第2話:極秘会談

 参謀さんぼう:軍事作戦・経営計画の策定など、国家運営の中枢にたずさわり、聖王国の頭脳となる役職。


(何故、よりにもよって参謀を……?)


 ゼルの頭に浮かび上がったのは、ただただ純粋な疑問。

 聖王国は現在建国のっただなかであり、外務大臣・財務大臣・法務大臣・環境大臣・経済産業大臣などなど……空位くういの役職は、それこそいくらでもある。


 しかし、幾多の選択肢の中から選ばれたのは――参謀。


 聖女様から最も遠く離れたものだ。


(……どう、する……っ)


 ゼルは深刻な表情で考え込む。


(昔からルナ様は、頭脳労働を苦手としておられる。言葉をはばからずにひょうするならば――ポンコツだ。彼女に参謀を任せれば、その先は文字通りの地獄。聖王国はまず間違いなく……崩壊する……っ)


 ルナの参謀就任は『破滅への序曲プレリュード』であり、なんとしても避けなくてはならない。


「あの……聖女様、参謀という役職は――」


「――参謀、かっこいいよね! なんというかほら『陰の支配者』、的な? 私、こう見えて頭が切れるところあるし、けっこう向いていると思うんだ!」


 驚異的なほどにまとを外した自己評価。

 自分が参謀向きだと本気で思っているルナは、屈託のない無邪気な笑顔を見せた。


(……偉大なる祖霊それいよ、私はいったいどうすれば……っ)


 ゼルは頭を抱えた。

 彼の『目的』は、この曇りなき笑顔を守ること。

 そのための『手段』が聖王国であり、新たな秩序の構築であり、聖女を中心とした世界の創造だ。


(考えろ、よく考えるのだ、ゼル・アリエス・ゼゼド……! 『目的』と『手段』を混同してはならぬ! 他でもない聖女様御自身が、参謀になりたいと仰っているのだ! 何を悩む必要があるッ!)


 彼は筋金入りの忠臣、主の希望は『絶対遵守』。

 ルナが参謀を希望しているのならば、あらゆる手段を駆使して、それを叶えるのが務め。


(しかし、あの・・聖女様を参謀にえたまま、国家繁栄の道はない。だが、彼女は心から参謀に就くことを望んでいる。……ぐっ、ぬ、ぉおおおおおおおお……ッ)


 悩みに悩み抜いたゼルは――断腸の思いで決断を下す。


「――参謀という役職……非常にお似合いかと」


「やっぱりそうだよね! それじゃ私、参謀に決定ー!」


 大輪の花のような笑顔が咲き、聖王国の破滅が決まった――かのように思われたそのとき、『逆転の一手』が炸裂する。


「ときに聖女様、一つお願いしたいことがございます」


「なに?」


「私を『副参謀』に置いていただけないでしょうか?」


 ルナを参謀として立てつつ、自分がそれをフルサポートする。

 こうすれば、彼女の望みを叶えながら、聖王国を正しい軌道に乗せられる。


 窮地のゼルがひらめいた、会心の妙案だ。


「でも……ゼルはもう防衛大臣だよ? 二つの職を兼任するのは、ちょっと大変じゃない?」


「お気遣いありがとうございます。しかし、ご安心ください。(聖女様の暴走を放置し、事後処理に奔走することに比べれば)この程度のことは、労苦ろうくにもなりません」


「そっか。それじゃゼルは、副参謀に決定!」


「ありがとうございます」


 こうしてロー・ステインクロウに続く、第二の苦労人が生まれたのだった。


 とにもかくにも、無事に役職決めが済んだところで、いよいよ『最後の議題』に入る。


「それからもう一つ、これが最も厄介な案件なのですが……」


「どうしたの?」


「『レイトン財閥』総帥そうすいクレバー・コ・レイトン殿から、コンタクトを受けました」


「レイトン財閥……(あれ、どこかで聞いた名前のような……?)」


 ルナがちょっとした引っ掛かりを覚えている間にも、ゼルは話を先に進めていく。


「レイトン財閥は、世界を股に掛ける超巨大企業群の名称。レイトン商社を中核事業としつつ、金融・人材派遣・資源開発・魔道具製造・魔石加工など、様々なビジネスを展開しています。クレバー殿は多種多様な企業を合併・買収していく、『コングロマリット型の多角経営』により、一代でこの世界的な財閥を成しました」


「『コンブとマグロ型の叩き経営』……? なんかよくわからないけど、凄い人なんだね」


「はい。彼は間違いなく、現代社会の顔役かおやくの一人です」


 はっきりとそう断言したゼルは、自分用のブラックコーヒーに口をつける。


「それで、そのクレバーさんがどうしたの?」


「彼は専属の秘書を連絡役としてこちらへ寄越し、聖王国との――シルバーとの『極秘会談』を希望しました」


「……なんで……?」


 ルナの頭上に大きな『?』が浮かぶ。


「先方の言うところによれば、『聖王国樹立のお祝いと今後の良好な関係を構築するため』とのことですが……。彼らの本当の目的は、十中八九『品定め』でしょう」


「品定め……」


「聖王国が四大国と競う強国になるのかどうかを見極め、その前途が有望であったのならば、先行投資を打って草創期そうそうきに縁を結ぼう。そういう腹積もりなのだと思います」


「な、なるほどぉ……」


 ルナはポンと手を打ち、感心しきった様子で頷く。


 実際、ゼルのこの推理は正しい。

 聖王国という突如出現した未開拓地ブルー・オーシャン、クレバーはここに大きな商機かのうせいを見い出していた。


えて言うまでもないことですが、国造りには膨大な資源が必要となります。現金・資材・人手――我が国には、何もかもが足りておりません……。そんな折に降って湧いたレイトン財閥との極秘会談、これを利用しない手はないかと!」


 ゼルの言葉に自然と熱が入る。


「ここで我が国の将来性を見せ付け、先方からの投資を引き出せれば、一気に明るい未来が開けます! 聖女様、此度こたびの極秘会談、是非前向きにお考えいただけないでしょうか?」


「うーん……。でも私、そういう難しそうな話は、あんまり得意じゃないからなぁ」


 参謀様のありがたい御言葉である。


「御心配には及びません。もしものときは、私がすぐにフォローいたします」


「ほんと?」


「はい。もちろん基本的な受け答えは、聖女様にお任せする形になりますが……。返答に困るような難しい問いが来たときは、このようにコンコンと人差し指で机を叩いてください。私が速やかに間へ入り、迅速なサポートをいたします」


「おぉ、それなら安心だね!」


 ルナが納得を見せたところで、話は次の段階に移る。


「では早速、極秘会談の日取りを決めたいと思います。まずは聖女様の御予定をお教え願えますか?」


「私は……そうだなぁ。学校が休みの日だったら、いつでも大丈夫だよ」


 ルナはそう言って、カレンダーをピッピッと指さし、休校日を伝えた。


「承知しました。それでは、<交信コール>の魔法で、日程調整をしてまいります」


「うん、お願い」


「お任せください。――<交信コール>」


 ゼルは目を閉じ、クレバー専属の秘書と連絡を取り始めた。


 その間、ルナはパタパタと足を振りながら、激甘コーヒーを飲みつつ、<交信>が終わるの待つ。


 およそ三分後、ゼルの目がパチリと開いた。


「ふぅ……」


「お疲れ様。どうだった?」


「クレバー殿は現在、アルバス帝国で商談を行っているらしく、『明日の午前10時からではどうか?』と提案を受けました」


「明日って、随分と急な話だね」


「それだけ我々との会談を重視している、ということでしょう。好意的に捉えてよろしいかと」


「なるほど……それじゃ、その時間で進めてもらえる?」


「承知しました」


 その後、ゼルは再び<交信コール>でクレバー陣営に連絡を取り、無事に極秘会談のセッティングが完了した。


「それにしても『超巨大財閥の総帥』とお話しかぁ……。いきなりビッグイベントが来たね」


「えぇ。なんとかこの好機を活かして、聖王国のいしずえを築きたいものです」


「……ところでさ、極秘会談ってどんなことを話すのかな?」


「まずは軽い世間話から始まり、空気が温まったところで、聖王国の展望や未来について語るのではないかと。――古くより、『備えあればうれいなし』と言われております。せっかくですし、当日の流れを想定した『模擬会談』を行いましょう」


「うん、お願い」


 そうしてルナとゼルは、極秘会談に向けた対策を練るのだった。



 迎えた翌日、時刻は午前九時三十分。


 アルバス帝国から聖王国に向けて、一台の古びた馬車が走っていた。

 黒い塗装とそうはまばらにげ落ち、車体には黒いさびが散見され、木製の車輪からは経年の劣化が漂う。どこに出しても恥ずかしくない、立派なボロ馬車だ。


 しかし、その内装は豪華絢爛ごうかけんらん


 座席には最高品質の布地とクッションが使用され、天井の凝った装飾のランタンからは温かな灯が揺れ、<盗聴妨害>・<追跡無効>・<魔力探知不可>など、強力な防御魔法が張り巡らされている。


 ボロボロの外装は隠れ蓑、野盗や商売敵しょうばいがたきの目をあざむき、無用なトラブルを避けるための迷彩だ。


 これ一台で大きな屋敷が買えるほどの特注馬車、その内部で揺られている男こそ、レイトン財閥が総帥クレバー・コ・レイトン、40歳。

 身長170センチ、標準的な体型。

 センター分けにされた金髪のミドルヘア・ライムグリーンの鋭い瞳・自信に満ちた顔立ち、上質な臙脂えんじのスーツに身を包む。


 シルバーに関する資料を手にした彼は、既に十数回と読み込んだそれをもう一度入念に吟味ぎんみする。  


此度こたびの商談の相手は、シルバー・グロリアス=エル・ブラッド・フォールンハート。聖女様の代行者であり、歴史に隠れた陰の英雄……。これまで私が交渉してきた中でも、間違いなく最強の相手であろう。一切の油断は許されない……)


 世界最高峰の頭を持つクレバーは、その卓越した『クレバーブレイン』を超高速で回し――会談当日の相手の出方や想定される質問など、あらゆる状況を想定し、それに対する最適解を用意する。


 既に百回以上とこなした脳内シミュレーション、その最終バージョンを済ませた彼は、カッと目を見開く。


(――準備は整った、万事問題ない!)


 準備はすべてに勝る。


 試験・商談・殺し合い、この世に存在するあらゆる本番は、『準備の結果』に過ぎない。

 完璧な準備を終えた者は、完璧な結果を手にする。

 逆に言えば、完璧な結果を手にした者は、完璧な準備を終えている。

 もしも失敗したのならば、それは自分の準備が足りていなかったということ。


 これが彼の人生観であり、入念な準備の積み重ねこそが、超巨大企業群レイトン財閥の成功の秘訣だ。


「……ふぅ……」


 全ての準備を完璧に済ませたクレバーは――シルバーネックレスのペンダント部分をパカリと開き、中に収められた『とあるブツ』に目を落とす。


(……かわいい……)


 彼の視線の先にあるのは、最愛の一人娘サール・コ・レイトン――サルコが穏やかに微笑む、小さな写真の切れ端だ。


(……かわいい……)


 心の中でまったく同じ感想を呟く。


 クレバーに語彙ごいがない――のではない。

 真にかわいいものを目にしたとき、人の心はかわいいで満たされる。そして彼にとってのそれは、最愛の一人娘だった。


 クレバーがだらしなくほほゆるませていると、前方から呆れの混じった声が飛ぶ。


「――クレバー様、また御息女のことをお考えになられているのですか?」


 対面の座席に座る秘書、フリーゼ・ハイネフォルン、20歳。


 身長170センチ、スラリとした細めの体型、透明度の高い茶色のロングヘア。

 大きな瞳と雪のように白い肌が特徴的な美少女で、正統派のメイド服に身を包む、クレバーの専属秘書。

 彼女は物心ついた頃から特殊な訓練を受けており、その戦闘力は非常に高く、単独で魔獣グレムリンの『変異種』を討伐したこともあるほどだ。


 フリーゼから鋭い指摘を受けたクレバーは、しかし、平常心を保ったまま肩を竦める。


「またサールのことを考えていたか、だと? ……ふんっ、あながち間違いではないな。イエスかノーかで言えば、イエスとなるだろう。何せアレは、本当に出来が悪いからな。またどこぞで失態を晒し、我がレイトン家の名誉に泥を塗っていないか、心配で心配でならぬわ」


 クレバーはそう言って、悪態をついてみせたが……。

 その雄弁なる早口こそ、彼が嘘をついている何よりの証拠だ。


「そうですか、これは失礼いたしました(はぁ、またそんな心にも思っていないことを……)」


 クレバーが娘を溺愛できあいしていることは、彼が重度の親馬鹿であることは、レイトン家に仕える使用人の常識。もっと正確に言えば、財界に生きる者の常識だ。


 何せサルコが生まれたときは、「私の娘だ!」と領内の家々に出向き。


 サルコが初めて魔法を使ったときは、「私の娘は天才だ!」と道行く人々に自慢して回り。


 サルコが聖女学院に合格したときは、「私の娘は聖女様だ!」と王都中に号外を配り歩いた。 


 クレバー・コ・レイトンは、どこに出しても恥ずかしい親馬鹿なのだが……。

 当の本人だけは、『娘に冷たい厳格な父を完璧に演じている』と思っていた。


(ふぅ、危ない危ない。私がサールを溺愛していることが、バレるところだった……。巨大財閥の総帥たる者、身内に対しては厳しい態度が求められる。私は『血も涙もない冷徹な経営者』であらねばならん!)


 クレバーがそんなことを考えていると、馬車がゆっくりと停車した。


「聖王国に到着したようです。どうぞ、足元にお気を付けください」


「うむ」


 フリーゼが扉を開け、クレバーが地面に降り立つ。


「……ここが聖王国、か……」


 パッと目に付くのは、見渡す限りの広大な緑。

 青々とした野菜畑が広がり、牛や馬が草葉くさはんでいる。

 さらにその周囲では、木の監視塔・新たな家屋・城の基礎など、建国に向けた基幹工事が行われていた。


(国というよりは街……いや、村と言った方が正確だな。『聖女勢力』がバックに付いたというのに、いささかゆったりとした発展速度に思えるが……。まぁ先の独立宣言から、まだ一か月と経っておらぬ。本格的な発展を遂げるのは、シルバー殿の手腕が見られるのは、ここからか)


 クレバーがそんなことを考えていると、前方から大柄な鳥の獣人がやってきた。


 それは歴史書に名を残す偉人であり、伝説の聖女パーティにおいて、『大戦士』として名を馳せた英雄だ。


「――ようこそ聖王国へ、私はゼル・ゼゼド。聖女様より、此度の会談の案内役を仰せつかりました」


「これはご丁寧にどうも。私はクレバー・コ・レイトン、しがない商人でございます」


 二人は柔らかい笑みを浮かべ、挨拶を交わす。


「いやしかし、まさかあの・・ゼル殿とこうしてじかにお会いできるとは……感激の至りでございます。ここだけの話、幼少の時分には、貴殿の英雄物語を読み漁ったものです」


「はっはっはっ。何をお読みになられたのかは存じませぬが、多分に尾ひれがついたものでしょう。いやはや、お恥ずかしい限りです」


 他愛もない話をしている間、クレバーは瞳の奥を光らせる。


(これが大剣士ゼル・ゼゼド、か。言葉遣いはもちろんのこと、立ち居振る舞いに気品を感じる。それに何より……恐ろしく強い。――フリーゼ、お前はどう見る?)


 クレバーとフリーゼは、<交信コール>で繋がった状態を維持しており、いつでも思念による会話ができる状態だ。


(率直に申し上げると……化物ですね。おそらく私が相手では、十秒と持たないでしょう)


(なっ、そこまでの男か!?)


(はい。ほとばしる魔力に溢れんばかりの覇気……。大剣士の二つ名に偽りなし、真実『英雄』と呼ぶにふさわしい御方かと)


(……なる、ほど……。聖女様・シルバー殿・ゼル殿、三百年前の怪物たちが作りし新たなる国――聖王国、俄然がぜん興味が湧いて来た)


 警戒を強めるクレバーとフリーゼに対し、穏やかな表情を浮かべたゼルは、自身の職責を果たさんとする。


「さっ、どうぞこちらへ。シルバーが首を長くして待っております」


 極秘会談の予定地であるログハウスへ移動し、コンコンコンと扉をノックすれば、「どうぞ」とルナの低い声が返ってきた。


「――失礼します」


 ゼルが扉を開き、客人二人を招き入れる。


 整理整頓の行き届いた清潔なリビング、その最奥にある大きな窓の側に、巨大なプレートアーマーが立っていた。


「……」


 ルナは無言のまま、窓の外に視線を向けている。


 武骨なヘルムに隠された瞳は、果たして何を見つめるのか……。


(……カラフルな鳥だなぁ……)


 この辺りでは見かけない珍しい鳥を観察し終えたルナは、ゆっくりと振り返り、クレバーのもとへ歩み寄る。


「ようこそ、聖王国へ。私は唯一王であられる聖女様の代理、シルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハートです」


「どうも初めまして、レイトン財閥総帥クレバー・コ・レイトンです」


 シルバーとクレバーは、がっしりと友好の握手を結ぶ。


「シルバー殿、此度はお招きいただき、ありがとうございます」


「こちらこそ、わざわざ足をお運びいただき、ありがとうございます」


 簡単な挨拶を交わし、なごやかな空気が醸成される。


(これが聖女の代行者、陰の英雄シルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハート、か。なんというか……覇気を感じないというか、リラックスしておられるというか……『普通』、だな)


(……強者特有の圧はおろか、なんの魔力も感じられない……。このプレートアーマー、本当に聖女の代行者なのでしょうか……?)


 クレバーとフリーゼが疑心をつのらせる中、


(クレバーさん、話しやすそうな人でよかったぁ)


 我らが聖女様は、ホッと胸を撫で下ろしていた。


「さぁ立ち話もなんですし、どうぞお掛けになってください」


「失礼します」


 ルナは上座に腰を下ろし、長机を挟み、クレバーは下座に着く。

 前者は聖王国の唯一王代理、後者は巨大財閥の総帥。両者の立場をかんがみれば、この形が最も適切だろう。


「さて、まずは会談の場作りから済ませましょうか。――ゼル」


「はっ。――<人払い>・<認識阻害>・<不可知領域>」


 情報漏洩対策が完了したところで、機先を制すかのように、クレバーが口を切る。


「シルバー殿、まずは聖女様が無事に御転生なされたとのこと、一王国民としておよろこび申し上げます」


「ありがとうございます」


「つかぬことをお伺いするのですが……唯一王であられる聖女様は今、何をしていらっしゃるのでしょうか?」


「……彼女は安全な場所に身を隠し、転生によって衰えた力を取り戻しておられます」


「なるほど、そうでしたか(シルバー殿の警戒が増した。聖女様については、あまり触れない方がよさそうだな)」


 そう判断したクレバーは、聖女関連の話題からすぐに手を引き、自然な形で今日の議題に移る。


「さて、お互いに忙しい身ですから、早速本題に入りましょうか」


 彼は咳払いをし、居住まいを正した。


「私は商人ゆえ、今日ここに馳せ参じたのはもちろん、『ビジネス』の話をするためです」


 ルナはコクリと頷き、話の続きを促す。


「聖女様・シルバー殿・ゼル殿――所謂いわゆる『聖女勢力』は先日、聖王国の樹立を宣言なされた。ほとんどゼロから国を建てるともなれば、いろいろとご入用いりようかと存じます」


「まぁ、そうですね」


 ルナは否定しなかった。

 現金・資材・人手、国造りには膨大な資源が必要となる、とゼルから聞いていたからだ。


「そこで――我がレイトン財閥は、貴国にきょうする資金を、投資の用意をさせていただきました。古くより『金は組織の血液』と言われる通り、潤沢な資金があればこそ、円滑な建国が為し得るものかと愚考します」


「ふむ……。その見返りとして、貴殿は何をお求めに?」


「聖王国内における、自由な商取引の許可をいただきたく」


「おや、それはまた随分と控えめな要求ですね」


「ははっ、何を仰いますか。聖王国という『|青い海《ブルー・オーシャン』へ、誰よりも早く飛び込める権利。それほど安い要求とは思っておりません」


 これはクレバーの嘘偽らざる本心だ。


 競合他社に先駆けて、聖王国での販売網を構築し――適切なタイミングで、聖女勢力と縁故えんこを結ぶ。

 初期投資の見返りとしては、十分以上に魅力的と言えるだろう。


「なるほど……ちなみに御用意いただける投資は、おいくらほどなのでしょうか?(クレバーさんは超が付くほどの大金持ち、きっと凄い額を用意しているはず……。1億、2億……いや、もしかしたら10億ゴルドとか?)」


「まだ具体的なお約束は致しかねますが、最低でも100億ゴルドは準備させていただく予定です」


「ひゃ、ひゃくおくぅ……!?」


 思わず頓狂とんきょうな声をあげるルナ、そんな主のもとへ、ゼルがすぐさま<交信コール>を飛ばす。


(聖女様、落ち着いてください! 声が裏返っておりますよ!)


(いやでも100億って……っ。今この人、100億って……!?)


(別におかしな話ではありません! 国造りともあれば、これぐらいは当然のことです!)


 慌てふためくルナのもとへ、クレバーとフリーゼのいぶかし気な視線が向けられる。


(焦りと動揺……100億という金に恐れをなしたか? いや、まさかな。聖女の代行者ともあろう者が、この程度の額に臆するはずがない。そうするとこれは……驚いた演技? しかし、なんのために?)


(大金を前にした小市民と同じ反応……やはりこの男は凡俗。シルバーの中身は……偽物? もしかして影武者?)


 不穏な空気を察したゼルは、慌てて話を纏めに掛かる。


(とにかく、100億に圧倒されたと知られれば、聖王国が安く見られてしまいます! ここはしっかりと平常心を保ち、器量きりょうをお見せください!)


(う、うん、わかった……!)


 忠臣の助言を受け、なんとか心を持ち直したルナ――それを確認したクレバーは、話の『核心』に迫る。


「ときにシルバー殿、聖王国へ投資を行う前に一つ、どうしても聞いておきたいことがございます」


「なんでしょう?」


「恐れながら、貴国を取り巻く現在の環境は、非常に厳しいものがあるかと思います。私独自の情報網によれば、四大国の上層部には、聖女様の転生を快く思っていない者も多いとか……。四方を敵に囲まれたこの状況で、『次の一手』をどうなさるおつもりなのか、『今後の展望』をお聞かせ願いたい」


 クレバーの鋭い鑑定眼が、武骨なヘルムを真っ直ぐに射貫いた。

 彼はこの質問を以って、シルバーの真価を見極めんとしているのだ。


「ふむ……次の一手、ですか」 


「はい。唯一王代理であられるシルバー殿のお考え、是非に伺いたく存じます。貴殿の描いた絵図えず如何いかんによっては、投資額のさらなる引き上げもあるかと」


「……」


「……」


 一秒にも満たない刹那の沈黙。


(……次の一手……)


 聖王国参謀さんぼうルナ・スペディオは、自慢の聖女ブレインをフル回転させ――。


(――うん、無理)


 すぐに白旗をあげた。

 次の一手なんて、特に何も考えていない。


(クレバーさんは超が付くほどの大金持ちで、とても凄い力を持つ大商人……。下手な答えを返したら、とんでもないことになっちゃう)


 失言を零す前に思考を放棄した彼女は、


「……はぁ……」


 浅く短い小さなため息を零し、人差し指でトントンと机を叩く。


 ゼルとの間であらかじめ定めておいた『ヘルプの合図』だ。


(これは、聖女様のSOS……!)


 救難信号を受け取った忠臣が、すぐにフォローへ入ろうとしたそのとき――。


「……ッ」


 クレバーが突然、ガタガタッと椅子から立ち上がった。


「クレバー殿……?」


「どうかされましたか?」


 ルナとゼルが声を掛けるも、クレバーは返事をしない。

 彼の顔は真剣そのものであり、鋭いライムグリーンの瞳は、ルナの人差し指の下――武骨な手甲が指し示す、世界地図の『とある一点』に釘付けとなっていた。


(……あ、あそこ・・・は……っ)


 クレバーの――聖女脳おもちゃとは比較にならない、正真正銘『世界最高峰の頭脳』が高速回転を始める。


(シルバー殿が指し示した場所は、ゴドバ武道国とカソルラ魔道国。あの地は今『戦国動乱』の只中ただなか、もう間もなく開戦すると聞く……。果たしてこれは偶然、か? ――いや、違う! 此度の極秘会談、その全てを思い出せ!)


 顔前に右の掌をてがい、その思考を深めていく。


(聖女勢力がくみしているのにもかかわらず、何故かゆったりとした発展を遂げる聖王国。シルバー殿がかもし出す、覇気のないリラックスした空気。100億を提示した際に見せた、わざとらしく驚いた演技……)


 記憶を辿っていけば、いくつもの不審な点が浮かび上がる。


(そして極め付きは、私がこの部屋に入ったとき、彼が眺めていた方角は――北西! その視線の先にあるのは、武道国と魔道国! ……もはや間違いない。ここに来たときから|募《つの)っていた違和感、バラバラだった点と点が、一本の線となって繋がった……っ)


 実時間じつじかんにしてわずか3秒。

 世界最高峰の頭脳は、とんでもない結論こたえに行きついた。


「……なる、ほど、そういうこと・・・・・・ですか……」


「えぇ、そういうこと・・・・・・です」


 クレバーの含みのある問いに釣られて、ルナは意味ありげにコクリと頷いた。


 当然ながら、彼女は何も理解していない。

 なんとなくいい感じの質問パスが来たので、反射的に頷いただけだ。


「ふぅ……どうやら私は、あなたという男を見くびっていたようだ。『次の一手の結果』を確認した後、投資額の大幅な引き上げをいたします」


「それはありがたい」


 クレバーはシルバーのことを、聖女勢力が建てる聖王国のことを極めて高く評価し、さらなる巨額投資の約束をした。

 交渉の過程はともかくとして……結果を見れば、極秘会談は大成功と言えるだろう。


「――シルバー殿・ゼル殿、此度は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」


「いえいえ、こちらこそ」


「おかげさまで、みのりある会談となりました」


 結びの挨拶が紡がれ、極秘会談は終了となる。


「さて、と……私は次の商談が控えておりますので、これにて失礼いたしします」


 クレバーはそう言ってお辞儀をすると、足早にログハウスから出ていくのだった。



 特注のボロ馬車に乗り込んだクレバーは、ハンドサインで指示を出し、それを受けた御者が静かに馬を走らせる。

 ガラガラガラガラと車輪の廻る音が虚しく響き、『敗軍の将』を乗せた馬車は、レイトン家の屋敷に向かってひた走る。


「……」


「……」


 クレバーは押し黙り、フリーゼも口をつぐむ。


 重苦しい空気が支配する中、客室の壁が殴り付けられた。


「くそっ、なんという失態だ……っ」


「く、クレバー様……」


 フリーゼはどう声を掛けていいのか、わからなかった。


 それもそのはず、クレバー・コ・レイトンは、商人のいくさ――商談においては天下無敵。

 人類最高峰の頭脳と万全の準備によって、海千山千うみせんやません商売敵しょうばいがたきを薙ぎ払い、世界に名立たる巨大財閥を打ち立てた、当代随一とうだいずいいちの経営者。

 自信と勝気かちきに満ちた主人が、これほどまでに憔悴した姿を見せるとは……夢にも思っていなかったのだ。


 沈痛な空気が漂う中、人生初の敗北を喫したクレバーは、言葉少なに次の指示を出す。


「……フリーゼ、金の準備を頼む」


「承知しました。聖王国への投資として、100億ゴルドを調達しま――」


「――違う」


「え?」


「最低でも『1兆ゴルド』、すぐに貸し出せるよう、手配しておいてくれ」


「い、1兆ゴルド!? どういうことですか!?」


 予定していた額の100倍。

 1兆ゴルドという金は、レイトン財閥を以ってしても、決して小さいものではない。


「勘違いするな。その額は『最低ライン』だ。シルバー殿がそれ以上を望むのであれば、私はいくらでも貸し出すつもりだ」


「しょ、正気ですか!?」


「まだ耄碌もうろくする歳ではない」


「……恐れながら、私の目にはあの男が、『凡俗』にしか映りませんでした。そこまでの大金を投じる価値があるようには、とてもとても……」


 難色を示す秘書に対し、クレバーはコクリと頷く。


「お前の言わんとするところはわかる。確かにシルバー殿は、どこからどう見ても凡俗、平凡な男にしか見えなかった」


「であれば何故――」


「――しかしそれは、彼の作り出した虚像きょぞう、偽りの姿なのだ」


「偽りの、姿……!?」


 フリーゼの瞳が驚愕に揺れる。


「あぁ、私も危うく騙されるところだった……。よくよく考えてもみろ。相手は三百年前の『陰の英雄』だぞ? それが凡俗であるはずがない。そう見えていること自体が異常、彼の術中にはまっている何よりの証拠だ」


「た、確かに……っ」


 そう言われて初めて気付いた。

 三百年前の偉人と相対あいたいしながら、自分がまるで緊張していなかったことに。


「まったく恐ろしい男だよ。凡俗の皮を被って油断を誘い、こちらの真価を見極める。品定めをするつもりで来たのだが、値踏みされていたのは、こちらの方だった……」


「つまりシルバー様は、相当な知者ちしゃということですね」


「あぁ。先ほどから、私の特異天恵ユニークギフトうずいて仕方がない……。シルバー殿は最低でも、私やアドリヌスと同等――否、それ以上の智謀ちぼうの持ち主だ……っ」


「い、いくらなんでも過大評価では……?」


「いいや、現実的な評価だ。何せシルバー殿は、あの短い時間で『次の一手』と『今後の展望』を示したのだからな。しかも、たったの一言も発さずに、な……」


 クレバーは深刻な表情で、静かに目を細めた。


「私にはわかる。彼は既に計画を立て終えた。今は静かに息を潜め、『その時』を待っているのだ。そう遠くない未来、おそらくは一か月もせぬ内に武道国か魔道国――次の戦を制した国と同盟を結び、世界進出の足掛かりとするだろう」


 聖王国が次に取るであろう動きを、この盤面における最善手を正確に述べたクレバーは、両手で頭を抱え込む。


あの質問・・・・は……我が生涯における最大の汚点だ……っ。シルバー殿の不思議な空気感に呑まれ、彼のことを侮ってしまった。『次の一手』だと? モノの道理を知らぬ幼子おさなごでもあるまいし、なんとくだらぬ愚問をしたものか……っ。今のこの盤面を見れば、次にどう動くべきかなぞ、えて聞くまでもないだろうに……ッ」


 思い出されるのはあの瞬間、


【四方を敵に囲まれたこの状況で、『次の一手』をどうなさるおつもりなのか、『今後の展望』をお聞かせ願いたい】


 直後に流れた刹那の沈黙、


【……】


【……】


 それに続く、失望のため息。


【……はぁ……】


 そして――どこか困った様子のシルバーは、出来の悪い生徒を教え導くかのように、世界地図の一点をコンコンと指し示した。


「あのとき……シルバー殿は心の底から呆れていた。彼の虚像を見抜くことができず、あまつさえ愚問を発した私の評価は……地に落ちた……っ」


 恥辱・屈辱・汚辱おじょく、幾多のはずかしめよりも先んじた感情は――焦燥感。


「とにかく、このままではマズい……っ。失った信頼を取り戻し、名誉を挽回せねばならん! そのためには――シルバー殿が近日中に持ち帰るであろう『大きな戦果』に対し、それを上回る『巨額の投資』で報いるのだッ!」


「はっ、御指示をお願いします」


「まずは1兆ゴルドの資金を速やかに準備せよ! その後はレイトン財閥の主要事業を、聖王国へ逐次ちくじ展開していく! 第一陣は中核となる商社、さらに金融・人材派遣・資源開発と続け! 万全の準備を以って、我らが価値を示し、シルバー殿の――聖女勢力の信頼を勝ち取るのだ!」


「承知しました!」


 フリーゼはすぐさま<交信コール>を発動し、関係各所へ連絡を取り始めた。


 一方のクレバーは、座席に深く腰掛けたまま、静かに窓の外を見つめる。


未来さきのない王国を切り捨て、帝国か神国への鞍替くらがえを考えていたが……白紙に戻さねばならんな。今日、確信した。次代じだいの覇者となるのは間違いなく――聖王国だ!)


 彼の深淵なる瞳は、どこぞのポンコツ聖女とは違い、『世界の覇権』を真に見据えていた。

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