第34話 偶像サテライト

 矢倉さんの罠に引っかかった。

 正直なところ、私は追い込まれている。

 どうしようか考えていると、バタンと音を立てて扉が開いた。


 当然、開けたのは矢倉さん。

 こうなった原因である彼女は、声を荒げる。


「待って! それは聞いてないっ!」

「やみぃ静かにしてくれないかい? 俺の言う事、聞いてくれるだろ?」


 優しい口調でヤツは説得しようと試みていた。

 しかし、もう本性は見せてしまっているし無理があるだろう。

 ただ今更……なぜ矢倉さんが態度を変えるのか。

 意味がわからない。


「違う……やみぃは雅也くんがこういうことはしないって言うから――」

「そもそも提案したのはやみぃの方じゃないか? 俺に責任を押し付けないでほしいな」

「……静かにするのは、貴方の方ですよ」


 瞬間、目の前のヤツは床に転がっていた。

 私が投げ飛ばしたのだ。


 「――えっ…………ひぃっ」


 ヤツは大きく勘違いしていることがあった。

 私が身体を捧げるのはこの世にただ一人。

 当然、前世で襲われそうになった経験から、護身術くらいは身に着けている。


 翡翠くんの前ではか弱い存在でいたいけど、彼に見られていないなら全力で追い込む。

 気付けば、ヤツは顔に付いている穴から音を出さなくなった。


「さて――」

「ひんっ……」

「安心してください。矢倉さんが首謀者だなんて思っていません。誰に唆されたのですか?」


 ヤツが咄嗟に矢倉さんへ言った文句。

 わざわざ彼女に責任を押し付けるようなことを、何の理由もなく言うとは思えなかった。

 すると、ヤツを投げ飛ばしたことで私を恐れているのか、彼女はすべてを白状してくれた。


「……七瀬さんにっ……ほ、本当にっ」

「わかりました。疑っていませんよ。私は急ぐので、ソレ片付けておいてください」

「は、はい……」


 可能性は考えていた。

 いつも昼食を一緒にする深雪が、連絡に返信を寄越してこない。

 元々無視するつもりでいたけど、何も反応がないのは不気味だ。


 私の監視を避けたかったのだと、すぐに察した。

 ……ここまでしてくるならば、翡翠くん関係で私に気付かれたくないか、邪魔されたくないことがあるということ。

 彼女の姿を探す為、私は走りだした。




 ***




 翡翠くんの方の目撃情報が偶然、教師から入手できたおかげで、芋ずる式に深雪を発見した。


 ――場所は校舎裏。

 予想通り……深雪と翡翠くんは二人で何かを話している。

 私は二人の前に姿を現さず、陰に隠れて話を盗み聞きすることにした。


「どうして、今まで『みぃちゃん』だって話してくれなかったんだよ」


 話は途中から聞くことになった。

 しかし、そんなことは重要ではない。

 その単語に、私は混乱を覚えた。


 「みぃちゃん」……それは翡翠くんが昔この町で遊んだ友達であり、「意中の相手」であるはずだ。

 でも、そもそもの話……私は深雪の口から「意中の相手」という存在を知った。

 その単語を深雪に投げかけている意味とは?


「それはね、久しぶりに会ったなぁくんを、知りたかったからかな。昔、なぁくんはよく格好つけてたから、自然体のなぁくんを見たかったの」


 その雰囲気から、その通りなのだと――無理矢理解釈するしかなかった。


(翡翠の「意中の相手」って、「みぃちゃん」ではなかったのですか……?)


 そう考える他、なかった。

 深雪は、翡翠くんの「意中の相手」の所為で浮気したのだから……彼女は「意中の相手」ではない。

 深雪が「みぃちゃん」ならば、一つの方程式が破綻する。


【翡翠くんの「意中の相手」=「みぃちゃん」】


 それは――私の思い込みだったのだ。

 幼馴染なんて稀有な存在を聞いてつい「意中の相手」だと思い込んでいたけど、違ったらしい。

 正直、かなり動揺している。


(だって……翡翠くんにとって「みぃちゃん」とは「結婚の約束」をした相手……なんですよね)


 介入すべきか迷う。

 「南」として翡翠くんの「結婚の約束」に対する考えは変えたつもりだけど、急に本人が現れたらまた元の考えに戻るかもしれない。


 ――怖い。

 そうなれば、私に勝ち目は無くなってしまう。

 足がすくみ、そうしている間に――。


「翡翠くん……あたしと、結婚を前提にお付き合いしてくれませんか?」


 深雪が、翡翠くんに告白していた。

 こんな時に限って、何も出来なくなる。

 ――翡翠くんが取られてしまう。

 そんな恐怖が頭に過るだけで、釘を打ち付けられたように、胸が苦しい。


 しかし、彼は返答を告げた。

 ――お断りの返答を。


「……ごめん。それは、できない」


 言葉には出ないけど、「なんで?」と思った。

 ずっと探していた幼馴染と会えて、絶対に翡翠くんは深雪を選ぶと思っていた。


 だって、そうだろう。

 恐らく……深雪の方から自分が「みぃちゃん」だと明かしたはずだから。

 翡翠くんに刷り込んだ「再会した男子が『結婚の約束』を言い出して怖がる」という因果関係も、意味を成さないはずなのに……。


「どう……して?」

「好きな子が、できたんだ。俺は……毎日その子のことが、頭から離れない」


 安心しようとした束の間――。

 聞き捨てならない会話が続いた。


「……誰?」

「南さんだよ……ほら、カフェの店員の」


 唖然とした。


(南……って、私のことですよね。え……?)


 いずれ消える助言役。

 あくまで翡翠くんが「風登水萌」を好きになる為に、用意した私。

 確かに楽しく喋ることもあった。

 けど、「南」としての私はウィッグや眼鏡……髪型もおさげにしてとても地味としか言いようがない見た目のはず。


 そんな私のことが好き……?

 全力で容姿を整えた、アイドルとして絶大な価値があるはずの私ではなく……ちょっと饒舌なだけの私が好き……?

 ニワカに信じられない。


「水萌じゃないの!?」


 深雪が叫んだ。

 その疑問には、まったくの同意だった。

 私もまた、自分の名前が出て来ることを期待していたから。


「ねぇ、貴方の意中の相手はずっと彼女だったじゃない! どういうことなのっ……」


 続く彼女の言葉に、時が止まったのかと思った。

 翡翠くんの「意中の相手」……「みぃちゃん」でないなら誰なのかという話。


(彼の「意中の相手」が私!? じゃあ深雪はただ私に隠して……いた?)


 もう訳がわからない。

 喜んでいいことなのか、好きな相手として名前が上がらないことに悔しく思えばいいのか。

 しかし「南」もまた私だから……?

 もう頭がこんがらがってきた。


「何を言ってるのかわからないけど、風登さんは違うよ。確かにアイドルをしている時の彼女は魅力的だし、恋心に似た想いを抱いたことがないと言えば嘘になる。でも、普段の風登さんは…………ただの友達かな」


 いつもの私は友達らしい。

 でも、アイドルをしている時は好き?

 彼にとって「南」と私が別人なのだから仕方ないなのかもしれない。

 もしかして……アイドルの私と普段の私も別のように考えられている?


 翡翠くんが好きなのは私。

 それだけで片付けられた問題ならば良かった。

 自分という偶像は、自分の生み出した偶像に敗北したというオチである。


(私が「南」だとバラしたら……騙されたって思われますよね)


 使い捨ての自分が、ここで足を引っ張っている。

 髪の毛さえウィッグの「南」のまま翡翠くんと付き合うことは出来ない。

 いずれ、私の正体がバレてしまうから。


 だからこそ、あくまで主役は私……風登水萌の予定だった。

 今までの事、吐いた嘘、すべて知った時翡翠くんは私を裏切り者だと考えるだろう。

 許されたとしても、一度そう思われてしまえば生きていけない。


 私は――深雪ほど顔の面が厚くないから。

 翡翠くんにこの身を捧げると誓った以上、純粋な気持ちでお付き合いをしたい。

 不信感なんて、抱かれたくない。


 まだ深雪と翡翠くんの話は続いていた。

 けど、考えが纏まらなかった私は……静かにその場を後にした。

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