第38話 友達として

 深雪さんの言う「完膚なきまでに負けた」の意味がわからない。


 恋愛の話だとして、そう簡単に折れる深雪さんじゃないだろう。

 今ここにいる彼女の強かさを、俺は誰よりも知っているつもりだから。


「な、なぁ……根掘り葉掘りって、まさか喧嘩した訳じゃないよな?」


 怖くなって問う。

 すると、深雪さんは真顔になって黙り始めた。


「……ちょっと口喧嘩しただけよ。まぁそう……あたしがちょっと強く言い過ぎて、それを謝って。お互いのことを話し合って、仲直りしたっていう……そんな感じね。そんな感じってことに……しておいて。気になるなら、直接彼女に聞いてくれる?」


 つまり、言いくるめられてしまった……ということだろうか。

 結果的に仲直りしたなら、いいんだけど。


「お互いのことを話し合ったって……?」

「ちょっとした相談をされたのよ。あたしにとっては、本当に馬鹿馬鹿しい……絶対に赦してもらえると確信できるくらい小さな悩みだったけど。

 まぁ彼女の潔癖症みたいなものかしらね」


 やはり俺の目から見る南さんと一致しない。


「それってどんな?」

「内緒……特になぁくんには、秘密ってお願いされているから」


 ……約束なら、仕方ないな。

 さっき、同じことを俺もしてしまった。

 ゆえに、追求しにくい。


「そうだ、南さんの通っている学校って聞いた? あと下の名前とか」


 すると深雪さんは首を傾げ、次に微笑む。


「ふふっ……知らないわ。だけど名前の方は、どっちかっていうと『南』の方が下の名前なんじゃないかしら」


 ……そうなのか?

 カフェ『ルージュ』の店員さん達の名札はみんな「田中」や「木村」など苗字が多かった。

 だから、勘違いしていた。


「そうそう、最後に彼女から――なぁくんに伝言を頼まれたわ」


 驚いた俺は、膝をカウンターにぶつけた。

 静かな店内に、ガタリと音が立った。

 多少痛いがそれどころではない。

 伝言って……もっと早く言ってほしい。

 油断していた。


「な、何を――」

「今日から三日後の夜に、貴方に大切な話があるそうよ。場所は――ここ。偶然、水萌がライブする会場の近くみたいね」


 スマホの地図を出して教えてくれる。

 そこは『ルージュ』とは違うカフェの場所。

 何故、ここではないのだろうか。

 残念ながらチケットを持っていないので水萌さんのライブには行けないが、随分と遠い場所だ。


「そ、そうか……そうか。ありがとうみぃちゃ――」

「……ねぇ、あたし役に立った?」

「えっ? ああ、うん」


 ――希望で胸がいっぱいになった瞬間。

 深雪さんが、急に俺の方へ寄り掛かってきた。

 伝言……俺に直接伝えられていなかった以上、隠さずに教えてくれたのは助かったが……これは?


「もし――もしもよ? なぁくんが南さんと付き合って、南さんが許したのなら……あたしのこと抱いてくれる?」

「それは……えっと」


 どう答えればいいのか、わからない。

 深雪さんが献身的に俺を好きでいてくれるのは、もうよく伝わった。


 その想いに応えたいという気持ちも、多少ある。

 というか……ただ俺に尽くしてくれる彼女に対して、罪悪感が募っているのだ。

 それは『結婚の約束』から起因したもの。

 深雪さんの幸せは、俺も願っている。


 ただ恋愛は一途なものであるべきだ。

 俺が南さんと付き合ったら……南さんだけを愛してあげたい。

 しかし南さんの許可を得たのなら――?


「俺は――みぃちゃんから受け取った献身に、ちゃんと応える気はあるよ。だから出来れば、他に君を幸せにできる方法があるなら……友達としてお返しをしたい」


 友達としてやり直したい。

 先にそう言ったのは深雪さんだったのだから。

 それなら、恋人のような関係でなくても、彼女を幸せにする方法はあるかもしれない。


「みぃちゃんは魅力的だし、俺だって抱きたくない訳じゃない。だけど、それで大事な人を悲しませたくない。不安にさせたくない」


 許可があろうとなかろうと、きっと心に残ってしまうと思う。

 だから、その一線は大事にしたい。


「…………ほんと、なぁくんは優しいなぁ」


 優しいのだろうか。

 いや、俺はきっと酷い男だ。

 その選択は……彼女の気持ちを俺に向けさせたまま、縛るようなものかもしれないのに。


「でもあたし、あたしの初めては、なぁくんがいいなぁ――都合の良い女も望むところだし、抱かれるまで他の男には興味持てないかもね」

「うっ……」


 ズルい言い方をする。

 まるで俺に、彼女のすべてを拒絶してほしいみたいだ。


「そんな事するなら、俺は南さんとのラブラブカップルな姿を見せつけて、次の幸せを探させるから」

「ひどっ」


 そこまで言われたら、そうするしかないだろう。

 深雪さんに関しては、すべて俺が悪い。


 恋人という形で責任を取る事はできなくても、他に方法はあるはずだ。

 自分の大切な人を困らせない程度に彼女を幸せにしたいとは思っている。


「ってか……まだ、俺が南さんと付き合えるかわかってないのに、変な期待……させないでくれよ」

「そうだね。そうだった……ふふっ、あたしらしくなかったかな。そこが上手くいかなかったら、あたしの独り占めだもんね」


 昔はお姫様になりたくて堪らなかった女の子が、あざとい女に育ったものだと思う。

 南さんに出会わなければ、深雪さんに惚れていたのは間違いないだろう。

 というか多分、南さんに振られたら……恥知らずでも、彼女を選ぶと思う。


 不純な考えかもしれない。

 けど、南さんに会えず寂しい今の俺を支えてくれているのは……間違いなく彼女なのだから。

 だから彼女を期待させる訳ではない。

 が、その言葉を否定しなかった。


 すると、彼女は自分の鞄から何かを取り出した。


「はい、じゃあこれ」

「何、これ……」

「本当は抱いてくれるって答えてくれたら渡す予定だったけど、なぁくんの優しさに免じてあげる」


 封筒を開くと、中には差出人不明の一枚の手紙ラブレター。

 そして、『ハニーリング』のライブのチケットが同封されていた。


「それ、あたしが書いたラブレターじゃないよ」


 そういえば……だ。

 深雪さんから話を聞いたところ、中学生の頃のストーカーは深雪さんではなかったらしい。

 でも同じ手口で、深雪さんでないとしたら――。


「えっ……? 本当に、誰が書いたんだ? というか、なんでチケット」


 わけがわからず、戸惑う事しかできなかった。

 そんな俺を見てクスクスと笑い出す深雪さん。


「大人しくあと三日待つことね、鈍感王子様」


 深雪さんはどういう事なのか、知っている様子。

 しかし教えてくれる条件が深雪さんを「抱く」以外に無いのだ……俺は渋々諦めるしかなかった。

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