第2話:グランディーゼ神国


 ルナが文芸部に加入した日の夜――アルバス帝国の執務室では、皇帝アドリヌス・オド・アルバスが、『裏の政務』に取り掛かっていた。


「……」


 豪奢ごうしゃな椅子に深く腰掛けた彼は、目を鋭く尖らせながら、『分厚いレポート』を読み込む。

 それは帝国の非合法組織『魔獣研究所』より提出された、とある実験の中間報告書だ。


(ふむ……やはり人間を捕食した魔獣は、そうでない個体と比較して成長がいちじるしいな)


 地方徴税官ザボック・ドードーを食べた魔獣は、他の個体よりもサイズ・基礎スペック・凶暴性――あらゆる評価項目において、優秀な数値を記録していた。


(推測されていた通り、魔獣の健やかな成長には、人肉が鍵となるらしい。だが、人間の育成コストは高い、家畜の比にならん……。何か別の方法で、代替だいたいとなる肉を用意できないものか……)


 アドリヌスは十年前に即位してから、如何いかにして帝国を強くするか、ただそれだけを考え続け――裏の国策として『三本の柱』をえた。


 そのうちの一本が、『魔獣の産業化』だ。


①魔獣の食料としての利用

②魔獣の労働力としての活用

③魔獣の軍事力としての登用


 ①~③を成し遂げたとき、帝国の国力は飛躍的に向上する、皇帝はそう確信していた。

 そのため彼は莫大な資金を投じて、帝国の地下深くに魔獣研究所を建設、24時間体制で魔獣の産業化を推し進めているのだ。


(とりあえず……当面のところは適当な犯罪者を餌にしつつ、同時並行して代替肉だいたいにくの開発を急がせるか)


 アドリヌスが今後の方針を定めていると、背後に控える最側近ラド・ツェズゲニアが口を開く。


「――陛下、御耳にいれたいことがございます」


「なんだ」


「今しがた<交信コール>の魔法を介して、『ダイヤ』より定時連絡が届きましたので、その御報告をさせていただきたく」


 ダイヤは秘密諜報員ウェンディ・トライアードの『コードネーム』だ。


「ほぅ、奴はなんと?」


「聖女ロー・ステインクロウを含めた王国聖女学院の一年生は、一週間後にグランディーゼ神国へおもむき、神国聖女学院の一年生と合同夏合宿を執り行うそうです。また、大転生祭より現在に至るまでの間、ローおよびシルバーに特段の動きは見られず。このまま引き続き、監視を続けるとのことでした」


「はっ、当たりさわりのない情報ばかりだな」


 皇帝はそう言って、軽く鼻を鳴らす。


「ダイヤに連絡を取り、さらに詳細な報告を求めますか? こちらから具体的な指示を出せば、より精度の高い情報が得られるかと」


「よい。どうせこの報告も、シルバーの指示を受けてのものだろうからな」


「シルバーの指示……? どういうことですか?」


「なんだ、まだ気付いていないのか? ダイヤは既にシルバーの手に落ちている。奴からもたらされる情報は、もはや信ずるに値せん」


「そ、そんな馬鹿な……っ。彼女は我が国の特殊機関が育てあげた秘密諜報員、絶対の忠誠を誓う意思なきこまのはず! 何故、シルバーに陥落されたと思われるのですか!?」


 ラドは驚愕に瞳を揺らし、アドリヌスに説明を求めた。


「大転生祭の時分じぶん、ダイヤにめた『首輪』が――テーラー・トライアードに掛けた呪いが、解かれてしまってな」


「なっ、あの最上位の呪いが……!?」


「うむ。あのタイミングからして、シルバーの仕業しわざと見て間違いない。しかしまぁ、いったいどんな無茶な解呪をしたのやら……俺の飼っている呪士まじないしが、強烈な呪詛返じゅそがえしを受け、壊されてしまった。なんとか一命は取り留めたものの、呪士としての自信を完全に失っている。あの様子では、もう人を呪い殺すことはできんだろう」


 皇帝は「やれやれ」という風に首を横へ振り、ラドは深刻な表情で状況を整理する。


「呪いが解かれたということはすなわち、呪像彫刻じゅぞうちょうこくが発見されたということ。そしてダイヤは諜報員の中で、最も頭の切れる女。つまり――十年前に起きた魔獣の襲撃事件が、全て陛下の仕込みであると、彼女は気付いてしまったのですね!?」


「十中八九そうだろうな」


 平然と頷くアドリヌスに対し、帝国随一の忠臣であるラドは、猛然と食って掛かる。


「何故そんなに落ち着いていられるのですか!? ダイヤはおそらく、陛下に強い殺意を抱いているはず! 何をしでかすか、わかったものではありません! 今すぐにでも暗殺者を派遣し、あの女を抹殺すべきだと進言します!」


「馬鹿を言うな。今、下手にダイヤへ手を出せば、シルバーの不興を買いかねん。殺すなど以ってのほかだ」


「しかし、それでは……っ」


 歯を食い縛るラドに対し、皇帝は落ち着いた様子で対応する。


「そうはやるな。ダイヤが如何いかな手段を取ろうとも、この俺を殺すことは――『十種の聖遺物』による鉄壁の守りを突破することはできん。それに情報漏洩についても既に対策済みだ。奴の階級でアクセスできる範囲から、機密に繋がりるものを全て引き上げた。完璧とは言えぬまでも、必要十分な守りを敷いている」


「……さすがでございます(相も変わらず、なんという手の早さだ……っ)」


 ラドはその場でひざまずき、主人に対する忠誠心をさらに高めた。


「どういう形であれ、『シルバーと繋がっている』というだけで、あの女には価値がある……。当面の間は、飼っておくつもりだ。それにいざとなれば、『不慮ふりょの事故』と見せかけて、極々ごくごく自然に処分する用意もあるしな」


委細いさい、承知しました」


 ダイヤの処遇について、話がまとまったところで――皇帝はニッと邪悪な笑みを浮かべる。


「それよりもラド、一つ面白いこと・・・・・ひらめいたぞ」


「面白いこと、ですか……?」


「あぁ、これが上手くいけば――邪魔な聖女を抹殺し、目障りな神国を崩壊させたうえ、裏切り者ダイヤの処分までできる。まさに一石三鳥の妙案だ」


「な、なんと……!?」


「善は急げだ。神国の同志どうしに連絡を取れ。既に夜も更けて久しいが……『聖女の正体がわかった』と言えば、大慌てで飛び起きるだろう」


「はっ、今すぐ手配いたします!」


 皇帝の勅命ちょくめいを受けたラドは深々と頭を下げ、執務室を後にした。


「くくっ、さぁシルバー……今回はどうさばく?」



 新勧開始から一週間が経過し、合同夏合宿当日を迎えた。


 時刻は午前八時。

 王国聖女学院の校庭には、ルナを含めた一年生・学院長バダム・引率いんそつのジュラール、その他に五人の補助教員が集まっている。


「ふむ、そろそろ時間じゃのぅ」


 懐中かいちゅう時計を確認したバダムは、「おっほん」と大きく咳払いをする。


「――生徒諸君、おはよう。見ての通り、今日はとても気持ちのよい快晴、最高の夏合宿日和びよりとなった。これも全ては、聖女様のおぼしじゃろう」


 彼はその立派な白いひげを揉みながら、好々爺こうこうやぜんとした穏やかな笑みを浮かべる。


「諸君らにはこれから五日間、神国聖女学院で過酷な聖女修業にのぞんでもらう。神国は独自の文化・風習を持つ国、そして何より、聖女様がお生まれになった聖なる土地じゃ。ここでの学びは、キミたちの内に眠る前世の力と記憶を呼び起こす、良いきっかけとなるじゃろう」


 バダムの狙いは、聖女と宿縁の深い神国で合宿を行い、生徒たちに特別な刺激を与えることだった。


「ただ一つ、注意事項がある。神国は鎖国政策を採っておるゆえ、あまり知られていないのじゃが……。まっこと残念なことに、聖女様へ悪感情あくかんじょうを抱く者が――『神然派しんぜんは』がおる」


 その瞬間、生徒たちの間で大きな動揺が広がった。


「聖女様に悪感情を抱くだなんて、なんと不敬な……っ」


「……私、お父様から聞いたことがありますわ。聖女様はかつて、神を滅ぼしたらしく……神国の主流派である神然派は、それをずっと恨んでいる、と」


「か、神を滅ぼした……!?」


「はい。なんでも聖女様は『神の摂理』がお気に召さなかったらしく……正々堂々と戦いを挑み、その拳で殴り倒してしまったそうですわ」


「え、えぇ……っ。魔王が神を滅ぼしたという話は、何度か聞いたことがありますけれど……慈愛と平和の象徴である聖女様が……?」


 とある生徒たちが興味深い話をする中、


(……あったなぁ、そんなこと……)


 それをすぐ近くで聞いていた聖女様は、『とある神』をたこ殴りにしたときのことを思い出していた。


「神国聖女学院の位置する東部地区は、聖女様を信奉する『聖女派』が多いものの……。中央部と西部は、ほとんどが神然派の者ばかり、間違ってもそこへ近付いてはならぬ。諸君らの護衛に、腕利きの先生方が同行してくださっておるが……。当然、全生徒をカバーすることは不可能。神然派と思われる不審な者には、決して近付かぬよう、そして万が一の時には、自衛・逃亡できるよう、常に気を張ってもらいたい」


 バダムの真剣な話を聞き、一年生の間に緊張が走った。


「――さて、爺のつまらん話はこの辺りにして、そろそろ出発の準備に移ろうかのぅ」


 彼は<次元収納ストレージ>を発動し、異空間から大きな姿見すがたみを取り出す。


「これは大魔法士シャシャの遺した聖遺物『異空鏡いくうきょう』。異なる二点の座標を接続し、瞬間移動を可能にする優れモノじゃ」


 その瞬間、生徒たちがにわかに騒がしくなった。


「こ、これがあの異空鏡……! やはり教科書で見るよりも、実物は遥かに神々しいですわ!」


「大魔法士シャシャ様の聖遺物……あぁ、眼福がんぷくぅ……っ」


「疑似的な<異界の扉ゲート>の役割を持つ、伝説の魔道具ですわね!」


 エルギア王国とグランディーゼ神国の間には、かなりの距離があるうえ、最近その周辺では凶悪な魔族――雷帝メリドラの出現報告があったばかり。

 そのため今回は特別に異空鏡を持ち出し、安全かつ確実な『瞬間移動』という方法を取ることにしたのだ。


「この扉を一歩くぐった先は、神国聖女学院の正門前じゃ。諸君らには『自分こそが聖女である』という誇り高き自覚を持ち、王国聖女学院の生徒として、恥ずかしくない立ち居振る舞いを心掛けてほしい。――それではジュラール先生、後は頼みます」


「お任せください」


 バダムから引き継ぎを受けたジュラールは、生徒たちの前に立つ。


「これより、神国聖女学院へ転移する。私の後に続き、一年A組から順に異空鏡へ入りなさい」


 ジュラールはそう言うと、姿見の中に踏み入り――その後、出席番号順に並んだ一年A組の生徒が、恐る恐ると言った風に異空鏡をくぐっていく。


 A組・B組・C組と転移していき、いよいよルナの番が回って来た。


(……懐かしいな、シャシャの魔力だ……)


 古い友達の魔力を懐かしく思いながら、異空鏡を潜るとそこは――三百年ぶりの生まれ故郷が広がっていた。

 周囲をグルリと見回し、なんとも言えない表情を浮かべる。


(う、わぁ……思ってたよりも、全然変わってないなぁ……)


 エルギア王国とアルバス帝国は、三百年前から随分と様変わりしていたのだが……グランディーゼ神国の街並は、記憶にある姿とほとんど同じだった。


 まず目に付くのは、塔のように立ち並ぶ、石造りの大きな建物群だ。

 神国の建築物は、丈夫な石材で作られることが多い。


 一般的に石の家は、寿命が長いと言われている。

 風雨や流水によって削られたところは、<修復リペア>の魔法で直せばよく、適切なメンテナンスさえおこたらなければ、軽く数百年は持つからだ。


 実際、ルナの視界にある家屋はほとんど全て、築300年を超えており、彼女が「変わっていない」と思うのも当然のことだった。


「へぇ、けっこういいところだね」


 ローは神国の落ち着いた空気感を好み、


「中々に風情ふぜいのある街並みですわ」


 サルコは独特な石造りの街を気に入り、


「なんというか、静かで落ち着いた感じがしますね」


 ウェンディはシンプルな感想を述べた。


 それから少しして、一年生全員の転移が完了し、ジュラールが名簿と照らし合わせていく。


「……ふむ……」


 全生徒の確認が取れたところで満足気に頷き、<交信コール>の魔法を発動――王国聖女学院で待つバダムと接続する。


「――バダム先生、生徒全員が無事に転移できました。えぇ、もう閉じていただいてけっこうです」


 次の瞬間、虚空に浮かぶ異空鏡が、霧のようにフッと消えた。


 ちなみに……神国から王国へ帰るときは、今と同じことをして、異空鏡を繋げる予定だ。


「さて、これより神国聖女学院へ入る。生徒諸君は、私の後に続くように」


 ジュラールが先頭を進み、神国聖女学院の正門を潜る。


 真っ正面にそびえ立つ大きな校舎、その玄関口に小太りの男が立っていた。

 王国聖女学院一行に気付いた彼は、柔らかい笑みを浮かべながら、小走りで駆け寄ってくる。


「お初にお目に掛かります。神国聖女学院の学院長を務める枢機卿すうききょうケルキス・オードムーアです。遠路はるばるお越しいただき、感謝の言葉もありません」


「王国聖女学院より参りました、ジュラール・サーペントです。此度このたびはお招きいただき、誠にありがとうございます」


 二人は互いに名乗り合い、友好の握手を交わした。


 ケルキス・オードムーア、38歳。

 身長160センチ、贅肉を蓄えた恰幅かっぷくのいい体型。

 金色の髪を短くオールバックにし、白銀の眼鏡を掛けている。

 真っ白な歯の光る大きな口・眼鏡越しにもわかる力強い目・一度見たら忘れられない濃い顔立ち、漆黒の布地に金の装飾が入った、質のいい神服しんぷくを身に纏う。


「ここは日差しが強い。どうぞこちらへ――大聖堂へ御案内いたします」


 王国聖女学院一行は、ケルキスの後に続いて移動する。


「さっ、お入りください。土足のままで結構ですよ」


「失礼します」


 ジュラールは礼儀正しくお辞儀をして、大聖堂に踏み入った。


 中は非常に広く、氷の魔石と風の魔石を用いた魔道具『クーラー』によって、室内は快適な温度が保たれており――その奥には一年生と思われる生徒が約100人、綺麗な三列編成で並んでいる。


 大聖堂の扉を静かに閉めたケルキスは、小走りでドスドスドスと舞台へ登り、ゴホンと喉を鳴らした。


「王国聖女学院の皆様、はじめまして。私は神国聖女学院の学院長にして、偉大なる大神官殿に仕える枢機卿すうききょうが一人――ケルキス・オードムーアと申します。以後、お見知りおきを」


 グランディーゼ神国の権力構造は、大神官を頂点とし、その下に七人の枢機卿が並ぶ。

 彼らは『神の使徒』を名乗り、多忙なる主神に代わって、神国の政治を行っていた。


 そんな神国の信条は、今も昔も変わらない。『神とは摂理であり、永久にして不変の存在』――この原理原則を遵守するため、新たな価値観をひたすらに拒み、数百年と『鎖国』を続けてきたのだが……。


 近年になって、変化の兆しが起こる。


 帝国の異常な急成長という『外圧』・聖女の救済を求める民意という『内圧』、両者の板挟みに遭った結果――諸外国との交流を始めたのだ。

 今回の合同夏合宿などは、その最たる例と言えるだろう。


「さて、まずは当学院の一年生代表ソフィア・スノウハイヴより、歓迎の辞を述べさせていただければと思います。――ソフィア、こちらへ」


 ケルキスに促され、神国聖女学院の制服に身を包んだ生徒が、優雅な所作で壇上に登っていく。


「――王国聖女学院のみなさま、はじめまして。スノウハイヴ公爵家が嫡子ちゃくしにして、今年度の一年生代表を務めます、ソフィア・スノウハイヴです。此度このたびは遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます。神国聖女学院一同、心より歓迎の意を表します」


 ソフィア・スノウハイヴ、15歳。

 身長163センチ、手足のスラッと伸びたスマートな体型。

 透明感のある水色のミディアムヘア。

 大きくて鋭い桃色の瞳・雪のように白い肌・均整の取れた美しい顔、誰もが思わず振り返るような絶世の美少女であり、白を基調とした神国聖女学院の制服に身を纏う。


(……あれ、この人……)


 初めてソフィアを見たとき――何故かルナの心に波が立った。

 なんとも名状めいじょうがたい『嫌な予感』がした。


 すると次の瞬間、


「……はぁ、馬鹿らしい……」


 ソフィアは短く息を吐き、氷のように冷たい目を浮かべる。


「はっきり言って、こんな夏合宿に意味はないわ。文字通り時間の無駄、ただの徒労ね。あなたたちから学ぶことなんて、何一つとしてありませんもの。せっかく来てもらった手前、大変申し上げにくいのですけど……もうお帰りになっていただけませんか?」


 彼女は散々好き放題に言うと、クルリときびすを返し、大聖堂から出て行ってしまった。


 ――嫌な予感がした。


「な、何あの子……感じわるっ」


「せっかく来てあげたのに、もう帰れだなんて……ッ」


「なんなの、私達を馬鹿にしているの!?」


 王国聖女学院の一年生たちから、当然のように反発の声が溢れ出し――キルケスが大慌てでフォローに入る。


「も、申し訳ございません! 普段のソフィアは清く優しい心の持ち主で、決してあのような刺々しい子ではないのですが……っ。今日はどうやら体調が優れないようでして……。と、とにかく、後で厳しく指導をしておきます! 重ね重ねになりますが、誠に申し訳ございません……っ」


 ――嫌な予感がした。


(あの人……やっぱり……っ)


 とある疑念に駆られたルナが、警戒を強めていると――ローたちが心配そうに声を掛けてきた。


「ルナ、凄い顔してるけど……大丈夫?」


「無理もありませんわ。あんな無礼千万ぶれいせんばんなスピーチ、気を悪くして当然です。かくいう私も、少々ピキっておりますわ」


「私、いろいろなお薬を持って来ているので、ご体調が優れなかったら、いつでも言ってくださいね?」


「あっいえ、大丈夫です。すみません、ありがとうございます」


 ルナはそう言って、パタパタと両手を横に振った。


 その後、険呑な空気が大聖堂を満たす中、


「え、えー……それでは、今後の予定を説明させていただきます! まずは――」


 額に大粒の汗を浮かべたキルケスは、無理矢理に明るい声を絞り出し、この後の予定を説明していくのだった。



 大聖堂を出た王国聖女学院の一年生は、あらかじめ決めていた班ごとに分かれ、神国聖女学院の特別棟へ移動する。


 ちなみに……ルナたちの班は、ロー・サルコ・ウェンディという『いつもの四人組』だ。


(ふふっ、『レクリエーション』かぁ。いったい何をするんだろう、楽しみだなぁ)


 今日は合同夏合宿初日ということもあり、両学院の積極的な交流を図るため、楽しいレクリエーションが組まれていた。

 噛み砕いて言えば、今日は『みんなで海で遊ぶ日』なのだ。


(えーっと……私物を部屋に置いて、水着に着替えて、貴重品をハンドバッグに移して、ちゃんと失くさないよう持ち運んで、神国聖女学院前にある専有ビーチへ集合……だったよね?)


 先ほどキルケスが話した『今後の予定』を反芻はんすうする。


 そうこうしているうちに、自分たちへ割り当てられた部屋の前に到着。


 キルケスから渡された鍵を使い、木製の扉をガチャリと開ける。


「おーっ、綺麗な部屋ですね!(オアシスの街で泊まった、あの『幽霊屋敷』とは大違いだ!)」


 視界に飛び込んで来たのは、解放感のある二十畳のリビング。

 椅子・机・戸棚などなど、必要最低限の調度品が取り揃えられており、こざっぱりとした印象を受ける。


「へぇ、けっこう広いね。ベッドも大きいし、いい感じかも」


「神国の落ち着いた空気感とマッチした、無駄のない空間ですわね」


「あっ、見てください、お風呂も綺麗ですよ!」


 一通り室内を散策した後は、それぞれの私物を適当な場所に置き、ホッと一息をつく。


王国聖女学院うちもかなり大きいと思うけど、神国聖女学院はビックリするぐらいの規模感だね」


 ルナがそんな話を振ると、ロー・サルコ・ウェンディが同意した。


「ねー。本校舎も凄かったけど、この特別棟もかなりデカいよ」


「そう言えば、『神国西部は、昔から人口が少なく、土地が余っている』と昔お父様が言っていましたっけ……」


「なるほど、それで一つ一つの建物が、こんなに大きいんですね」


 専有ビーチに集合するのは、およそ三十分後。

 まだ少し時間の余裕があるので、リラックスした空気が流れる。


「――私、ちょっとお手洗いに行ってくるね」


 ルナがそう言うと、ローがすぐに反応を示した。


「一人で大丈夫? ちゃんと場所わかる? 一緒に行こうか?」


「もう、ローはそうやってすぐ私を子ども扱いする……。これぐらい一人で平気だよ!」


「いや、『子ども扱い』じゃなくて、シンプルに『迷子対策』なんだけど……まぁさすがに大丈夫か」


 そうして自室を出たルナは、廊下を真っ直ぐ進み、キョロキョロと左右を確認。


(……ない……)


 目の前の階段を上り、廊下を真っ直ぐ進み、左右を確認。


(……ない……)


 さらに階段を上り、廊下を真っ直ぐ進み、左右を確認。


(あっ、あった……!)


 トイレを見つけることはできたものの、とんでもない遠回りしている。

 およそ常人には理解できない『独創的なルート選択』、これこそまさに、彼女が『一人前の迷子』である証だ。


(ふふんっ、ほら見たことか! 私は迷子でも方向音痴でもな……ん?)


 ルナがお手洗いに向かおうとしたそのとき――屋上に続く階段から、女性のすすり泣く声が聞こえてきた。


(あれ……この声、どこかで聞いたような……?)


 バレないようにこっそり様子を窺うと、屋上手前の空間にソフィア・スノウハイヴが座り込んでいた。


「……ごめんなさい。だけど、みんなを救うには、もうこうするしかなかったの……っ」


 彼女は大粒の涙を零しながら、贖罪しょくざいの言葉を口にする。


 このとき、ルナの『疑念』は『確信』に変わった。


(……やっぱりそうだ。これはもう間違いない、『確定』だ……っ)


 嫌な予感というのは、得てして当たってしまうもの。


 ウェンディという『メインヒロイン』と出会ったときから、もしかしたらと思っていたのだが……。


(まさかこんなにも早く出くわすなんて、さすがにこれは想定外……っ)


 ソフィア・スノウハイヴ、彼女は間違いなく――。


「……『悪役令嬢』だ……ッ」

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