葛藤

 【抜粋】


 おおよそ諸々の聖者は共に葛藤の根源を裁断する学に参入するおもむきに向かうといえども、

(聖職者、大衆は、)

葛藤をもって葛藤を切る事を裁断と言う、という学に参入せず、

葛藤をもって葛藤に巻きつく、事を知らず、

葛藤をもって葛藤にぎ続ける、事を言うまでも無く、どうして知っているであろうか? いいえ! 知らない!

 (五十祖の如浄より前に、)法をぐ事は葛藤する事である、と知る事ができた者はまれであり、

聞く事ができた者はいないし、

言い表せた者は未だいないし、

証し表せた者は、多いであろうか? いいえ! 多くない!


 古代の仏と等しい、道元の亡き師である、五十祖の如浄は「夕顔ユウガオつるが(葛)藤のように夕顔ユウガオに巻きつく」と話した。





 【全文】


 釈迦牟尼仏が「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」と無上普遍正覚を証して伝えたのは、霊山の会では初祖の迦葉だけである。

 正統に代々、二十八代、正しく証して行って、二十八祖の達磨に至った。

 二十八祖の達磨は、自ら、(中国に行き、)祖師の事をおこなって「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」と無上普遍正覚を慧可に付属させ嘱託して二十九祖とした。

 二十八祖の達磨は、初めて中国で祖師の儀式をおこなって「中国の初祖」を自称し、二十九祖の慧可を「中国の二祖」と呼んだ。

 これが、東の地の中国の俗習と成った。

 二十八祖の達磨は、かつて二十七祖の般若多羅の御元で、仏の教訓と仏道の「骨髄」、「精髄」を目の当たりにして証し伝えて来た。

 そのため、二十八祖の達磨は、根源をもって根源を証し理解して来て、枝葉のもととした。

 おおよそ諸々の聖者は共に葛藤の根源を裁断する学に参入するおもむきに向かうといえども、

(聖職者、大衆は、)

葛藤をもって葛藤を切る事を裁断と言う、という学に参入せず、

葛藤をもって葛藤に巻きつく、事を知らず、

葛藤をもって葛藤にぎ続ける、事を言うまでも無く、どうして知っているであろうか? いいえ! 知らない!

 (五十祖の如浄より前に、)法をぐ事は葛藤する事である、と知る事ができた者はまれであり、

聞く事ができた者はいないし、

言い表せた者は未だいないし、

証し表せた者は、多いであろうか? いいえ! 多くない!


 古代の仏と等しい、道元の亡き師である、五十祖の如浄は「夕顔ユウガオつるが(葛)藤のように夕顔ユウガオに巻きつく」と話した。


 葛藤が大衆に示されたのは、かつて古今の諸方で見聞きした事が無い所である。

 初めて五十祖の如浄、独りだけが葛藤を言い表した。

 「夕顔ユウガオつるが(葛)藤のように夕顔ユウガオに巻きつく」とは、仏が仏に参入して仏を究めて行き、仏が仏を証し仏の心にかなったのである。

 例えれば、これは、以心伝心なのである。


 二十八祖の達磨は門人達に「時が、まさに至ろうとしている。あなた達は、なぜ、会得した所を言わないのか?」と言った。

 門人の道副は「私の今の所見は、文字だけに執着しないが、文字を離れずに、文字を話すのに用いる」と言った。

 祖師は「道副、あなたは私の皮を得た」と言っ(て、ほめ)た。

 女性の出家者の総持は「私が理解している所は、喜んで阿閦仏国を見たが、一度、見たら更に再び見ない様な物である」と言った。

 祖師は「総持、あなたは私の肉を得た」と言っ(て、ほめ)た。

 道育は「四大(元素)はもとよりくうであり、『色受想行識』という『五蘊』、『五陰』は存在の実体ではない。そのため、私の見た所では一つの法も得られ無かった」と言った。

 祖師は「道育、あなたは私の骨を得た」と言っ(て、ほめ)た。

 最後に、後の二十九祖の慧可は、二十八祖の達磨を三回、礼拝した後、自分の位置、居場所に戻って立った。

 祖師は「慧可、あなたは私の髄を得た」と言っ(て、ほめ)た。

 後に、二十八祖の達磨は、慧可を二十九祖として、法を伝え、袈裟を伝えた。


 今、学に参入するべきである。

 二十八祖の達磨は「あなた達は私の皮肉骨髄を得た」と言ったが、全ての祖師が言ったのである。

 門人の四人は、共に、会得した所が有り、聞いて明らかに知っていた物が有ったのである。

 門人の四人が、聞いて明らかに知っていた物、会得した所は、共に、身心の解脱への跳躍のための皮肉骨髄であり、(古い)身心を脱ぎ落とすための皮肉骨髄である。

 半端な知見や理解や会得によってでは、二十八祖の達磨の皮肉骨髄の言葉を見聞きするべきではないし、あの部分やこの部分といった全体を十全に形成して現せない。

 なのに、正しく伝えられなかった輩は、誤って「四人が各々理解した所は真髄に近かったり遠かったりしたため、二十八祖の達磨の言葉の『皮肉骨髄』も真髄に近かったり遠かったりしたのである。骨髄は皮肉よりも真髄に近い。後の二十九祖の慧可の見解が最も優れていたので、『真髄を得た』という印を得たのである」と思ってしまって言ってしまっている。

 誤って、この様に言ってしまう者は、未だかつて仏祖の学への参入が無く、二十八祖の達磨の言葉を正しく伝えられた事が無いのである。

 知るべきである。

 二十八祖の達磨の言葉の「皮肉骨髄」は真髄に近い遠いではない。

 たとえ見解に優劣が有っても、二十八祖の達磨は「私を得た」(、「私の考えを会得した」)とばかり言ったのである。

 その主旨は、二十八祖の達磨が「私の髄を得た」と言ったのも「私の骨を得た」等と言ったのも、共に、「人のために何かするには人と接する必要が有るし、草をひねって取るためには草の生えている地に降りる必要が有る」事と全く同じである。

 例えば、「拈華瞬目」で、釈迦牟尼仏が華をひねった様に。

 例えば、法を伝える時に、袈裟を伝える様に。

 四人のために、二十八祖の達磨が言い表した所は、初めから(終わりまで)同一である。

 二十八祖の達磨の言葉は同一である、といえども、四人の理解は必ずしも同一ではない。

 たとえ四人の理解が不完全でも、二十八祖の達磨の言葉は、ただ、達磨の言葉のまま、ありのまま、存在する通りである。

 おおよそ、言い表したものと、見解は、必ずしも一致しない。

 例えば、二十八祖の達磨は、四人の門人に示すために、「あなたは私の皮を得た」等、「皮肉骨髄」という四つの言葉を選び取ったのである。

 もし、二十九祖以降、百人、千人の門人がいる場合は、百通りの言葉、千通りの言葉による言い表し方が有るべきである。

 際限は無いであろう。

 二十八祖の達磨は、門人が四人だけだったので、「皮肉骨髄」という四つの言葉を選び取ったが、選び取らなかった言葉は未だに残っているし、選び取るべきであった言葉は多い。

 知るべきである。

 二十八祖の達磨は、慧可のために、(言動の順番次第では、)「あなたは私の皮を得た」と言ったかもしれなかった。

 二十八祖の達磨は、慧可に「あなたは私の皮を得た」と言った場合でも、慧可を二十九祖として「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を伝え付属し嘱託したであろう。

 二十九祖が慧可であるのは、得た皮や髄の優劣によるのではないのである。

 また、二十八祖の達磨は、道副、総持、道育、その他の人のために、(言動の順番次第では、)「あなたは私の髄を得た」と言ったかもしれなかった。

 (くり返しに成るが、)二十八祖の達磨は、慧可に「あなたは私の皮を得た」と言った場合でも、慧可を二十九祖として法を伝えたであろう。

 二十八祖の達磨の身心のうち、皮肉骨髄は全て二十八祖の達磨の身である。

 髄は近くて皮は遠いわけが無い。

 今、学へ参入する、正しくものを見る眼を備えて、「あなたは私の皮を得た」という印を得たら、二十八祖の達磨といった祖師(の考え)を会得するために学に参入して究めるべきである。

 身を通して、全身が皮である祖師もいる。

 身を通して、全身が肉である祖師もいる。

 身を通して、全身が骨である祖師もいる。

 身を通して、全身が髄である祖師もいる。

 身を通して、全身が心である祖師もいる。

 身を通して、全身が身である祖師もいる。

 心を通して、全心が心である祖師もいる。

 祖師を通して、全祖師が祖師である祖師もいる。

 身を通して、全身が私とあなた達を得た祖師もいる。

 これらの祖師達が並んで形成されて現れて、百人の門人、千人の門人のために、「あなたは私の皮を得た」と言い表すのである。

 たとえ、百人の門人、千人の門人のために、「皮肉骨髄」という四つの言葉しか利用しなかったとしても、無関係な見物人は、「皮肉骨髄」という四つの言葉で言い表した事について間違った形で、いたずらに思いを巡らしてしまうであろう。

 もし、祖師の会に六、七人の門人がいたら、祖師は、

「あなたは私の心を得た」、

「あなたは私の身を得た」、

「あなたは私の仏を得た」、

「あなたは私の『眼睛』、『見る眼』を得た」、

「あなたは私の証を得た」

等と言い表すであろう。

 つまり、あなたは祖師である時があり、(後に祖師と成った弟子の)慧可である時が有る。

 「得た」(、「会得した」)という道理に参入して明確に詳細に究めるべきである。

 知るべきである。

 「あなたは私を得た」のであり、「私は、あなたを得た」のである。

 「私と、(私の中に、)あなたを得た」のであり、「あなたと、(あなたの中に、)私を得た」のである。

 祖師の身心を見て、誤って「内外は唯一普遍絶対ではない」、「渾身は『通身』、『全身』ではない」と言ってしまえば、(あなたの知は、)仏祖が形成して現している国土ではない。

 (仏の知、神の知が「仏土」、「神の王国」と成る。)

 皮を得た人は、肉骨髄も得ているのである。

 肉骨髄を得た人は、皮や「面目」、「有様ありよう」も得ているのである。

 ただ、これは尽十方界の真実の体であると明らかに了知するだけではなく、これは更に皮肉骨髄なのである。

 そのため、「私の袈裟を得た」のであり、「あなたは法を得た」のである。

 このため、言い表し方も解脱への個々の跳躍であり、師弟は同じく学に参入する。

 聞いて知る方法も解脱への個々の跳躍であり、師弟は同じく学に参入する。

 師弟が同じく学に参入して究めて行く事は、仏祖の葛藤なのである。

 仏祖の葛藤は、皮肉骨髄の命なのである。

 釈迦牟尼仏が「拈華瞬目」、「華をひねって目をまたたかせた」のは、葛藤である。

 (「拈華瞬目」の後に、)初祖の迦葉が「破顔微笑」したのは、皮肉骨髄である。

 さらに学に参入して究めるべきである。

 (古い)体を脱ぐ力量が有る事が、葛藤の種と成るのである。

 葛藤にまといつく枝、葉、華、果実が有って、相互関係が有ったり無かったりするので、仏祖が形成されて現れ、「公案」、「修行者の手がかりとしての仏祖の言動」が形成されて現れるのである。


 趙州真際大師は「初祖の迦葉は二祖の阿難に法をあずけて伝えた。それでは、二十八祖の達磨は、どんな人に法をあずけて伝えたのか? 言いなさい」と会の僧達に言った。

 ある僧が「二十九祖の慧可が『髄を得た』と言われているのは、そうなのではないのですか?」と質問した。

 師は「二十九祖の慧可をそしる事なかれ」と言った。

 また、師は、「二十八祖の達磨は『外にいる者は皮を得るし、内にいる者は骨を得る』と言ったが、さらに内にいる者は何を得るのか? 言いなさい」と言った。

 ある僧が「『髄を得た』の究極の道理とは何ですか?」と質問した。

 師は「ただ皮を理解するべきである。(実は、)老僧である私の内にも髄なんて無いんだよ」と言った。

 僧は「髄とは何ですか?」と質問した。

 師は「そんな様では、皮も未だ探れずに知らないであろう」と言った。


 知るべきである。

 「皮も未だ探れずに知らない」時は、「髄も未だ探れずに知らない」のである。

 皮を探り会得した時は、髄も会得しているのである。

 「そんな様では、皮も未だ探れずに知らないであろう」道理を鍛錬(して熟考)するべきである。

 「『髄を得た』の究極の道理とは何ですか?」と質問したら、「ただ皮を理解するべきである。(実は、)老僧である私の内にも髄なんて無いんだよ」という言葉が形成されて現れた。

 「皮を理解するべきである」所で「髄なんて無い」事を、真の、「髄を得た」究極の道理としている。

 このため、「二十九祖の慧可が『髄を得た』と言われているのは、そうなのではないのですか?」という質問が形成され現れる。

 初祖の迦葉が二祖の阿難に法をあずけ伝えた時をまさに見ると、迦葉の中で阿難は身を持っていたし、阿難の中で迦葉は身を持っていた。

 法をあずけ伝える中でまみえる時には、「面目」、「有様ありよう」や「皮肉骨髄」、「理解」を交換する行程が不可避なのである。

 このため、趙州真際大師は「二十八祖の達磨は、どんな人に法をあずけて伝えたのか? 言いなさい」と言ったのである。

 二十八祖の達磨が二十九祖の慧可に法をあずけ伝えた時は、達磨は達磨であるが、慧可は「達磨の髄を得た」(、「達磨を会得していた」)ので達磨であったのである。

 この道理に参入して究めて行く事によって、仏の法は今日に至るまで(祖師の法でもなく弟子の法でもなく)仏の法なのである。

 もし、そうでなければ、仏の法は今日にまで至る事は無かったであろう。

 この道理に静かに参入して鍛錬して究めて行って、自分が理解して言い表せる様に成ったり、他人に教えて理解させて言い表せる様に成らせたりするべきである。

 「外にいる者は皮を得るし、内にいる者は骨を得る」、「さらに内にいる者は何を得るのか? 言いなさい」。

 今、言っている、内外の主旨は最も端的である。

 外を論ずる時、皮肉骨髄は共に全て(心にとって)外にある。

 内を論ずるとき、皮肉骨髄は共に全て(身体として)内にある。

 皮肉骨髄の四人の達磨の弟子という達磨は共に、百人、千人、万人の皮肉骨髄の向上に個々に参入して究め尽くしている。

 誤って「髄よりも向上は無い」と思う事なかれ。

 (例えば皮には皮以外の肉骨髄の)三枚の向上が有ったり、(皮肉骨髄以外の)五枚の向上が有ったりするのである。

 古代の仏と等しい趙州真際大師の言葉は仏道である。

 趙州真際大師の言葉は、臨済、徳山、大潙、雲門などには、及ぶ事ができない所であり、未だ夢見る事ができない所であり、まして、理解できない所であり、言い表せない所である。

 近頃の杜撰ずさんな長老などは、趙州真際大師の言葉が存在する事すらも知らない所である。

 近頃の杜撰ずさんな長老などに、趙州真際大師の言葉を説けば、恐れを成すであろう。


 明覚大師と呼ばれる雪竇重顕は「趙州(真際大師)と睦州は古代の仏と等しい」と言った。


 であれば、古代の仏と等しい趙州真際大師の言葉は、仏法の証拠であり、自己が、かつて理解し言い表せた物である。


 真覚大師と呼ばれる雪峰義存は「趙州(真際大師)は古代の仏と等しい」と言った。


 先の仏祖の雪竇重顕も「古代の仏と等しい」という言葉で趙州真際大師をほめているし、後の仏祖の雪峰義存も「古代の仏と等しい」という言葉で趙州真際大師をほめている。

 趙州真際大師は、古今の向上を超越した古代の仏と等しい祖師であるという事を知る事ができる。

 そのため、趙州真際大師が皮肉骨髄で葛藤させて探求させる道理は、古代の仏と等しい二十八祖の達磨の「あなたは私を得た」(、「あなたは私を会得した」)という言葉の基準と成る。この基準への学に参入して鍛錬して究めて行くべきである。


 ところで、誤って「二十八祖の達磨は西のインドに帰った」と言われているが、私、道元は「そうではない」と学んでいる。

 「二十八祖の達磨は西のインドに帰った」という宋雲の所見が必ずしも事実ではないであろう。

 どうして宋雲が二十八祖の達磨の去就を見る事ができたであろうか? いいえ! できない!

 二十八祖の達磨は死後、肉体の遺体が熊耳山に納められたと習い知るのを、正しく学んだとする。


 正法眼蔵 葛藤


 その時、千二百四十三年、京都府の宇治郡の観音導利興聖宝林寺にいて僧達に示した。

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