第37話 完膚なきまでに負けたの

 水萌さんが学校に来なくなり、一週間が経った。

 ……彼女のライブまであと三日。

 当然それは俺にとっても寂しいことなのだが、気がかりなことが別にあった。


 ――それは南さんのこと。

 丁度水萌さんが学校を休み始めた日から、カフェ『ルージュ』に彼女の姿もなくなった。

 彼女に連絡して聞いたところ、暫く学業が忙しくなるからバイトには来ないらしい。


 タイミングが良くなかった。

 ただでさえ『ハニーリング』の不仲疑惑で水萌さんのことが心配なのに、南さんにまで会えない。

 自分の無力を痛感しているようだった。

 それでも、俺の日課は変わらない。


「今日も、あのカフェに行くの?」

「ああ」


 ――放課後。

 深雪さんが後を付いてくるのを止めないまま、今日も同じ場所へと行く。

 いつ南さんの忙しい期間が終わるのかわからないから、俺は毎日……彼女を待っているのだ。


 雰囲気の変わらないカフェ『ルージュ』の店内は、南さんの笑顔がないと質素なものだと思えた。

 やはり彼女は、ここの看板娘なのだろう。


「ねぇ……」

「…………」

「ねぇってばっ!」


 横から肩を揺らされ、ようやく深雪さんが呼びかけていたことに気付いた。

 今日も深雪さんは隣に座ってきている。


「振られた身で言うのもなんだけど、なぁくんの悩みは友達にも話せないことなの?」


 そんなに悩んでいる顔をしていただろうか。

 指摘されたことに、俺はハッと息を呑んだ。


 そうだ。そうだった。

 南さんに言われたじゃないか。

 他人に甘えることを……彼女に教えてもらった。

 だから俺は多分……南さんに甘えたかったのだ。


 彼女に会いたかったのは、きっと恋心じゃなくて……俺のエゴに過ぎない。

 情けない男だと自分を卑下したくなる。


「いや……悪い。ただそう、まぁ……南さんに会いたくて、会えないのは寂しいなって」

「そうね。好きな人に会えないのは寂しいものよ」


 まるで自分のことのように話す深雪さん。

 しかしその言葉に皮肉は感じられなかった。

 彼女は――共感してくれているらしい。


「悪いな。こんな相談……聞きたくないだろ」

「ううん、あたしは聞きたい。なぁくんの話、全部聞きたい。なぁくんを支えられるなら、恋人になれなくても嬉しいことだから」


 深雪さんの好意が、よく伝わってくる。

 温かい女の子だと思う。

 こんな人を振ってしまった俺は、きっと罪作りな男なのだろう。

 だけど……いや、だからこそ――だ。

 俺はもっと、男として成長しないといけない。


「……いや、ごめん。きっと違うんだ」

「えっ?」

「吐き出したら楽なんだろうけど、俺はこの気持ちの共感を他人に求めちゃいけない気がする」


 数日会えないなんて、世の恋人同士にだってよくあることだ。

 その度に、寂しさを埋めたがるのは悪手だ。

 南さんは甘えることが大事だと言った。

 それは……俺が甘えることを知らなかったから。


 甘える時は甘える。そうでない時は甘えない。

 そのメリハリを捨てたら、彼女を支える力さえ失ってしまうかもしれない。

 ……そんな不安が付きまとった。


「……そうね」


 深雪さんの反応はそれだけだった。

 話すと期待させておいて口を噤んだのに……。

 しかし、その目はどこか同情的な感じがする。


「それじゃ、あと三日――耐えられなかったら、あたしに甘えにきてよ」

「……ちゃっかりしてるな」


 甘い誘惑だ。

 我慢できなくなったら、本当に飛びついてしまいそうな自分が怖くなる。


「――って、あと三日? それは水萌さんが学校に戻ってくる話だったよな?」


 俺が会いたがっているのは、南さんだ。

 水萌さんがいないのも寂しくないと言えば嘘になるけど、それで俺の心の穴が埋まる訳じゃない。


「…………あたし、なぁくんに隠していたことがあるの」

「ん……?」


 急に話を変えられたと思ったが、何のことだかわからない。

 ただ彼女の顔は真剣だった。


「あたしね、南さんと話したの」

「は……?」

「もちろん、なぁくんが彼女を好きだなんてことは伝えてない。ただ彼女のことを知りたくて、根掘り葉掘り聞いたの」


 いやいや待ってほしい。

 南さんが来なくなったのは……深雪さんっていう可能性があるのか?

 いや……だとしたら、ここまで堂々としていないだろう。


「先に断っておくけど、南さんが来なくなったのはあたしの所為じゃないわよ。後々わかるから」

「お、おう」


 エスパーかよ……。

 考えが読まれていた。

 まあ後々わかるというなら、信用してもいいの……だろうか?


「あたし……彼女のことが嫌いだった。あたしの好きな男の子を取られると思ったからじゃない。ただ彼女の性格が嫌いだった。ハイスペックな癖に人を見下して、人のコンプレックスを抉ってきて……大嫌いだったの。

 だけど、それはあたし目線の話。きっと彼女にとっては違ったのかもね」


 どういう意味だろう。

 深雪さんが話す南さんの性格は、これまで一切感じたことのないものだ。

 勘違いだったのかもしれないと結論付けているが、そもそもそんな風に彼女を見るなんて――。

 何があったんだろう。


「――あたし、完膚なきまでに負けたと思ったわ。……なぁくんが好きになるのも、不思議と納得できたの。だからって、貴方を諦めようと思った訳ではないけどね」


 完膚なきまでに負けたというのは、一体どういうことなのだろうか。

 俺の知らない間に、一体何が――……?

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