第25話 まるでこの世界のヒロイン

「やり直すなんて、簡単に言わないでください。そうやって、また翡翠くんを傷付けるんですか?」


 前例というものは重い。

 私は今でも、前世で私を裏切った藤堂雅也を憎んでいる。

 だけど……深雪の考え方はもっと良くない。

 一度傷付けた相手ともう一度やり直す?


 ――そんなの、間違っている。

 本当に相手の幸せを願っているなら、深雪は自分の罪を認めて身を引くべきだった。


「そんな事しないっ! 今度こそあたしは一途に翡翠くんのことだけを考えて生きていくって決めたの! だから――邪魔しないでよ、水萌」


 薄っぺらい言葉だ。

 まるで……自分がこの世界のヒロインにでもなったような言い草だと思った。


「……はぁ。ハッキリ言って、深雪から翡翠くんに対する愛がまるで感じられないのです」

「どういう……こと?」


 本当に翡翠くんとやり直したいと考えていたなら、深雪は今、変わっていないといけなかった。

 それは考え方だけでなく、外見もだ。

 時間が巻き戻ったのは中学時代……今日まで数年の時間があれば、なんでもできた。

 それなのに、深雪はもっと自分を磨く努力をしていない。


 深雪はもっと、綺麗になれたはずだ。

 彼女のポテンシャルだけは高く評価している。

 きっと全力を尽くせば、私ももっと警戒していたかもしれない。


 だけど悠長に三年間を過ごしていたのは、目に見てわかってしまうものだ。

 まあ、それを口にするほど私も鬼じゃない。


「私にかける言葉は『邪魔しないで』ではなく『諦めてください』じゃないですか」

「――ッ! あたしが、水萌より劣っているって言いたいの?」


 私のことを、少し悔しそうに睨んでくる深雪。

 いつも強気に振舞っていながら、本当は心が弱い部分も変わっていない。

 やっぱり深雪は……翡翠くんに相応しくない。


「私は……過去に戻ってまず、どうやったら翡翠くんが私を襲ってくれるのか考えたんですよ」

「は……?」


 わけのわからない顔をされる。

 やはり深雪はわかっていない。


「だから……毛穴一つとっても彼に失望されないように毎日身体のケアしているんです。ほら胸も、前世より大きいでしょう? 翡翠くんに喜んでもらえるように、頑張ったんです」


 バイト帰りのままブラジャーを付け忘れた胸も、私の誇れる武器だ。

 努力とは、目に見えて表れてくれる。

 深雪が劣っている要素は、これだけじゃない。

 他にも、髪の艶や、美貌も――。


 しかし、深雪は気難しそうな顔で反論した。


「翡翠くんは、女の子を襲ったりしない。彼に抱かれた時……本当に優しくしてもらったもの」

「っ……それは深雪の勘違いですよ。本当に好きな相手には、欲望をぶつけるんですから!」


 相手が魅力的であればあるほど、襲いたくてたまらなくなるのが男の本能に決まっている。

 私だってそうだから……愛というものは、理性で抑えつけられない。


 翡翠くんが深雪に優しくしたというのは、理性を保てて気を遣う余裕があっただけ。

 それは――深雪の身体がその程度の……低品質だっただけに過ぎない。

 もし彼に抱かれたのが上物の私であれば、きっと強く抱きしめて愛を囁いてくれる違いないから。


 ――けして、深雪が彼に抱かれたことが羨ましくて妬ましくて、殺してやりたいとは思ってない。


「大体、深雪はそんな翡翠くんでは我慢できなかったから、浮気なんてしたんじゃありませんか」

「それは……っ」


 言い返せないはずだ。

 深雪は前世で浮気した理由を私に話している。


 深雪は――気を遣う翡翠くんを疑うようになった結果、翡翠くんの『意中の相手』すなわち『みぃちゃん』を知って自信を失ったのだ。


 深雪の間違いは……自分に魅力がなかったと素直に認められなかったこと。

 せめて床上手になれるようテクニックでも磨いておくべきだった。


「認める。水萌の言うことは多分、正しいのかもね。あたしは水萌に劣っている。それでも、あたしは翡翠くんとやり直したいの」

「どうしてですか?」

「彼のことが、好きだから」


 子供みたいな理由だ。

 精神年齢はアラサーの癖に、過去に戻って幼稚になってしまったのだろうか。


「それに身体で彼の心を繋いでも、意味ないもの」

「…………」


 ――意味? 意味って何……?

 そうか、やっとわかった。

 深雪の思う恋人関係は、私の思うものとは違うんだ……彼女の「愛されたい」って気持ちが、彼に尽くす気持ちよりも少し大きい。


 私だって「愛されたい」とは思う。

 でも第一に優先すべきは、翡翠くんの幸せだ。

 どんな奉仕だって、惜しまない。

 そうすれば自然と、彼は私を愛してくれるようになる。


「もういいわ。あたしと水萌が相容れないというのはよくわかった」

「そうですか? 私はこれからも深雪と仲良くしたいですよ」

「馬鹿言わないでよ」


 まだ処女だろうし、悔い改めてくれたら、一夜くらい翡翠くんに深雪をあてがうことも、考えた。

 ――私がどんなに優れているのか、翡翠くんに知ってもらうための、引き立て役として。


「私だって翡翠くんに心配をかけたくないんですよ。そういうところ、気が回らないんですか?」

「水萌は……変わったわね」


 彼女の問いに、私は少し微笑んで見せる。


「私にはもう、翡翠くん以外に与える愛情は無くなってしまったみたいなので」


 もぅ私の心は翡翠くんのもので、彼に相応しい良い女でいないといけない。

 たとえ本当に容姿で「みぃちゃん」に劣っていたとしても、覚悟だけは変わらない。


「……わかった。いつも通り接しましょ。同じ回帰者として、目を離すのは危険だと思うしね」

「そうですか。それは良かったです」


 本当は、決別するつもりなんてなかった。

 でも……深雪は恋敵で、前世まで憶えている。

 どんな未来が待っていても、こうした方がお互い傷つかないだろうから。


「それじゃあ、また明日ね」


 深雪はもう話は終わったと踵を返していく。

 ――が、途中で足を止めた。


「ああ、そうそう――水萌は翡翠くんの『意中の相手』の正体に、まだ気付いていないのね」

「えっ……?」


 たった一言、それだけ。

 私は驚いた。

 つまり、深雪は「みぃちゃん」の正体に気付いているということ。

 いったい、どうやって……?


 まさか――私が自分を磨いている三年間、深雪はそちらを重点的に調べていたということ?

 私も深雪を侮っていたことを、認めるしかない。


 侮って足を掬われることだけは、絶対にあってはならないから。

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