闇の中

 「先生、モテないでしょ。いや、出会いがないって言った方が正しいかなー?」

 「あー、御名答。もちろん、モテませんよ。こんな病院に出会いなんかがあるわけないでしょ?」

 「自分の勤めてる病院のことを、よく『こんな病院』って言えるね……」


 湊このはが入院してから一週間がたった。

 彼女の性格は明るく、誰にでも優しい。そのため、病院の中では、すぐに人気者となり、たくさんの人が彼女と喋るようになった。

 死を目前にしている人たちの集まりが、彼女によって「生」を感じている。それが、医者として、透は嬉しかった。


 「先生ってなんで医者になったの?」

 「えっ、あぁ。なんとなくだよ。小さい頃からそれなりに頭が良くて、それなりに努力すれば結果が出て、気づいたら医者になってた。それだけだよ」


 そういう透も、彼女と良く喋っていた。

 もちろん仕事の時がほとんどだが、このはは喋ることが好きなのか、よく透を呼んで話をしていた。

 この病院は患者の要望にはできる限り応えなければならない。そのため、透に拒否権はなく、毎日この部屋に通っていた。


 「それじゃあ、このはちゃんは、なんでこの病院に来ようと思ったの?」

 

 普通に投げかけた、ただの世間話のようなものだったが、このはは少しだけだが顔を暗くした。


 「ごめん。いいにくいことだったら別に」

 「いや、大丈夫です。このまま手術をすると死ぬ可能性があるんですよね?」


 透はこのはの言葉にうなずいた。実際に本当のことだったからだ。

 彼女のがんは珍しい場所にできており、症例としても珍しいものだった。この部位のがんの手術をしたことのある医師はほとんどおらず、手術に失敗する可能性が他のがんよりも高かった。

 

 「それなら、このまま寿命を延ばしたいと思ったんです。そっちのほうがよくないですか?」

 「まあ、そうなのかな。俺にはわからないことだからな。実際にその人の立場にならないと、その人が何を考えているなんてわからないしね」


 それを聞いた透の感情は揺らいでいた。

 きっと、このはちゃんは諦めているんだろう。自分の命はもうすぐ消え去るということを。幼いながらも理解しているんだろう、と。この目の前の少女を、このようにした大人が許せなかった。そんな怒りが、ふつふつと生まれているのを、透は感じていた。


 「もし、手術をしたいんだったら、言ってくれよ。俺はこのはちゃんの意思を尊重するから。もし、行く手を阻む奴がいたら、俺がぶっ飛ばしてやるから!!」

 「うん、わかった!!でも、ぶっ飛ばすのはやめてね」


 これだけは言わなければならない。選択肢は無限にあるんだと、そう言いたかった。この言葉は届いたのだろうか、このはは透の言葉に苦笑いで返した。


 「あっ、そういえば!!私、頼みたいことがあったんだった」

 「えっ、なになに~」

 「名前に『ちゃん』って付けるのやめてくれない?私はガキ扱いされてるみたいで嫌なんですけど~」

 「いや、実際ガキだろ……。ああ、すみません。じゃあ、このはさん?」

 「いや、なんかそれも嫌だな……。『このは』って呼んでよ」

 「患者を呼び捨てって……。まあ、いいか。じゃあ、『このは』で!!」


 目の前の背伸びをしようとしているような子供を、できるだけ笑顔にしなければならない。それが、透の仕事だから?いや、違う……。


        


         彼女の時間ときは、もう残っていないからだ。


 



 「彼女の容体は、実に危険です」

 

 この言葉を聞いた時、透は理解できなかった。あんなに、元気そうに過ごしている彼女の容体が危険?そんなことがあるわけないと。

 それを、否が応でも知ることになったのは、彼女の生活を見てからだ。


 「なんだよ、それ。ふざけんなよ……。諦めてんじゃねえか」

 

 資料を見ていた時、このはの前の病院での記録が目に映った。


 〇月▽日、患者の容体が悪化。

 ×月△日、本人の意志により治療を中止。

 

 これらの本人の意志は全て「周りの大人」の意志も入ってるんだろうと思っていた。だから、その時は何も感じなかった。

 しかし、彼女に触れるにつれ、考えは変わっていった。

 このはは自分の意志で治療をやめた。


 


 「せ~んせっい!!元気~?」

 「。このははどうなんだ?」

 「私はね~、元気!!」

 「そうかよかったよ。なにかあったら言えよ」

 「はーい。かたくるしいなぁ」

 「堅苦しくて悪かったな!!俺も仕事なんだよ」


 いつもなら、そこで終わりだった。これで、次の患者の部屋に行く。それで、終わりだった。


 「なぁ、このはってさ。諦めてんだろ」

 「え?」


 なにを言われたか、このはは分っていないようだった。きょとんとした表情だ。


 「いや、なにもない。すまん」


 そういうと、透は部屋から走り去った。

 何を言っているんだ。自分の考えを押し付けて……。あの状態じゃ、諦めるしかないだろう。自分の寿命をあいつは知っているんだ。俺が口出しできるわけじゃない。   

 だけど、


 「ムカつくな。ちくしょうが」


 透はそういうと次の病室を目指した。後ろから、一人の少女がついてきていることも知らずに。


 

 夜、透が自分の部屋で資料を見ているとき、その訪問者は突然やってきた。


 「先生、いる?」


 このはだった。しかし、いつもの彼女とはまるで違う。いつも太陽のように振りまいていた笑顔は消え去り、なにかを諦めたような、そんな目をしていた。

 

 「どうした、このは」

 「ちょっと、話したいんだけど……、いい?」


 このはには近くにあったソファに座らせた。透は、ここに来た理由はなんとなくだが察せていた。

 

 「先生、私、死ぬのが怖い」

 

 少し時間がたった後、このはは口を開いた。声は震えており、必死に出したものなのだと、言われずともわかった。


 「私、生まれた時から頭がよくてさ。そんじょそこらの『頭のいい』って感じじゃなくて、本当に。なんか、やりたいことは何でもできて、頭で考えれば大人も簡単に動かせる。本当になんでもわかったんだよ。勉強や人がこれから発する言葉、そして……未来でさえも」


 なんとなくわかっていた。あんな目になるのは、ずっと前から治療をやめて寿命を延ばすことにした理由は、現実が、避けようもない暗闇が見えていたからだと。多分、大人よりも、医師である、自分たちよりも。


 「だから、わかっちゃったんだよね。どうせ、私は助からない。そんな未来が見えちゃった。すると怖くなったんだ。目の前の闇が。死ぬと、この闇を怖いって思えなくなるって。それが怖かった」

 「そっか」


 そんな言葉しかかけられなかった。その人の気持ちはその人の立場にならないとわからない。けど、透にはこのはが悩んでいることがわかった。怖がっているのがわかった。何を言いたいのかも。


 「だからさ」

 「大丈夫、俺は応援するよ、手術を受けるんでしょ」

 「うん、私の計算って外れたことないんだけど。一回くらいはミスりたいじゃん」


 諦めてほしくなかった。自分の人生が諦めてばっかりだったからかもしれない。だから、目の前の「生きている」少女に「生きて」欲しかった。俺はこの子の背をさすりたかった。背を押してあげたかった。未来という名の闇に、ともに立ち向かいたかった。たとえ、彼女には闇の先が見えていて、その先に何があるか知っていたとしても。

 

 「それでさ……。ちょっと言いにくいんだけど……」

 

 このはの言葉は途中で透の手に遮られた。

 言葉なんて聞く必要はない。あのとき、約束したじゃないか。


 「じゃあ、ぶっ飛ばしていこう!!」

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逃避行 海湖水 @1161222

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