第30話 罠にかけられた

 屋上で……翡翠くんの胸元で情けない心情を吐き出してしまいそうになったのは、失態だった。


 でも、それでも……だ。

 ここまで……上手くいっている気がする。

 順調に違いないと、そう信じるように、私はこれまでを振り返る。



 最初はただ翡翠くんの「意中の相手」を探る為に思い立ったカフェ店員。

 彼には段々と頼りにされている気がするし、翡翠くんが「風登水萌」を好きになるよう、刷り込みも頑張っている。


 先日の人間関係が複雑という相談も、タイミング的に私、「風登水萌」を意識したものだった。

 優しい翡翠くんなら、これから寄り添ってくれる気がする。


(よく考えたら、「みぃちゃん」なんて見つけなくても、彼を落とせますよね)


 翡翠くんの中にあった「結婚の約束」は、私の説得によって考えが変わっているはず。

 深雪は「みぃちゃん」の正体を知っていて、アドバンテージだと思っているみたいだけど、既に彼を落とす条件は変わっている。


 複雑な手順を踏む必要なんてない。

 ただ彼に自分の魅力を上手く伝えるだけ。

 不安……私が「みぃちゃん」よりも劣っている可能性は相変わらずつき纏っている。

 でも、立ち止まって奪われるよりマシだから。


 案外、あと少しなのかもしれない。

 そう考えたら、頭がフワフワしてきた。

 翡翠くんと結ばれたら、「南」をやめて毎日彼とイチャイチャしたい。

 シチュエーションやデートプランは無限に妄想しておいた。

 私には、彼を飽きさせない自信があるのだ。


 でも、翡翠くんにリードしてもらえたら、もっと良いかもしれない。

 男のプライドは守らなければいけない。

 だから「南」のようなお姉さんキャラは、その内邪魔になってくる。

 彼が男として自信がついてきたら、間違いなくウザがられるキャラクターだろう。

 でもたまには、ベッドの上くらいでは甘えてほしいとも思う。それは我儘……なのかな。


「風登さん……?」

「へっ!?」


 目の前にはクラスメイトの矢倉さん。

 壁に掛かっている時計を見れば既に授業は終わっており、昼休みの時間だった。

 妄想に浸ってしまっていた私は、どうにかクールに振舞おうとして焦る。


「ごめんなさい。何でしょうか? 矢倉さん」

「あっ、その……お昼、大事な話があるので二人っきりで一緒しませんか?」


 いつもは深雪と昼を共にしている。

 同じ回帰者だと知ってからは、彼女の一挙一動に注意していることも日課に増えた。

 前のように翡翠くんから声がかからなければ、私はテコでも動くつもりはなかったけど――。


「大事な話って、何ですか?」

「えっと……名畑くんのことで……」


 彼の名前が出てくれば、話は別だ。

 それは何よりも優先すべきこと。

 私はすぐに、深雪へと今日は一緒に昼食を取れないという旨を連絡した。

 文句の返信が来ても無視する。


「いいですよ。お昼、ご一緒しましょうか」


 矢倉さんは、そう言うと歩き始める。

 個室で話すのだろうか……と、私は重い腰を上げて、彼女に付いていくことにした。


 もし矢倉さんが名畑くんのことを好きになっても、正直敵じゃないと思う。

 いや……恋愛相談だと決まった訳じゃない。

 翡翠くんが困っているような事があれば、私が力にならないと。


「ここです」


 矢倉さんの言葉に、ハッと到着したことを知る。

 向かったのは、人気のない空き教室。

 まだ学校なのに、妄想が続いて翡翠くんのことばかり考えてしまっていたようだ。

 ――だからか、私は大きく警戒を損なっていた。


「ごめんなさい」


 私が先に入ると、バタンと閉まる扉。

 ――カチリと鍵のかかる音がした。


 次いで、空き教室の扉が反対に設置されていることに気付いた。

 つまり外から鍵をかけられる状態ということ。

 扉の開け方くらいもっと注意深く見ておくべきだった。

 私は――罠にかけられたのだと気付いた。


「待ってたよ、風登。今日こそ、どうして俺を避けるのか訊かせてもらおうかな」


 空き教室の中にいたのは、私だけじゃなかった。

 藤堂雅也――前世から私につき纏う、邪悪だ。


 人前で恥をかかせたことは、何も食堂の一件だけじゃないけど、こうまでして話す機会を得たかったのか……素直に諦めてくれればよかったものを。


 予想外だったのは、矢倉さんの協力。

 彼が私に好意を持っているのは一目瞭然。

 矢倉さんがこの男に恋をしているのなら、私に近づける理由は何……?


「あなたのことが嫌いだからです」


 なんにせよ、私の回答は決まっている。

 私には、心の底から会話をする気がないのだから、それを貫くだけ。


「それは……どうしてかな?」

「虫唾が走るほど、あなたが生理的に受け付けないからです。つき纏われるだけでも、迷惑です」

「…………」


 好意を持たれているのか、狙われているのか、そんなことは知らないし興味もない。

 ただ確実なのは、世界がどんなに変わっても、私がこの男を好きになることは決してない。


「それってさ、俺に喧嘩売ってるよね」


 ドスの利いた、藤堂の低い声だった。

 ここまで一方的に「嫌い」だと言っているのだから、それは相手側からすれば面白くないだろう。


 仮にも前世では、10年以上猫を被り続けた男なのだから……こんなにも早く本性を晒すとは思ってもいなかった。


 いや、まだこの時代の彼は、未熟だっただけ。

 役作りが洗練されていなかったのだろう。

 最早、今の私の足元にも及ばない。


「はぁ……何もボロは出してなかったはずなんだけどな。……いいや。どうせ風登以上はいないんだし、どうしても拒むって言うなら、俺にだって考えがある」


 そう言って彼は私の方へと近づいてくる。

 逃げ道のない私に向かって――。


「――ここまでコケにされたんだ。女だからって、無事に帰れると思うなよ……身体の一つでも払ってもらわないと、腹の虫がおさまらないんだわ」

「……っ」


 いきなり強硬手段に出て来るなんて――また想定外なことが起きてしまった。

 状況だけみれば、私は絶体絶命だ。

 それでも最後まで、諦めるつもりはない。


 しかしその時――――再び教室の扉が開いた。

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