第29話 もっと他人に甘えていいんです

 カフェ『ルージュ』に通い始めて大分経った。

 思えば俺はいつも似たようなものばかり注文していた気がする。

 どれも美味しいのだから仕方ないのだが――今日は新メニュー(?)を出された。


「これは……?」

「私の試作メニュー、ビターマロンラテですっ」


 名前にビターとは付いているものの、見た目のカロリーは高そうに見える。

 というか、南さんが作ったのか……彼女が考案したメニューをいち早く飲めるなんて、光栄だ。


「……変わった味だな」


 甘すぎず、苦すぎず、栗の香りが引き立った。

 あと、見た目ほどクリーミーじゃない。

 想像していた味とは大分違う風味だった。


「そうでしょうそうでしょう? こんな珍味なんてあれば、客足も伸びると思いませんか?」

「あ、ああ」


 客足か……。

 ここはお店なのだから、売り上げが大事だ。

 俺も盛況であってほしいと思う。

 でも、あまり客が増えると南さんと今のようにお話できる時間が減ってしまうかもしれない。


 ここのカフェは気に入っているけど、どうにも複雑な気持ちだ。


「むうっ、浮かない顔をしている翡翠くんの為に出してみましたが、お気に召しませんでいたかね」

「あ、いや……違うんだ。色々と別のことを考えてしまって……複雑な心境にっ――」


 しまった。

 そんな表情を見せるつもりなんてなかったのに……機嫌を損ねてしまっただろうか。


 ――あれ? でも待ってほしい、

 今、南さん……俺の為って言わなかったか?

 冷静じゃなくてちゃんと聞いてなかった。


「複雑な心境って、何か悩みでもあるんですか? 私でよければ、お聞きしますよ~?」


 胸に手を当て、そう言ってくれる南さん。

 本当に天使か何かじゃないだろうか。


 いや、間違いでも「南さんを独り占めしたいので客は増えてほしくない」などと言ってしまえば出禁を食らってしまう。

 ……それでもいいと思わされるのが、南さんの魅力だ。


「そ、そうだなぁ……最近学校で、そうだ……人間関係が難しいなって思ってさ」


 咄嗟に浮かんだ話題は、今日の三岩や藤堂のことを思い出してのこと。

 人間関係もまた複雑で、一人が頑張ってどうにかできるものではない。


「ほら、人それぞれ苦手な人とかがいて、皆が皆仲良く出来ないから……当然、俺は仲の良い方の味方をするけど、正しいのはどっちなんだろうなって」


 人間関係……特に友人というものは、お互いの利益をあまり考えないものだ。

 利益があれば正しいのか? それは違うと思う。


 一緒にいて、お互いわかりあえる関係。

 そうなる過程は、とても難しいものだ。

 極端にマルとバツで判別できないものだからこそ、悩んでしまっているのは事実である。


「当然ですよ~。みんな、妥協しながら生きているんです。私にだって苦手な人くらいいます」


 南さんはあっさりとそう言う。

 カフェいる間の彼女は、客に対して平等に営業スマイルを浮かべ、フラットに考えているものだと思っていた。

 如何にもコミュニケーション能力の秀でている南さんにも、嫌いな人とかいるのか。


「妥協……か」

「相手にどう思われるのかわからなくて不安になってしまうかもしれませんけど、相性なんてぶつかってみなければわからないじゃないですか」


 ……大人な考えだ。

 人と関わらなければ傷付かない。

 大抵、新しい関係を作ろうとする時にコミュニケーションを阻害するのは、過去の経験から想起された不安である。


 だけど南さんの考えは、最早その段階を飛ばしているもの。

 店員さんだからかな……南さんは本当に人と話し慣れているようだ。


「恋愛だって同じです。自分が相手を選ぶ側に立って行動しないと、誰かに取られてしまいます」


 なぜ、恋愛の話……?

 また南さんの友人の話だろうか。

 その友達は、ストーカーをしていたと言っていたし、不安で胸がいっぱいで……自信を持てなかったのかもしれない。

 それにしても――。


「取られる……?」

「はい、みんな自分の都合がありますし、関わる人全員を友達にしようなんて考えを持つ人はいませんから」


 人それぞれ、キャパシティがあるということか。

 なるほど……何となくわかる気がする。

 まず頭に思い浮かんだのは、三岩だ。

 彼女はファンとして水萌さんに会いたがっていたけど、よく思い出せばそこには焦燥感があった。


 彼女が勇気を出して俺に相談してきたのも、元を辿れば、俺が原因なのではないだろうか。

 違うクラスで関係値がゼロだった俺という前例があったから、希望を持った。


 もし水萌さんが誰に対しても冷たい視線を送るクールで孤高なお姫様であれば、三岩はこれまで通り静観していた気がする。


「翡翠くんは……優しすぎるんだと思いますよ」

「えっ……?」

「色んな人のことを考えて、自分にできることを探すなんて、普通はしません」


 ……俺はそんなことしていない。

 だって皆、現状に納得している。

 今のままで、何も問題なんてない。

 俺はただ、納得したいのだ。

 ――どうしてそんなに、妥協できてしまうのか。


「買い被りすぎだよ」

「いいえ、私は翡翠くんが……もっと我儘になってもいいと思うんです」


 指を立ててビシッと言って見せる南さん。

 俺は……充分我儘だと思う。

 こうしてカフェに通って、南さんに話を聞いてもらっている。

 全て、俺の我儘だと思っている。


 南さんからは、そう見えないのだろうか。

 見えない……か。そうだろうな。

 俺の恋心には、どう見ても気付かれていない様子だから。


「ビターマロンラテ……スッキリした味わいになるように調整しました。でもきっと翡翠くんは、いつものコーヒーの方が好きですよね?」

「それは……」

「正直に答えてください」

「……はい」


 いつになく強引な彼女に、俺は本心を打ち明けてしまった。

 躊躇した。怖かった。

 南さんに嫌われるような真似をするのは、嫌だ。

 だけど――。


「私が言いたいのは、もっと翡翠くんは他人に甘えていいということです。苦みだけでは、バランスが悪いでしょう?」


 彼女は俺の罪悪感を取り除くように、優しい言葉をかけてくれる。


 ――そうか。

 きっと南さんは、人間関係はバランスが大切だと伝えたかったのだ。

 正しいこともあれば間違っていることもある。

 そういったお互いを認める為には、我儘も必要なのだと。


「そうだな。バランスは大事か。それじゃあ、ここに居る間は南さんに甘えさせてもらおうかな」

「っ……!?」


 すると、南さんは顔を赤く染め上げてあたふたし始めた。

 揶揄ってみたけど、大胆過ぎただろうか。

 今なら嫌われない自信があって、そんな彼女の顔が面白くて笑ってしまう。


 ――この後、滅茶苦茶ミルクたっぷりのコーヒーで仕返しされた。

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