第3話 助けてくださいっ

 ――前世。


 私がかつての同級生である彼女――ななゆきの懺悔を聞いたのは、高校を卒業して十年以上後のことだったと思う。


「ごめんね、みな。こんな話して……ぐすんっ……! でも、彼氏と順調な水萌に……相談したくて……」


 深雪に誘われた居酒屋での飲み。

 早くに酔い始めていた深雪はやや涙目で、私に自分の過ちを暴露した。


 曰く、彼女は……同棲している彼氏に内緒で適当な男と浮気をしてしまったのだと。


「――やっぱり、浮気しちゃったあたしが悪いよね……わかって、いるのよ……わかっては……」


 罪悪感に駆られた深雪は、彼氏に何も言わずこうして逃げてきたようだ。

 親友の頼みとあって、私もすぐに応えた。


「で、でも……深雪が不安になるのも無理ないと思います」


 どうやら深雪の彼氏には『意中の相手』という女性がいたらしい。

 しかも、そのことを徹底的に隠されていたことで……深雪は不安になってしまった形だ。

 当然、その相手は深雪でないらしく……。


 正直なところ、私の本心としては……浮気した深雪が全面的に悪いと思っている。

 不安なら……彼氏にそう言えばよかった話だと思うから。


 とはいえ彼女は私が高校の頃から仲良くしている友達だし、本心で叱るなんてできない。


 それに、こうして逃げてきた深雪を探しに来ない彼氏側にも、責められる点はあると思ったから。


「ありがとう、水萌。……あはは、ちょっと元気出てきたかも……。でもあたしが悪いのはそうだし、全部話して、しっかり謝らないと……だよね」


 深雪は誰かに気持ちを打ち明けたかっただけで、心の中では整理し終えているのかもしれない。

 相変わらず切り替えの速い深雪に、私は微笑み返した。

 ――そんな時のことだった。


「でよぉ、この前遊んだ女がまぁた床上手だったんだわ! 前の女は飽きたし、ありゃ当分遊べそうでよぉ!」


 隣の個室から酔った男の声が響いた。

 ふすまが仕切りになっているので、声が聞こえてしまうのは無理のない話。

 だけど、私が反応したのはそこじゃない。


(隣の部屋の声……まさか、そんな訳ないですよね……?)


 男の声は聞き覚えのあるものだった。

 吸い込まれるように私は襖へと近づいていて、恐る恐る障子を開く。


 そこには居てほしくなかった男が……顔を真っ赤にさせてヘラヘラと笑っていた。


「雅也……さん?」

「あぁん水萌ぉ? 飲み過ぎて幻覚が見えてんのかぁ……ははっ相変わらずおっぱいデケェな!」


 ――とうどうまさ

 人気俳優として今大手事務所から推されているイケメンの男であり――私の彼氏。

 下戸だからお酒なんて飲まないって言っていたし、普段はもっとしっかりしていて――。

 そんな男が……別人のような姿で、そこにいた。


「お、おい、どう見ても風登水萌じゃ……」

「なっ、雅也さん幻覚じゃないっすよ!」


 雅也と飲んでいた男達は、まだそこまで酔っておらず、次第に顔が青ざめ始めていた。


「水萌がここにいる訳ねぇだろ。うっせぇな」

「痛いっ、痛いっすよ雅也さん!」


 横の男の髪を引っ張り、ゲラゲラと笑う雅也。

 彼の態度や行動は、この際どうでもいい。

 それよりも、私はある事への不安でいっぱいで、彼に問いかけた。


「さっきの女の話って、どういうことですか……? まさか、浮気してたんですかっ?」


 締め付けられる想いを胸に、とにかく怒りを抑えきれそうになかった。


「幻覚でもうるせぇな水萌は。浮気くらいいいだろ……むしろお前が俺様の本命なんだから喜べや」


 クール系アイドルとして売っている私が、ここまで感情を強くして言っても、雅也に反省の色は見られない。

 色んな感情が冷めるどころか、ついには爆発しそうな胸中を曝け出したくなった。

 私は――怒っていたのだ。


「っ……雅也さんがそんな人だなんて知りませんでしたっ! ずっと私を騙していたんですか!? 浮気なんて最低以外の何でもありませんっ! 恋人を裏切っておいて、ヘラヘラするなっ!!」


 耐えられなかった。

 とても私らしくない言葉遣いだったけど、自分で信じられないくらい感情が爆発していた。


 俳優である雅也といずれ共演することを夢見てこっそり練習していた演技の練習。

 それが、こんな形で役に立つなんて、思いもしなかった……皮肉なことに。


「み、水萌……?」


 背後から私の名前を呼ぶ深雪の声がした。


「あっ……」


 その瞬間、やってしまったと思った。

 彼女は自分が浮気したことに罪悪感を覚えていて……私は責め立てるつもりなんてなかった。


 しかし私が雅也に向けて発した言葉は、刺さる内容だったはずだ。


「そっか……だよね。うん……浮気って裏切りだもんね。本当はあたしの事もそういう風に見てたんだよね。ごめん、気を遣ってくれたんだよね。ごめん……ごめん水萌っ……」

「待っ……」


 深雪は何度泣きながらも謝ると、自分のかばんを手に取って店を出て行く。

 雅也に対する怒りで頭がいっぱいで、彼女のことを全然気に留めていなかったのだ。


 深雪は自分の行動が悪かったと認めていた。

 これから彼氏にも謝ってやり直そうとしていたのに……。


 私が……傷付けてしまった。

 彼女を追いかけないと……いけない。

 そう考えるも、雅也に阻止される。


「てかよ~、夢ならいいだろ? いい加減、ヤらせてくれよ水萌ぉ」


 雅也は、まだ私を幻覚だと思っている様子。

 そんな彼に怒りを通り越して軽蔑を覚えた。


 しかし、この状況は危ない。

 雅也は他人に見られる状況なのに、今にも私に襲い掛かろうとしている。


 それなのに、私は動けない。

 恋人の裏切りといい友人を傷付けてしまったことといい、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

 吐き気で呼吸がしづらかった。


「ふっ……ざけないで! 貴方とはこんりんざい縁を――」

「水萌ぉ……」


 言葉が通じていない。

 雅也の友人らしき男達に彼を止める様子はなく、深雪はもうここにいない。

 よくよく考えたら私の身が危険なのは言うまでもなかった。


 手入れを欠かさない髪に触れられたことに拒否反応を見せると、気にわなかったのか強引な力で髪を引っ張られる。


 私に抵抗できる力は一切なかった。

 自分がに弱い女なのか思い知らされる。


「……っ」


 不意に胸を触られ、息が一瞬止まった。

 私もお酒を飲んでいる為か、最低な男の手つきで少し身体が敏感になっている。


 ――嫌悪感。

 雅也に対するものと少しでも反応してしまった自分の身体に対するもの。

 次第に目から涙が出てきた。


 ――そんな時だった。

 誰かが、私から雅也を引き離してくれた。


「何やってるんですか、あんた!」


 突然現れた男の正体は顔を見てすぐわかった。

 ゆき――ばたすいだ。


 私にとってはかつて高校生の時……同級生だった程度の男である。

 その評価も、恋人である深雪を探しに来ない、最低な男だとつい先ほどまで思っていた。


 けど、全然違った。

 彼はきっと深雪を探しに、よく彼女が来ているこの店まで来たんだろう。


「誰だぁお前。見覚えあるなぁ」


 雅也もまた、翡翠くんとは同学年だったはず。

 しかし彼は思い出す素振りも見せず、再び私の元へ近づこうとして……翡翠くんに阻まれた。


「彼女が嫌がっているじゃないですか! あんたら他人同士でしょ? セクハラで通報しますよ!」


 単に二つの部屋が使用されていることから、他人同士だと判断してくれたらしい。


 酔っ払った雅也と髪の乱れた私の正体に、気付いている様子はない。


 すなわち……ただ私が襲われそうな所を助けようとしてくれているらしい。


 ――なんて、勇気があって優しい人なんだろう。

 こんな勇敢な彼氏がいる深雪に嫉妬した。

 優しく私の身体を支えてくれる翡翠くんの存在は、あまりにも格好良かったから。


「その女とは他人じゃ――」

「そうです、他人です! 私襲われて……助けてくださいっ」


 もうダメかと思って、全部ぐちゃぐちゃに壊された気がしていた。

 私はプライドも何もかもかなぐり捨てて翡翠くんに抱き着き、助けを求めた。


 私に触れた翡翠くんの手はとても優しくて、包み込まれるような温かさがあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る