第4話 彼好みにならなくちゃ

 そうして私は翡翠くんに救われた。


 しかし彼には……もう恋人がいる。

 深雪のことだ。

 いくら親友といっても、あんまりな話だろう。

 端的に言って、私は深く絶望していた。


 翡翠くんは優しい。

 だから、浮気した深雪もきっと許してしまう……そんな気がしていた。

 彼を求めて、誘惑するのは……きっと違う。

 それは彼に浮気をさせるということだから。


 その一線だけは越えられなかった。


 加えて……深雪が言うには、翡翠くんには恋人以上の『意中の相手』がいるらしいのだ。


 私なんかが取り入る隙を感じなかった。

 だから私は、神様に願うことしかできなかった。


「どうか――翡翠くんが恋なんてしてしまう前に……彼女なんて作ってしまう前に……恋なんてしてしまう前に、戻りたい!」


 そう強く願い続けた結果、奇妙なことが起きた。

 気付けば私は……中学生の頃に戻っていたのだ。

 そう――時間回帰……タイムリープである。


 なぜタイムリープなんて事が起こってしまったのか……なんて、どうでもいい。

 私はとにかく、全てをやり直せる権利を得た。

 なら今度こそは、翡翠くんと恋人になりたい。


 私の考えることは、それだけだった。




 深雪がお喋りだったおかげで、翡翠くんの情報だけは沢山持っている。

 彼と出会う高校時代までの時間を無駄にしないためにも、まずは翡翠くんの捜索を開始した。


 といっても、何かとお金がかかる。


 そこで私はまず……前世と同じくして、アイドルになった。


 もちろん、練習になんて一切参加しない。

 私には前世の記憶があるから、最初から熟練者だし、必要なかったから。

 時間は、翡翠くんを探す為に費やした。


 月日にして一年が経過した頃、ようやく翡翠くんの住居を特定する。

 それからというもの、中学生の彼を発見した私は、暇があれば彼の姿を拝みに行くようになっていた。


 段々ストーカーじみてきたけど、観察は中々やめられず……。

 翡翠くんと出会うのは高校で……と決めていたはずなのに、想いの丈は止められなかった。


 予定通り彼が高渓学園に通うと知ってすぐ――彼がいつも通っていたというカフェ『ルージュ』に目を付けた。

 事務所との契約で得た金を使い……私はカフェ『ルージュ』を買収する。


 そう、なので実は――私がオーナーなのである。

 おかげで翡翠くんと、自然な形で接触するにこぎつけたのであった。


 「南」と名乗り正体を隠している理由は、何もこうして彼とただ知り合いになるためだけじゃない。

 私は――深雪が話していた翡翠くんの『意中の相手』を探らなければならないから。


 だからアイドルとして他人に注目される風登水萌ではなく、気兼ねなく会話できる立場と場所を手に入れたのである。


 「南」としての明るい性格は、前世でも深雪くらいにしか見せたことがなかったし、誰にもバレることはないはずだ。


 それに翡翠くんが一度でも愛した深雪の性格も明るかったから、惜しまず素で勝負する。

 実のところ、翡翠くんの反応は良かった。

 綺麗だなんて言われた時は、キュンとした。


 ――前世と同じように、彼に助けられてしまったのは、予想できなかったけど……。

 それも素敵な運命のように感じていた。


「さっきはありがとうございますね、翡翠くん。こうして帰り道も付きってくれて、借りができちゃいましたね」


 ――カフェの営業終了後。

 身体の震えていた私を気遣った翡翠くんは、暗くなってきた空の下を付き添ってくれている。

 本当に優しい人だ。

 一つ一つの行動にときめいてしまう。


「あれ? 俺、名乗ってましたっけ?」


 前世の記憶を一気に思い出したことで、つい翡翠くんの名前を呟いてしまった。

 私らしくないミスだけど、こんなにドキドキしているのでは仕方ない。


「いいえ、ノートに名前が書かれていたので」

「ああ。そうでしたね。南さんは……南さん?」


 おかしなことを訊いてくる翡翠くん。

 一瞬……偽名だとバレたのか、と動揺してしまいそうになった。


「はいっ、南とお呼びください」


 多分、彼は「南」が私の苗字だと思っているのかもしれない。


 とはいえ本名と一文字違いなので、私にとっては役得というか……そう呼ばれていて中々悪くない。


 そんなこんなで、私と翡翠くんは住んでいるマンションへと辿り着く。


「あれ? もしかして南さんも同じマンション?」

「えぇっ、翡翠くんもですか? 奇遇ですね!」


 偶然なんかじゃない。

 最初から翡翠くんが住むのを知っていて、このマンションを下宿先に選んだのだから。


「俺は三階なんですけど、南さんは?」

「う~ん、乙女の秘密です」


 私は日頃、『風登水萌』と『南』の姿を使い分けなければいけないので、万が一のためにも詳しく教えることはできない。


 正体がバレるリスクがありながらもマンションを選んだのは、少しでも彼に私との運命を感じてほしいから……ただそれだけである。


 本命は『南』としてではなく、『風登水萌』として彼と距離を縮めることだけれども。


「意識されてると思われちゃいますよ? 女の子はそういうとこ敏感なので気を付けてください」


 申し訳ないと思いながら、今後のために心を鬼にして言ってのけた。

 翡翠くんは少しの間きょとんとした表情を浮かべる。


「す、すみま――」

「な~んて、冗談です。そんな勘違いはしていませんし、怒ってないですよ? まあ気にする女の子もいるということです」


 冗談だということにしてムードを取り戻す。

 すると翡翠くんは「そうですね」と言って、笑ってくれた。


 彼がカフェ『ルージュ』の常連になるのは決定しているので、明日からも楽しみが沢山ある。


(それよりも――やはりブラジャーは外して正解でしたね)


 カフェの制服から私服へ着替える際、少しでも翡翠くんに意識されたくて、外しておいたのだ。

 意識してくれているに違いない。


(チラチラと胸元、見てましたよね……ふふっ、あと少ししか見れませんよ~?)


 エレベーターの中は夜道と違って、胸の揺れがよく見えるはず。


 わざと鼻歌を歌いながら横に揺れて見せると、彼の視線がたびたび胸元に刺さった。


 前世で男たちから向けられた性的な視線はあんなにも気持ち悪かったのに、翡翠くんから向けられた視線には、不思議と心地よささえ感じる。


「では、また明日」

「はいっ、また明日もご来店お待ちしております」


 お互いに手を振って彼と別れる。

 三階でエレベーターのドアが閉まった瞬間、急に寂しくなってしまった。


「はぁん、もっと――翡翠くんに求められたかったですっ」


 別れる瞬間、私の腕を引いて部屋に連れ込んでくれたら……なんて妄想が捗る。


 ブラジャーが無いお陰で、一枚の布越しに触る自分の胸は感度が良かった。


 明らかにあと数日で女子高生になる女が持つ大きさではなく、贅沢な身体に生まれてしまったと思う……もちろん、私の努力もあるけれど。


「もしかしたら、彼に抱かれる為にこんな胸に育ってしまったのかもしれませんね」


 きっとそうだ……もう既に前世よりも大きい上に、まだ成長中。

 しかし大きすぎるのも良くない。

 大事なのは身体のスタイルなのだ。

 ゆえに、垂れないよう形を整えるケアは欠かしていない。


「彼好みの身体に、ならなくちゃですよね」


 もっと――もっともっとあの視線が欲しい。

 翡翠くんのような優しい人から思いっきり欲望をぶつけてもらう為には、だらしない身体なんてもっての外。


 私は深雪よりもひいでた胸があるし、アイドルとしてつちかった体力だって申し分ない。

 どんなに理性的な男でも本能には勝てない。

 本能をくすぐっていくのは男を落とす基本らしいし、きっと恋愛の初歩的なメソッドに違いない。


「これからは、店員姿の時はブラなしでも良さそうですね~」


 それがいい。

 風登水萌として学園で合う際、胸の大きさでバレてしまう可能性もある。

 良いコト尽くしだ。


 でも、自分から誘惑するのはNGだ。

 あくまで自然に振舞って求められるようになるのが……きっとベスト。

 そうやって、じわじわと彼を落としていきたい。


「はぁ~……前世ではこんなはしたない事、一切考えたことありませんでしたのに、どうしてしまったのでしょう、私」


 自分の部屋に入って間もなく、盗撮した中学生の翡翠くんの写真を並べた。

 過去に戻ってから毎日のように翡翠くんを想うようになって、気付けば色々我慢できなかった。


 もう……清楚だった未来の自分には戻れない。


「責任――取ってもらわないといけませんね」

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