第5話:聖女修業


 合同夏合宿、二日目――。


 いよいよこの日から、本格的な『聖女修業』が実施される。


 時刻は午前七時。

 体操服に着替えた両学院の生徒は大聖堂に集まり、舞台に立つ枢機卿すうききょうケルキス・オードムーアの話に耳を傾けていた。


「――世間にも広く周知されている通り、聖女様は体術・魔法・知力、全てを兼ね備えた完璧な淑女しゅくじょであられた。聖女学会の発表によれば、聖女様の転生体も、この系譜を引き継いだ才女であるそうです」


(いやぁ……それほどでも……っ)


 ルナはポリポリと頬を掻き、どこか嬉しそうに微笑んだ。


「これより始まるは、過酷な『三つの試練』! 皆様にはこの難題を乗り越え、自分こそが聖女様の転生体であるということを証明していただきたい!」


 こうして三つの試練の一つ、『力の試練』が始まった。


 両学院の生徒たちは体操隊形に広がり、軽い準備運動をして、眠っていた体を起こす。

 怪我に対する十分な配慮を行ったところで、『腕立て伏せ100回・腹筋100回・スクワット100回』、一連の取り組みを『合計三セット』こなすように告げられた。

 これは体を鍛え抜く試練であるため、当然ながら魔力による肉体の強化は厳禁だ。


 試練開始から一時間後、


「はぁはぁ……も、もう限界、ですわ……っ」


「ふ、ふぅふぅ……腕が、動きませ、ん……ッ」


「暑ぃ゛……死ぬぅ……」


 一人また一人とダウンしていき、保健室へ搬送された。


 そんな中、


「98……99……100……終わり!」


 ルナは汗一つ掻かずに全メニューを消化し、


「ふぅ、いい運動になったね」


 実技科目において常に上位の成績を誇るローも軽々と達成、


「『魔力による強化禁止』というのが、中々に新鮮で面白いですわ」


 サルコはほんのりと汗をにじませながらもクリア、


「今日は暑いので、こまめな水分補給を忘れないようにしましょうね」


 秘密諜報員として鍛えられたウェンディもまた、軽い準備運動のような形でこなしてしまう。


 ルナの班は、両学院を通して見ても、頭一つ抜けて優秀だった。


 その後、短距離ダッシュ・持久走・壁登りなどなど、ひたすらに体をイジメを抜き――太陽が西の空に沈む頃、ようやく力の試練が終了する。


「はぁはぁ……っ」


「もぅ……駄目、寝る……」


「飯ぃ、風呂ぉ、ベッドォ……」


 無事に全過程をやり遂げた生徒たちが、まるでゾンビのような足取りで、それぞれの部屋に戻って行く中――。


「ふぅ……さすがに疲れたね」


 聖女様はそう言って、額の汗をぬぐった。

 周囲から浮き過ぎないよう、悪目立ちしないよう、ほどほどに苦しそうな顔を作っているが……本当は余裕綽々よゆうしゃくしゃくだ。


 何せ彼女のスタミナは、文字通りの『無限』。

 頭脳労働を課せばすぐにヘバって弱音をあげるが、肉体労働に関しては『永久機関』のように動き続けられるのだ。


(ふふっ。夏合宿は過酷だって聞いていたけど、これなら全然余裕かも……!)


 合宿三日目、この日は『魔の試練』が課された。


 昨日同様に体操服で大聖堂に集合した生徒たちは、舞台に立つケルキスの話に耳を傾けるのだが……。彼女たちの顔には、疲労の色がはっきりと残っていた。


「皆様、よくぞ力の試練を突破しましたね。教職に携わる者として、諸君らの奮闘を喜ばしく、また誇らしく思います」


 ケルキスが手を打ち鳴らすと、神国聖女学院の教員陣から、パチパチパチと盛大な拍手が送られた。


「そして――本日より始まるは『魔の試練』! まずは『魔弾組手まだんくみて』から参りましょう!」


 ケルキスがそう言うと同時、


「……魔弾、組手……?」


「なんなのでしょう、聞いたことがありませんわ」


 王国聖女学院の生徒たちから疑問の声が上がる。


「魔弾組手、神国では大変馴染み深い修練なのですが……。王国ではあまり周知されていないと聞いております。今から私とジュラール先生で実演を行うので、よぅく見ておいてください」


 ケルキスが視線を向けると、ジュラールは無言のままに頷いた。

 両者は舞台の上で10メートルほどの距離を取り、それぞれ真っ直ぐ向かい合う。


「ジュラール先生、よろしいですかな?」


「えぇ、いつでも構いません」


 二人の視線が交錯する中、ケルキスが右手をスッと伸ばした。


「はっ!」


 火属性の魔力の塊――『火の魔弾』が解き放たれる。


 それを視認したジュラールは、


「むん!」


 すぐさま同属性・同出力の魔弾を生成・射出し、迫り来る魔弾を迎撃した。


 そして今度はジュラールが水属性の魔弾を放ち、ケルキスがそれを正確に撃ち落とす。


 ここまでを一連の流れとして、二人は魔弾の応酬を繰り広げた。


 魔弾の発射・迎撃の間隔はどんどん短くなっていき、ちょうど10往復し終えたところで一礼、魔弾組手が終了する。

 まるで演舞のようなこの実技は、相手の放った魔弾の情報を解析し、瞬時に同属性・同出力の魔弾を以って迎撃する――神国に古くより伝わる、魔法技能を磨くための伝統的な修練だ。


「ジュラール先生、ありがとうございました。いやしかし、今日が初めてとは思えぬ練度の高さ……このケルキス、感服いたしました」


「いえ、私なぞまだまだ若輩者じゃくはいものです」


 素晴らしい魔弾組手を披露した二人へ、惜しみない拍手が送られた。


「さてそれではこれより、魔弾組手を行うバディを決めていきます。ここにくじを用意しましたので、両学院の生徒たちは一人一枚これを引き、実習場所である校庭へ移動してください」


 十分後、校庭に集合した両学院の生徒たちは、それぞれのバディと向かい合う。


 純正なるくじ引きの結果、ロー・サルコ・ウェンディの三人は、それぞれ神国聖女学院の生徒と組み、


(な、なんで……どうして私だけ、いつもこうなるの……っ)


 ルナの相手バディは、唯一避けたかった相手――ソフィア・スノウハイヴに決まった。


 やはり悪役令嬢と悪役令嬢は、お互いにかれ合うようだ。


「よ、よろしく、お願い、します……っ」


「よろしくお願いします」


 互いにお辞儀をし合った後、ソフィアがちょっとした世間話を振ってくる。


「それにしても、昨日は凄かったですね」


「えっと、何がでしょうか……?」


「過酷な力の試練を受けて、みんながヘトヘトになっている中、ルナさんは一人だけ余裕そうでした。常軌をいっした体力と筋力です」


 ソフィアはそう言って、ルナの身体能力を褒め称えた。


「まっ、まぁ……昔から、体を動かすのだけは得意なので……っ」


「……やっぱりルナさんが、聖女様だったり……?」


「ま、ままままま、まさかぁ……!」


 ルナはぎこちない笑みを浮かべ、パタパタと右手を振った。


 聖女様、嘘をつくのが魂レベルで苦手。

 視線は右へ左へとせわしなく動き、声は露骨に上擦うわずり、冷や汗がだらだらと止まらない。


 ルナがどこに出しても恥ずかしくない『立派な不審者の反応』を見せていると、ケルキスがゴホンと咳払いをした。


「皆様、準備はよろしいですね? それでは魔弾組手――はじめっ!」


 合図と同時、いくつかのグループが魔弾の応酬を開始する。


「え、えーっと……」


 ルナが不安げにキョロキョロと周囲に目を向けていると、その心境をみ取ったソフィアが柔らかく微笑む。


「確か、王国の人達は初めてなんですよね、魔弾組手?」


「はい」


「それでは私が息を合わせますので、ルナさんのタイミングで始めてください。周りは気にせず、私達のペースでやりましょう」


「あ、ありがとうございます」


 ソフィアの優しい言葉を受けたルナは、ゆっくりと呼吸を整え――右手をスッと前に突き出した。


(だいたい、これぐらい、かな……?)


『聖女様基準』で途轍とてつもなく弱い魔弾を発射する。

 しかしそれは、『一般人基準』における超高速・超高出力・超巨大な魔弾であり……。


「うそ、でしょ!?」


 ソフィアは迎撃も回避もできず、聖女の魔弾をモロに喰らい――遥か後方に吹き飛ばされた。


「そ、ソフィアさん……!?」


 聖女様、魔法技能が致命的に低い。

 普段は火力全振りの魔法をぶっ放しているだけなので……こうなることは、火を見るよりも明らかだった。


「ソフィアさん、すみません……大丈夫ですか!?」


「……」


 ルナは必死に呼び掛けたが……ソフィアは完全に気を失っている。


「こ、これはいかん……! 医療班、すぐにソフィアを保健室へ!」


「「「はっ!」」」


 ケルキスの指示を受け、待機中の医療班が迅速に行動を開始。

 ソフィアはすぐに神国聖女学院の保健室へ搬送され、優秀な回復魔法士の治療を受けることで、なんとかその日のうちに復帰を果たすのだった。


 合宿四日目。

 この日は『智の試練』が実施される。


 両学院の生徒は本校舎最上階の大講堂に集まり、聖女学・薬学・魔法学・魔道具学・魔族学などなど……あらゆる科目の試験を受けていく。


 そしてこの日――ルナは『地獄』を見た。


 最初の聖女学だけは、非常に順調だった。

 約300人の生徒の中で唯一の『百点満点』。


「す、素晴らしい! よく勉強しましたね!」


「まさかこの難問を解くとは……見事です!」


「あなたは天才だ! もはや『聖女学を修めた』と言っても、過言ではないでしょう!」


「え、えへへ……っ。それほどでも……あるかも?」


 教師陣からこれでもかというほどに褒められた聖女様は、とてもご機嫌かつ鼻高々となっていたのだが……。


 そこから先は、まさに『悲惨』の一言。

 薬学3点、魔法学15点、魔道具学8点……怒濤どとうの赤点ラッシュが始まった。


 酷い点数を取ったからといって、叱責されるようなことはない。

 ただ……赤点を取るたびに補習の課題が渡され、問題集の山が積み上がっていく。


 そして――これを全て解き切るまで、夏合宿は終わらない。

 予定された最終日を過ぎたとしても、一日・二日・三日と居残りを強制されるのだ。


(神国との合宿は……地獄だ……)


 ルナたちの通う王国聖女学院は、生徒の得意なところを伸ばしていく、『自由主義的な教育方針』。

 ウェンディの通っていた帝国聖女学院は、優秀な教師陣を取り揃え、各生徒に合った最高効率の授業を提供する、『先進的な教育方針』。

 そして神国聖女学院流は、気合と根性でひたすらに量をこなさせる、『旧時代的な超詰込み型の教育方針』だった。


(もし来年、同じような合宿があっても……絶対に行かない……。家に引き籠るんだ。涼しい部屋でゴロンってして、悪役令嬢の小説を読んで、タマと一緒にゆっくり過ごすんだ……)


 ルナは死んだ目を浮かべながら、ひたすらに手を動かすのだった。


 それから十時間後、ようやく智の試練が終了する。


「ふぅ……疲れたぁ……っ」


 ローは全教科を通して赤点ゼロ、相変わらずの優秀さを発揮した。


「さすがにこの量は……肩が凝りましたわぁ……っ」


 サルコはどの科目もほぼ満点、両学院でもトップの成績を収め、教師陣からも『聖女候補筆頭』と称えられたほどだ。


「頭を使い過ぎて、もうお腹ペコペコです……」


 ウェンディは全科目満遍まんべんなく、七割から八割というハイアベレージを記録した。


 ルナの班は、相も変わらず優秀だった。

 ただ一人、唯一の聖女様れいがいを除いて……。


「……へ、へへ……へへへへ……っ」


 ルナは椅子に深く座したまま、ポカンと口を半開きにして、不気味な笑みを浮かべていた。


「ルナー、大丈夫ー?」


「これは……中々に重症ですわね」


「ルナさん、しっかりしてください! 女の子がしちゃ駄目な顔をしていますよ!?」


 ロー・サルコ・ウェンディが声を掛けるも、まるで屍のように返事はなかった。


 翌日、ついに合同夏合宿の最終日を迎える。

 この日は三つの試練を乗り越えた生徒たちへのねぎらい、そして両学院の今後の発展を祈って、大聖堂で豪華なパーティが開かれた。

 管弦楽団による優美な演奏が披露され、神国の伝統料理やお菓子がズラリと並び、ビンゴ大会などの楽しいもよおしが行われる。


 両学院の生徒たちが、和気あいあいと親交を深める中、我らが聖女様は――。


「うぅ……どうして、私だけ……っ」


 昨日と同様、最上階の大講堂でひたすらペンを動かしていた。


 智の試練で渡された膨大な補習課題が終わっておらず、パーティへの出席が許可されなかったのだ。


「……」


 自慢の聖女ブレインは、既に焼き切れて久しく、感情のない機械のようにただただ問題を解き続ける。


「――ルナ様、そこ計算を間違えていますよ」


「……あっ、ほんとだ……」


 隣に座るローの指摘を受け、ルナは解答を修正する。


 大講堂にはルナの他にもう一人、ローの姿があった。


 サルコとウェンディも、パーティを辞退して一緒に付き合うと言ってくれたのだが……。

 さすがにそれは申し訳なさ過ぎたので、ルナの方からお断りした。


 ただ、侍女であるローだけは、がんとして降りることはなく……。彼女の職務を知っているルナは、同席をお願いしたのだった。


 それから六時間後、楽しいパーティがフィナーレを迎える頃――。


「……で、できたぁ……っ」


 全ての問題を解き終えたルナが、鉛筆を投げ出し天をあおぐ。


「お疲れ様でした」


 ローはねぎらいの言葉を掛けながら、主人の解き終えた問題集とプリント用紙をまとめていく。


「……なんかごめんね。せっかくの楽しい合宿なのに、こんなことに付き合わせちゃって……」


「どうかお気になさらず、これも仕事のうちですから。――そんなことよりもルナ様、時間が迫っておりますので、課題を提出しに行きましょう」


 彼女はそう言って、いつものように淡々と答えた。


 燭台の火を消し、忘れ物がないか確認し、大講堂の扉に手を掛けたところで――ルナはクルリと振り返る。


「ローはさ……楽しい?」


「どういう意味でしょうか。質問の意味を測りかねます」


「いやほら、みんながパーティで楽しくしているのに、こんなつまんないことに付き合わせちゃってるし……。他にも私、ちょこちょこ迷惑を掛けちゃってるし……。ロー、楽しくないんじゃないかなって思って……」


 ルナの瞳は不安に揺れていた。


「まぁ確かに……ここ数か月のルナ様には、いろいろと苦労を掛けられていますね」


「う゛っ、ご、ごめん……」


「でも――手の掛かる妹が出来たみたいで、それなりに楽しんではいますよ」


「ろ、ロー……っ!」


 ルナが感動に目をうるませた次の瞬間――ローの胸から漆黒の剣が飛び出した。


 ルナの顔に赤い雫が付着し、大講堂に鮮血が飛び散る。


「……ロー……?」


「……ルナ、様……お逃げくだ、さぃ……ッ」


 漆黒の呪刀が引き抜かれると同時、ローは糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


 それと同時、神国聖女学院の校舎が激しく揺れ、大音量の<交信コール>が鳴り響く。


「――正門警備より緊急連絡! 現在、当学院は魔族の大群による襲撃を受けています! 教員は生徒の避難を最優先に行動してください! 繰り返します!」


 突如として、神国聖女学院全域に展開された真紅の『召喚魔法陣』から、魔族の大軍勢が次から次へと溢れ出した。


 恐怖と混乱が吹き荒れ、未曽有の混沌が場を支配する中――漆黒のローブを纏い、ローを一突きにした魔族は、がっかりしたように肩を落とす。


これ・・が『聖女の転生体』ィ……? はぁ……『転生による弱体化』がここまで酷いものだったとは……正直、拍子抜けでさァ~」


 彼がそう言って、ローのほほを乱雑に蹴り付けた次の瞬間――おぞましい大魔力が吹き荒れる。


「なっ!?」


 心臓を鷲掴みにされたような感覚、濃密な死の気配を感じ取った彼が、慌てて振り返るとそこには――三百年前、全ての魔族を絶望の底に叩き込んだ『厄災やくさい』の姿があった。


「――聖女をお探しでしたら、ここにいますよ?」

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