第21話 三岩小石

 元々ストーカーに対して多少、恐怖はあった。

 それでも何も危害はなかったし、好かれるということにネガティブよりもポジティブな感情が大きく考えていた。

 しかし、流石に限度があるだろう。


 俺の鞄に手紙を入れるということ。

 それすなわち高渓の生徒でなければ不可能に近いことだ。

 だけど、それはおかしい。

 俺は他の誰かに高渓に進学することを伝えていないし、別の町へと移るなんてどうやったら気付けるのだろう。


 最早、形而上学の存在を信じてしまうレベルで、どうかしている。

 そんな俺に、辰也は元気そうに尋ねてきた。


「翡翠、今日は寝不足かぁ?」

「ああ、まあな」


 比較的温かくなってきた朝の教室。

 その空気が、また眠気を誘う。

 ラブレターのことで夜も眠れなかった。


 内容は中学の頃までと同じ。

 差出人の名前は書かれておらず、俺のことが好きなのだというそれだけを何度も違う表現で列挙しているもの。

 ただ少し以前よりも……凝った文章をしているような気がした。

 まあ特に意味はないだろうが。


「どうやら俺にはストーカーがいるらしいんだ」

「……警察に行け」


 辰也の言葉は尤もだ。

 そうするのが自然だし、こういった場合にどうするべきか俺も調べはした。


 しかし被害が出ていない。

 犯人の正体を暴いてどうなる?

 俺はストーカーよりも、ストーカーが俺の知り合いの誰かである可能性の方が怖い。

 微かでも……ないとは言い切れない可能性だ。


「はぁ、辰也くらいポジティブに生きられたら、俺も楽なんだがなぁ」

「馬鹿にしてんだろ。ストーカーとか流石の俺でも怖いって」


 そうなのか……なんか意外だ。

 日頃からモテたいモテたいと嘆いているイメージが辰也にはあったから、むしろ喜ぶものだと思い込んでいた。


「あのなぁ、恋愛はお互いに寄り添っていこうって意志がないとダメなんだよ。どちらかのエゴで恋人を困らせるようじゃ、一年持たないと思うぜ」


 寄り添う……か。

 きっとそれも一つ恋愛の形なのだろう。

 しかし俺はストーカーについても全く好感がないわけではない。

 さすがに離れたこの街にまで付いてきたとなれば、恐怖の方が勝ってしまうが……差出人がわかれば友達くらいにはなりたいと思っていた。


「辰也……まるで経験者のような言い草だな」

「うっ、うるせぇな。でもその方がいいだろ絶対」


 そうかもしれない。

 でも俺は――我を押し通す女性がタイプだ。

 辰也の思い描くタイプには、惹かれない。


 言いたいことを言葉にする南さんや、完璧なアイドルであるステージ上の水萌さんの……そういう部分に魅力的を感じる。


「なんだよ、もう新しい恋でも見つけたのか?」


 何となく思った言葉を、無意識に発していた。


 南さんに対する恋心をどう進めればいいのか、そんな想いを燻ぶらせている今、辰也を反面教師にするのは悪くない発想なのかもしれない。


「よく気付いたな……三岩さんのことが気になっていてよ」


 ――いわいし

 うちのクラスにいる女子生徒で、いつも窓側のある席へポツンと孤独に座っている生徒。

 ほとんどのクラスメイトと話したことがある俺でも、彼女とは話したことがない。

 何となく、彼女は一人が好きなオーラを発しているように思っていたのだが……。


 それにしても、まさか本当に新しい恋を見つけているとは――。

 まあ水萌さんに対する身の丈に合わない恋は砕けたのだし、切り替えたのは正解だろう。


「辰也、三岩さんと話したことあったのか?」

「いんや、ないね」


 つまり、容姿で好きになったのか。

 呆れた理由だ。

 まあキッカケにするには、アリか。

 でも、前と同じように特攻して告白しても、前と同じように失恋して終わるだろう。


 まあ……恋愛を寄り添うものと言うくらいだから、今度は大丈夫なのかもな?


「おいおい翡翠、そんな呆れた顔するなって。わぁってるわ、一度も話さずに告白したって無残に散るのはもう経験してる」

「いや、まずは三岩さんに話しかけてから――」


 わかってなさそうな辰也に手順というものを説明しようとしたその時だった。

 こちらへ近づく三岩さんの姿が視界に入り、言葉を止める。


 いつも朝の時間は自分の駅に座ったら最後、微動だにしない彼女が、態々立ってこちらへ向かって来たのである。


「僕の名前、呼びました?」


 俺は彼女の声を初めて聞いた。

 いつも孤独に過ごしているから、彼女が誰かと話している場面に遭遇したことはない。

 彼女の声は、萌え声というのだろうか――。

 いきなりウィスパーボイスが聞こえやすくなった声量で発せられ、驚いた。


「いいや、名前は出していたが呼んでた訳じゃない。勘違いさせてしまったならすまなかった」

「……陰口は嫌い」


 おっと何やら誤解はまだあるようだ。


「陰口じゃない。先日、オリエンテーションがあったのは知ってるだろ? あれでみんな仲良くなったから、一人でいる君が気になってさ」

「オリエンテーション……あれ、僕だって参加したかったのに……ぐぬぅ」


 未練を感じさせる表情の三岩さん。

 一人が好きなのだと思っていたが、それは思い込みだったのだろうか。

 うん? いや待て……参加したのに出来なかったということは――。


「とにかく陰口じゃないならいい。僕の方も、名畑に用があった」


 ほぼ初めて喋るのに、いきなり呼び捨てにされてしまった。

 俺が三岩さんのイメージをどうにも決めつけていたのかもしれない。


 すると隣の辰也から向けられる視線が痛い。

 いつも誰にも話しかけない好きな女子が他の男に話しかけているのだから、面白くないか。


「頼む。みなもんとお近づきになる方法を教えてほしい」

「みなもん……?」

「風登水萌のこと」


 ――ああ。

 そういえば、アイドルとしての水萌さんは、ファン達からそのように呼ばれているらしい。

 オリエンテーションに参加したかったというのも、水萌さん目当てで参加を申し込んでいた連中の一人だったからか。

 てっきり切られたのは男子達だけだと思っていたので、すぐに思い至らなかった。


「なぜ、俺に……?」

「みんな噂してるの盗み聞きした。七瀬とみなもんが、名畑を取り合っていたと」

「物騒なことを言うな」


 というか、堂々と盗み聞きしたとか言うものじゃない。


「彼女達とは、ちょっと相談に乗っていただけだ。まあその点、三岩さんは運がいいな。水萌さんから嫌われないでお近づきになれる方法はある」

「おーっ……」


 じっと静かになり、目を輝かせる三岩さん。

 どうして近づきたいのかはわからない。

 だがファンである以上は、水萌さんを傷付けるような真似はしないだろう。


「彼女はグイグイくる相手が苦手だ。だから、少し距離を開けながら接してみるといいかもな」


 水萌さん自身はグイグイくる「男」が苦手だと言っていた気がするけど、三岩さんも同じようなものだろうか……?


 三岩さんの顔は童顔だし可愛げがあると思うけど、今まで孤独でいたからのギャップがある。

 そのせいか、その目が猛獣のようにギラギラしているように感じた。


「わかった。まずは、そう……距離を開けて観察から初めてみる」

「それがいい。あっそうだ……水萌さんに関してなら俺だけじゃなくて、辰也も役に立つと思うぞ」


 さり気なく、人差し指で隣にいる辰也を指し、話せるように誘導する。

 静かに俺達の話を聞いていた辰也は、急に俺を救世主でも見るかのような眼差しで見てきた。


「そう……?」

「もちろんだぜ。俺は風登さんに一度振られているし、役に立たないこともない」


 いや、役には立たないだろう。

 しかし、誰かに相談するというのは、それだけで気が楽になるものだ。


「ふうん。じゃあよろしく」


 三岩さんの態度は素っ気ない。

 けど彼女は元々友達がいないので、話し相手には丁度いいだろう。


 それにしても、あっさりと俺の提案を受け入れる彼女からは一種の執念を感じる。

 相談するにしても、いきなり悪い噂の立っている男子を相手に選ぶのは、普通じゃない。

 末恐ろしいファンもいたものである。

 ……ストーカーも似たようなものだな。


 一途な想いを聞かされ、段々ラブレターのことなどどうでもよくなってきた。

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