第3話:同盟国


 クレバー・コ・レイトンが、聖王国への巨額投資を決断したその頃――ルナとゼルは長机一枚を挟んで椅子につき、お互いに難しい顔を突き合わせていた。


「クレバーさん、なんかとても納得した感じだったけど……どういうこと?」


「……申し訳ございません、情報が少な過ぎて判断いたしかねます。ただ、何やら『とんでもない勘違い』をして帰ったことだけは確実かと」


「そっか、そうだよね……」


「はい」


「……」


「……」


 二人の間になんとも言えない沈黙が降りる。


 今回の極秘会談、先方からの高評価を勝ち得たことは確実なのだが……。

 いったい何故そのような結果になったのか、そこに至る過程がまるでわからない。


 そのためルナとゼルの心には、名状し難い『消化不良の感』が残っていた。


「とりあえず、最初から順番に考えてみよう。まずさ、クレバーさんが聞いてきた『次の一手』って、『今この場で打つべき最善手』のことだよね?」


「えぇ、それは間違いないでしょう」


「今この場で打つべき最善手って、なんだろ?」


「そう、ですね……。我が国の現状をかんがみるに、やはり国力の充実が急務かと」


「というと?」


「人口を増やし、国土を開拓し、産業に厚みを持たせる。平たく言えば、聖王国を強く豊かな国にする、ということでございます」


 スペディオ領は『領地』として見れば、それなりの人口と面積を持つのだが……『国家』として見たとき、やはりその規模は心許ない。

 僻地へきちの集落であるために生産年齢人口が少なく、国土の大部分は未開拓地。

 そのうえ産業構造にも大きな偏りが見られる。

 主要産業はもちろん、農耕牧畜といった第一次産業。装備品や魔法具の生成に代表される第二次産業、観光やサービス業などの第三次産業は、ほとんど価値を生んでいない。


 僅かな人口・狭い領土・歪な産業構造――国家として見たとき、『ハリボテの感』が浮き彫りになる。


「人口・国土・産業かぁ……。うーん、どれも一筋縄じゃいかなさそう」


「仰る通り、国力を充実させるには、相応の手間と時間が必要です。これを速やかに成し遂げるため、今は『適切な同盟国』を探すのがよろしいかと」


「同盟国……仲間を作るってこと?」


 ルナの問い掛けに、ゼルはコクリと頷く。


「我らは国造りにおいて、完全に素人ですからね。どこかはんとなる国を見つけ、同盟を結ぶことができれば、『視察』や『首脳会談』という名目のもと、自然な形で国家運営の舵取りを学べます」


「なるほど……あっ、それならアルバス帝国はどうかな? あそこは四大国の中で、一番うちに好意的だったし!」


 ルナの脳裏によぎったのは、聖王国の建国宣言に対して、四大国がそれぞれの立場を表明した四点の新聞記事。

 エルギア王国・アルバス帝国・グランディーゼ神国・ユーン霊国――この中で、最も寛容な姿勢を見せたのが帝国だった。


 しかし、ゼルはゆっくりと首を横へ振る。


「確かに帝国は、申し分のない相手ですが……。向こうは数百年の歴史を持つ超大国。それに対してこちらは、建国して一か月にも満たない弱小国。さすがに釣り合いが取れておりません」


 基本的に同盟を結ぶ相手は、同格・対等でなければならない。

 帝国のような遥か格上に話を持っていったとて、嘲笑混じりに断られるだけ。

 さらに言えば、周辺諸国からの『厚顔無恥』というそしりを免れず、聖王国の顔に泥を塗ってしまう。


「むぅ、そっか……。でもそうなると、うちみたいな出来立てほやほやの国と、同盟を結んでくれるところなんてあるのかなぁ」


「一応、この周辺を精査スクリーニングした結果、条件に合う小国が二つ浮上しております」


「えっ、もう見つけてるの!?」


「はい。同盟国を作るという話は、遠からず聖女様に上申する予定でしたので」


 ゼルはそう言って、世界地図のとある一点を、アルバス帝国とユーン霊国の中間地点を指さす。

 そこはしくも、極秘会談中のルナが『SOSのサイン』として、指でトントンと机を叩いた場所だった。


「『武の国』ゴドバ武道国と『魔の国』カソルラ魔道国、同盟を結ぶのならば、この辺りが手頃かと」


「まったく聞き馴染みのない名前だけど……そんな国あったっけ?」


「両国の歴史は比較的浅く、三百年前には、どちらもまだ存在しておりません。聖女様がご存じないのも、無理からぬ話でしょう」


 ゼルは戸棚の引き出しから書類を取り出し、机上にスッと並べる。

 それは各国の特徴が纏められた、手書きの調査書だった。


「ゴドバ武道国とカソルラ魔道国は共に、聖王国から北西に位置する小国で、女王・女帝を頂点に据えたトップダウンの仕組みが整っております。人口と国土は少々心許こころもとないですが、それぞれ特色のある産業を持っています」


「ふむふむ……」


 ルナは説明を聞きながら、書類を読み込み――とある単語に目を止めた。


「ねぇゼル、ここに『戦国動乱』って書いてあるんだけど……?」


「はい。ゴドバ武道国とカソルラ魔道国の関係は極めて悪く、特にここ十年は最悪と呼べる水準が続き、各地で小競り合いが散発――戦国動乱期にあると言われております。実際に一か月前、両国は宣戦布告を発しており、三日後の正午にリンドリア平原で覇を競うとのことです」


「……この時代でも戦争なんだね」


「いつの世も争いは絶えません。ただまぁ一言に戦争と言っても、そこまで大規模なものではありませんよ? 聖女様と大魔王の戦いに比べれば、『幼子おさなごの水遊び』のようなものです」


 ゼルの脳裏に浮かぶのは、聖女と魔王による壮絶な殺し合い。

 天はき、地は割れ、最高位の魔法が雨やあられのように吹きすさぶ、文字通りの地獄。


 あの神話の如き戦いと比較すれば、小国同士の戦争など、『児戯にも劣る』と言えるだろう。


「そして――リンドリア平原における決戦が幕を引けば、戦勝国・敗戦国を問わずして、アルバス帝国に接収せっしゅうされます」


「えっ、どうしてそこで帝国が出て来るの?」


 ルナの当然の疑問に対し、ゼルは丁寧な解説を加える。


「両国は地理的に帝国の近くに位置しております。近隣で勃発する小国同士の戦争……帝国は舌なめずりをしながら、『漁夫の利』を狙っていることでしょう。少なくとも私が皇帝であったならば、そのように考えます」


「なるほど……。でもそれじゃ、武道国と魔道国の人達は報われないね」


「はい。この戦争には救いがありません。勝てば属国、負ければ破滅――とどのつまりは『勝者なき戦い』。全く以って虚しい限りです」


「その戦い、止められないのかな?」


「不可能とまでは言いませんが、あまり現実的ではないかと」


 ゼルは難しい表情で、くちばしの付け根をく。


「両国は元々『リンドリア道国どうこく』という一つの国でした。しかし、『とある事件』を契機にたもとわかち、国土を東西に二分する形でゴドバ武道国とカソルラ魔道国になったのです。一応、それぞれの国の民は和解・併合を望んでいると聞きますが……。王家の対立と怨恨は根深く、特に魔道国が強硬な態度を堅持しているため、戦争は避けられないでしょう」


「……そっか……」


 心根の優しいルナが口をつぐみ、静かに胸の内を痛めていると、ゼルがこの話の結びに入る。


「現状、両国に将来さきはない。そこで――我ら聖王国の出番です。滅びの運命に囚われた悲しき国々へ、救いの手を差し伸べましょう」


「どういうこと?」


「武道国か魔道国、戦勝国となった陣営に同盟を持ち掛けるのです。我らが後ろ盾となれば、帝国もそう易々と手を出せませんからね」


「そうなの?」


 ルナがコテンと小首を傾げると、ゼルは自信を持って頷いた。


「今、世界は測りかねている。聖王国の力を、聖王国との関係を、聖王国との距離感を。『未知』とはすなわち『恐怖』、四大国は我らを恐れているのです。その証拠に、彼らは新入りである聖王国へ武力行使をせず、それぞれの立場を表明するに留めました」


「……確かに……」


「そこで我ら聖王国は、聖女様というを貸し出し、その見返りとして知識や技術の提供を受ける。そうして同盟国とWin-Winの関係を築くのです!」


「お、おぉ……!」


「もちろんこの際、帝国サイドの反発は予想されますが……。『稀代きだいの名君』とされるアドリヌス・オド・アルバス、かの賢帝けんていならば、聖女様の力をきちんと理解し、聡明な判断を下すことでしょう。そしてその間、我ら聖王国陣営は力を蓄え、国家の地盤を強固に硬め――いずれは帝国と正式に手を結び、大国への足掛かりにせんと考えております」


「す……凄い、凄いよ、ゼル! 完璧な作戦だっ! それで行こう!」


 聖王国の頭脳たる参謀は、パチパチパチと惜しみない拍手を送り、


「身に余るお言葉、感謝いたします」


 副参謀は慇懃いんぎんに頭を下げた。


「さて、と……それじゃゼル、この作戦を遂行するためには、次に何をすればいい?」


「差し当たってはまず、武道国と魔道国へ足を運び、現地の様子を視察できればと思います。やはり本や新聞で学んだ『文字の情報』と、この眼でしかと見た『生の情報』は違いますからね。本格的な開戦となる前に、両国の特色を見ておくべきかと」


「オッケー、そうと決まれば、『善は急げ』だね!」


 ルナが手を伸ばすと同時、<異界の扉ゲート>が二つ出現した。


「もしかして、今から……ですか?」


「あれ、何か予定あった?」


「あー……いえ、行きましょう」


 本当はこの後、深夜遅くまで執務室に籠って、聖王国の都市計画を練る予定だったのだが……。


(ふっ、そんなものは全て後回しだな)


 三百年ぶりの感覚、久しく忘れていた『主に振り回される』という幸せ。

 当初の予定が崩れたのにもかかわらず、ゼルの心は不思議と充実感と多幸感で満ちていた。


「ゴドバ武道国とカソルラ魔道国、どっちから視察するべきかな?」


 ルナがプレートアーマーを着込みながらそう問い掛けると、ゼルは小さく頭を下げた。


「全ては聖女様の御意志のままに」


「うーん……それじゃ先にゴドバ武道国へ行こうかな」


「承知しました。ちなみに武道国をお選びになられた理由は……?」


「『ぶどうこく』って、なんかおいしそうじゃない? ほら、果物の葡萄ぶどうみたいだし」


「……素晴らしい着眼点でございます」


 相も変わらず頓珍漢とんちんかんなことをのたまう主人に対し、忠臣は生温かい目を向けるのだった。



異界の扉ゲート>をくぐり、ゴドバ武道国へ飛んだルナとゼルは、キョロキョロと周囲を見回す。


「ここがゴドバ武道国かぁ……。うん、なんか落ち着いていて、住みやすそうなところだね」


「はい、自然との調和が取れた雰囲気のいい国かと(『ゴドバ武道国は都市計画の成功した国』と本で読んでいたが……これは想像以上だ。緑地化のモデルケースとして、参考になるところが多いな)」


 目に付く建物は木造のものが多く、自然の温かさや柔らかさが感じられる。

 また市中のそこかしこには背の高い木々が並び立ち、太陽の暖かな光を浴びた小鳥が楽しそうにさえずり、国土の中央を走る大きな川は透き通るように美しい。

『人』と『自然』の天秤が上手く釣り合った、バランスのいい国だ。


「――あっ、見て見てゼル!」


「どうされました?」


「ほらあそこ、綺麗な花がいっぱい! 綺麗だねー!」


 ルナが指さす先では、赤・黄・青・白・紫、カラフルな花々が咲き誇っていた。


「おぉ、見事なものですね。ちなみにあそこはゴドバ国立自然公園、春先から夏にかけて色とりどりの花が咲く、武道国の観光スポットでございます」


「へぇー、そうなんだ。ゼルは物知りだね」


「ふふっ、そう言っていただけると幸甚こうじんです」


 まるで孫娘と祖父のようなほのぼのとした会話をしつつ、肩を並べて大通りを歩く二人。


 道の左右には料理店・雑貨屋・鍛冶屋などがのきつらね、 行き交う人々の顔は明るく、健全な活気に溢れていた。


「ねぇねぇ、視察って具体的に何をするの?」


「まずは都を――最も栄えているであろう王城周辺を散策しながら、武道国の特色をゆっくり見て回ろうかと思っております」


「なるほど、りょうか……むっ、おいしそうなにおい……」


 ルナは犬のように鼻を「くんくんっ」と鳴らし、芳ばしいかおりに足を取られ、


「ふむ、あれが武道国の重要施設である製錬工せいれんこうじょ……って、聖女様、どちらへ行かれるのですか!?」


 ゼルは大慌てで、主君の後を追う。


「くんくん、くんくん……においの元は、あのお店かな」


 無駄に鋭い聖女ノーズが導く先――人通りの少ない裏路地には露店があり、地元住民が行列を成していた。


「……『ゴドミート』?」


 初めて見る料理に小首を傾げると、ゼルがさらりと解説を加える。


「ゴドミートは武道国の伝統的な郷土料理です。燻製した牛肉・千切ちぎりレタス・タマネギのスライスを、パン生地に挟んだものになります」


「うわぁ、おいしそう! ゼル、せっかくの機会だし、一緒に食べようよ!」


「私は別に構いませんが……大丈夫なのでしょうか?」


「何が?」


「いえ、その『シルバーの状態』で、お食事は取れるのかと思いまして」


「……あ゛っ」


 ルナは現在、頭のてっぺんから爪の先まで、プレートアーマーに覆われている。

 ゴドミートを食べる際は当然、ヘルムを取る必要があるのだが……。

 聖女バレのリスクがあるため、まさかこんな市井しせいのど真ん中で、素顔を晒すわけにもいかない。


「……このままじゃ食べられない……」


「残念ですが、またの機会にしましょう」


「あぅ……」


 がっくりと肩を落とすルナに対し、ゼルが優しく声を掛ける。


「聖女様、元気を出してください。聖王国に戻ったら、私がゴドミートをお作りしますから」


「ほんと!?」


「えぇ、もちろんです」


「ぃやった! 300年ぶりのゼルの手料理、楽しみだなぁ……!」


 一瞬で機嫌を直したルナは、ゼルと共に視察を再開する。


 街並・農地・学校・商店・製錬工場などなど、遠巻きにサラッと見て回ったところで――ルナがクスリと微笑んだ。


「ふふっ、なんかこうして二人で歩いていると、最初の頃を思い出すね」


「奇遇ですね。私も同じことを思っておりました」


 三百年前、ルナが初めて『聖女パーティ』に迎え入れたのは他でもない、白烏しろからすの獣人ゼル・ゼゼドなのだ。


「ねぇ、覚えてる? 最初はゼル、とってもスレた感じでさぁ。一人称は『俺』だったし、けっこうなヤンチャさんで――」


「む、昔のことはいいじゃないですか……っ。それを言うならば、聖女様だって――」


 二人がかつてのおもばなしに花を咲かせていると、


「あ、あれはもしや……シルバー様にゼル様……!?」


「伝説の聖女パーティの御二方が、どうしてこの国に……!?」


「とにかく、すぐにレティシア様へ御報告を……!」


 街を巡回していた警備兵の目に留まり、あれよあれよという間に王城の最上へ通された。


 玉座の間に続く重厚な石扉、その前に立ったルナとゼルは、<交信コール>を介して密談を交わす。


(……軽い視察に来たはずが、どうしてこんなことに……)


(確かに想定外の出来事ですが、ポジティブに考えましょう。武道国は同盟候補の最右翼。その王とじかに話す場を持つことができるのは、『機会に恵まれた』と言ってよいかと)


(まぁ、そうかもしれないけどさ……。私、あんまり口が上手じゃないから、何か変なことを口走っちゃうかも……)


(御心配には及びません。私が後方からバックアップします。どうか大船に乗ったつもりで、どっしりと構えていてください)


 そうこうしている間に、案内役を務める衛兵が動き出し、重厚な扉を押し開けた。


 そこは広く整然とした石造りの部屋。

 最奥に据え付けられた、実用的な机と控えめな椅子。アーチ型の大きな窓からは陽光が差し込み、天井から吊り下げられた武道国の国旗を照らしている。

 黄金の玉座・真紅の絨毯・豪奢なシャンデリアなど、王の御所にふさわしい華美なものは、何一つとして存在しない。

『玉座の間』という割には、いささか以上に簡素であり、これではむしろ『執務室』と評した方が適切に思えた。


 そんな部屋の主――ゴドバ武道国の女王はゆっくりと立ち上がり、ルナたちのもとへ歩みを進め、その背後を従者が影のように付き従う。


「はじめまして、シルバー殿。私はゴドバ武道国宗主、レティシア・リンドリアと申します」


 レティシア・リンドリア、20歳。

 身長160センチ、細身の体型、オレンジ色のショートヘア。

 大きくて丸い琥珀の瞳・優しく柔らかい顔、太陽を思わせる美少女であり、白と黄色を基調としたワンピース型のドレスに身を包む。


「……同国宰相さいしょうラムザ・クランツェルトだ」


 ラムザ・クランツェルト、外見年齢は20代後半。

 身長185センチ。一見すると細く見える体には、鋼のような筋肉が備わっている。

 濃紺の長髪を朱の髪留めで括ったポニーテール・凛とした蒼い瞳・力と知性を兼ね備えた端正な顔、左腰に刀を提げており、青と黒を基調にした装束を纏う。


 先方からの自己紹介を受け、ルナとゼルがそれに応じる。


「お初にお目に掛かります、レティシア殿。私は聖王国唯一王代理、シルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハートです」


「同国防衛大臣ゼル・ゼゼドと申します」


 お互いに軽く挨拶を済ませ、友好の握手を交わそうとしたそのとき――ラムザがスッと間に割って入る。


「えっと……?」


 困惑するルナのもとへ、き身の刃を思わせる、鋭い眼光が突き付けられた。


「シルバーよ、貴様は何故なにゆえ顔を隠す? 何か後ろめたいことでもあるのか?」


「こ、こら、ラムザッ! シルバー殿になんて失礼なことを……! 大変申し訳ございません、後でこの者には厳しく言い付けて――」


 平謝りをするレティシアに対し、ラムザは小さく首を横へ振る。


「レティシア様、こんな不躾ぶしつけな連中に謝る必要などございません。こちらがわざわざ語らいの場を設け、礼を尽くしているのにもかかわらず、ヘルムも取らずに現れるとは……無礼千万にもほどがある。そもそもの話、聖女はどうした? 三百年の時を経て、この時代に転生したのであろう? 自らの国を建てておきながら、どうして表舞台に姿を現さない?」


「……聖女様は転生によって消耗した力を取り戻すため、安全な場所に身を潜めております」


 この回答はクレバーとの会談でも使用したものであり、聖女のことを問われた際は、基本的にこれで押し通すつもりだった。


「ふん、取って付けたかのような言い訳だな。先に言っておくが、私は聖女の転生を信じていない。もっと言うならばシルバー、貴様が聖女の代行者という話も眉唾まゆつばだと思っている。ゼル殿のように歴史書や肖像画に残っているのならばともかく……突如降って湧いた謎の鎧を、どうして信じることができようか」


 現実主義者のラムザが強い敵意を放つ中、ここまで静かに話を聞いていたゼルが、ルナの耳元へススッと身を寄せる。


「随分と不敬な輩ですね。どうでしょう、いっそのこと、武道国を滅ぼしては?」


「滅ぼしません」


 あまりにも忠誠心が高過ぎるゆえ、過激な結論に辿り着いたゼルを牽制しつつ、ルナはゴホンと咳払いをする。


「ラムザ殿とやら、そちらの言い分は承知した。そのうえで私の個人的な考えを述べさせてもらえるのならば、せっかく貴重な場を設けてもらったのだから、レティシア殿と軽く歓談でもと思っている。はてさて、どうすれば貴殿の信用を得られるだろうか?」


 すると――その言葉を待っていたとばかりに、ラムザはニィッと微笑む。


「シルバーよ、その重厚な鎧からして、貴様も武人なのだろう?」


「え? あー……まぁ、そうだな」


 武を志したことは一度もないのだが……。

 仰々しいプレートアーマーを着込んでいる今、武人であることを否定するのははばかられた。


「我が国では古くより、『手は口ほどにモノを語る』と言う。シルバー、私とこの場で試合しあえ! さすれば貴様がしんに足る男かどうか、全てつまびらかとなる!」


「……えぇー……」


 見るからに嫌な顔を浮かべるルナ――それを瞬時に察知したゼルが、一歩前に踏み出す。


「シルバーは聖女様の代行者であり、聖王国の実質的な指導者だ。もしものことがあっては、そちらとしてもコトだろう? この場は聖女パーティの一番槍である私が受け持とう」


「ゼル殿が……?」


「不服か?」


「……いいでしょう。王の素養は、側近の腕を見れば推し量れるというもの。ゼル殿の真価を以って、聖女とシルバーの評価に代えさせていただきます」


 そうしてあれよあれよという間に話は進み、ゼルとラムザによる摸擬戦が行われることになった。


「はぁ……ゼル、面倒事は御免だから、ほどほどに頼む。間違っても殺すんじゃないぞ?」


「はっ」


「もう……ラム、やり過ぎてはいけませんよ? それから後でお説教です」


「承知」


 主君の許しを得た二人は、五メートルの間合いを取り、静かに剣を引き抜く。


「「……」」


 鋭い視線がぶつかり合う中、両者の姿はかすみに消えた。


 次の瞬間、刃と刃が硬質な音を打ち鳴らし、紅い閃光が宙空ちゅうくうを彩る。

 一合いちごう・二合・三合、コンマ数秒の間に紡がれる、十重とえ二十重はたえもの剣閃の果て――ゼルとラムザがぴたりと静止し、互いの首元には鋭い刃が添えられていた。


 まったくの互角。

 両雄はその実力を遺憾なく発揮し、遠巻きに見守っていたルナとレティシアは目を丸くする。


「ほぅ、中々どうしてやるじゃないか(全然本気じゃないとはいえ、羽艶はねつやのいいゼルと斬り合えるなんて……このラムザって人、ちょっとできるかも)」


「す、凄い……っ(『流技りゅうぎ』を使っていないとはいえ、あのラムと互角に渡り合えるなんて……。さすがは大剣士ゼル様、実力は本物だ)」


 僅かな沈黙が流れる中、


「ふっ、驚いたぞ。軟弱な現代人の割に、中々どうしてやるじゃないか」


「そちらこそ。さすがは大戦士、見事な御手前でした」


 ゼルとラムザは剣を鞘に納め、互いの技量を称え合う。


「……ときにゼル殿、一つ聞かせていただきたい」


「なんだ?」


「貴殿とそこにいるシルバー、どちらがお強いのですか?」


 ゼルは一瞬呆けたように小口を開け、たまらず笑いを零した。


「……ぷっ、くく……っ」


「な、何が可笑おかしいのですか!」


「いや、これは失礼した。まさかそんなことを問われるとは、夢にも思っていなかったのでな」


 ラムザはシルバーの正体が聖女であることを知らない。

 それゆえにこの質問は、致し方ないことなのだが……。

 ゼル自身、まさか自分の如き矮小な存在が、あの聖女様と比較されるとは、夢にも思っていなかったのだ。


「先の問いに答えよう。はっきり言って、勝負にもならん。シルバーは、私の100倍強い」


 ゼルの回答を受けたラムザは、


「ほぅ……それは実に興味深いです、ねッ!」


 勢いよく剣を抜き放ち、恐るべき速度でルナのもとへ肉薄した。


「なっ、貴様!?」


「ラム、何を!?」


 ゼルとレティシアの制止を振り切り、


「シルバー、覚悟ッ!」


 ラムザは大上段に構えた剣を振り下ろす。


 眼前に白刃が迫る中――ルナはピクリとも動かない。


(ふんっ、ゼル殿はあのように言っていたが、所詮は面を隠した臆病者。我が剣に反応できないとは……失望したぞ、シルバー)


 ラムザの心に落胆の影が落ちた次の瞬間、視界一面を『死』が埋める。


「なっ……ぁ……ッ」


 彼の目と鼻の先には、いつの間にか武骨な手甲てっこうが存在し、一拍遅れて凄まじい突風が顔を打ち付けた。


「さて、これで満足ですか?」


 ルナは退屈そうに呟き、伸ばした右腕をゆっくりと戻す。


「……ぁ、あぁ……。どうやら、少しはできるらしいな」


 ラムザのポニーテールはほどけ、額から嫌な冷や汗が垂れ落ちる。


(……断言できる、私は絶対にまばたきをしていない……っ。渾身の斬撃を振り下ろした瞬間、シルバーの拳が目の前に……ッ)


 予感、否、確信があった。

 あのままシルバーが手を止めなければ、自分は間違いなく……。


(ぐ……っ)


 武器も持たぬ徒手としゅの輩に――己が相貌そうぼうさえ隠す臆病者に敗れた。


 その屈辱は耐え難く、生涯の恥とさえ思えた。


 ラムザが奥歯を噛み締め、拳を固く握り締めていると、慌ててレティシアが仲裁に入る。


「た、大変申し訳ございません……っ。シルバー殿に剣を剝く御無礼、全ては私の不徳の致すところ、なんとお詫びを申し上げたら――」


「――いえ、どうかお気になさらず。こんな些事で腹を立てるほど、狭量な男ではありませんから」


 ルナは右手を軽く前に突き出し、鷹揚おうように首を横へ振る。

 これは格好を付けているのでもなんでもなく、嘘偽りのない本心からの言葉だ。

 彼女にとって今の襲撃は、幼子が紙の剣で戯れて来た程度に過ぎず、殊更ことさらに騒ぎ立てるものではなかった。


 一方のレティシアは、ルナの懐の深さに――『王の器』に感服する。


「慈悲深き御心に感謝いたします。……しかし、さすがはシルバー殿ですね。『武道国最強の剣士』であるラムザを子ども扱いとは……正直、恐れ入りました」


「わ、私はまだ負けておりませぬ……ッ!」


 主君の前で虚勢を張るラムザに対し、ゼルは「やれやれ」と言った風に肩を竦める。


「今の勝負、果たしてどちらが勝者なのか。貴殿ほどの実力者であれば、きちんと理解しているはずだ」


「今のはただの試合に過ぎん! それに私はまだ『流技』という秘奥ひおうを残している! 本気を出しさえすれば、シルバーの拳速けんそくにもついていけたはずだッ!」


 もちろん本心では理解している。

 たとえ逆立ちをしたとしても、目の前のばけものに勝てないことを。

 だがしかし、武道国の宰相として、一人の男として、退けぬところがあった。


「ふぅ……もはや多くは語るまい。勝敗の是非は、貴殿の後ろ・・・・・刻まれて・・・・いるの・・・だからな・・・・


「後ろ……? なっ!?」


 ラムザはゆっくりと振り返り、驚愕に瞳を揺らす。


「なん、だ、これ・・は……ッ!?」


 彼の背後――王城の壁には、大きな風穴が開いていた。


 しかも、それだけじゃない。

 天に浮かぶ雲は地平線の彼方まで引き裂かれ、遥か後方の山は巨大な・・・拳の形に・・・・抉れていた・・・・・

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