エピローグ


 ルナの鉄拳を食らったレオナードは、側近たちの回復魔法を受け、死の淵より復活を果たした。


「はぁはぁ、よくもやってくれたな、シルバー……っ。もはや楽には死ねんぞ? 貴様には、この世に生まれたことを後悔するほどの、地獄の苦しみを味わわせてやるッ!」


 憎悪の炎を燃やしながら、側近たちへ命令を下す。


「お前たち、やれ……!」


 十人の魔法士たちは、一斉に土魔法を発動する。


「「「――<地殻変動クラスト・ムーブ>!」」」


 突如として大地が激しく揺れ動き、壁面にうずもれた土人形ゴーレムたちが、ボトボトボトと落下した。

 さらに天井を覆う地層は、規則的に左右へ分かれていき、地上まで続く大穴がぽっかりと口を開ける。


「さぁ、舞台は整った! これより始めよう、『転生の儀式』を……!」


 レオナードの号令に応じ、十人の高位魔法士たちは、両手を大地に付け――ありったけの魔力を注ぎ込んだ。


 それと同時、巨大な魔法陣が妖しい光を放ち、晴れ渡る青空が真黒まくろに染まり、新月の淡い光が教国を照らす。

 濃密な瘴気が噴き出す中、『最悪の禁呪』が紡がれる。


「「「――<死霊転生しりょうてんせい>ッ!」」」


 次の瞬間、おぞましく邪悪な魂が天より降り注ぎ、それらは土人形ゴーレムという依代よりしろに吸い寄せられていく。

 大魔族の魂を宿した土人形は、独りでにギギギッと動き出し、その肉体からだを禍々しく巨大なものに変え――かつての威容いようを取り戻す。


 総勢100体にもなる大魔族の軍勢が、三百年の時を越えて蘇ってしまった。


 しかし、


「「「……」」」


 彼らの瞳はうつろに沈み、両腕はダラリと垂れ下がり、まるで生気を感じられない。


 それもそのはず……大魔族の反逆を恐れたレオナードは、<死霊転生>の効果を慎重に調整し、彼らの自我を極限まで削っているのだ。

 見栄えこそ悪いものの、その内に宿る魔力は、文字通りの『規格外』。彼らが全盛を誇ったときの力を忠実に再現している。


「ふははははっ! やった、やったぞ! 成功だッ! 儂は手に入れた、最強の軍勢を……! これで世界は、死に包まれる! 人間・魔族のべつなく、等しく救済される! 初代様の悲願が、『人魔合一じんまごういつ』の時が来るのだァ!」


 モノ言わぬ殺戮さつりく人形を手にしたレオナードは、楽しげに手を打ち鳴らし、無邪気な子どものように跳ね回った。


 その一方、


「魔将バルガス、死剣士しけんしアルドラープ、破岩王はがんおうダダルヲーグ……っ」


「そんな馬鹿な……っ。どいつもこいつも、歴史書に出てくるような『神話の化物』ばかりだぞ……ッ」


「あ、あかん……もう終わりや……」


 オウル・レイオス・カースの三人は、顔を真っ青に染める。


「シルバー、ここは撤退だ……! レオナード教国の力は、我々の予想を遥かに超えていた……っ」


「これはもはや世界規模の案件だ! 個人でどうこうできるレベルじゃない!」


「も、もう限界や! はよぅ、逃げましょ……!」


 必死に説得を試みるオウルたちに対し、


「――無駄だ」


 ゼルは静かにかぶりを振る。


「あの御方は、昔から人の話を聞かない。一度こうだと決めれば、梃子てこでも動かん」


 彼はどこか呆れたように、どこか懐かしむように微笑んだ。


 そして――既に勝利を確信したレオナードは、言葉をはずませながら命令を飛ばす。


「さぁお前たち、これが記念すべき初仕事だ! あの憎きプレートアーマーを討ち滅ぼせッ!」


 その瞬間、大魔族の目に邪悪な光が宿り、途轍とてつもない大魔力が吹き荒れる。


「「「ウォオオオオオ゛オ゛オ゛オ゛……!」」」


 彼らは地鳴りのような咆哮をあげ、その巨体に見合わぬ速度で、ルナのもとへ殺到する。


「――<漆黒魔閃しっこくません>ッ!」


「――<氷極羅刹ひょうごくらせつ>ッ!」


「――<破城撃はじょうげき>ッ!」


 凄まじい大魔法の嵐が、プレートアーマーを正確に捉え――おびただしい量の土煙が巻き上がった。


「し、シルバー……ッ」


「くそ、なんということだ……っ」


「あんなん食らったら、いくらあの人でも……ッ」


 オウル・レイオス・カースが絶望に沈む中、


「ふはははは……! どうだ、シルバー!? これが大魔族の――我が教国の力だッ!」


 レオナードは会心の笑みを浮かべ、高らかに勝利宣言を行った。


 しかし数秒後、土煙が晴れるとそこには――ただの土塊つちくれと化した、三体の大魔族が転がっていた。


 魔将バルガス・死剣士アルドラープ・破岩王ダダルヲーグ、三百年前の化物たちが、モノ言わぬむくろと成り果てていた。


「「「「……はっ……?」」」」


 酷く間の抜けた声が響く中、


「次」


 三体の大魔族を瞬殺して見せたルナは、未だ無傷のプレートアーマーは、淡々と「次」を求めた。


「ぐっ……調子に乗りおってぇッ!」


 レオナードは憤激しふんげき、残り97体となった大魔族を睨みつける。


「この愚図どもが、何をボーッと突っ立っておるのだ! さっさと働け! 全員の総攻撃を以って、あの鎧を血祭りにあげるのだッ!」


「「「グルァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛……ッ!」」」


 命令を受けた大魔族たちは、迅速に行動を開始し――僅か三秒後、レオナードは呆然と膝を突く。


「……なんだ、これ・・は……? こんな『不条理』が、こんな『暴虐』が、こんな『理不尽』が、許されていいものなのか……!?」


 目の前の光景が、ただただ信じられなかった。


 三百年と追い求めた一族の悲願が、<死霊転生>によって生み出した最強の軍勢が――まるで通用しない。

 こうしている今も、ルナは葉や草を千切るかのような気軽さで、大魔族を次々にほふっていく。


「……こんなものは戦いと呼ばない、呼んでいいわけがない……っ。……は、ははっ、ははははは……ッ! そうだ、これは夢だ、悪い夢を見ているんだ……!」


 混乱の極致に達したレオナードは、過酷な現実から目をそむけ、頭をガリガリガリと掻きむしる。


 現代を生きる彼にとって、この結果は信じ難いものだったのだが……見る者が見れば、当然と言うべき結末だった。

 何せ、彼が冥府より呼び戻した大魔族の魂は――三百年前、不幸にも聖女と遭遇してしまい、すべもなくほふられたものなのだから。


「ふむ……もう終わりか?」


 戦闘開始から一分が経過する頃には、全ての大魔族が土にかえっていた。

 結局ルナは魔法の一発さえも使わず、その身に宿る理外の膂力りょりょくのみで、襲い来る大軍勢を葬り去ってしまったのだ。


「ひ、ひぃいいいいいいいい……っ。くっ、来るな! 儂に近寄るんなァッ!」


 あまりの恐怖に腰を抜かしたレオナードは、尻餅を付いたまま、なんとか必死に後ずさる。

 もはやそこに教祖としての威厳はなく、ただただ無様な醜態を晒すだけだった。


 一方、<死霊転生しりょうてんせい>の起点――魔法陣の中心に立ったルナは、チラリと『下』へ目を向ける。


「そう言えば……確かこの真下に『転生素体てんせいそたいの土人形』と『<死霊転生>の研究資料』があるんだったな?」


「な、何故それを……!?」


「隠し部屋を見つけてな、そこの資料を読ませてもらった」


 ルナはそう答えると、僅かに重心を落とし、右の拳をギュッと固める。


「貴様、何をするつもりだ……!?」


「何って……そんなこと決まっているだろう?」


 刹那せつな、世界がキンッとぎ、超々高密度の魔力が、ルナの右拳に集まっていった。

 耳をつんざく高音が鳴り響く中、その馬鹿げた出力によって、鎧に付した<魔力探知不可>が崩壊し――オウルの天恵ギフト【魔力感知】が、けたたましい警告を発する。


「こ、これが……シルバーの魔力……っ」


 オウルは驚愕に目を見開き、


「こんなもの、個人が保有していい量ではないぞ……ッ」


 レイオスは小さく頭を横へ振り、


「あ、あかんあかんあかんあかんあかん……っ。なんやこの出力、あの人、絶対おかしいて……っ」


 人一倍魔力に敏感なカースは、ガタガタガタと体を震わせ、


「こ、これはいかん……ッ」


 聖女の無茶苦茶さを誰よりもよく知るゼルは、オウル・レイオス・カースの首襟くびえりを掴み――その翼をはためかせ、頭上に開いた大穴から脱出を図った。


 それと同時、ルナが長く深く息を吐く。


「ふぅー……」


 教国を完全確実に滅ぼすため、えて魔法は使わない。

 完全性と確実性を求めるからこそ、敢えて拳を握るのだ。


てんが鳴き、地が揺れ、肌を刺すような大魔力が吹き荒れる中、


「必殺――」


 三百年前、破滅の大魔王を葬り去った『究極の一撃』が――今再び世界を蹂躙じゅうりんする。


「――聖女パンチ」


 次の瞬間、全てが真白ましろに染まった。


 天地を穿うが破砕音はさいおんが轟き、破壊の嵐があまねく一切を呑み込んで行く。

 地下深くに保管された土人形ゴーレム・初代より引き継がれてきた研究データ・必死に貯め込んだ多額の裏金うらがね、教国の積み上げてきた三百年が、たったの一撃で消し飛んだ。


 そして――。


「ぬ、ぬわぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛……!?」


 レオナードをはじめとした教国の残党たちは、文字通り『地の獄』へ落ちていく。


 ただのパンチ一発で、地図を塗り替えてしまう『理不尽の権化』。


 それこそが、かつて世界中の魔族を恐怖のどん底へ叩き込んだ、聖女の力だった。


 見る影もなく崩壊した教国の遥か上空――。


「は、はは……なんだ、これ・・は……っ」


「……人間じゃない、馬鹿げている……ッ」


「シルバーさん、もう全部あんた一人でええんとちゃいます……?」


 オウル・レイオス・カースが呆然とする中、


(先のことなど何も考えていない、いっそ清々しいまでの暴れっぷり……何も変わっていない、本当にあのときのままだ……っ)


 三百年前の記憶を思い出したゼルは、目尻にじんわりと涙を浮かべた。


 そして圧倒的な物理火力によって、全てを破壊し尽くした我らが聖女様は――。


「今日の仕事終わり!」


 すっきりとした晴れやかな表情を浮かべ、安全地帯に避難したゼルたちと合流する。


「……シルバー、お前はとんでもない男だな。神話の大魔族さえ寄せ付けない武力……さすがというほかない」


 オウルは感心しきった様子で頷き、


「相当な実力者であることは、理解していたつもりだが……。まさか、ここまでとはな。……正直、驚いた」


 レイオスは素直に胸の内を明かし、


「もはや最後の方とか、大魔族さんサイドを応援してまいましたわ」


 カースは冗談半分・本気半分の感想を述べ、


あなた・・・のおかげで命拾いした、感謝する」


 ゼルは、えて『ルナ』という名前を出さなかった。

 どんな事情があるのかはわからないが……甲冑かっちゅうを着込んでいる現状から察するに、主人が身元を隠したがっていることは明白。

 それゆえ『あなた』という二人称を使い、お茶を濁すことにしたのだ。


 その心遣いを察知したルナは、スススッとゼルの真横へ移動し、小さな声で耳打ちをする。


「ゼル、詳しい事情はまた後で話すから、ここはいい感じに合わせてくれる? ……あっそうそう、私のことはシルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハートって呼んでね」


「シルバー・ぐろり……? と、とりあえず今日のところは、シルバーと呼ばせていただきます(その絶望的なネーミングセンスは、未だ健在なのですね……)」


 主君がいい意味でも悪い意味でも、まったく変わっていないことに対し、ゼルはほんの少しだけ悲しくなった。


「さて……これからどうしましょうか?」


 ルナの問い掛けに対し、オウル達たちはそれぞれの反応を返す。


「今日はさすがに疲れた、どこか適当なところで宿を取りたいな」


「自分も、体力と魔力の回復を測りたいですね」


「なぁなぁシルバーさん、あの便利な<異界の扉ゲート>で、どっか近くの街に飛べたりしません……?」


「ふむ、そうですね……」


 ルナは頭を回転させ、<異界の扉ゲート>の接続先を考える。


(エルギア王国は……私とゼルが歩いていたら、凄いパニックになりそうだから却下。オアシスの街ログレスは……まともな宿がないから駄目。帝国とトット村は……あまり馴染みがないからパス。うーん……やっぱりスペディオ領が一番無難かなぁ)


 本当のことを言えば、シルバーの姿で特定の場所を――特にスペディオ領周辺をうろつきたくないのだが……。


 現状、あそこ以外にいい転移先が見つからなかった。


(今回はもう仕方がないとして……とりあえず、急いで他の活動拠点を作らなきゃ)


 ルナはそんなことを考えつつ、<異界の扉ゲート>を展開、ゼルたちと一緒にスペディオ領へ飛ぶのだった。



異界の扉ゲート>を通り、スペディオ家の屋敷前に飛んだルナたちは――ちょうど厩舎きゅうしゃの掃除に向かおうとしていた、カルロとトレバスと出くわす。


「おぉ、シルバー様! 今日はまた斬新な登場で……っと、お連れの方もいらっしゃったの、です、……かァッ!?」


 カルロは喉に餅でも詰めたかのように大口を開け、


「し、シルバー様、もしかしてそちらの御方は……『大剣士』ゼル様ではございませんか……?」


 トレバスは恐る恐ると言った風に問い掛けた。


「えぇ、こちらは私の古い友人で、聖女パーティの一員ゼルです」


「ゼル・ゼゼドだ、よろしく頼む」


「こ、これはご丁寧にどうも……っ。私はカルロ・スペディオ、このスペディオ領を治める伯爵でございます」


「と、トレバス・スペディオです……っ」


 簡単な自己紹介が済んだところで、ルナはコホンと咳払いをする。


「ときにカルロさん、この辺りにどこかいい宿はありませんか?(確か今日はシルバー専用の宿舎が、できあがる予定だったはず……!)」


「おぉ、なんと素晴らしいタイミングでしょう! 実はつい先ほど、シルバー様専用の宿舎が、完成したところなんですよ! もしよろしければ、そちらにお泊りいただくのはどうでしょうか?」


 カルロは自信満々に提案したのだが……横に立つトレバスが「待った」を掛けた。


「あなた、あの宿舎に五人も泊まるのは無理よ」


「そ、そうだったか……?」


「えぇ、頑張っても三人が限界、それ以上は圧迫感を覚えてしまうわ」


「むぅ、それはいかんな……っ」


 トレバスの指摘を受け、カルロは頭を下げる。


「申し訳ございません……。当家の用意した宿舎は、多くても三人が限界だそうでして……っ」


「あーいえ、どうかお気になさらず。そのお気持ちだけで十分です(あちゃぁ、どうしようかな……)」


 ルナが頭を悩ませたそのとき、オウルがサラッと解決策を述べた。


「シルバーとゼル様は、その宿舎に泊まるといい。ボクたちは、どこか適当なところで宿を取るよ」


 レイオスとカースも賛同の意を示す。


「二人は久方ぶりの再会、積もる話もあるだろう」


「ボクらがおったら、水を差してしまいますからね」


 聖騎士三人組が気を利かせると、トレバスがちょっとした提案を口にする。


「あの、ここから南へ下ったところにいい宿屋がございます。もしよろしければ、そちらをご利用なさってはいかがでしょうか?」


「これはどうも、御親切にありがとうございます。――レイオス・カース、せっかくだから足を運んでみよう」


「えぇ」


「そっすねー」


 オウルたちはそう言って、スペディオ領南部の宿屋へ向かった。


 その一方――シルバー専用の宿舎に泊まるルナとゼルには、『腕利きの使用人』が手配されることになった。


「シルバー様、ゼル様、はじめまして。私はロー・ステインクロウ、御二人がスペディオ領に滞在する間、身の回りのお世話をさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします」


「ど、どうも……っ」


 予期せぬ展開にルナは動揺し、


「よろしく頼む」


 ゼルは丁寧にお辞儀をした。


「それでは宿舎へ御案内いたします。どうぞこちらへ」


 ローはそう言って、すぐに案内しごとを始めた。


 宿舎へ向かうまでのほんの短い道中、あちらこちらから羨望の眼差しが向けられる。


「おい見ろよ! 聖女様の代行者シルバー様だ!」


「まぁ、なんて凛々りりしい御姿……って、ちょっと待って……隣の落ち着いた御方はもしかして!?」


「あ、あぁ、間違いない……伝説の聖女パーティ『大剣士』ゼル様だ!」


 スペディオの領民たちは、小さくないざわめきを見せた。


(ふぅーよかった。人口の少ないスペディオ領だから、こんな騒ぎで済んでいるけど……。もしも王国に飛んでいたら、大パニックになるところだった)


 ルナがホッと安堵の息をつくと、先頭を進むローがピタリと足を止める。


「――着きました、こちらがお二人の宿舎になります」


 そこは木造二階建ての大きな家だった。 


「おぉ、なんと立派な……!」


「これほど大きな宿を用意してもらえるとは、ありがたい」


「恐縮です。――さぁ、どうぞお入りください」


 扉の鍵を開けて宿舎の中に入ったローは、手早く燭台に火を付けて回り、部屋の案内を始めた。


「こちらがリビング、キッチンはあちらです。フリッジの中にある食材は、今朝用意したものですので、ご自由にお使いください。また二階は寝室となっており、お手洗いは突き当りを――」


 一通りの説明が終わったところで、宿舎の鍵がルナへ手渡される。


「この鍵は返却不要ですので、シルバー様がお持ちください」


「ありがとうございます。ところで、その……大変申しあげにくいのですが、ゼルと二人きりで話したいことがありますので、席を外していただいてもよろしいでしょうか……?」


「承知いたしました。私はスペディオ家の屋敷で待機しておりますので、何かございましたら、いつでもお声掛けくださいませ」


「重ね重ね、ありがとうございます」


「いえ、それでは失礼いたします」


 完全に仕事人モードのローは、深々と頭を下げ、そのまま部屋を退出した。


 その後、ルナは扉・窓・勝手口を魔力でがっちりとコーティング。

 さらに<不可知領域>を展開し、内部から外部への情報を完全に遮断。


 慣れた手つきで鉄壁の防御を敷いた彼女は、


「ふぅ……疲れたぁ」


 巨大なプレートアーマーを脱ぎ、リビングの中央に置かれたソファにポスリと腰を下ろす。


 このとき三百年ぶりにルナの素顔を目にしたゼルは――。


「……聖女、様……っ」


 胸の奥から込み上げてくる、名状めいじょうがたい気持ちを抑えきれず、涙がポロポロと溢れ出した。


「えっ、ちょ……ゼル? どうして泣いているの……?」


「……申し訳ございません。歳のせいか、涙もろくなってしまったようです」


「そう言えば……ちょっと老けたね。昔の刺々しい感じが抜けて、落ち着いたかっこよさになったかも」


「ふふっ、ありがとうございます」


 嬉しそうに微笑んだゼルは、コホンと咳払いをして、ルナの目を真っ直ぐに見つめる。


「正直、お聞きしたいことは、山のようにあるのですが……。まずはこの質問にお答えいただけますか?」


「うん、なに?」


「ルナ様はどのようにして、この現代に転生なされたのですか? レオナードも言っていた通り、魔法の基本は等価交換。『聖女の魂』を冥府より呼び戻すには、途轍とてつもない対価が必要なはず……」


「うーん、それなんだけど……私も詳しいことはよくわからないんだ。なんか『ハッ』と気付いたときには、もうこの世界にいたって感じ」


「なるほど、不思議なことがあるものですね」


「ねー」


 かつての仲間と話しているせいか、ルナの口調は幾分か砕けたものになっていた。


「それからもう一つ、こちらの鎧には、いったいどのような意味が……?」


「あー、これね。こっちに転生してから、新しい目標とか心境の変化とか、いろいろとあってさ。それでまぁ結論を言うと、私……聖女をやめたんだ。あの鎧は、『聖女バレ』を防ぐためのもの」


「な、なんと……!?」


「……ごめん、がっかりしたよね」


「まさか! 魔王を討つ旅の途中に何度もお話しした通り、聖女様はもっと自由に生きるべきだと考えます! 欲深い王侯貴族や身勝手な列強諸国の意向など、全て無視してしまえばいい! ルナ様が聖女をおやめになられたこと、私はむしろ嬉しく思っております!」


「……ありがとう、やっぱりゼルは優しいね」


 二人がそんな話をしていると、宿舎の扉がコンコンコンとノックされ、オウルの声が聞こえて来た。


「――シルバー、ちょっといいか?」


 ルナはすぐにプレートアーマーを纏い、<不可知領域>を解き、魔力のコーティングを取り、ガチャリと扉を開ける。

 するとそこには――オウル・レイオス・カースの三人が立っていた。


 日除ひよけのローブや手荷物がないところを見ると、無事に宿を確保できたようだ。


「おや、御三方揃い踏みで……どうされましたか?」


「実は本件のあらましをまとめて、ニルヴァさんに報告書を提出しなくちゃいけなくてね。ほら、シルバーとは途中ではぐれてしまっただろう? その間、キミが何をしていたのか、ぜひ聞かせてほしいんだ」


「なるほど、そういうことでしたか。立ち話もなんですし、どうぞお入りください」


 基本的に根が真面目なルナは、きちんと仕事を完遂するため、快く聴取に応じた。


 そのとき――ゼルの瞳が鋭く光る。


「……すまない、私にはやらなくてはならないことがあるので、この辺りで失礼させてもらおう。――シルバー、また後でな」


「えっ、あっ、うん」


 突然のことにびっくりしたルナは、勢いに押されてコクリと頷くと、ゼルは足早あしばやに宿舎から出ていった。


「ゼル様、お忙しいのかな……?」


 オウルはそんなことを呟きながら、シルバーの案内に従って、リビングへ移動する。


「どうぞ、お掛けください」


「あぁ、ありがとう」


 ルナの対面のソファに座ったオウルは、コホンと咳払いをする。


「さて、と……それじゃ早速、シルバー様の大活躍を聞かせてもらおうかな」


「あはは、そんな大層なことはしていませんよ」


 その後ルナは、レオナード教国で見聞きしたことを語った。


 第三禁呪研究室・レオナードの四騎士・隠し部屋のファイル――オウルたちとはぐれた後のことを簡潔に説明する。


 ただ……自分が宝箱トラップに引っ掛かり、落とし穴に落ちたことだけは、報告しなかった。


(『罠に引っ掛かって迷子になる』、これは冒険者シルバーの設定的にアウト……っ)


 彼女は辻褄つじつまを合わせるため、『レオナードの四騎士が転移魔法を使い、自分を遥か深層へ招き、激闘の末に勝利した』という話を作った。


 ルナが脚色を加えた物語を語り、オウルはそれをつぶさに書き記し――一時間が経つ頃、ようやく報告書が完成した。


「これでよしっと……ありがとう、助かったよ」


「いえ、これも依頼の一環ですから」


 今回の仕事が無事に完了したそのとき――コンコンコンと扉がノックされた。


「はい、どちら様ですか?」


 ルナが扉を開けるとそこには、非常によく見慣れた、侍女の姿があった。


「先ほど案内役を務めました、ロー・ステインクロウです。ゼル様が、シルバー様をお呼びになっておられます。どうぞ、中央広場までいらしてください」


「ゼルが……? なんの用事ですか?」


「申し訳ございません、詳細についてはわかりかねます」


「そう、ですか……(ゼル、さっきもちょっと変だったし、どうしたんだろう?)」


 それからルナは、ローに案内される形で進み、オウル・レイオス・カースもその後に続いた。


 大通りを真っ直ぐ歩き、中央広場に到着するとそこには――。


「こ、これは……!?」


 まさに『人』・『人』・『人』――スペディオ領に住む人々が、全員集合しているのではないか、そう思ってしまうほどの人だかりができていた。

 巨大な人だかりの中心には、仮設舞台が設置されており、その上にゼル・カルロ・トレバスの三人が立っている。


 ルナは人混みをき分けながら、ゼルたちのもとへ向かう。


「ゼル、これはいったいなんの騒ぎだ?」


 ルナの問いに対し、ゼルは意味深にコクリと頷き――民衆に向かって語り始める。


「――みな、急な呼び掛けにもかかわらず、よくぞ集まってくれた。まずはその行動に感謝の意を示したい。そして今一度、自己紹介をさせてもらおう。私の名はゼル・ゼゼド、かつて聖女パーティの一員として、大魔王討伐に参じた者だ」


 スペディオ領の人達はみな、伝説の英雄の話を静かに聞き入っていた。


「今日ここに集まってもらったのは他でもない、スペディオの領民であるキミたちに『大切な話』があるんだ」


 ゼルは一呼吸を置き、真剣な表情で語る。


「私は聖女様とシルバーと密に話し合い、『とある計画』を打ち立てた。そしてこれをカルロ殿・トレバス殿に持って行ったところ、二人は快く了承してくれた」


 カルロとトレバスに目を向ければ、二人は希望に満ちた顔でコクコクと頷く。

 もはや発表を待ち切れないといった様子であり、この場につどった聴衆たちも、期待と興奮に胸を高鳴らせていた。


 今が頃合いだと判断したゼルは、胸いっぱいに空気を吸い、天にも轟く力強い大声を張り上げる。


「――今日この日、今この瞬間より! スペディオ領は四大国からの独立を果たし、聖女様を初代『聖王せいおう』に据えた、『聖王国』の建国を宣言するッ!」


「……えっ……?」


 何も聞かされていない聖女様が、ポカンと口を開けた次の瞬間、


「「「う、うぉおおおおおおおお……!」」」


 スペディオ領の人々が、歓喜の雄叫びをあげる。


 これまで四大国に貪られ続けてきた悔しさ、耐え難きを耐え忍んできた苦悩、国家権力という理不尽に晒されてきた不満――それら全てが爆発し、喜びの感情となってはじけたのだ。


「もちろんこの決定に対し、四大国は激しく抗議してくるだろう! しかし、恐れることはない! 何せ我らには、聖女様が付いているのだからな! これは大義である! 正義は我らのそら燦然さんぜんと輝いているのだ!」


 ゼルは燃え盛る火にまきをくべるが如く民衆をあおり立て、人々の熱狂は限界を突破する。


 そして――。


「――聖女様ッ! 聖女様ッ! 聖女様ッ!」


 こっそり領内に紛れ込んでいた聖女教徒が、もはや我慢ならぬといった様子で、例の異常な祈りシュプレヒコールを始めた。


 それは瞬く間に周囲へ伝播でんぱしていき――。


「「「聖女様……ッ! 聖女様……ッ! 聖女様……ッ!」」」


 ルナの故郷が、熱狂の渦に包まれる。


「ちょ、ちょっとゼル……! あなた、いったい何を言っているの!?」


 聖女様はゼルの風切り羽をぐいぐいっと引っ張り、小声で必死に抗議の意を示すが……こうなってしまってはもう『後の祭り』だ。


 民衆を眺め下ろしながら、ゼルは『誓い』を打ち立てた。


(三百年前の過ちは、もう二度と犯さぬ……っ。王侯貴族も列強諸国も、もはや信用に足る存在ではない。純粋無垢な聖女様が食い物にされぬよう、私が屋台骨となって全力でお支えする。そして――ルナ様を中心とした『新たな秩序』を作るのだ……!)


『忠義の男』ゼル・ゼゼドは燃えていた。


 この小さなスペディオ領から始まる世界統一、聖女を頂点に据えた新たな秩序の創造――彼は本気で、この夢物語を成そうと考えているのだ。


 聖女が国をおこしたという『特大スクープ』は、またたく間に世界を駆け巡り――。


 なんの相談も受けていなかった聖女様は、いきなり聖王国の統治者にまつり上げられてしまった彼女は、


(い、いやいやいや、そんな無茶苦茶な……っ)


 一人グルグルと目を回し、両手で頭を抱えるのだった。

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