第6話:最上位魔族


 漆黒のローブをまとい、ローの胸を一突きにした魔族――ムドラは大きく後方へ跳び下がる。


(なん、だ……これ・・は……ッ!?)


 視界を埋め尽くすのは、異次元の大魔力。

 これまで経験したことのない『圧』が肌を刺し、尋常ではない殺気が空間を捻じ曲げていく。


(……なるほど、確かにこりゃ『化物』だ……ッ)


 生物としての本能が告げていた。


 今すぐ逃げろ、と。


 ムドラが冷や汗を垂らす中、ルナは最高位の魔法を無詠唱で連発していく。


「――<時間停止タイム・ストップ>・<異空転移いくうてんい>・<神挺領域しんていりょういき>」


<時間停止>で世界の時間を止め、<異空転移>によりローを安全な異空間に隔離し、<神挺領域>によって彼女の周囲に絶対不可侵の結界を張る。


 破滅の大魔王でさえ攻略に苦しむ、完璧な防衛陣を瞬時に構築した。


(これで万が一のことがあっても、ローは絶対に大丈夫。後は目の前の魔族を排除すればいいだけ)


 ルナはかつてないほどクリアな思考で、淡々と最善手を打っていく。

 彼女は怒りの頂点を超えたとき、激情にまれるのではなく、かえって冷静になるタイプなのだ。


 一方――ルナの<時間停止>に対し、<時間停止耐性>で抵抗したムドラは、時の止まった世界でニィッと笑みを浮かべる。


「へへっ……黒髪のお嬢さんはハズレ、あんたがアタリだったというわけですかィ!(最高位の魔法を無詠唱で連発……。もう間違えようがない、この銀髪こそ『聖女の転生体』だァ!)」


 獰猛で凶悪な相貌そうぼう、歪んだ闘志のともる瞳、張り裂けんほどに開かれた口――それを見たルナは、すぐに理解する。


「あぁ……あなた、戦闘狂の魔族ですか。いいですよ、やりましょう」


 聖女と相対したとき、魔族の行動パターンは大きく分けて三つ。


 最も多いのが、即座に撤退するパターン。

 次に見られるのが、全てを捨てて命乞いをするパターン。

 まれにいるのが、嬉しそうに戦闘態勢を取るパターン。


 目の前の魔族は、明らかに三番手――『戦闘』に愉悦ゆえつを見い出すレアなタイプだった。


 ムドラは喜悦に満ちた表情を浮かべ、その身に纏う漆黒のローブを脱ぎ去てる。


「あっしの名はムドラ・ハーレン! 最上位魔族にして、『陰』をつかさどるの夜の王! 聖女の転生体よ、いざ尋常に勝負……ッ!」


 右脚をグッと大きく後ろに引き、魔剣を上段に置いた突きの構えを取り、眼前の聖女を見据えたその瞬間――不可思議な感覚がムドラを襲った。


「……あ゛……?」


 視界がゆっくりと斜め下へズレていく。


「なん、だ……これは、いったい何をし、ごふ……ッ」


 突然、口の端から鮮血が零れ、魔剣の刀身がカランカランと床を跳ねた。


 ゆっくり目線を下げるとそこには、


「……なんだ、こりゃァ゛……?」


 斜めに両断された自分の胴体があった。


「……そう、か……。もう……終わったの、か……ッ」


 上半身がズズズッと滑り落ち、下半身だけが虚しく直立する。


 聖女はムドラが知覚できない速度で右手を振るい、その衝撃波を以って彼の胴体を両断したのだ。


「――弱い、相手にもなりませんね」


 凍るように冷たい目が光り、感情のない声が淡々と響く。


 ルナの放ったその言葉は、


「……ッ」 


 ムドラの自尊心を破壊した。


 戦いに生き、戦いに死ぬ。

 文字通りの『戦闘狂』である彼にとって、聖女が無意識に零したその本心つぶやきは、尊厳を踏みにじられるほどに屈辱的なものだった。


 そうして敵性魔族の肉体と精神を、完膚無きまでに叩きのめしたルナは、ローのもとへ駆け寄る。


「ロー、すぐに治してあげるからね」


 最高位の回復魔法を発動しようとしたそのとき、ムドラの下卑げびた笑い声が響く。


「くっ、はははは……っ! 無駄だ、無駄無駄ァ! あっしの魔剣は、『絶死ぜっし呪刀じゅとう』! 斬り付けた対象を即死させる、最悪の一振り!」


 最上位魔族である彼は、胴体を切断されたくらいでは死なない。

 彼は自尊心を砕かれた仇返あだがえしとして、ルナの精神こころを壊そうとしていた。


「あっしの刀は、あの女の心臓を完璧に貫いたァ! ロー・ステインクロウは、とうの昔に死んでいるんだよォ! たとえどんな魔法を使おうとも、『死』という『絶対の帰結きけつ』は変えられな――」


「――では、蘇生しましょう」


「……はっ……?」


 ルナは構築中の回復魔法を破棄し、即座に蘇生魔法へ切り替えた。


「や、やめろッ! いったい何を考えている!? そんなことをすれば……が来るぞ!?」


 ムドラは血相を変えて叫ぶ。

 それもそのはず……この世界において、『蘇生』は『絶対の禁忌』とされているのだ。


『回復』はいい、『転生』もいい。

 だがしかし、蘇生だけは決して許されない。


「そりゃまぁ、来る・・でしょうね」


 ムドラの制止を気にも留めず、ルナは淡々と魔法の構築を進めていく。


(こ、この女はイカれている……っ。頭のネジが完全にぶち飛んでいる……ッ)


 躊躇ちゅうちょなく禁忌を破らんとする聖女に対し、ムドラは恐怖を覚えた。


(さて……始めよう)


 ルナは意識を集中させ、『最高位の禁呪きんじゅ』を発動する。


「――<聖魂せいこん再帰さいき>」


「や、やめろォ……!」


 ムドラの必死の懇願こんがんむなしく、聖女の莫大な魔力によって魔法は成立し――ローの全身を神聖なる光が包み込む。


聖魂せいこん再帰さいき>は聖属性の魔法でありながら、禁呪に指定された非常に珍しいものであり、『死者蘇生』という唯一無二の効果を持つ。


 但し、これが正しく機能するのは、死者の魂が肉体から抜け切るまでの一分間のみ。


 ルナが真っ先に<時間停止>を使用し、世界の時間を止めたのは、こういう万が一の事態を想定してのことだった。


「く、来る……が……来てしまう……ッ」


 神聖な大魔力が溢れんばかりの輝きを放ち、ムドラが恐怖に顔を歪ませる中、停止した世界に異変が起きた。


 ルナの発動した<聖魂・再帰>が強制的に無効化され、漆黒の闇が周囲を覆っていく。


 大講堂の最奥――異空の彼方より溢れ出すは、深淵をすくい上げたような純黒じゅんこく


「――汝等なんじらが、『死の摂理』をたがえんとする者か?」


 その存在を形容する言葉は――『死神』。

 タロットカードに記されるような、童話の中に出て来るような、死の神。

 体長約3メートル、白骨化した体に漆黒のきぬを纏い、その手には大鎌が握られ、宙空ちゅうくうにユラユラと浮かんでいる。


 遥かいにしえより、『蘇生』が禁忌きんきとされる理由がこれ・・だ。


「ち、違う……! あっしじゃない! あっしは蘇生なんてしていない! 全てはこのイカれた女が――」


 ムドラが必死に首を振る中、死神は人差し指をスッと伸ばす。


「――<死の抱擁>」


「ぁ、ぐ、ぉ……ッ」


 ムドラの肉体は、うごめく闇に喰われて消えた。

 血も肉も魂さえも残らない。

 文字通りの『死』がもたらされた。


 蘇生は死という摂理に反する行い、それすなわち死の神への挑戦。

 蘇生を行った者、関与した者、関与した疑いのある者――『死の摂理への反逆者』を強引に枠組みへ収める存在、それこそが死の神だ。


 そして――当然のように<死の抱擁>を無効化したルナは、気軽に声を掛ける。


「――久しぶりですね、死の神ディスティル」


「き、貴様……聖女ルナか……!?」


 ディスティルは大鎌を構え、憎悪に満ちた目を向けた。


「一応念のため、お願いしてみるんですけど……。今回は、見逃してもらえませんか? ローはとても大切な友達なんで――」


「――ならぬ! 我は死の神、死という摂理を為す審判者! 如何いかな例外も認めはせぬ!」


「はぁ……三百年経っても、その頑固さは変わりませんね……」


 ルナはがっくりと肩を落とし、残念そうにため息をつく。


「神は不変、不変こそが摂理! 摂理に反する貴様は――死ねッ!」


 ディスティルは先手必勝とばかりに、その場で大鎌を振るった。


 次の瞬間――ルナの小さな体が途轍とてつもない速度で後方へ吹き飛ばされ、大講堂の壁に激突、大量の土煙が舞い上がる。

 彼女を襲ったのは、距離・角度・タイミング、あらゆる障壁を無視した『神の攻撃』。

 予測不能・回避不能・防御不能、物理法則を超越した百の斬撃が、聖女の全身を粉微塵に斬り刻んだ。


 通常、これを受けたが最後、あらゆる生命体はただちに死滅する。


 しかし、


「……」


 死神は眼窩がんかに灯す紅焔こうえんを尖らせ、重厚な構えを解かない。


 彼は知っている。

 過去に重ねたここのつの敗北から学んでいる。


 あの聖女ばけものが、この程度の攻撃で死にはしないということを。


「――相変わらず、不思議な攻撃ですね」


 き上がった土煙の中から、無傷のルナが、爆発的な速度で飛び出した。


「ぐっ、近寄るなァ……!」


 再び大鎌を振るい、あらゆる障壁を無視した神の攻撃を解き放つ。


 しかし――当たらない。


 まるで斬撃が自ら避けるかのように、ルナの左右へれていく。


「なっ!?」


「さすがにもう慣れましたよ」


 ルナは自身の体に斬撃が触れた瞬間、その全てを神速の手刀で撃ち落としたのだ。


 そうしていとも容易く間合いをゼロにした彼女は――挨拶とばかりに軽い右ストレートを放ち、ディスティルはそれを左腕で受け止める。


「ぬっ、ぐっ、ぉおおおおお゛お゛お゛お゛……ッ」


 ガードした左腕はもちろん、衝撃を受けた左半身が粉々に砕かれた。


 たったの一撃で壊滅的なダメージを負った死神は、異空間を通り、遥か後方へ引き下がる。


「はぁ、はぁはぁ……ぬぅんッ!」


 力強い雄叫びに呼応し、粉々になった左半身が即座に再生した。

『神』の再生力は、人間・魔族・獣人・精霊――あらゆる種族を超越するのだ。


「あれ……もしかして前よりも、ちょっと強くなりました?」


 これまでの死の神ならば、今の一撃で確実にほふれていたはず。


 ルナは小さな驚きと共に、そんな問いを投げ掛けた。


「神は不滅にして不変の摂理。世界のことわりまわすため、死せば其の度、更なる力を以って蘇るのだ!」


「不滅なのに死ぬし、不変なのに強くなるって、なんか矛盾していませんか?」


「それもまた摂理よ」


「神の言うことは、よくわかりませんね」


 彼女が困惑気味に吐息を漏らすと同時、


「――<原初の福音>」


 ディスティルの背後に巨大な鐘が出現し、聖なる福音を響かせた。


「……なんですか、それ……?」


「原初、主神は12の鐘声しょうせいによって、この世界をお作りになられた。これはわば原初回帰げんしょかいき! 12の鐘の音によって、万物をゼロに帰す! 貴様の<即死無効>さえ突破する、神にのみ許されし『究極の魔法』だ!」


 神は決して隠し事をしない。

 問われたことについては、必ずこたえを返す。

 摂理とは世界を貫く普遍にして明確な法則であり、『摂理の使徒』である神は如何いかな隠し事もしない――それが彼らの矜持ルールだ。


「なるほど……その鐘が12回鳴り終えるまでに、あなたを倒せばいいんですね?」


 聖女はコクリと頷き、スッと右手を前に伸ばした。


 次の瞬間、


「<銀華ぎんか聖爆せいばく―>」


 小さな白銀の十字架が、ディスティルの眼前に浮かび上がる。


「これ、は……っ」


 天地を穿うがつ轟音が響き、暴力的なまでの『白』が世界を埋め尽くした。


 骨・鎌・鐘、聖なる爆炎が万物を焼き焦がす中、


「……ふ、はは、ふはははははははは……っ」


 死の神の不気味なわらい声が轟く。


「耐えた、耐え切った、耐え抜いたぞ……!」


 肉体の9割は死滅した、しかし、ディスティルは生きている。

 聖女の魔法を、銀華の一撃を耐え抜いたのだ。


 そして――神の再生力を以って、刹那せつなの内に完全再生を遂げた。


「300年前、幾度となく焼き殺された、聖女の魔法<銀華>を克服した! 我は今、掴んだ! 聖女ルナ、貴様の深き底を掴み取ったのだッ!」


 高揚こうようした死神の手に、命を刈り取る大鎌が顕現けんげんし――再び、『神の魔法』がつむがれる。


「<原初の福音>!」


 ディスティルの背に巨大な鐘が出現し、荘厳な音色が鳴り響いた。


 ルナの大魔法<銀華・聖爆>によって、鐘は一度破壊されており、『滅びのカウント』はゼロに戻っているのだが……死神の顔には、勝利の笑みが浮かんでいる。


 神の再生力は、あらゆる種族の頂点に立つ。

 このまま持久戦を続ければ、絶対的な種族の差により、いずれはじぶんが勝利する――そう確信しているのだ。


 しかし、ここに一つ『誤算』があった。


「確かに、前よりも硬くなっていますね」


「ふははっ! 死という摂理の前に平伏ひれふすが――」


「――では、『100倍』にしましょう」


 聖女が右手を伸ばすと同時、


「<銀華ぎんか葬爆そうばく―>」


 神聖な光を帯びた100本の十字架が、大講堂を埋め尽くした。


「……馬鹿、な……ッ」


 ディスティルの手から、死の鎌が滑り落ちる。


 超火力のゴリ押し・物量による圧迫・理不尽の強制、それこそ聖女の最も得意とする戦法だ。


「ま、待て――」


「――待ちません」


 ルナが指を鳴らすと同時、耳をつんざく轟音が響き、あまねすべてが浄化はかいされた。


 聖なる白炎が消えた後、荒涼とした大講堂に、ディスティルの頭蓋骨が転がる。


 再生限界を超えたのか、回復は遅々として進まない。

 眼窩がんかともる弱々しい火が、恨めし気にルナを睨みつけた。


「……何故だ、何故……勝てぬ……っ。9度の復活を経て、我は強くなった。原初とは比べ物にならないほど、強化されているはずだ! しかし――埋まらぬ。貴様との差は、むしろ広がっていくばかり……っ」


 死の神は恥辱に震えた。


 地に付すディスティルと見下ろす人間ルナ

 これでは、どちらが『死の神』なのかわからない。


「答えよ、聖女ルナ! 何故なにゆえ貴様は、そこまで強いのだ!?」


「……さぁ……?」


 ルナがコテンと小首を傾げると同時、死の神ディスティルは10度目の消滅はいぼくを迎えるのだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【※読者の皆様へ】

右上の目次を開いて【フォロー】ボタンを押し、本作品を応援していただけると嬉しいです……!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る