第16話 おやすみ……水萌さん

 あっという間に空は朱く染まり、木々の陰りが広がってゆく。

 色々あったが深雪さんが主宰した新入生オリエンテーションは無事に終わった。

 進学校の上位クラスが集まっているのだから、問題が起こる方が想像つかないけど、誰もけが人がいなくて良かった。


 帰りのバスの中、俺は適当に窓側の席へと座り、リラックスするように目を閉じる。

 行きの時は予め指定された席に座っていたが、帰りは自由席なのだ。

 すると、横に誰かが座ってきた。

 どうせ辰也だと思って、目を瞑ったままだったのだが――。


「ちょっと水萌? どうして翡翠くんの隣に座ってるのかしら」

「自由席ですし、私が何処に座ってもいいじゃないですか」

「ん……?」


 目を開けると、なぜか隣に座る風登さんとそんな彼女を睨みつける深雪さんの姿。

 どういう状況だ……?

 周囲から俺に向けられる男子達の面白くなさそうな視線が増えていく。

 俺が一番どういうことなのか知りたい。


「――それより何故、名畑くんを名前呼びしているのか、深雪に聞きたいのですが?」

「翡翠くんとは友達になったの。それ、水萌と関係ある? むしろ、水萌はどうして――」


 俺は静かに立ち上がり、荷物を持った。


「……名畑くん!?」

「ちょっと翡翠くん、どうしたの?」


 席を譲ろうとして見せたのに、驚く彼女達。

 二人が何を争っているのかは聞かない。

 悪いけど、登山で疲れた後に男子達からの視線に耐えきれない。

 風登さんと深雪さんは美人なので、近くにいる俺は悉く嫉妬の対象なのだろう。

 というかこれって――。


「まあ風登さん……深雪さんは君と同席して帰りたいみたいだ」


 そういうことだろ……? と、深雪さんを一瞥。

 しかし唖然とする彼女の顔。

 違ったのか……?

 いや、でも俺が険悪な雰囲気の要因になっているみたいなので、退けば仲良しに戻るだろう。

 ちょうど辰也の隣が空席だった。

 無言で座ると、辰也の溜息が聞こえだす。


「色男め。抜け駆けか……? 複雑だわ」


 面白くなさそうだが、嫉妬とも違う。

 言葉の通り、複雑な心境なのだろう。

 別に俺は風登さんに好かれている訳じゃない。

 ただ傍から見ていれば勘違いするだろうし、それでも嫌悪感を向けられないだけ、マシか。


「俺が風登さんと何があったのか、話そうか?」

「……そりゃ気になるなぁ」


 辰也はこちらを見ずに窓側に目を向けるが、遠慮せずに耳を傾けていた。

 俺は半笑いで登山の時の話をすることにした。




 ***




 ――帰り道。

 このままカフェ『ルージュ』に寄ろうかと一瞬思ったが、背後から付いてくる足音に振り返る。


「風登さん……俺に何か用ですか?」

「か、帰り道が同じだけですよ」


 落ち着かない雰囲気。

 彼女が偶然を装っているのはすぐにわかった。

 バスの中でも隣に座ってきたあたり、俺に何か用があるに違いない。


「登山の時のこと、気にしているのか?」


 すぐにコクリと頷く風登さん。

 俺もちょっと言い過ぎたかもしれないと心配だった……やはり負い目が残っている。

 素直に彼女と顔を合わせづらい。


「あの時は、本当に怒鳴って悪かった」

「いえ、怒ったのも当然だと思います。私の方こそあの時はすみませんでした」


 クールぶることもなく、風登さんは真剣な表情で謝ってきた。

 そのまま横へと並び歩く。


「意固地になっていたのかもしれません。弱い部分を見せたくなくて」


 グイグイくる男が苦手だって言っていたのだから、そうじゃないか。

 俺の方がもう少し冷静になるべきだった。


「ああ、わかってる」

「えっと……私を避けていた訳じゃ――」

「ない。ちょっとかける言葉が思い浮かばなかったんだ」


 本心だ。

 俺だって風登さんと話せるきっかけが欲しいとは思っていたのだから。

 だから、こうして二人きりで再び話せられたのは、良かったのかもしれない。


「あのっ、できたらこれからも話す機会をいただけませんか?」

「それは――」


 少し悩む。

 昨夜の深雪さんの話が本当なら、風登さんが俺に目を付けている気がする。

 何か裏があるのでは? と考えなくもない。

 でも……そうと決まったわけじゃないか。


「名畑くんを信用しているという言葉に嘘はないのです。だから、出来ればグイグイくるような男性にも免疫を得たいとは思っていますし……なので友達になってほしいのです」


 ……なるほど。

 きちんと彼女にも悩んでいる欠点を克服したいと思っていたのか。

 それで信頼できる男子でも探していた、と。

 俺に白羽の矢が立ったのは意外だが、納得した。


「わかった。俺でよければ、相談に乗るよ」

「ありがとうございます、翡翠くん」


 この展開、昨夜にも見た覚えがある。

 深雪さんといい、なぜ俺なのだろうか。

 ……わからないけど確かなことは――。


「ところで、深雪とはどこで名前呼びをし合う仲になったのですか?」


 風登さんと深雪さんがグルではなさそうだ。

 バスの席の件といい、二人は自分の事をあまり友達には話さないのだろうか。

 友達っぽいのに……。


「深雪さんに何も聞かなかったのか?」

「聞きましたけど、翡翠くん目線の話も聞きたいと思いましたので」


 友達のことをそう疑うなと言いたいが、彼女の目は本気だった。

 そして不気味な表情が少し怖い。


「まあ……そのっ、深雪さんには目を付けられたみたいで。俺も不本意だったんだ」

「不本意……そうですか」


 口元を隠し、顔を逸らす風登さん。

 そのままスキップするような足取りで少し前を歩き、涼しい顔でこちらの方を振り返った。


「なら、深雪に関しては許します。彼女は良い子ですけど、考えすぎてしまうきらいがあるので、また色々と思い込んでしまったのでしょう」


 なぜか、許されたらしい。

 いや許されていなかったのか……?

 何に不満だったのか、結局わからなかった。


 そんなこんなで学年一の美女と名高い風登さんの友達となってしまったらしい。

 明日からまた辰也に説明しないといけない。

 下宿先のマンションに着き、別れる時間かと思えば、なぜかエレベーターまで付いてくる風登さん。


「同じ……マンション?」

「ふふっ、そうみたいですね」


 南さんに続き、もう一人知り合いが同じマンションに住んでいるとは……。

 そういえば、こういう時に住んでいる階数とかは訊くべきじゃないって南さんに言われたな。


「では、今日はゆっくりと休んでまた明日会いましょう」

「ああ、おやすみ……さん」


 ――エレベーターで別れる瞬間。

 ふいに彼女を下の名前で呼んでみた。

 なんだか照れ臭いが、深雪さんの時の失敗を活かして、友達としての礼儀に倣った。

 すると最後にとても驚いた彼女の表情を見ることができた。


 また初めて見た彼女の一面。

 その顔は、ちゃんと一人の女の子のものだった。

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