エピローグ


 ルナが挨拶代わりに放った<フレイム>、それを渾身の防御魔法で防いだナターシャは、憎悪に濡れた眼を尖らせる。


「シルバー、貴様……ッ」


「安心するといい、ただの最下位魔法だ。死者はおろか、重症者もいないだろう。まぁ……魔獣部隊は全滅してしまったがな」


 いとも容易く戦況をひっくり返したルナは、ナターシャのもとへ歩みを進める。


 すると次の瞬間、カソルラ軍の兵たちが、血相を変えて声をあげた。


「シルバー様、お気を付けくださいッ!」


「ナターシャは『蟲』の固有魔法で、脳を支配する!」


「この女に近付いてはなりません……!」


 警告を受けたルナが、「蟲?」と首を傾げたその瞬間、


「もう遅い、既に射程距離よ! ――秘奥・傀儡奏くぐつそうッ!」


 ナターシャの全身から、おびただしい数の蟲が噴き出した。


 傀儡蟲くぐつちゅう

 口に鋭いとげを持つ、蚊を極小サイズに縮めたような蟲だ。

 彼らは生物の血管を通って脳髄に寄生し、宿主の行動を意のままに操る。


 ナターシャはこの蟲を国民の頭に入れ、無理矢理に支配していたのだ。


(シルバーがどれほど強かろうと関係ない! どんな人間も、皮膚はやわく脳は脆い! 一匹だに通れば、わらわの操り人形と成り果てる……!)


 おびただしい数の傀儡蟲が飛来する中、


「うわぁ、気持ち悪ぃ……」


 露骨に嫌な表情を浮かべたルナは、ほんの僅かに魔力の出力を上げた。


 それと同時、彼女の周囲の重力が数千倍に上昇。

 自重に耐えかねた蟲は、大地にめり込み、そのまま命を落とした。


「なっ、ぁ……っ」 


 常時垂れ流しにしている無駄な魔力、それをほんの僅かに強めただけ。

 たったそれだけで、ナターシャの秘奥を完封してしまった。


 目の前の存在は、あらゆることわりを超越した、正真正銘の化物なのだ。


「その顔、もしや今のが奥の手か?」


「くっ、動くでない! レティシアの命が、どうなっても――」


「――<時間停止タイム・ストップ>」


 世界中の時が凍り付いたようにピタリと止まり、<時間停止耐性>を持つルナとゼルだけが自由に動く。


「――よいのか! ……えっ?」


 レティシアの身柄は、いつの間にかナターシャの手を離れ、ルナの元へ移っていた。


「貴様、いったい何を……!?」


「何って……ただ時間を止めただけだ」


「じ、時間停止……!? こ、の、化物め……っ」


 ナターシャはそう毒づくと、微粒子サイズの蟲となって霧散する。


「あれ……逃げた?」


「いえ、この魔力反応は……まだやる気のようですね」


 ゼルが言葉を切ると同時、大地が激しく揺れ動いた。


 遥か遠方に見えるカソルラ城が崩壊し、そこからおびただしい数の『黒』が噴き上がる。


 それは蟲。

 全長100メートルを優に超える、禍々しい傀儡蟲の集合体だ。


「う、わぁ……凄く気持ち悪い……っ」


 ルナが強烈な嫌悪感を覚える一方、


「驚いたな。まさかこれほどの魔法士だったとは……」


 ゼルは素直に感心していた。

 皮膚を突き刺す大魔力、途方もない数の蟲を操る魔法技能。

 ナターシャの魔法士としての実力は、三百年前でも通用する水準にあった。


「二百年と城下へ溜め続けた『蟲壺むしつぼ』。ここで使い果たすのは少々惜しいが……シルバー! 貴様さえ支配できれば、万事問題ない!」


 帝国を墜とすための切り札、蟲壺。

 カソルラ城の最下層に沈む、傀儡蟲の超強大な巣。

 そこにうごめく全ての蟲を解放した彼女は、今この瞬間に限り、人間という種族の限界を超えた――超常の力を手にする。


「ゴドバの兵たちよ! 今すぐに逃げるのだ……!」


「蟲を入れられれば最後、我らと同じく、あの女の言いなりになってしまうぞ!」


 カソルラの兵たちの忠告を受け、ゴドバ軍は蜘蛛を散らしたように逃げ惑う。


「シルバー、貴様の肉体……この私に寄越せぇええええ……!」


 異形と化したナターシャが両腕を振り下ろせば、魔力で強化された傀儡蟲が凄まじい勢いで殺到する。


 幾億もの大群に対し、ルナはスッと右手を上げた。


「必殺――」


 次の瞬間、世界が『夜』に包まれる。

 天を埋め尽くすは、射干玉ぬばたまの黒。

 夜を濡らしたような漆黒の中、遥か上空で甲高い異音が鳴り響く。


これ・・は、まさか……!?」


 ゼルの脳裏を過るのは、三百年前の大破壊。

 一撃で島を消した、理外の超魔法。


「に、逃げろぉおおおおおおおお……!」


 忠臣が警告を放つ中、聖女の右手が振り下ろされる。


「――虫メガネ」


 次の瞬間、


「……あ゛……?」


 天より降り注ぐは聖なる極光きょっこうまばゆい光の槍が大地を刺し穿うがつ。


 聖女の必殺技の一つ――虫メガネ。

 太陽が放つ莫大な『熱』と『光』、それらを理外の大魔力によって強引に捻じ曲げ、地表の一点に集める原始的な魔法だ。


 単純ゆえに強力。

 虫メガネの要領で放たれたその一撃は、まるで紙を焼き焦がすが如く、ナターシャという害蟲がいちゅうを貫いた。


 一秒後、焼け焦げた地表には、ぽっかりと空いた奈落の大穴。


「し、神話の大魔法……っ」


「……戦いの、規模が違う……」


「ば、化物だ……ッ」


 戦場いくさばが呆然とする中、ゼルは驚愕に目を見開く。


(なんと控えめな威力・・・・・・……っ。これはまさか――)


 ゼルの視線の先には、ヘルム越しにもわかる『ドヤ顔』があった。


「ふふっ、今回は上手く手加減できたでしょ?」


「……さすがは聖女様、感服いたしました」


 三百年前、ルナはこの『虫メガネ』を使って、とある孤島をうっかり地図から消してしまった。

 それと比較すれば、此度こたびの一撃は100分の1以下。

 きちんとコントロールの利いた、なんともマイルドな一撃だ。


 焼け焦げた異臭が広がる中――奈落の底から、瀕死の魔女が這い上がる。


「はぁ、はぁ……シル、バー……ッ」


 ルナの異常な魔力を感知したナターシャは、全ての蟲の生命いのちを魔力に変換――それを防壁として使い果たすことで、『虫メガネ』の一撃を耐え抜いたのだ。


「おや、弱火に過ぎたか?」


「いえ、今回は敵の迅速な判断と優れた魔法技能を褒めるべきかと」


 ナターシャの技量を称えたゼルは、


「――<縛り羽>」


 剛柔ごうじゅう併せ持つ魔法の羽で、彼女の両手両足を固く結んだ。


 ルナはその間、レティシアのほうへ向き直る。


「危ないので、動かないでくださいね?」


「は、はい……っ」


 彼女にめられた首輪と手錠、それらを優しく指で摘まむ。


「よいしょっと」


 メギメギメギッという強烈な異音が響き、鉄製の拘束具は見るも無残に破壊された。


「これでもう大丈夫ですよ」


「ありがとうございます」


 無事に解放されたレティシアのもとへ、満身創痍のラムザが駆け寄る。


「レティシア様……!」


「わっ、ととと……っ」


「よかった……本当に、無事でよかった……ッ」


 彼は何度もそう呟きながら、レティシアを優しくギュッと抱き締めた。


「ありがとう、ラム。気持ちはとっても嬉しいんだけど、さすがにちょっと恥ずかしいかも……っ」


 最愛の騎士に抱き締められるのは、嘘偽りなく嬉しいのだが……。

 大勢の人々が集うこの場では、恥ずかしさの方が上回った。


 レティシアが頬を赤く染める中、兵たちの視線は一点に注がれる。


「……強い。いや、強過ぎる・・・・……っ」


「これが伝説の聖女パーティ、『陰の英雄』シルバー様の武力か……ッ」


「この無茶苦茶な力……やはりあの御方は、聖女様の代行者だ!」


 両軍の兵たちは、せられていた。

 シルバーの圧倒的な力に、超然とした立ち振る舞いに。


 昔から、ルナの戦いには『華』があった。


 苦戦の末の勝利とは違う。

 ただただ圧倒的。

 あらゆる攻撃を意に介さず、圧倒的な超火力で捻じ伏せる。

 その豪快な戦いぶりは、時代を問わずして、人々の心を震わせるのだ。


 戦に勝利したゴドバ軍。

 二百年以上も続く、ナターシャの支配から解放されたカソルラ軍。


 両軍が歓喜に沸かんとしたそのとき、


「――くはっ」


 蟲の女王が邪悪にわらう。


「……レティ、シア……様?」


「……えっ……?」


 レティシアは護身用の短剣で、ラムザの心臓を一突きにした後、そのまま剣先をクルリとひるがえし――自身の胸を貫いた。


「「「なっ!?」」」


 誰も彼もが目を疑う中、


「ふ、ふふっ……あっはははははははは……! 道連れじゃ! レティシアもラムザも、決して幸せにはさせん! 私と共に、地獄へ落ちるのだッ!」


 ナターシャは狂ったように嗤う。


 彼女は命じた。

 レティシアの脳に入れておいた蟲へ、『ラムザを殺して自害せよ』という最悪の命令を。


 かつて自らの母カソルラと、その姉ゴドバを謀殺ぼうさつしたときと同じように。


「こやつ、なんと邪悪な女か……ッ」


 瞬時に現状を理解したゼルは、すぐさま剣を引き抜き、ナターシャを一刀のもとに斬り伏せた。


「くっ、かか、か……っ。一足先、に……あの世で待っておる、ぞ……ッ」


 女帝は呪詛を吐き散らしながら絶命。

 主を失った傀儡蟲は、淡い光となって霧散した。


「な、なんということだ……っ」


「回復魔法士、急げ……!」


 現場が騒然となる中、後方に控えた回復魔法士たちが、大急ぎで最前線へ駆けあがる。


「すぐに輸血の準備を……!」


「ポーションをありったけ持って来い!」


「回復魔法の準備に入ります!」


 ゴドバ軍が応急処置を進める中、カソルラ軍が動き出す。


「おい、うちのポーションを使ってくれ! 帝国製の中位ポーションだ!」


「魔法士部隊! すぐに補助へ入れ!」


「急げ、儀式の準備だ……!」


 武道国と魔道国――敵味方のべつなく、両軍が手を取り合って、ラムザとレティシアへ治療を施す。


 ゴドバもカソルラも、元を辿れば同じリンドリアの民。

 同胞への親愛は、もちろんある。


 そして何より、カソルラの兵たちは、その身を以って知っていた。

『ゴドバの乱心』と呼ばれるあの痛ましい事件が、魔女ナターシャによって引き起こされたことを。


「レティシア様、お気を強く持ってください! 大丈夫です! 我が国の回復魔法士は優秀ですから! これぐらいの傷、きっとすぐに治ります!」


 ラムザはレティシアの手を優しく握りながら、ひたすらに励ましの言葉を掛け続ける。

 彼もまた生死を彷徨さまよう重傷なのだが、主人の命が懸かった今、もはやそれどころではなかった。


 その間にも、魔法士部隊の準備が完了。


「「「――<癒しの光ヒーリング・ライト>!」」」


 ポーションの循環治療と並行して、中位の回復魔法が展開される。


 しかし、


「ぐっ、これは……っ」


「……出血が多過ぎるッ」


 二人の心臓は完全に破壊されており、生半可な回復魔法では焼け石に水だ。


 徐々に弱っていくラムザとレティシア。

 心根の優しいルナが、指をくわえて見ているわけもない。


「あ、あの……私が治しま――」


「――聖女様、お待ちください」


 名乗り出ようとするルナに、ゼルが素早く「待った」を掛ける。


「えっ、でも……」


「ここはどうか、私めにお任せを。決して悪いようには致しません」


「……わかった」


 忠臣の強い要望を受け、ルナは言葉を引っ込めた。


「……ラム、いる……?」


「はい、ここにおります……!」


「……ごめんね……。私、いつも……足を引っ張ってばかりで……」


「何を仰るのですか! レティシア様のおかげで、私は人に戻れた! あなたのおかげで、生きる意味を見い出せた! 全て、あなたのおかげなんです!」


「……そっか、よかっ、た……」


 レティシアは儚げに微笑み、その白く細い手をラムザのもとへ伸ばす。


「魔力反応、さらに低下!」


「ポーションはもうないのか!?」


「もっと魔力を込めろ! ありったけを注ぎ込め!」


 魔法士部隊が懸命な治療を施す中、


「……いつの日か、覚えて、る……? ほら、ラムってば、ずっと……謝ってばかりで、さ」


 どこか遠い場所を見つめながら、訥々とつとつと昔話を語り始める。


 レティシアの暗殺に失敗したラムザが、彼女の騎士になって早五年。

 帝国に施された洗脳が解け、人の心が戻り始めた頃――。


【――本当に申し訳ございません】


【ねぇ、また私を刺したときのお話……? あれはもう過去のことだから、気にしなくていいってば】


【いえ、そういうわけには……】 


【はぁ……。前にも言ったと思うけど、私はラムのおかげで、十回以上は命拾いしているからね? あなたには、とっても感謝しているんだよ?】


 この五年間、レティシアには何度も刺客が差し向けられ、ラムザはその全てを返り討ちにした。

 超一流の暗殺者である彼は、同業の手口を熟知している。

 彼は騎士としての役割を完璧に果たし、主の命を幾度となく救ってきた。


 しかし、それはそれ、これはこれ。


 たとえ未遂に終わったとはいえ、ラムザは自身の行いを――主人の胸に刃を突き立てたことを許せなかった。


【……やはり私のような男に、レティシア様の騎士は務まりません。我が国には、優秀な剣士がたくさんいます。彼らを騎士に付けた方が――】


【――ダメ。あなたはずっと私の騎士です。他の者は認めません】


 レティシアは即答し、ラムザは食い下がる。


【な、何故ですか……っ。理由をお聞かせください】


【えっと、それは、その……】


 返答に窮したレティシアへ、ラムザの真っ直ぐな視線が注がれる。


【実は……私、あなたのことが――】


【自分のことが……?】


【……もぅ、ラムは本当ににぶいね】


【も、申し訳ございません……】


 あのときつづれなかった言葉。

 ずっと胸の奥に秘め続けた気持ち。


「――私、ラムのことが好き、あなたのことが大好き」


 レティシアはそう言って、太陽のように微笑んだ。


「あ、はは……最期に、やっと言えた……」


 安堵の息が零れると同時、彼女の体からスーッと生気が抜けていく。

 心のつかえが取れたことで、納得してしまった。

 この結末を受け入れてしまったのだ。


「やめろ、最期だなんて言うな……レティシア……っ」


「そんな顔、しないで……。ちゃんと笑顔で、おわかれ、しよ……?」


「……いやだ。やめてくれ、頼む……お願いだ……ッ」


 ラムザの瞳から、大粒の雫が零れ落ちる。


「……魔力反応さらに低下、これ以上はもう……っ」


「ぐっ……」


「こんな終わり方って……ッ」


 現代の魔法医学では、破壊された心臓を再生することはできない。

 ラムザとレティシアの死は不可避、もはや手の施しようがない状態だ。


 沈痛な空気が立ち込める中、


(……さて、そろそろ頃合いだな)


 いつになく『悪い顔』をしたゼルが、純白の両翼を大きく広げ、胸いっぱいに空気を吸い込む。


「――おぉ、なんという悲劇だろうか! 互いを想い合う主人と従者、そんな二人を引き裂く残酷な運命! とても見過ごせるものではない!」


 全軍の視線が集まる中、彼は力強く宣言する。


「たった今、聖女様より宣託が下った! 慈愛に満ちた彼女は、悲劇の運命に囚われた貴殿らを哀れに思い、『聖なる癒し』を授けんと欲しておられる!」


「聖なる、癒し……?」


 ラムザの呟きに対し、ゼルは力強く頷く。


「聖女様の奇跡は、森羅万象を凌駕する! 覆水ふくすいぼんに返り、時計の針は巻き戻り、落ちたリンゴは枝に結ばれる! 畢竟ひっきょう、破壊された心臓とて、たちまちのうちに再生するだろう!」


「そ、その聖なる癒しを――聖女の奇跡を授かるには、どうすればいい!? レティシアが助かるのならばなんでもする! この命だろうと魂だろうと、全てくれてやる! だから、頼む……教えてくれ!」


 必死に懇願するラムザ、しかしゼルは小さくかぶりを振る。


「聖女様は全知全能、故に何もお求めにならない」


「では、どうすれば!?」


「必要なのは『心』だ」


「こ、心……?」


しかり。聖女様の奇跡をたまわれるのは、心の底より聖女様を信奉する者のみ。ラムザ殿とレティシア殿、二人が真に聖女様をあがうやまうのであれば――『奇跡』は成るだろう」


 とても信じられない話だ。

 平時の――現実主義者のラムザであれば、鼻で笑い飛ばしたに違いない。


 しかし、先ほど見せ付けられた、シルバーの神懸かった武力。

 あれほどの大英雄が、三百年と忠義を尽くす超常の存在――聖女。彼女の力を以ってすれば、不可能など存在しないことのように思えた。


「頼む、聖女よ。いや、聖女様……! 俺のことはどうだっていい、レティシアだけでも治してやってくれ……っ」


 ラムザは目の前に垂らされた最後のわらすがり付き、誇りも矜持も捨て去って、その心命しんめいを捧げた。


「聖女、様……私のことは……構いません。どうか、ラムの傷をお治し……くだ、さぃ……」


 レティシアは最期の力を振り絞り、切なる願いを口に乗せた。


 二人の美しい祈りは、国の垣根を越え、両軍に伝播でんぱしていく。


「ゴドバ全軍より、お願い申し上げる。聖女様、どうか貴女様の御慈悲を……っ」


「カソルラ全軍、伏してお願いいたします。レティシア殿とラムザ殿へ、聖女様の奇跡を……ッ」


 みなが聖女に祈りを捧げ、レティシアとラムザの回復を願う中――ゼルがバッと大空を見上げる。


「おぉ、見るがいい! 天より降り注ぐ、この神聖なる光を! 貴殿らの切なる思いが通じ、聖女様の奇跡がつむがれんとしているのだッ!」


 全員が空を見上げると同時、


(聖女様、今ですよ、今! いつものやつをお願いします!)


 ゼルはとてもいい顔でサインを送り、


(えっ、あっ、うん……)


 どんより顔のルナは、こっそりと回復魔法を使う。


(――<聖龍の吐息セイクリッド・ブレス>)


 次の瞬間、途轍もない大魔力が天より降り注いだ。


 神の御業みわざたる『極位きょくい魔法』が展開され、まるで時がさかのぼるかのように、ラムザとレティシアの体が再生していく。


「う、そ……こんなことが……っ」


「ほ、本当に……聖女様は実在するのか……ッ」


 完全回復を遂げた二人は、信じられないといった様子で、お互いに見つめ合う。


 神の奇跡――否、聖女の奇跡を目にした群衆から、地鳴りのような喝采があがる。


「う、ぉ、おおおおお゛お゛お゛お゛……!」


「なんという御力、なんという奇跡、そして……なんと慈悲深き心……っ」


「聖女様、ありがとうございます、本当にありがとうございます……っ」


 感謝・興奮・熱狂――そして天井を知らぬ、信仰の高まり。

 両軍の聖女に対する忠誠は、限界を超えて強まっていく。


 誰も彼もが喜びに浸る中、ルナは一人、苦しそうに胸を押さえた。


(う、うぅ……っ)


 聖女様、人を騙すのが細胞レベルで苦手。

 本当は聖女の奇跡でもなんでもないのに、ただ自分が回復魔法を使っただけなのに……それをあたかも大袈裟に表現し、恩を売り付ける行為に対し、途轍もない罪悪感を抱いているのだ。


 よくもまぁこれで、『悪役令嬢になりたい!』と言えたものである。


「ぜ、ゼル……やっぱり駄目だよ、こんなみんなを騙すようなこと……っ」


「いえ、問題ありません。何せここにいる人々はみな、聖女様に救われたのですから」


 ゼルの言葉は正しい。

 もしもルナが手を出さなければ、レティシアとラムザは非業の死を遂げ、武道国と魔道国はナターシャに手に落ち……。邪心に満ちた蟲の女王はなおも止まらず、アルバス帝国へ戦争を仕掛け、血みどろの世界大戦が勃発していた。


 結果だけを見れば、ルナはレティシアとラムザどころか、武道国と魔道国を――この世界全土を救済している。


 しかし、それはそれ、これはこれ。


(私は……なんて邪悪なことを……っ)


 誰よりも心が綺麗な聖女様は、みんなを騙した罪悪感にさいなまれ、どんよりと肩を落とすのだった。



 一時間後、最低限の戦後処理を終えたルナ・ゼル・レティシア・ラムザは、ゴドバ城最上階の執務室に集まっていた。

 ソファに腰を落ち着かせたルナとレティシアは、小さな机を挟んで向かい合い、従者たちは己が主の背後に控える。


「シルバー殿、ゼル殿、そしてどこかで見ておられる聖女様、此度は我が国へ御助力いただき、また私共の命を救っていただき、本当にありがとうございました」


 レティシアが謝意を伝えると、ルナは「いえいえ」と片手を振った。


「シルバー、先日の非礼をここに詫びよう。どうか私の無知を許してほしい。聖女様は――実在する」


「御理解いただけたようで何よりです」


 ラムザのみそぎの謝罪が済んだところで、レティシアがとある提案を口にする。


「我が国は、聖女パーティの皆様に救われました。そのお礼ではないですけれども、武道国の国教として『聖女教』を認可したいと――」


「――いえ、けっこうです。あの異常者たちは、うちとは完全に無関係なので」


「そ、そうなのですか?」


「はい。あの厄介ファンたちには、こちらも頭を痛めているのですよ……」


 ちょっとした冗談を挟み、いい具合に場が温まったところで、レティシアがコホンと咳払いをする。


「さてシルバー殿、以前お話にあがっていた同盟の件なのですが……」


「えぇ、武道国とは今後も良き関係を築いていければと――」


「――その件については、つつしんでお断りさせていただきたく存じます」


「え゛っ」


「……理由をお聞かせ願えますか?」


 予想外の回答を受け、ルナはわかりやすく動揺し、ゼルは鋭く目を尖らせた。


 レティシアとラムザは頷き、武道国の見解を述べる。


「我が国の軍は、先の戦争で酷く消耗しております。帝国および周辺の小国が、この機を逃すはずがありません。おそらく我々は、近日中に侵攻を受け、滅ぼされてしまうでしょう。私は武道国の宗主として、何か策を講じなければなりません」


「聖王国との同盟は、確かに妙手と成り得るのだが……。これには細かな調整が必須であり、相応の時間を要する。その間、血と欲に塗れた他の国々が、手負いの我等を放っておくはずもない。今求められているのは、『迅速かつ確実な防衛策』だ」


 ラムザはそこで言葉を切り、レティシアに続きを預けた。


「そこで一つ、御提案があります。もしも聖女様がお許しになられるのであれば――我が国を、聖王国の庇護下ひごかに入れていただけないでしょうか?」


「それは、どういう……?」


 ルナは小首を傾げ、


「なるほど、そういうことか」


 ゼルはニヤリと微笑んだ。


「国際法にのっとって、我が国を『聖王国ゴドバ領』とし、このしらせを世界に発表するのです。そうすれば、あらゆる勢力がうちへ手出しできなくなる。もしもそんな愚を犯せば、聖女様・シルバー殿・ゼル殿を――『伝説の聖女パーティ』を敵に回すことになりますからね」


「もちろん、相応の対価は納めるつもりだ。人材の派遣・資源の供与・流技りゅうぎ伝播でんぱ。戦後処理が終わり次第、速やかにこれらの実施を約束しよう」


 人材・資源・技術、聖王国の求めていた全てが、目の前に並べられる。


「シルバー殿、改めてお願い申し上げます。偉大なる聖王国の傘下に、武道国を加えていただけないでしょうか?」


「どうか偉大なる聖女様の御判断を仰いでくれ」


「い、いやいや、そんなこと急に言われましても……っ」


 混乱するルナをよそに、ゼルは力強く頷いた。


「――いいでしょう。聖女様は『万事問題ない』と仰られております」


「ちょっ、ゼル!?」


 ルナが「待った」を掛けるよりも早く、レティシアとラムザの顔が安堵にほころぶ。


「あ、ありがとうございます……!」


「なんと慈悲深き心……感謝の言葉もございません!」


 唯一王であるルナを置き去りにしたまま、トントン拍子に話が進んで行く。


 そんな中、突如として荒々しいノックが響いた。


「れ、レティシア様、大至急お伝えしたいことが……!」


「どうぞ、入ってください」


 扉の外から「失礼します!」という大声が響き、恰幅のいい兵がドスドスドスと走り参ずる。


「いったいどうしたというのだ、大切な客人の前だぞ……?」


 不快感を顕わにするラムザに対し、衛兵は気圧されながらも報告を述べる。


「も、申し訳ございません。しかし、魔道国の全権大使が来ておりまして、とにかくその……バルコニーまでお越しください!」


「魔道国の全権大使……?」


「どうやら、ただごとではなさそうだな」


 ルナ・ゼル・レティシア・ラムザは、ゴドバ城二階のバルコニーへ移動。


 するとそこには、総勢三万人にもおよぶカソルラ軍が平伏していた。


 武装解除した彼らの先頭に座すは、ナターシャに戦争の停止を求め、昏倒こんとうさせられた男――カソルラ軍総隊長。

 剣・盾・鎧、あらゆる装備を脱ぎ置き、無防備な姿を晒した彼は、ゆっくりと地に頭をつける。


「七代宗主レティシア・リンドリア様、まずは先代ナターシャによる暴虐をお詫びしたい。本当に申し訳なかった……っ」


 総隊長の謝罪に続き、背後の兵たちも頭を下げる。


「ただ、どうか御理解いただきたい。我々に貴国への――同胞への敵意は皆無。ナターシャに蟲を入れられ、親類を人質に取られていたゆえ、従わざるを得なかった。これだけは、御承知おきください」


 彼の言葉は嘘偽りのない真実であり、この場にいる全員が理解していた。


「魔道国は今後、貴国が復興を成し遂げるまでの間、あらゆる形での支援をさせていただきます。本件については、後ほど外交特使をお送りしますので、そこで詳しくお話しができればと」


「えぇ、ありがとうございます」


 レティシアの言葉を受け、総隊長は再び頭を下げた。


「そして――聖女様の代行者シルバー殿!」


「えっ、私?」


 急に話を向けられたルナは、一瞬、素で返事をしてしまう。


「一つ確認させてください。ここでのお話は全て、聖女様が聞いておられる。この認識で、間違いないでしょうか!?」


「そりゃまぁ……聞いているでしょうね」


 本人と直接話しているのだから、至極当然のことだ。


「では、我等カソルラ全軍、伏してお願い申し上げます。――聖女様、貴女にカソルラ魔道国を統治していただきたい!」


「……は……?」


「我が国は宗主を失い、後継者もおりません。王位の浮いた国が破滅の道を辿るのは、これまでの歴史を見ても明らか。統治者を失った我々には、誰もが認める『唯一にして絶対の王』が必要なのです!」


 総隊長の言葉に自然と熱が籠る。


「もちろん、相応の対価はお支払いします! 我が国で産出される高純度の魔石、長きにわたる魔石研究の成果、さらには魔道具産業で得られる利益! この半数を提供ないしは共有させていただきます!」


 魔道国が提示した条件は、まさに破格のものだった。


「本件は緊急議会の承認を得たものであり、魔道国に住まう全ての民の願い! どうか、聖女様の御慈悲を……!」


 総隊長が切に頭を下げれば、


「「「聖女様の御慈悲を……ッ」」」


 三万の軍勢がこうべを垂れ、聖女の慈悲を求めた。


「え、えー……っ」


 見るからに嫌そうな顔をするルナに対し、


「くっくっくっ……そうかそうか、実に結構なことだ」


 望み通りの――否、それ以上の成果を手にしたゼルは、とびきり邪悪な笑みを浮かべる。


「――聞け、敬虔けいけんなカソルラ兵たちよ! 寛大なる聖女様は、貴国の望みを聞き届けられた! これより先は『聖王国カソルラ領』として、新たな一歩を踏み出すがよい!」


「あ、ありがとうございます……!」


「「「ありがとうございます……ッ!」」」


 三万人の大軍勢が歓喜の雄叫びをあげる中、


「聖女様ッ!」


 カソルラ軍に潜む『隠れ聖女教徒』が、もはや我慢ならぬといった風に祈り始め、


「聖女様ッ!」


 釣られた他の兵が、自然とその言葉を叫び、


「聖女様……ッ!」


 極限に高まった信仰が、せきを切ったように溢れ出し、


「「「――聖女様ッ! 聖女様ッ! 聖女様ッ!」」」


 地獄の聖女様の大合唱シュプレヒコールが完成、歓喜と熱狂がうねりをあげる。


 一方、かつてないほどの信仰を捧げられた、我らが唯一王ゆいいつおう陛下は、


「あ、あわわ、あわわわわ……っ」


 聖女ぶれいんのオーバーフローにより、言語機能を失っていた。


 主人が機能不全に陥る中、忠臣は確かな手応えに胸を燃やす。


(さすがは聖女様、貴女の行動には『華』がある! 本人は何も考えておらずとも、その一挙一動が大衆の心を惹き付ける! やはり……成る・・ッ! 私が頭脳となり、屋台骨としてお支えすれば、世界統一は決して夢物語ではないッッ! ルナ様を中心とした秩序、彼女が笑って暮らせる『新世界』は成し得るのだッッッ!)


 こうしてゴドバ武道国とカソルラ魔道国を接収した聖王国は、建国から僅か一か月と経たぬうちに、その勢力を10倍以上に膨らませ、


(な、なんで……どうしてこんなことに……っ)


『一段飛ばし』ならぬ『十段飛ばし』の大飛躍を遂げた聖女様は、あまりにも早過ぎる展開にグルグルと目をまわすのだった。

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