心を得られるが、まあその程度。一言で言ってしまえば、どこにでもあるような中途半端な勉強校だった。


 唯一の目玉の桜並木にしたところで、春にしか咲かないのだから名物と言うほど学校の知名度は高めない。


「木枯らし吹いてると見るも無惨だな」


 つまり冬である現在、俺にとって校門前は何ら価値を持っていなかった。


 ……昔はまた違ったんだがな。


 らしくもない感傷を抱きながら、校門をくぐる。

 階段を一足飛びに上り、2-1と書かれた教室に入る。


「もう、まじで超可愛いよね、雪って」

「ほんと、ほんと、どういうケアしてんのこの肌とか。具体的に商品名教えてくんね?」

「もう、やだ、やめてよ二人とも、そんなことないってば」


 教室内では、学園のアイドルが女生徒からちやほやされていた。

 本人も満更でもなさそうだ。まあいつもの光景だ。

 放っといて自分の席に着く。


「おはよ」

「ああ」


 俺の横では、これまたいつものようにたてがみ王子おうじが何やら怖い顔でゴムボールを握りつぶしていた。

 俺の倍はありそうな腕。丸太のような足。椅子からはみ出るような巨躯は周囲に威圧感を与えて余りある。

 どこを見ているのかわからない瞳は常に剣呑な光を放ち、揺るぎない自信が全身からオーラとして放たれている。


 挨拶をするれば一応返してくれるので、嫌われてはいないと思う。顔は怖いが、こいつは基本物静かで動かない。校内一の不良という噂だが、実のところ俺は鬣が理不尽な悪さをしているのを見たことは無かった。


……まあ、喧嘩してるのは何度も見ているけど。


 実はいい奴なのでは、と思わせる一件もあり、席が隣なこともあって、取りあえず見かけたら挨拶をすることにしている。


 というか、なんでいつもゴムボール握っているんだ、こいつ。


 鬣がぎろりとこちらを見る。


「てめえも飽きねえな」

「あ、何が?」


 声を掛けられるなど非常に珍しいことだったので、つられて言葉が荒くなる。

 実際俺は喧嘩は超がつくほど弱いので、完全に虚勢の部類だが、吐いたつばは飲めない。

 やめて、許して、絡まないで、違うの、そういうつもりじゃないの。心の中は完全に震えるチワワ状態だ。


 ちくしょう、こいつに声を掛けたのが間違いだったのか、俺はあわれ、かつあげの餌食になってしまうのかと思い始めたところで、


「俺なんかに逐一声を掛けてくる物好きはてめえくらいだってことだよ」

「へえ、そうなのか。まあお前怖いもんな。主に顔とか」


 何言っちゃってるんだ俺は。本当に、この怖いくせに外面を取り繕う性格だけは何とかしたい。いざ喧嘩とかなったら三秒で殺される自信があるのに、態度だけは我ながら一人前だ。


「ちげえねえ」


 鬣はやくざのような貫禄で唇をつり上げた。


 何これ、笑ってるの? 俺何かおかしいこと言った?


 どうやら、今日の鬣は機嫌がいいらしい。もしかすると、これは鬣と仲良くなるチャンスかも知れない。

 実のところ、こいつのことは怖いがせっかく席が隣なのだし仲良くしたいとは前々から考えていたのだ。


「まあ、俺達、親友だからな」


 いきなり直球を投げてみた。後は鬣が笑って同意してくれれば完璧なのだが。


「あ?」


 ものすごい顔で睨まれた。どうやらお気に召さなかったようだ。


「すいませんでした」


 あまりの迫力に土下座する勢いで頭を下げてしまった。こええよこいつ。絶対年齢サバ読んでるだろ。間違いなく一回りは年上のはずだ。


「謝るこっちゃねえけどよ。お前が思う分には勝手だからよ」


 ゴムボールを握る腕に、心なしか力がこもっているような気がする。中指と薬指につけている髑髏を模った指輪がすれて嫌な音を立てていた。


「お、おう、じゃあ俺のほうだけ思っとくわ。お前も思いたかったらいつでもいいから言ってこいよ」

「…………」


 またもや虚勢を張る俺を一瞥だけして、鬣は前を向いてしまった。それと同時に教師が入室してくる。


 まあ、冗談はいいとしても、なんだかんだで授業サボらないんだよな、鬣。

 本当に悪い奴じゃ無いと思う。俺自身、学校で友達が少ないから、仲良くしたいところだった。

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