第13話 身体が火照って仕方ない

 もう暗くなり始めた空。

 森林の中も暗かったが、まだ肌寒い気温のお陰で温泉の湯気がしっかりと見える。

 しかし私の吐いた溜息は透明のまま。


「まったくどうしちゃったのよ。水萌、嫌なことでもあった?」


 俯いた私の心情が、表情に出ていたらしい。

 共に温泉へと浸かる深雪には思い当たる節があるはずなのに、ほうけた顔をしている。


「告白だなんて知っていたら、呼び出された場所へ行きませんでした」


 いや、それはだ。

 新島辰也くんという名前が出た時点で、告白されることには見当が付いていた。

 彼は前世でも高校入学後、一ヶ月経たずして私に告白してきた男なのだから。

 だが、ここで不貞腐れているは告白だと知らなかったという部分のみ。


「はぁ、なんで振った側の水萌がそんな顔するんだか……向こうの方がショック受けてると思うわよ」

「知りませんよ、そんなこと」


 新島くんのことなんて心底どうでもいい。


 前世で何度も告白された経験から、一切の期待を断ち切るために冷たい態度で振ってみせた。

 しかし、そんな姿を翡翠くんに見られるだなんて想定していない。最悪だ。


「理由は聞かないけど……水萌ねぇ、もっと自分がモテるって自覚を持ちなさいよ」


 その言葉に私は少し懐かしさを覚える。

 前世でも、彼女は同じような言葉を私に言っていた気がする。


「――まあだからといって外見だけで人を判断したら痛い目みるかもしれないから気を付けなさいよね」


 珍しい台詞が加わった。

 不本意にも前世で翡翠くんと付き合った女だ。

 そういう考えを持つのも無理はない。

 でも、そんな助言を私にすることはこれが初めてのこと。


 そんなに――今の私は危うく見えますか?


「新島くんに告白されて……私は徹底的に振りました。二度と私を好きにならないように。それが正しかったことなのか、わからないんです」


 翡翠くんは私を酷い女だと考えるはず。

 有象無象の男子どもなんて適当に対応していれば良かったのに、とんだ失態だ。


「水萌がそんなことで悩んで訊いてくるとは思わなかった」


 深雪は私の隣に座り、身体をくっ付けてくる。

 温泉の中、タオルは巻いているが、大胆な行動に少しビビってしまう。


 何より少し当たった胸。

 私のふわふわとしたモノと違って少し硬く、弾力があった。よく見ればちゃんとハリがある。

 今まで侮っていた彼女の胸が、私のモノとは明らかに違う魅力を秘めている。

 その事実は受け入れ難かった。


「なんで神経質ナーバスになっているのかわからないけど、ちゃんとあたしに相談しなさいよ?」

「…………」


 あまりの衝撃に、言葉が出なかった。

 前世で深雪は私にとって頼りになる良い友人だったし、だからこそ相談しにくいのもあるけど。


 前世で彼女は浮気したけれど、自ら謝ろうと決心するくらいには翡翠くんを想っていた。

 最終的に私に敵わないにしても、恋のライバルになる可能性があるということ。


「別に新島くんが振られたことなんて、気にしてないの。長年好きだったとかなら兎も角一目惚れだと思うし、彼もそんなにショックはないでしょ」

「一目惚れ……?」


 ふとした言葉が引っかかる。


「うん。だってそうじゃない? 高校入ってすぐに告白するなんて、まぁ一目惚れでしょ」


 そうなのだろうか。

 私はこれでもアイドルとして既に名前は売れているし、一目惚れとは限らない。

 だけどもし一目惚れなら……私がこっ酷く彼を振った行動は正しかったと思う。


 前世のあのゴミ……藤堂雅也もまた、私を好きになったのは「一目惚れ」だと言ったのだから。

 そう考えると、やはり私の行動は間違っていないようにも思えた。


「そうですね。あまり気にする必要はないのかもしれませんね」

「うんうん。元気になったみたいで良かった」


 過去を振り返っても変わらない。

 ここは前を向くべきなのだろう。

 カフェ『ルージュ』で「南」として活動してから、私は以前よりポジティブになった気がする。


「そういえば藤堂くんイケメンだったよねー」

「転んでいた矢倉さんをかいほうしたの、変わってほし~って思ったもん」


 同じく温泉に浸かる女子二人組の談笑の声。

 実に不快な話だと思った。

 肩の荷が下りた矢先になぜあのゴミの顔を思い出さなければならないのか。


(容姿も整っていない胸も中途半端……下の毛さえきちんと処理できていないお子様の癖に、恋バナとか、まだ早いんですよ……)


 加えて見る目がない。

 翡翠くんの名前が出てこない時点で、碌な夫には出会えないだろう。

 いや……翡翠くんの魅力は私だけが知っていればいいものだ。

 彼の魅力を知ってほしいのに、それは良くない。

 もどかしい気持ちになった。


「はぁ……入学してから恋愛の話ばっかりね」


 深雪も溜息を吐いて呆れている。

 私も告白されたばかりの身。

 勉強から解放されて気が緩んでいるというより、高渓には容姿に優れた生徒が多いからだろう。


 まあ私に比べれば本当に容姿の良い生徒なんて、ほんのわずかしかいないでしょうけど?


「深雪はそういった話とは無縁みたいですね」

「……どうかしらね?」


 またも気にかかる事を言う。

 高校時代に、深雪は恋愛なんてしなかったはず。

 なぜ曖昧な言い方をするのか、その意図が汲み取れない。

 私は何か……忘れているのかもしれない。


「意外。深雪はそういう事に興味がないと思っていました」

「何それ。まだあたし達だって出会ったばかりなんだし、お互い知らないこともあるでしょ」

「……そうですね」


 それは深雪の言う通りだ。

 前世の記憶を過信しすぎて、つい知っている前提で話をしてしまった。

 タイムリープに気付かれるとは思わないけど、不気味に思われるかもしれない。

 深雪はともかくとして、翡翠くんにそう思われるような真似は良くない。


 例えばこの後、恐らく新島くんが周囲に自分が振られたことをふいちょうしているだろう。

 明日には翡翠くんに近づき挽回する予定だけど、私自身の振る舞いにも注意しなければならない。

 落ち着いて、行動すれば大丈夫なのだと自分に言い聞かせる。


(翡翠くんは前世で……何人かの女子に告白されたにも関わらず、なぜか高校三年間一度も彼女を作らなかった)


 それも変わってしまうかもしれないのだ。

 急がなければいけない。でも焦ってボロを出すのはもっとダメだ。

 この身体を逃がさない温泉の湯のように、「風登水萌」としても、もう少し温かい人間として振舞うべきだろう。


(早く私が翡翠くんを温めてあげたいですっ)


 無意識に翡翠くんとのあるかもしれない未来を妄想してしまった。

 深雪や他の女子生徒には顔を見られていなかったけど、少し気が緩んでしまったようだ。


 温泉の所為じゃない。

 きっと翡翠くんのことばかり考えていたから。

 すなわち――いつも通りのことだった。

 身体がって仕方ない。

 誰かにだらしない顔を見られる前に、私は急いで湯から出ることにした。

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