第15話 クールぶらないでいいから

 ――合宿二日目。

 キャンプ地近くの山を登ることになった俺達は、唖然としていた。


 山の木々の緑は茂っており、見るからに壮大だ。

 登山用の道はあるものの、高さだけは目に見えて高く、未経験者に登れるものだろうか。

 なんて思ったが、寝て体力が回復したのか皆元気そうな顔をしている。

 そんな俺は――。


「おい大丈夫かよ翡翠ぃ。枕が違うと眠れねぇタイプか~?」

「んふぁぁ……あーまぁ、そんなとこ。逆に辰也は元気そうで何よりだ」


 ニシシと笑う辰也。

 こいつは昨日のことがなかったかのようにケロッとしている。

 俺の心配は何だったのか……。

 まあ睡眠の質が悪かったのは、風登さんと深雪さんのことで悩んだのが主な原因だろうけど。




 何はともあれ、登山が始まる。

 辰也に山を登るスピードについて行けそうな余裕はなかったため、俺は一人で登ることにした。

 ――のだが、思っていたより険しい。

 子供でも安全に登れる山らしいが……。

 頂点にはわかりやすい施設が立てられているらしいので、とにかく上を目指す。


 やはり学校行事と違うのは、引率の先生が道を教えてくれない点。

 どうしても登れない人や怪我をした人のため、引率の先生二人は待機している。

 そして登山ルートは様々だ。


「ふぅ……流石にあっついな」


 ランニングの時よりも発汗が激しい。

 水分補給を欠かさずにしているものの、少しずつ体力が削がれていく。

 危険もある以上少しずつ斜めに登っていったのだが――。


「って、このルートは俺一人しかいないのか」


 安全第一に登っていたら、人気の少ないルートを通ってしまったようだ。

 周りを見渡すと一人二人の一般客は見られるものの、生徒達はひとりも――――。


「あれ?」


 俺の通ってきた後ろの物陰がガサッと動き、そこから知っている顔が現れた。


「風登さん……?」

「名畑くん、でしたよね」


 呼吸は荒いが、クールな態度はいつも通り。

 どうやら同じルートを通ってきていたようだ。

 風登さんは何事もないように俺の後ろ続いて登り始める。


 そういえば彼女が俺を見ていたような事を深雪さんが発言していたが、どうなんだろう。

 気になるけど、自意識過剰っぽくて聞きにくい。


「昨夜、私が新島くんを振った瞬間、見ていましたよね?」


 逆に訊かれたくなかった質問を、真っ先にされてしまった。

 仕方ないので、素直に本当のことを言う。


「悪い……辰也に頼まれていたんだ」


 彼女の方を振り返ると、どうにも俯いたままゆっくりと歩き続ける風登さん。

 なぜ彼女がそんな顔をするのか、俺にはよくわからない。


「風登さん……?」

「あの……その……私は酷い態度を彼に取ったと思うのです」


 どうやら自覚があったらしい。

 しかし、そういう話を切り出すということは、辰也に対して罪悪感でもあるというのだろうか。

 もしくは、よっぽど男子達の中で流されている噂が気に入らないのかもしれない。


「……ええっと、そんな気にしなくても良いんじゃないかな」


 今朝の辰也はもう忘れていそうだった。

 過ぎたことだし、一々謝る必要はないだろう。


「気にします! 私だってアイドルの前に人間です。誤解をされて嫌われたくありません」


 それはアイドルも同じじゃないのだろうか。

 いや、アイドルとしてはアンチというような存在が付き物か。

 俺にはわからない悩みがあるのだろう。


 そんな事を考えるなんて意外だった。

 どこか浮世離れしていた彼女に、俺は理想を描いていたのかもしれない。

 彼女は嫌われたくないと言うが、それ以前に気になることがある。


「誤解って……?」

「確かに新島くんには冷たく接して告白を断りました。ですが、私も怖かったのです」


 どういう意味だろう。

 あの場所には深雪さんが呼び出して、風登さんもまた自ら向かったと聞いたけど。


「私……その、男性が苦手という訳じゃないのです。ただこうグイグイ積極的に来られると一歩引いてしまうと言いますか……」


 初めて知る彼女の情報。

 アイドルなのにそれは致命的では?

 などと考えてしまったが、観客はステージにまで上がってこないか。

 あとは、辰也がここまでグイグイいくような性格だとは思わなかったんだろう。

 まだ会って間もない関係だしな。


「あの時の冷たい言葉は防衛本能だったと?」

「……そう、ですね。はい」


 微かに苦々しさを感じる受け答え。

 自分のした行動を正当化するわけではないが、その含みはあったということか。

 どうも真面目な性格なのか、罪悪感を覚えている様子。


「逆に俺は平気なのか? 見ての通りへとへとではあるけど、例の噂を広めたというのが辰也ではなく俺だって可能性もあったろ」


 それは深雪さんも忘れていた可能性。

 深雪さんの場合は俺が目撃していた事を知らなかったので仕方ない話が、風登さんに限っては違うだろう。

 むしろ第三者である俺の方を、噂を広めた奴だと思い込みそうなものだけど。


「いえ、名畑くんは絶対にそんなことしてないと確信していますから」

「……それは嬉しいけど、一体どうして?」


 学友として普通に会話しているから勘違いしそうだけど、忘れてはいけないことがある。

 風登さんは美人であり人気アイドルだ。

 男子ならば誰もがお近づきになりたい相手だ。

 同時に他の男子に取られたくないと考える奴がいるのは、辰也のような例が証明している。


 俺にだってそういう動機があってもおかしくないのに、ふと垣間見た風登さんの目に疑いの含みは一切皆無だった。


「――私、人を見る目がないのですよ」

「は?」


 ますます理解が及ばない。

 人を見る目がないなら、俺に対しても危機感を持つと思うのだが……。


 そんな自虐的な発言と共に、何かを懐かしむような顔をする風登さん。

 初めて見る彼女の柔らかい表情だ。


「人を見る目がないと、怖くなるのです。昨日の新島くんもそう……日頃はふざけている彼も告白する時は怖いくらい勢いがありました。そういう人の二面性が、怖くなってしまうのです」


 ……

 風登水萌は裏表がなく、いつもクールなキャラで首尾一貫している。

 彼女がこんな性格を貫いているのは、他人の二面性を毛嫌いして自分ではそうならないよう気を付けているのかもしれない。


「それで……人を見る目がないのが、どう俺を信用するに繋がるんだ?」

けですよ。つまり……ひゃっ――」


 斜め後ろに見えた風登さんが、急にブレた。

 すぐに彼女が足を滑らせ、斜面を落ちようとしているのがわかる。

 考えている余裕はない。

 俺は本能的に彼女の腕を取った。


「だ、大丈夫か!?」


 ――間一髪。

 山の斜面から転げ落ちそうになった風登さんの手を取り、転落を防いだ。

 登山で疲れているとはいえ、腕の力はある。

 とにかく全力で風登さんを元の道にまで引き上げた。


「お陰様で、助かりました。やはり貴方は信用できる人だと思います。私、賭けは強いのですよ」


 無事に戻ると、そっと微笑みそう言う風登さん。

 俺は――彼女のその言葉が信じられなかった。

 どこか気取った態度が……初めて彼女を見た時と同じように、気に喰わなかったのかもしれない。


「っ……! 馬鹿かっ! 信用なんてどうでもいいだろ……今、死にかけたんだぞ!?」


 変わらぬ希薄な表情の風登さんの肩を掴み、俺はほぼ反射でそう口にしていた。


「そんな……大袈裟なこと……」

「俺は風登さんがアイドルやってるから言ってるんじゃない。女の子なんだから、もっと自分の身体を大切にするべきだ……!」


 説得するように、俺は言葉を続けた。

 彼女は目を見開いて言葉に詰まっている様子。

 言い過ぎただろうか……少し反省。


「……すまん。落ちる瞬間怖かったろ。だから――クールぶって無理に平気な顔しないでいい」


 手に取った風登さんの手はとても震えていた。

 それなのに、彼女は痩せ我慢していつも通りの顔をしていたから。


「ごめんなさい」

「まだ足も震えてるだろ。肩くらい貸す」


 有無を言わせず、頂上へ辿り着くまでは、俺が風登さんを支えながら登ることにした。

 風登さんは口数を減ってしまったが、演技で平気な顔をすることもなかった。

 ただこれで彼女に嫌われたとしても、我慢だけはさせたくなかったのだ。


「……ありがとう、翡翠くん」


 ボソッと呟いた風登さんの言葉は、ちょうど風に揺れる木々の音でかき乱された。


 せめて、段々と足の力を失いこちらに寄りかかってきた風登さんの身体を支えて連れて行く。

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