第2話:極秘会談
(何故、よりにもよって参謀を……?)
ゼルの頭に浮かび上がったのは、ただただ純粋な疑問。
聖王国は現在建国の
しかし、幾多の選択肢の中から選ばれたのは――参謀。
聖女様から最も遠く離れたものだ。
(……どう、する……っ)
ゼルは深刻な表情で考え込む。
(昔からルナ様は、頭脳労働を苦手としておられる。言葉を
ルナの参謀就任は『破滅への
「あの……聖女様、参謀という役職は――」
「――参謀、かっこいいよね! なんというかほら『陰の支配者』、的な? 私、こう見えて頭が切れるところあるし、けっこう向いていると思うんだ!」
驚異的なほどに
自分が参謀向きだと本気で思っているルナは、屈託のない無邪気な笑顔を見せた。
(……偉大なる
ゼルは頭を抱えた。
彼の『目的』は、この曇りなき笑顔を守ること。
そのための『手段』が聖王国であり、新たな秩序の構築であり、聖女を中心とした世界の創造だ。
(考えろ、よく考えるのだ、ゼル・アリエス・ゼゼド……! 『目的』と『手段』を混同してはならぬ! 他でもない聖女様御自身が、参謀になりたいと仰っているのだ! 何を悩む必要があるッ!)
彼は筋金入りの忠臣、主の希望は『絶対遵守』。
ルナが参謀を希望しているのならば、あらゆる手段を駆使して、それを叶えるのが務め。
(しかし、
悩みに悩み抜いたゼルは――断腸の思いで決断を下す。
「――参謀という役職……非常にお似合いかと」
「やっぱりそうだよね! それじゃ私、参謀に決定ー!」
大輪の花のような笑顔が咲き、聖王国の破滅が決まった――かのように思われたそのとき、『逆転の一手』が炸裂する。
「ときに聖女様、一つお願いしたいことがございます」
「なに?」
「私を『副参謀』に置いていただけないでしょうか?」
ルナを参謀として立てつつ、自分がそれをフルサポートする。
こうすれば、彼女の望みを叶えながら、聖王国を正しい軌道に乗せられる。
窮地のゼルが
「でも……ゼルはもう防衛大臣だよ? 二つの職を兼任するのは、ちょっと大変じゃない?」
「お気遣いありがとうございます。しかし、ご安心ください。(聖女様の暴走を放置し、事後処理に奔走することに比べれば)この程度のことは、
「そっか。それじゃゼルは、副参謀に決定!」
「ありがとうございます」
こうしてロー・ステインクロウに続く、第二の苦労人が生まれたのだった。
とにもかくにも、無事に役職決めが済んだところで、いよいよ『最後の議題』に入る。
「それからもう一つ、これが最も厄介な案件なのですが……」
「どうしたの?」
「『レイトン財閥』
「レイトン財閥……(あれ、どこかで聞いた名前のような……?)」
ルナがちょっとした引っ掛かりを覚えている間にも、ゼルは話を先に進めていく。
「レイトン財閥は、世界を股に掛ける超巨大企業群の名称。レイトン商社を中核事業としつつ、金融・人材派遣・資源開発・魔道具製造・魔石加工など、様々なビジネスを展開しています。クレバー殿は多種多様な企業を合併・買収していく、『コングロマリット型の多角経営』により、一代でこの世界的な財閥を成しました」
「『コンブとマグロ型の叩き経営』……? なんかよくわからないけど、凄い人なんだね」
「はい。彼は間違いなく、現代社会の
はっきりとそう断言したゼルは、自分用のブラックコーヒーに口をつける。
「それで、そのクレバーさんがどうしたの?」
「彼は専属の秘書を連絡役としてこちらへ寄越し、聖王国との――シルバーとの『極秘会談』を希望しました」
「……なんで……?」
ルナの頭上に大きな『?』が浮かぶ。
「先方の言うところによれば、『聖王国樹立のお祝いと今後の良好な関係を構築するため』とのことですが……。彼らの本当の目的は、十中八九『品定め』でしょう」
「品定め……」
「聖王国が四大国と競う強国になるのかどうかを見極め、その前途が有望であったのならば、先行投資を打って
「な、なるほどぉ……」
ルナはポンと手を打ち、感心しきった様子で頷く。
実際、ゼルのこの推理は正しい。
聖王国という突如出現した
「
ゼルの言葉に自然と熱が入る。
「ここで我が国の将来性を見せ付け、先方からの投資を引き出せれば、一気に明るい未来が開けます! 聖女様、
「うーん……。でも私、そういう難しそうな話は、あんまり得意じゃないからなぁ」
参謀様のありがたい御言葉である。
「御心配には及びません。もしものときは、私がすぐにフォローいたします」
「ほんと?」
「はい。もちろん基本的な受け答えは、聖女様にお任せする形になりますが……。返答に困るような難しい問いが来たときは、このようにコンコンと人差し指で机を叩いてください。私が速やかに間へ入り、迅速なサポートをいたします」
「おぉ、それなら安心だね!」
ルナが納得を見せたところで、話は次の段階に移る。
「では早速、極秘会談の日取りを決めたいと思います。まずは聖女様の御予定をお教え願えますか?」
「私は……そうだなぁ。学校が休みの日だったら、いつでも大丈夫だよ」
ルナはそう言って、カレンダーをピッピッと指さし、休校日を伝えた。
「承知しました。それでは、<
「うん、お願い」
「お任せください。――<
ゼルは目を閉じ、クレバー専属の秘書と連絡を取り始めた。
その間、ルナはパタパタと足を振りながら、激甘コーヒーを飲みつつ、<交信>が終わるの待つ。
およそ三分後、ゼルの目がパチリと開いた。
「ふぅ……」
「お疲れ様。どうだった?」
「クレバー殿は現在、アルバス帝国で商談を行っているらしく、『明日の午前10時からではどうか?』と提案を受けました」
「明日って、随分と急な話だね」
「それだけ我々との会談を重視している、ということでしょう。好意的に捉えてよろしいかと」
「なるほど……それじゃ、その時間で進めてもらえる?」
「承知しました」
その後、ゼルは再び<
「それにしても『超巨大財閥の総帥』とお話しかぁ……。いきなりビッグイベントが来たね」
「えぇ。なんとかこの好機を活かして、聖王国の
「……ところでさ、極秘会談ってどんなことを話すのかな?」
「まずは軽い世間話から始まり、空気が温まったところで、聖王国の展望や未来について語るのではないかと。――古くより、『備えあれば
「うん、お願い」
そうしてルナとゼルは、極秘会談に向けた対策を練るのだった。
■
迎えた翌日、時刻は午前九時三十分。
アルバス帝国から聖王国に向けて、一台の古びた馬車が走っていた。
黒い
しかし、その内装は
座席には最高品質の布地とクッションが使用され、天井の凝った装飾のランタンからは温かな灯が揺れ、<盗聴妨害>・<追跡無効>・<魔力探知不可>など、強力な防御魔法が張り巡らされている。
ボロボロの外装は隠れ蓑、野盗や
これ一台で大きな屋敷が買えるほどの特注馬車、その内部で揺られている男こそ、レイトン財閥が総帥クレバー・コ・レイトン、40歳。
身長170センチ、標準的な体型。
センター分けにされた金髪のミドルヘア・ライムグリーンの鋭い瞳・自信に満ちた顔立ち、上質な
シルバーに関する資料を手にした彼は、既に十数回と読み込んだそれをもう一度入念に
(
世界最高峰の頭を持つクレバーは、その卓越した『クレバー
既に百回以上とこなした脳内シミュレーション、その最終バージョンを済ませた彼は、カッと目を見開く。
(――準備は整った、万事問題ない!)
準備は
試験・商談・殺し合い、この世に存在するあらゆる本番は、『準備の結果』に過ぎない。
完璧な準備を終えた者は、完璧な結果を手にする。
逆に言えば、完璧な結果を手にした者は、完璧な準備を終えている。
もしも失敗したのならば、それは自分の準備が足りていなかったということ。
これが彼の人生観であり、入念な準備の積み重ねこそが、超巨大企業群レイトン財閥の成功の秘訣だ。
「……ふぅ……」
全ての準備を完璧に済ませたクレバーは――シルバーネックレスのペンダント部分をパカリと開き、中に収められた『とあるブツ』に目を落とす。
(……かわいい……)
彼の視線の先にあるのは、最愛の一人娘サール・コ・レイトン――サルコが穏やかに微笑む、小さな写真の切れ端だ。
(……かわいい……)
心の中でまったく同じ感想を呟く。
クレバーに
真にかわいいものを目にしたとき、人の心はかわいいで満たされる。そして彼にとってのそれは、最愛の一人娘だった。
クレバーがだらしなく
「――クレバー様、また御息女のことをお考えになられているのですか?」
対面の座席に座る秘書、フリーゼ・ハイネフォルン、20歳。
身長170センチ、スラリとした細めの体型、透明度の高い茶色のロングヘア。
大きな瞳と雪のように白い肌が特徴的な美少女で、正統派のメイド服に身を包む、クレバーの専属秘書。
彼女は物心ついた頃から特殊な訓練を受けており、その戦闘力は非常に高く、単独で魔獣グレムリンの『変異種』を討伐したこともあるほどだ。
フリーゼから鋭い指摘を受けたクレバーは、しかし、平常心を保ったまま肩を竦める。
「またサールのことを考えていたか、だと? ……ふんっ、あながち間違いではないな。イエスかノーかで言えば、イエスとなるだろう。何せアレは、本当に出来が悪いからな。またどこぞで失態を晒し、我がレイトン家の名誉に泥を塗っていないか、心配で心配でならぬわ」
クレバーはそう言って、悪態をついてみせたが……。
その雄弁なる早口こそ、彼が嘘をついている何よりの証拠だ。
「そうですか、これは失礼いたしました(はぁ、またそんな心にも思っていないことを……)」
クレバーが娘を
何せサルコが生まれたときは、「私の娘だ!」と領内の家々に出向き。
サルコが初めて魔法を使ったときは、「私の娘は天才だ!」と道行く人々に自慢して回り。
サルコが聖女学院に合格したときは、「私の娘は聖女様だ!」と王都中に号外を配り歩いた。
クレバー・コ・レイトンは、どこに出しても恥ずかしい親馬鹿なのだが……。
当の本人だけは、『娘に冷たい厳格な父を完璧に演じている』と思っていた。
(ふぅ、危ない危ない。私がサールを溺愛していることが、バレるところだった……。巨大財閥の総帥たる者、身内に対しては厳しい態度が求められる。私は『血も涙もない冷徹な経営者』であらねばならん!)
クレバーがそんなことを考えていると、馬車がゆっくりと停車した。
「聖王国に到着したようです。どうぞ、足元にお気を付けください」
「うむ」
フリーゼが扉を開け、クレバーが地面に降り立つ。
「……ここが聖王国、か……」
パッと目に付くのは、見渡す限りの広大な緑。
青々とした野菜畑が広がり、牛や馬が
さらにその周囲では、木の監視塔・新たな家屋・城の基礎など、建国に向けた基幹工事が行われていた。
(国というよりは街……いや、村と言った方が正確だな。『聖女勢力』がバックに付いたというのに、
クレバーがそんなことを考えていると、前方から大柄な鳥の獣人がやってきた。
それは歴史書に名を残す偉人であり、伝説の聖女パーティにおいて、『大戦士』として名を馳せた英雄だ。
「――ようこそ聖王国へ、私はゼル・ゼゼド。聖女様より、此度の会談の案内役を仰せつかりました」
「これはご丁寧にどうも。私はクレバー・コ・レイトン、しがない商人でございます」
二人は柔らかい笑みを浮かべ、挨拶を交わす。
「いやしかし、まさか
「はっはっはっ。何をお読みになられたのかは存じませぬが、多分に尾ひれがついたものでしょう。いやはや、お恥ずかしい限りです」
他愛もない話をしている間、クレバーは瞳の奥を光らせる。
(これが大剣士ゼル・ゼゼド、か。言葉遣いはもちろんのこと、立ち居振る舞いに気品を感じる。それに何より……恐ろしく強い。――フリーゼ、お前はどう見る?)
クレバーとフリーゼは、<
(率直に申し上げると……化物ですね。おそらく私が相手では、十秒と持たないでしょう)
(なっ、そこまでの男か!?)
(はい。
(……なる、ほど……。聖女様・シルバー殿・ゼル殿、三百年前の怪物たちが作りし新たなる国――聖王国、
警戒を強めるクレバーとフリーゼに対し、穏やかな表情を浮かべたゼルは、自身の職責を果たさんとする。
「さっ、どうぞこちらへ。シルバーが首を長くして待っております」
極秘会談の予定地であるログハウスへ移動し、コンコンコンと扉をノックすれば、「どうぞ」とルナの低い声が返ってきた。
「――失礼します」
ゼルが扉を開き、客人二人を招き入れる。
整理整頓の行き届いた清潔なリビング、その最奥にある大きな窓の側に、巨大なプレートアーマーが立っていた。
「……」
ルナは無言のまま、窓の外に視線を向けている。
武骨なヘルムに隠された瞳は、果たして何を見つめるのか……。
(……カラフルな鳥だなぁ……)
この辺りでは見かけない珍しい鳥を観察し終えたルナは、ゆっくりと振り返り、クレバーのもとへ歩み寄る。
「ようこそ、聖王国へ。私は唯一王であられる聖女様の代理、シルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハートです」
「どうも初めまして、レイトン財閥総帥クレバー・コ・レイトンです」
シルバーとクレバーは、がっしりと友好の握手を結ぶ。
「シルバー殿、此度はお招きいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、わざわざ足をお運びいただき、ありがとうございます」
簡単な挨拶を交わし、
(これが聖女の代行者、陰の英雄シルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハート、か。なんというか……覇気を感じないというか、リラックスしておられるというか……『普通』、だな)
(……強者特有の圧はおろか、なんの魔力も感じられない……。このプレートアーマー、本当に聖女の代行者なのでしょうか……?)
クレバーとフリーゼが疑心を
(クレバーさん、話しやすそうな人でよかったぁ)
我らが聖女様は、ホッと胸を撫で下ろしていた。
「さぁ立ち話もなんですし、どうぞお掛けになってください」
「失礼します」
ルナは上座に腰を下ろし、長机を挟み、クレバーは下座に着く。
前者は聖王国の唯一王代理、後者は巨大財閥の総帥。両者の立場を
「さて、まずは会談の場作りから済ませましょうか。――ゼル」
「はっ。――<人払い>・<認識阻害>・<不可知領域>」
情報漏洩対策が完了したところで、機先を制すかのように、クレバーが口を切る。
「シルバー殿、まずは聖女様が無事に御転生なされたとのこと、一王国民としてお
「ありがとうございます」
「つかぬことをお伺いするのですが……唯一王であられる聖女様は今、何をしていらっしゃるのでしょうか?」
「……彼女は安全な場所に身を隠し、転生によって衰えた力を取り戻しておられます」
「なるほど、そうでしたか(シルバー殿の警戒が増した。聖女様については、あまり触れない方がよさそうだな)」
そう判断したクレバーは、聖女関連の話題からすぐに手を引き、自然な形で今日の議題に移る。
「さて、お互いに忙しい身ですから、早速本題に入りましょうか」
彼は咳払いをし、居住まいを正した。
「私は商人ゆえ、今日ここに馳せ参じたのはもちろん、『ビジネス』の話をするためです」
ルナはコクリと頷き、話の続きを促す。
「聖女様・シルバー殿・ゼル殿――
「まぁ、そうですね」
ルナは否定しなかった。
現金・資材・人手、国造りには膨大な資源が必要となる、とゼルから聞いていたからだ。
「そこで――我がレイトン財閥は、貴国に
「ふむ……。その見返りとして、貴殿は何をお求めに?」
「聖王国内における、自由な商取引の許可をいただきたく」
「おや、それはまた随分と控えめな要求ですね」
「ははっ、何を仰いますか。聖王国という『|青い海《ブルー・オーシャン』へ、誰よりも早く飛び込める権利。それほど安い要求とは思っておりません」
これはクレバーの嘘偽らざる本心だ。
競合他社に先駆けて、聖王国での販売網を構築し――適切なタイミングで、聖女勢力と
初期投資の見返りとしては、十分以上に魅力的と言えるだろう。
「なるほど……ちなみに御用意いただける投資は、おいくらほどなのでしょうか?(クレバーさんは超が付くほどの大金持ち、きっと凄い額を用意しているはず……。1億、2億……いや、もしかしたら10億ゴルドとか?)」
「まだ具体的なお約束は致しかねますが、最低でも100億ゴルドは準備させていただく予定です」
「ひゃ、ひゃくおくぅ……!?」
思わず
(聖女様、落ち着いてください! 声が裏返っておりますよ!)
(いやでも100億って……っ。今この人、100億って……!?)
(別におかしな話ではありません! 国造りともあれば、これぐらいは当然のことです!)
慌てふためくルナのもとへ、クレバーとフリーゼの
(焦りと動揺……100億という金に恐れをなしたか? いや、まさかな。聖女の代行者ともあろう者が、この程度の額に臆するはずがない。そうするとこれは……驚いた演技? しかし、なんのために?)
(大金を前にした小市民と同じ反応……やはりこの男は凡俗。シルバーの中身は……偽物? もしかして影武者?)
不穏な空気を察したゼルは、慌てて話を纏めに掛かる。
(とにかく、100億に圧倒されたと知られれば、聖王国が安く見られてしまいます! ここはしっかりと平常心を保ち、
(う、うん、わかった……!)
忠臣の助言を受け、なんとか心を持ち直したルナ――それを確認したクレバーは、話の『核心』に迫る。
「ときにシルバー殿、聖王国へ投資を行う前に一つ、どうしても聞いておきたいことがございます」
「なんでしょう?」
「恐れながら、貴国を取り巻く現在の環境は、非常に厳しいものがあるかと思います。私独自の情報網によれば、四大国の上層部には、聖女様の転生を快く思っていない者も多いとか……。四方を敵に囲まれたこの状況で、『次の一手』をどうなさるおつもりなのか、『今後の展望』をお聞かせ願いたい」
クレバーの鋭い鑑定眼が、武骨なヘルムを真っ直ぐに射貫いた。
彼はこの質問を以って、シルバーの真価を見極めんとしているのだ。
「ふむ……次の一手、ですか」
「はい。唯一王代理であられるシルバー殿のお考え、是非に伺いたく存じます。貴殿の描いた
「……」
「……」
一秒にも満たない刹那の沈黙。
(……次の一手……)
聖王国
(――うん、無理)
すぐに白旗をあげた。
次の一手なんて、特に何も考えていない。
(クレバーさんは超が付くほどの大金持ちで、とても凄い力を持つ大商人……。下手な答えを返したら、とんでもないことになっちゃう)
失言を零す前に思考を放棄した彼女は、
「……はぁ……」
浅く短い小さなため息を零し、人差し指でトントンと机を叩く。
ゼルとの間で
(これは、聖女様のSOS……!)
救難信号を受け取った忠臣が、すぐにフォローへ入ろうとしたそのとき――。
「……ッ」
クレバーが突然、ガタガタッと椅子から立ち上がった。
「クレバー殿……?」
「どうかされましたか?」
ルナとゼルが声を掛けるも、クレバーは返事をしない。
彼の顔は真剣そのものであり、鋭いライムグリーンの瞳は、ルナの人差し指の下――武骨な手甲が指し示す、世界地図の『とある一点』に釘付けとなっていた。
(……あ、
クレバーの――
(シルバー殿が指し示した場所は、ゴドバ武道国とカソルラ魔道国。あの地は今『戦国動乱』の
顔前に右の掌を
(聖女勢力が
記憶を辿っていけば、いくつもの不審な点が浮かび上がる。
(そして極め付きは、私がこの部屋に入ったとき、彼が眺めていた方角は――北西! その視線の先にあるのは、武道国と魔道国! ……もはや間違いない。ここに来たときから|募《つの)っていた違和感、バラバラだった点と点が、一本の線となって繋がった……っ)
世界最高峰の頭脳は、とんでもない
「……なる、ほど、
「えぇ、
クレバーの含みのある問いに釣られて、ルナは意味ありげにコクリと頷いた。
当然ながら、彼女は何も理解していない。
なんとなくいい感じの
「ふぅ……どうやら私は、あなたという男を見くびっていたようだ。『次の一手の結果』を確認した後、投資額の大幅な引き上げをいたします」
「それはありがたい」
クレバーはシルバーのことを、聖女勢力が建てる聖王国のことを極めて高く評価し、さらなる巨額投資の約束をした。
交渉の過程はともかくとして……結果を見れば、極秘会談は大成功と言えるだろう。
「――シルバー殿・ゼル殿、此度は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ」
「おかげさまで、
結びの挨拶が紡がれ、極秘会談は終了となる。
「さて、と……私は次の商談が控えておりますので、これにて失礼いたしします」
クレバーはそう言ってお辞儀をすると、足早にログハウスから出ていくのだった。
■
特注のボロ馬車に乗り込んだクレバーは、ハンドサインで指示を出し、それを受けた御者が静かに馬を走らせる。
ガラガラガラガラと車輪の廻る音が虚しく響き、『敗軍の将』を乗せた馬車は、レイトン家の屋敷に向かってひた走る。
「……」
「……」
クレバーは押し黙り、フリーゼも口を
重苦しい空気が支配する中、客室の壁が殴り付けられた。
「くそっ、なんという失態だ……っ」
「く、クレバー様……」
フリーゼはどう声を掛けていいのか、わからなかった。
それもそのはず、クレバー・コ・レイトンは、商人の
人類最高峰の頭脳と万全の準備によって、
自信と
沈痛な空気が漂う中、人生初の敗北を喫したクレバーは、言葉少なに次の指示を出す。
「……フリーゼ、金の準備を頼む」
「承知しました。聖王国への投資として、100億ゴルドを調達しま――」
「――違う」
「え?」
「最低でも『1兆ゴルド』、すぐに貸し出せるよう、手配しておいてくれ」
「い、1兆ゴルド!? どういうことですか!?」
予定していた額の100倍。
1兆ゴルドという金は、レイトン財閥を以ってしても、決して小さいものではない。
「勘違いするな。その額は『最低ライン』だ。シルバー殿がそれ以上を望むのであれば、私はいくらでも貸し出すつもりだ」
「しょ、正気ですか!?」
「まだ
「……恐れながら、私の目にはあの男が、『凡俗』にしか映りませんでした。そこまでの大金を投じる価値があるようには、とてもとても……」
難色を示す秘書に対し、クレバーはコクリと頷く。
「お前の言わんとするところはわかる。確かにシルバー殿は、どこからどう見ても凡俗、平凡な男にしか見えなかった」
「であれば何故――」
「――しかしそれは、彼の作り出した
「偽りの、姿……!?」
フリーゼの瞳が驚愕に揺れる。
「あぁ、私も危うく騙されるところだった……。よくよく考えてもみろ。相手は三百年前の『陰の英雄』だぞ? それが凡俗であるはずがない。そう見えていること自体が異常、彼の術中に
「た、確かに……っ」
そう言われて初めて気付いた。
三百年前の偉人と
「まったく恐ろしい男だよ。凡俗の皮を被って油断を誘い、こちらの真価を見極める。品定めをするつもりで来たのだが、値踏みされていたのは、こちらの方だった……」
「つまりシルバー様は、相当な
「あぁ。先ほどから、私の
「い、いくらなんでも過大評価では……?」
「いいや、現実的な評価だ。何せシルバー殿は、あの短い時間で『次の一手』と『今後の展望』を示したのだからな。しかも、たったの一言も発さずに、な……」
クレバーは深刻な表情で、静かに目を細めた。
「私にはわかる。彼は既に計画を立て終えた。今は静かに息を潜め、『その時』を待っているのだ。そう遠くない未来、おそらくは一か月もせぬ内に武道国か魔道国――次の戦を制した国と同盟を結び、世界進出の足掛かりとするだろう」
聖王国が次に取るであろう動きを、この盤面における最善手を正確に述べたクレバーは、両手で頭を抱え込む。
「
思い出されるのはあの瞬間、
【四方を敵に囲まれたこの状況で、『次の一手』をどうなさるおつもりなのか、『今後の展望』をお聞かせ願いたい】
直後に流れた刹那の沈黙、
【……】
【……】
それに続く、失望のため息。
【……はぁ……】
そして――どこか困った様子のシルバーは、出来の悪い生徒を教え導くかのように、世界地図の一点をコンコンと指し示した。
「あのとき……シルバー殿は心の底から呆れていた。彼の虚像を見抜くことができず、あまつさえ愚問を発した私の評価は……地に落ちた……っ」
恥辱・屈辱・
「とにかく、このままではマズい……っ。失った信頼を取り戻し、名誉を挽回せねばならん! そのためには――シルバー殿が近日中に持ち帰るであろう『大きな戦果』に対し、それを上回る『巨額の投資』で報いるのだッ!」
「はっ、御指示をお願いします」
「まずは1兆ゴルドの資金を速やかに準備せよ! その後はレイトン財閥の主要事業を、聖王国へ
「承知しました!」
フリーゼはすぐさま<
一方のクレバーは、座席に深く腰掛けたまま、静かに窓の外を見つめる。
(
彼の深淵なる瞳は、どこぞのポンコツ聖女とは違い、『世界の覇権』を真に見据えていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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