第8話:開戦


 東の空より太陽が昇り、ついに開戦の日を迎えた。


 決戦の舞台は、リンドリア平原。

 ゴドバ武道国とカソルラ魔道国は、既に全軍の展開を完了し、静かな睨み合いを続けていた。


「そろそろ始まる?」


「えぇ、もう間もなく開戦の時間です」


 ルナとゼルは遥か遠方の丘から、戦いの行く末を見守っている。


「武道国も魔道国も、同じような配置だね。なんか有名なやつなの?」


「両翼の陣、古の軍師が考案した戦型でございます。右翼と左翼に戦力を集中させ、手薄となった中央には最強の部隊を置く。中央の精鋭たちに大きな自由を与えつつ、両翼を烈火の如く制圧する、非常に攻撃的な陣です。ただ……ここまで中央が手薄なものは、些か珍しいように思います」


 武道国と魔道国の全軍は、両翼に集結しており、真ん中は文字通りの真空地帯――兵の一人もいない状況だ。


「あのぽっかり空いた真ん中には、すっごく強い人たちが収まるってことか」


「はい。おそらくは待機中の精鋭部隊が、なんらしかの空間魔法によって――っと、噂をすれば、来たようですね」


 魔道国陣営の中央に、巨大な<異界の扉ゲート>が出現。

 そこから姿を現したのは、魔道国宗主ナターシャ・リンドリア。

 和やかな笑みを浮かべた彼女の後には、帝国より供与された魔道国の最大戦力『魔獣部隊』が続く。


「「「オォオオオオオ゛オ゛オ゛オ゛……!」」」


 ガーゴイル・キメラ・ゴーレム・ミノタウロス・バジリスクなど、血に飢えた100体の軍勢が、獰猛な雄叫びをあげた。


「うわぁ、凄い数……」


「なんと、あれほどの魔獣を使役していたとは……!?(しかも、ほぼ全てが上位種だ。マズいな、これは武道国の手に余るぞ……っ)」


 ルナは小さく口を開け、ゼルは驚愕に唾を呑む。


 魔道国の準備が整ったところで、武道国サイドにも動きが見られた。


「……」


 獣の面をかぶった剣客けんかくが一人、ゆっくりと歩みを進め、中央の位置に就く。


「あの御面おめんって、確か……」


「えぇ、孤児院で見た――」


 ルナとゼルが記憶を辿り始めた瞬間、二本の火柱が勢いよく打ち上がる。

 両陣営による<フレイム>、予め定められた戦闘開始の合図だ。


「「「――<獄炎ヘル・フレイム>!」」」」


「「「――<獄炎>!」」」


 両軍の魔法士部隊が、ほぼ同時に遠距離攻撃を放つ。

 灼熱の炎がぶつかり合い、紅焔こうえん宙空ちゅうくうを彩った。


 第一陣の魔法攻撃が、互角に終わったところで、


「「「うぉおおおおお゛お゛お゛お゛……!」」」


 続く第二陣、両軍の武双した兵たちが、地鳴りのような雄叫びをあげながら突撃する。


 右翼と左翼が激しい戦火に包まれる中、


「さぁ、お行きなさい」


 中央のナターシャが命令を飛ばし、


「ゲッゲッゲ……!」


「ゴォオオオオ……!」


「ガルゥウウウウウウウ……!」


 解き放たれた魔獣の大群が、途轍もない勢いで駆け出した。


 対する仮面の剣士は、スーッと長刀を抜き放ち、ゆっくりと前進する。


「――流技りゅうぎ閃剣せんけん


 十閃の斬撃が空を舞い、魔獣の血肉が飛び散った。


「あの剣筋けんすじ、やはりラムザ殿か……!」


「昨日も思ったけど、ラムザさんってけっこう強いよね。この時代に会った人だと一番かも?」


 二人がそんな話をしている間にも、ラムザはその流麗な剣技を以って、次々に魔獣を切り捨てていく。


 しかも、それだけじゃない。


「騎馬隊、そのまま進軍を続けよ! 魔法士部隊、四時の方向へ<雷撃ライトニング>を撃て! 重装歩兵部隊はそのまま後退し、敵の槍兵を孤立させろ!」


 彼は魔獣と戦いながら、広域探知魔法<天盤ヘブンズ・ボード>を展開――両翼の戦況を完璧に掌握し、各部隊に的確な指示を出していた。


「うわっ、凄いなぁ……。戦いながら指示を出すなんて、私には絶対できないよ」


「どうやらあの男は、武と智を併せ持つ、大器のようですね(卓越した剣術・戦況を俯瞰できる視野・的確な状況判断能力……ここでくすには惜しい逸材だな)」


 聖王国の防衛大臣であり、軍事力の拡充を目論むゼルは、ラムザの評価をグッと高めた。


 武装・戦力・頭数、武道国はあらゆる面で、魔道国におくれを取っている。

 しかし、戦況は拮抗――否、やや武道国に傾いていた。


 それはひとえにラムザ・クランツェルト、この男の力に他ならない。


「――流技・霊剣れいけん!」


 ラムザがひとたび剣を振るえば、魔獣の屍が積み上がっていく。

 中央・右翼・左翼、全局面において優位を築き、このまま一気呵成いっきかせいにカソルラ軍を攻め落とすか。


 そう思われた矢先――魔道国の宗主ナターシャ・リンドリアが、ゆっくりと最前線に歩みを進めた。


「もうよい、下がれ」


 魔獣部隊を一瞥いちべつに退け、ラムザの前に立った彼女は、パチパチパチと乾いた拍手を送る。


「さすがはラムザ・クランツェルト、皇帝陛下が一目置く存在だ」


「ふん、あんな阿呆にもくされても、不愉快なだけだ。それよりもナターシャ、臆病な貴様がこんな最前線に出張ってくるとは、どういう風の吹き回しだ? 降伏でもしに来たのか?」


「まさか。高みの見物も飽きてきたので、そろそろ動こうかと思いしましてね」


 ナターシャは自身の足元――どす黒い陰に手を入れ、鎖に繋がれたレティシアを引きり出した。


「れ、レティシア様……っ」


「……ラム、ごめんなさい……」


 ラムザは小さく首を振ると、鬼のような形相を浮かべた。


やはり・・・貴様の・・・仕業か・・・……ッ」


「おー、怖い怖い。そのような目で見てくれるな」


 昨夜未明、ゴドバ城の正門前で、四人の斬殺死体が発見された。

 彼らはみな、レティシアの護衛を任された騎士。

『最悪の可能性』が脳裏をよぎったが、レティシアの遺体だけはついぞ見つからなかった。


「この外道め! レティシア様を解放しろッ!」


「えぇ、もちろん。遠縁とおえんとはいえ、この子は可愛い姪ですからね。……でもまぁ、タダでとはいきません」


 妖しい微笑みを浮かべたナターシャは、<次元収納ストレージ>の中から古びた木剣を取り出し、おもむろにそれを放り投げた。


「レティシアを助けたければ、その木剣を以って、我が魔獣部隊を全てほふって見せなさい。そうすれば彼女を解放し、和平の談に着きましょう」


 あまりにも無茶な条件に対し、レティシアは大声を張り上げる。


「ラム、こんな魔女の言うことを聞いちゃダメ! 私のことはいいから、ナターシャを斬ってちょうだい!」


 主君の命令を受けたラムザは、憤怒の形相を浮かべたまま、重々しい口を開く。


「……ナターシャよ、先の言葉に偽りはないな?」


「もちろん、初代宗主ナターシャ・リンドリアの名において約束しましょう」


「…………いいだろう」


 ラムザは愛刀を背後に投げ捨て、古びた木剣を拾いあげた。


「ふふっ、さすがは獣、見上げた忠誠心ですね」


「ラム、どうして……っ」


 ナターシャは満足気に微笑み、レティシアは絶望に瞳を曇らせる。


「ふぅー……っ」


 魔獣の軍勢と対峙したラムザは、浅く長く息を吐き、凄まじい速度で駆け出した。


「――流技・閃剣!」


 煌く十の斬撃が、ガーゴイルの首を正確に捉える。


 しかし、


「ゲギャギャギャギャッ!」


 所詮、刃のない木剣では、魔獣の屈強な肉を断つことはできない。


「ギャラゥ!」


 鋭い爪が弧を描き、


「ぐ……っ」


 ラムザの左肩を切り裂いた。


 そこから先の戦いは、ひたすらに防戦一方。

 神懸かった反射神経と天才的な防御術で、なんとか致命の一撃こそ避けているものの……。


「ブモォオオオオオオオ……!」


「……ッ」


 魔獣たちの猛撃によって、じわりじわりと削られていき、


「ブゥゥ……モウッ!」


「ご、ふ……っ」


 ミノタウロスの巨大な戦斧せんぷが、ラムザの腹部を完璧に捉え、その細い体が宙を舞う。


「くかかっ! 見ろ! あのラムザが、まるでボロ雑巾のようだ! よい、よいぞ! これはよい見世物じゃ! かかかかかっ!」


 ナターシャは手を打ち鳴らし、喜悦に満ちた笑みを浮かべる。


「ラム……ッ」


 拘束されたレティシアは、最愛の人が一方的になぶられ続ける姿を、ただ見つめることしかできなかった。


 そして――ラムザが崩れたことで、戦況は大きく動き出す。


「ラムザ様、次の御指示をお願いします……! ラムザ様ッ!」


「敵軍が盛り返してきております! もうこれ以上は持ちませ……ぐぁああああああああ……ッ」


 司令塔を失った両翼はもろくも崩れ落ち、戦いの天秤は一気に魔道国へ傾いた。


 そんな中、自身の持ち場を離れ、ナターシャのもとへ走る兵士が一人。


「ナターシャ様ッ! いくさ趨勢すうせいは既に決しました! これ以上の戦闘は、いたずらに被害を広げるだけです! それに……こんな卑怯な手を使っ――」


「――五月蠅うるさい」


 ナターシャが睨みを利かせると同時、


「ぐ、ぉ……っ」


 男は頭を押さえてうずくまり、白い泡を吹いて失神した。


 ラムザはその間も、殴られ蹴られ打たれ叩かれ斬られ、地獄のような責め苦を受け続ける。


「……お願い、もうやめて……っ」


 レティシアの目から涙が零れ落ち、


「さて、そろそろか……?」


 ナターシャがその細い目をさらに尖らせたそのとき、


「……ぐっ、お゛ぁああああああああ……ッ!」


 ラムザを中心に漆黒の大魔力が吹き荒れた。

 酷く血走った眼・逆巻き立った頭髪・体に浮かぶ漆黒の紋様、その姿はまさに『獣』と呼ぶにふさわしい。


「ようやく出たな、天恵ギフト獣化じゅうか】」


 天恵【獣化】、自身の理性と引き換えに、莫大な魔力と膂力を手にする。

 彼が命の危機に瀕した際、自動で発動する力だ。


「う゛、ぐっ……がぁああああああああ……ッ!」


 ラムザの踏み足によって、大地は激しく揺れ動き――体勢を崩したミノタウロスの顔面に木剣が叩き込まれる。


「ブ、モォ……ッ」


 桁外れの膂力による一撃。

 頭部を失ったミノタウロスは、そのままゆっくりと倒れ伏す。


 獣化したラムザは、まさに『暴力の化身』。


「オォオオオオオ゛オ゛オ゛オ゛……!」


 ガーゴイルの羽を千切り、ゴーレムの核を砕き、バジリスクの牙を叩き折る。

 技を捨て、戦略を捨て、人間性を捨て――リミッターの外れた力を振り回す。


 そうしてあっという間に魔獣部隊を殲滅したラムザは、


「ガァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛……!」


 勢いのままナターシャへ襲い掛かり、右手の木剣を大きく引き絞る。


 狙うは一点、しんぞう


 漆黒の木剣が差し迫る中、ナターシャはレティシアの首輪を持ち上げ、そのままツッと前に突き出した。


 それと同時、ラムザの剣がピタリと止まる。


「ぐっ、ぉ……ッ」


 重なってしまった。

 二度と消せぬ罪と。

 薄弱な理性が吠えた。

 同じ過ちを繰り返すなと。


 十年前――レティシア暗殺の指令を受けたラムザは、ゴドバ城に侵入を果たし、彼女の心臓を刺し穿うがった。


 しかし次の瞬間、


【……なんだ、これは……!?】


 レティシアの体から眩い光が溢れ出し、神聖な鎖が自身の体を拘束していく。


 神器『天之羽衣あまのはごろも』。

 使用者が致命の傷を負ったとき、たった一度に限りそのダメージを完全に回復し、当該行為を行った敵を拘束する。大僧侶フィオーナより与えられた、ゴドバ武道国に伝わる国宝だ。


【レティシア様、今の光は……なっ!?】


【この鎖はまさか……伝承にうたわれる、羽衣の封印魔法!?】


【クソガキめ、なんということをッ!】


 騒ぎを聞きつけた近衛このえたちは、ラムザを地下牢へ連行し、ただちに尋問を開始した。


【何故レティシア様を襲った!?】


【……殺せ……】


【誰の差し金だ!?】


【……殺せ……】


【このガキ、大人を舐めんじゃねぇぞッ!】


【……殺せ……】


 彼は虚空を見つめたまま、ただ「殺せ」と繰り返した。


 任務に失敗した時点で、道具じぶんはもう用済み。

 そういう風に教育せんのうされているのだ。


 その様子を遠巻きに見ていたレティシアは、隣の近衛に問い掛ける。


【ねぇ、あの人は……?】


【あやつはベスティア、帝国で活動している、札付きの暗殺者です】


【この後、どうなるの?】


【背後関係を調べ上げた後、しかるべき処置を取ります】


【……そっか……】


 レティシアは少し考え込んだ後、ラムザの正面にひょっこりと躍り出る。


【れ、レティシア様!?】


【危険です! お下がりください!】


 慌てふためく近衛をスルーし、そのまま語り掛ける。


【私はレティシア、あなたのお名前は?】


 温かくて優しい瞳が、虚無な瞳を真っ直ぐに見つめた。


 長い長い沈黙の末、


【…………ラムザ】


 彼は気まぐれにそう答えた。


【ラムザは、また私を殺すの?】


【……いや、それはない。俺はしくじったからな……】


 規定の時間内に指示された場所へ戻れなかった。

 レティシア暗殺に失敗したことは、既に仲介人が上申し、皇帝の耳に入っていることだろう。

 彼女の首を獲ることに、もはやなんの意味もない。


【そっか。じゃ、もう安心だね】


【……はっ、どうだかな……】


 ラムザは「変な女だ」と思いながら、感情のない声で笑った。


 レティシアはそんな彼の目を――瞳の奥をジッと見つめ、にっこりと微笑む。


【ねぇあなた、私の騎士にならない?】


【…………は…………?】


 驚愕の提案。


 当然、近衛は猛烈に反対したのだが……。


【大丈夫。こう見えて私、人を見る目には自信があるの】


 いつもの如く謎の自信に満ち溢れたレティシアは、太陽のような微笑みを浮かべるのだった。


 彼女はその後、ラムザにいろいろなことを教えていく。


【これが桜、綺麗でしょ?】


【……よくわからん……】


【さぁ召し上がれ、武道国名物ゴドミート! どう、おいしい? 私の手作りなの!】


【……うまい……と思う】


【じゃじゃーん、今日はラムにプレゼントです! はいこれ、私が大好きな小説。また今度、感想を聞かせてね?】


【……これは面白い、のか……?】


 ラムザの情緒面の発達は、著しく鈍かった。

 武道国お抱えの心理学者が言うには、『帝国の特殊機関で受けた、心を殺す訓練によるものでしょう』とのことだ。


 しかしその反面、戦闘においては圧倒的。


 年に一度の御前試合にて、


【ぬぅん! 流技・閃剣せんけんッ!】


【……流技・閃剣】


【が、はぁ……っ】


【なるほど……これが流技、か】


 武道国最強の剣士をいとも容易く打ち倒し、秘奥である流技を一目で模倣した。


 しかも、それだけじゃない。


【つまり、この魔力変換公式が、純粋魔法理論における人類の到達点! 偉大な魔法士たちの叡智が詰め込まれた、最高に尊い魔法式というわけだ! ……まぁ貴様のようなチンピラ崩れには、とても理解できんだろうがな】


【……その式、間違っているぞ……】


【なんだと?】


【……何をどう考えても、こちらの方が効率的だ……】


【ば、馬鹿な……っ】


 ラムザは驚くほどに頭がよかった。

 一を聞いて百を知る。

 基礎的な事項を教えるだけで、その先にある応用・発展に自ずと辿り着いてしまう。


 武と智を兼ね備えた英傑えいけつ

 ラムザ・クランツェルトは、天より二物を与えられた男だった。


【ラムは凄いね! とっても強くて、とっても賢い! 将来は有名な剣士さんかな? それとも立派な学者さんかな? あなたなら、きっとなんにでもなれるよ!】


【……俺は獣、殺しの道具に夢なんかねぇよ……】


 ラムザが吐き捨てるように言うと、レティシアは不機嫌そうな表情でグッと距離を詰めた。


【違うよ。あなたは獣じゃない。今はちょっと心が疲れちゃっているけど、本当はとても優しくて凄く純粋な人】


【……】


【そんなしょぼくれた顔をしなくても大丈夫! 私があなたをちゃんとした人間に戻してあげる! ほら、約束しよ?】


【……はっ、期待せずに待ってるよ……】


 二人はそう言って、互いの小指を結んだ――。


「――お願い、ラム……私ごとナターシャを斬って……ッ」


 ラムザは獣、主の命をまっとうする道具。


 しかし、


「……申し訳、ございません……っ」


 血に濡れた手から、木剣が零れ落ちた。


やせい』ではなく、『人間りせい』が勝ってしまったのだ。


「くかかっ、獣のままなら勝てたものを……!」


 全てを見透かした魔女が、愚かな人間ラムザを嘲笑う。


「――血棘の槍ブラッド・ランス


 邪悪な黒槍こくそうが乱れ咲き、


「が、は……っ」


 ラムザの四肢を深々と抉った。


「ラム……!」


 彼は大きく後ろへ吹き飛び、地面に何度も体をぶつけて転がっていく。


「……はぁ、はぁ……っ」


 獣化の解けた彼は、荒々しい息を吐きながら、木剣を支えにゆっくりと立ち上がる。

 霞む視界・震える手足・止まらぬ出血、これ以上の戦闘は望むべくもない状態だ。


「ナターシャ、御自慢の魔獣たちは、全て斬り伏せたぞ……っ。約束だ、レティシア様を解放しろ……!」


「断る」


「なっ……話が違うではないか!」


「これこれ、人聞きが悪いことを言うでない。私は何も違えておらぬわ」


「ほざけ! 貴様の魔獣部隊は全て――」


「――私の魔獣部隊が、どうしたって?」


 ナターシャがパンパンと手を叩くと同時、巨大な<異界の扉>が再び出現し、そこから途轍もない数の魔獣が進軍する。


「ば、馬鹿な……ッ」


 総数にして1000体、先ほどの十倍にも及ぶ大軍勢だ。


「『戦力の逐次ちくじ投入は愚策、然るべき時に過剰な量で迅速に制圧する』、兵法における基本だ」


 絶望的な宣告を受けたラムザは、それでもなお諦めない。


「……はっ、雑魚をいくら並べたところで、ものの数に入らん! もう一度【獣化】で蹴散らすまでだ!」


「くかかっ、虚勢を張るな。知っているぞ? 【獣化】の使用は日に一度のみ。そのうえ発動した後は、しばらくまともに動けぬ……違うか?」


「……っ」


 皇帝アドリヌスからもたらされた情報により、苦し紛れのハッタリも容易く見破られた。


 そうして完全に戦局を支配したナターシャは、


嗚呼あぁ……二百年、ここまで本当に長かった……ッ」


 万感の吐息を零し、おぞましい笑みを浮かべる。


「あなた、やはり……ッ」


 このとき、天性の直観力を持つレティシアは確信した。

 ゴドバの乱における黒幕が、ナターシャであることを。


「……『先祖返り』とでも言うのかねぇ。その透き通るような髪・太陽の如き瞳・人懐っこい顔……忌々しいゴドバにそっくりだ。見ていて吐き気がするよ」


 ナターシャは闇の魔力を込めた手で、レティシアの顔面を力強くはたいた。


「きゃぁ……ッ」


 彼女は痛々しい悲鳴をあげて倒れ、


「き、貴様……ッ」


 ラムザは覚束ない足取りで、ナターシャのもとへ走った。


 しかし、


「――<フレイム>」


「ぐっ、ぉ……っ」


 魔女の放った小さな炎が、ラムザの胸部を焼き焦がす。


「くかかっ、みじめよのぅ。最下位の魔法さえ防げぬその体で、いったい何ができるというのだ? えぇ?」


 もはやこの場に正義はない。

 暗君あんくんにして迷君めいくん、独裁者ナターシャ・リンドリアの一人舞台だ。


「さて、そろそろ幕引きとしたいのだが……手負いの獣が最も恐ろしい。念には念を入れておこう」


 ナターシャは<交信コール>を発動し、魔獣の軍勢と魔法士部隊に命令を出す。


「よぅく魔力を溜めて、しっかりと狙うのだぞ? これが記念すべき、我が覇道の第一歩なのだからな。――さぁ、盛大な祝砲をあげよ!」


「「「ゴォオオオオオ゛オ゛オ゛オ゛……ッ!」」」


 魔獣の軍勢は、途轍もない出力の魔弾を放ち、


「「「……<地獄のヘル・フレイム>」」」


 カソルラの魔法士部隊は、顔を伏せながら魔法を撃つ。


 大出力の魔弾は、灼熱の劫火ごうかまとい、ラムザを消し飛ばさんと進む。


 絶体絶命の窮地に追いやられた彼は――優しく微笑んだ。


「レティシア様、あなたのおかげで、私は人間に――」


「いや、ラム……逃げて……ッ」


「くかかかかっ! 新時代の幕開けじゃ!」


 魔女の嘲笑が終局を飾る中、


「……ごめんゼル、もう我慢できないや」


「全ては聖女様の思うがままに」


 三百年前の英雄たちは、阿吽あうんの呼吸で動き出す。


 ゼルはラムザと魔弾の間に体を滑り込ませ、その美しい白翼をはためかせた。


「――<返し羽>」


 迫り来る魔弾の軌道を変え、垂直方向に打ち上げる。


 そして――。


「我が名はシルバー・グロリアス……えっ、ぶばぁっ!?」


 遥か上空にて、格好よく名乗りあげていたルナへ、全魔弾が漏れなく直撃。

 きらめく爆炎が、雲一つない青空を彩った。


「せ、聖じ――シルバーぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛!?」


 まさかそんなところに敬愛する主人がいるとは露知らず……ゼルは真っ青な顔で、大絶叫をあげる。


 一秒後、


「――ちょっ、ビックリするだろう!?」


 当然のように無傷のルナは、高鳴る心臓に手を当てながら苦情を入れ、


「ま、まさか上空にいらっしゃるとは思わず、大変申し訳ございません……っ」


 ゼルはただただ平謝りをするのだった。


「……ゼル殿、何を……?」


「ん? あぁ……ゴホン、聖女様の御命令により、助太刀にせ参じたのだ」


 それに対し、ラムザを首を横へ振る。


「……逃げてくれ。貴殿らがどれほど強かろうとも、この戦はもうどうにもならん。我らの敗北だ……」


 左翼と右翼は崩壊し、正面には魔獣の大軍勢。

 ラムザという最高戦力が崩れたうえ、敵の首魁しゅかいであるナターシャの手には、レティシアの命が握られている。

 帝国のバックアップを受けた魔道国は、武道国を完全に圧倒していた。


 一方、撤退を勧められたゼルは、困ったようにくちばしを掻く。


「ふむ、これはまたなことを言うな」


「……どういう意味ですか?」


「私は老兵ゆえ、現代の兵法を知らぬ。だが、昔の常識ならば知っている。三百年前あのじだいにおける戦の軍配は、いつ何時であれ、聖女様の微笑む陣に上がるのだ」


 不敵な笑みを浮かべたゼルは、天高くへ飛び上がり、カソルラの全軍に告げる。


「我が名はゼル・ゼゼド! 聖女様に仕えし、いにしえの剣士だ! 聖女様は貴国の策に――人質という卑劣な行動にいきどおっておられる! これより10秒の猶予を与える! その間にカソルラ全軍は武装解除し、速やかに降伏を宣言せよ! さもなくば、聖女様の天罰が下ると知れッ!」


 ゼルの降伏勧告を受け、ルナとカソルラ全軍に大きな動揺が走る。


「わ、私の台詞が……っ」


「ぜ、ゼル様がお怒りだ……ッ」


「おいおい、聖女様の天罰って……!?」


 一方、ナターシャの判断は、迅速かつ冷徹だった。


「くくっ、飛んで火に入るなんとやらよ。――遠慮はいらぬ、撃ち落とせ」


「しかし、ナターシャ様……っ」


「相手は三百年前の大英雄ですよ!?」


「そんな恐れ多いこと、自分にはできません……ッ」


 反意はんいを述べる兵たちへ、鋭い狐の眼光が突き刺さる。


「――お゛ぃ、わらわに逆らうのか? 今この場で両親・妻子の首をじ切ってもよいのだぞ?」


「「「……了解、しました……ッ」」」


 家族を人質に取られている兵たちは、ただただ頷くことしかできなかった。


 そうこうしている間にも、ゼルのカウントダウンは進んで行き、


「3……2……1……!」


 ゼロを刻むと同時、ナターシャの邪悪な笑みが咲く。


「――今だ、てぇッ!」


 しかし次の瞬間、


「――<フレイム>」


 ルナの掌から太陽の如き炎塊が、途轍もない速度で解き放たれた。

 それはカソルラ陣営の中央――最強の魔獣部隊のもとに着弾し、天にも届かんという爆炎が巻き起こる。


「「「ゴ、ォ……ッ!?」」」


フレイム>の直撃を受けた1000体の魔獣は焼滅しょうめつし、魔道国の兵たちはその余波で散り散りに吹き飛ばされた。


 大気は焼け、草葉は蒸発し、地面は燃え朽ちる、生き物の存在を許さぬ焦熱地獄。


 天災の如き魔法を気軽に放ったプレートアーマーは、ゆっくりと大地に降り立ち、超越者の如く闊歩かっぽする。


「「「……っ」」」


 不気味なほどの静寂が降りる中、ゴドバ軍の斥候せっこうが呆然と戦況を告げる。


「し、シルバー様の放った最下位魔法フレイムにより、敵軍……『壊滅』、しました……っ」


 聖女ルナは、三百年前に『戦略兵器』と恐れられたその力を遺憾なく発揮していた。

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