逃避行

海湖水

闇からの逃避行

 あぁ、怖いなぁ。

 周りの人たちもそうなのだろうか。いや、そうに決まってる。私だけじゃない。この目の前の闇を、「怖い」って、きっとみんな思ってる。

 けど、この闇を「怖い」って思えてるってことは、「まだ生きてる」ってことでもあるんだ。まだ、この世界で「生きてる」ってことの証明でもあるんだよ。

 

   

   あぁ……まだ生きてたんだ、私。



 朝、南淵みなぶちとおるは病院の一室で目を覚ました。別に病気というわけではない。勤務しているから、ここに泊まり込んでいるだけだ。


 「先生、おはようございます。今日もいい天気ですね」

 「おはようございます、坂本さん。確かにいい天気ですね。外出するのにちょうどいい」

 「今日は外に出ようかしらねぇ。せっかくここに来たんだし、やりたいことだってたくさんあるのよ」

 「いいんじゃないですか?それじゃあ、担当の方に行っておきますね」

 「ありがとうねぇ」


 ここで出会う患者さんたちは、皆「したいことをして」生きている。自分の人生でやり残したこと、体験してみたいこと、自分の言葉を残すためになにかを作ること、それらを探すこと。皆、残りの人生を「生きるため」に費やしている。


 「おはようございます、南淵先生」

 「ああ、おはようございます。さっき、古原るり子さんが外に出たいとおっしゃっていたのですが、付いて行ってもらえませんか?」

 「私は、この後に他の患者さんと出かけますので……。他の看護師さんに聞いておきます」

 「ありがとうございます。私も忙しくて……」

 

 透は医者だ。だが、病気を治す医者ではない。いや、治すこともあるが。

 透の仕事は、もう治る可能性の低い患者を少しでも生かすことだ。それと同時に、その患者のやり残したことも行う。そのためには金に糸目をつけない。そんな人たちが入ってくる病院だった。

 透はこの仕事を数年続けている。しかし、特に業界では長くしているほうではなく、むしろ若手だった。


 少し他の患者とも話した後に、透は自らの部屋へと戻った。実際は使われていない部屋の一つなのだが、透が病院に泊まり込むようになってからは、透の専用の部屋のようになっていた。主に、透はこの部屋で、新しく入ってく患者のカルテを読んでいた。

 今日もいつもどうり、部屋で新しいカルテや入院患者の資料を見ていた。その中、透の目にあるものが映った。


 「10歳?どういうことだ?こんなところにそんな子が……」


 見つけたのは一つの転院希望用紙だった。

 みなとこのは。末期がんであり、本人の要望によりこの病院に転院。そう紙に書かれていた。

 この病院にこの年齢で入院するのは珍しい。なぜなら、この病院に入院するためには様々な条件があり、それを子供でクリアするのは難しいからだ。


 「先生、その子が気になりますか?」

 「ああ、うん。よく条件を満たせたな、と思いまして。……って、うわっ!!いつからいたんですか⁉」

 「さっきからずっといましたよ」


 後ろに立っていたのは、病院長だった。この病院の創設者であり、「患者に思い残すことがないように」を掲げている、医療業界では有名人の一人だ。


 「患者の情報を知っておこうとするのは感心ですね。この病院は、患者に生きるという行為を最後まで感じさせるためにありますから、私たちはそれらを叶えるために、最大限の努力をしなければなりません。しかし、集中のし過ぎもよくないものです。私の要件が急用ならばどうするつもりだったのですか?」

 「す、すみません……」


 確かに、集中のし過ぎは反省しなければなるまい。いや、まて。なんか最後に重要なことを言った気がするが……急用⁉


 「さて、私がここに来たのは、その子のことを説明するためです。あなたは今日からその子の担当医ですから」

 「はぁ。って、ええ⁉私が担当医ですか⁉」

 「はい、何か問題でも?向こうからの要望です。できるかぎり若い先生が良いとのことでして。あなたが適任でしょう」


 若い先生が良い?確かに、小さい子はそのほうが話しかけやすいかもしれない。そんなことを透が思っていると、病院長は説明を始めた。

 「彼女は、この病院の条件を満たし、正式に『自らの意思で』転院することが決まっている患者です。それがなにを意味するか。南淵先生ならその意味がわかるでしょう」

 「通常の子供よりも頭が良い。まあ『ギフテッド』ってことですよね」

 「はい。彼女は一般の大人よりも高い知能を持っている。会話などには困らないはずです。それにしても、この病院にわざわざねぇ……」


 病院長がこのような反応をしているのには理由がある。普通、このレベルまでがんが進行したとしても、今の科学技術ならばワンチャンスある。この年齢ならば「生きたい」と願うのが普通ではないか?この病院は「寿命を延ばす」ことを目的としていて、「治療する」ことを目的としているわけではない。

 透にとっても疑問にしかならなかった。この年齢で自分が「死んでしまう」ことを知ったら、絶対に治したいと思うだろう。周りの大人もそう思うはずだ。この病院に入院するには、かなりの金額が必要だ。この金を「治す」ことではなく「寿命を延ばす」ことに使う。その意図が、透には読み取れなかった。


 「とにかく、今日中に彼女はこの病院に来られます。あくまで『一人の患者』として扱ってあげてくださいね」


 そういうと、病院長は部屋から出ていった。病院長が会話の途中から「彼女」と呼び始めたのは、彼女を一人の人間として平等にみているからだろうか。


 「はぁ、じゃあ行きますか。あのテストをクリアする十歳って……。どんな頭の構造してんだろうな……」

 

 湊このはが到着する場所には、病院長の他に、前の病院の医師もいた。

 

 「あの子のことを頼みます。余生をできるだけ楽しませてあげてください」


 そんなことを前の病院の医師と話していると、大きな黒い車が目の前に停まった。車体は太陽の光で黒く輝き、吸い込まれそうな艶めきを見せていた。


 「ああ、お母さん。大丈夫だよ。一人でも動けるってー」


 そんなことを言葉とともに、目の前のドアが開き、中からは一人の少女が出てきた。車いすに乗った彼女は、透に目を向けると、笑顔を見せた。


 「これからよろしくお願いします。南淵先生♪」

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