第2話 偽りのアイドル
――カフェのアルバイト中。
今日、私はとある男の子と出会った。
彼の名前は、
これから高渓学園に入学し、私とは同学年になる予定の男子。
そんなことは、最初から知っていた。
でも、彼は私のことを知らない。
そう……これは私だけが知っていること。
そもそも名札に書かれている「南」という名前すら、ただのニックネームで本名じゃない。
――私の本名は
世間で大人気のアイドルユニット『ハニーリング』の青担当。
国内だけでなく世界的に注目され、デビュー時からクール系アイドルとして
そんな私がなぜ、カラコンとウィッグを付けて地味な眼鏡で正体を隠しカフェの店員などしているのか……。
理由は色々とあるけれど、まずは彼、翡翠くんとこうして自然な形で出会うため。
そして――それは今日、成就を迎えた。
――そう……ここまでは、計画通りだった。
初対面を果たすという記念日にも関わらず、不幸なことに今日は客の来店が多かったのだ。
当然、彼と話す時間は減ってしまう。
空も暗くなり客足も少なくなったとはいえ、彼は勉強中……邪魔なんて許されない。
それでも、もっと彼と話したい。
この気持ちを胸に抱えきれない。
気付けば私の足は自然と彼の方へ伸びてしまい……そんな時のことだった。
――背後から肩を軽く叩かれた。
「南ちゃん、もうバイト終わりでしょ~? この後時間ない? 一緒に食事でもしようよ~」
話しかけてきたのは大学生くらいの男。
このカフェの常連なのかは知らないけど、私がここで働き始めてからは毎日来ている。
こんなにはっきりとナンパを仕掛けられたのは初めてで、若干の戸惑いを隠せない。
だから、関わる機会がまずなかった。
しかし今ここにいる私はクール系で売っているアイドルではなく、ただのカフェ店員なので――。
「すみません〜、そういうお誘いは困っちゃいますので……」
応対の仕方なんてわからない。
ただ店員らしく振る舞おうと、手のひらを合わせていつもの調子で断ってみた。
けれど、男に引く気配は一切見られず――。
「えー、いいじゃん。南ちゃん学生っぽいし休みで時間あるでしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、手に持ったカップの取っ手を強く握っていた。
今すぐ、コレをこの男にぶん投げてやりたい。
温厚な私でも、そんな衝動に駆られる時がある。
営業用に作っていた表情筋や、浮かれていた心がサーっと凍てついていく。
コロすぞ……?
「あれぇ、何も言わないってことは~、もしやもしかしてぇ…………ひいっ」
どうやらこの男は鈍感ではないらしい。
私の冷ややかな眼差しに、彼は動揺していた。
これでも引き下がらないなら拒絶の意として、カップ一つ壊そうかと思っていたので、安堵する。
――そんな時だった。
「店員さん困っていますよ。やめたらどうですか?」
背後から注意の言葉をかけてくれた男の子。
その声が彼のものだと気付いた瞬間、体中に電気が走った。
(ひ、翡翠くん……!?)
勉強への集中を妨げてしまった。
そのことに申し訳なく思いつつ、私は内心で……ひそかに興奮していた。
一気に冷えた心に熱が灯り、秘めた想いが、「好き」が心の内から溢れ出しそうになる。
「べ、別に……南ちゃんが無理なら無理でいいんだよ。ただ教えてくれれば――」
ナンパしてきた男はあくまで自分の非を認めたくないように見える。
その表情からは、悪気があるように自覚しながらも、プライドが邪魔しているといった様子。
長年色んな人を見てきた私の目は、あっさりと男の内心を見抜いた。
下手な言葉をかければ口論に発展しかねない。
それでも翡翠くんは勇ましく言葉を続ける。
「だけど貴方の方が年上に見えますし男です。貴方が軽い提案に思っていても、彼女にとっては圧を感じるかもしれないじゃないですか。実際、俺の目には彼女の背中が少し震えているように見えましたよ」
……それは恐怖というより殺意で武者震いしてしまっただけだと思う。
だけど、そんな風に細かいところに気付いてくれる翡翠くんは――相変わらず翡翠くんなんだって安心した。
「そ、そうか。ごめん南ちゃん……怖がらせちまったなら謝る」
ナンパしてきた男は、素直に平謝りしてきた。
そこまで悪気があった訳ではないらしい。
私もこれ以上事を荒立てる気はなかった。
「いえ。私は大丈夫です。ただプライベートのお誘いは受け付けていないので、ごめんなさい」
「気を付けるよ……。ここのコーヒーは美味いから、出禁にされたくない」
数ヶ月はこの男に対して警戒を解く気がないだろうけど、このカフェは私も気に入っているし出禁は勘弁してあげようと思う。
いたたまれなくなったのか、ナンパしてきた男は店を後にして行った。
なんだか、気力が抜けてしまいそうになった。
――私はまた、翡翠くんに助けられてしまったのだ……。
現世でも、恋に落とされてしまうなんて――。
前世……タイムリープする前の世界から続く予定調和に、私の心は溶かされきっていた。
つまるところ、わからされたのだ。
――何度だって、あなたに恋をする……と。
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