第7話:大剣士ゼル・ゼゼド


 ルナが隠し部屋の機密情報を読み漁っている裏で、オウル・レイオス・カースの三人は、正規の最短ルートを進み――レオナード教国の最深部『転生の間』に到着する。


 そこは不気味な場所だった。

 街一つすっぽりと収まりそうなほどに巨大な空間、大地には不気味な魔法陣が描かれており、壁面には100体以上もの土人形ゴーレムがへばりつき、最奥には巨大な祭壇がまつられている。


 異様な空気が漂う転生の間に、カンッカンッという甲高い音が響く。


「さて……アレ・・がカースの言う『化物』かな?」


 オウルの視線の先では、背の高い鳥の獣人が精力的にツルハシを振り、黙々と壁を掘り進めていた。

 何を隠そう彼こそが、この巨大な地下迷宮をたった一人で作り上げた男なのだ。


「ほぅ……客人とは珍しいな」


 獣人はツルハシを地面に突き立て、クルリと振り返った。


 その瞬間、三人に衝撃が走る。


「そ、そんな馬鹿な……。あなたはまさか……っ」


「伝説の聖女パーティ、『大剣士』ゼル様……!?」


「三百年前の英雄が、なんでこないなとこに!? いやそもそも、まだ生きてはったん……!?」


「ほぅ、私のことを知っているのか」


 ゼル・ゼゼド、御年300歳余り、身長2メートル。

 体を覆う白い羽・大きな真紅の瞳・鋭く尖ったくちばし、世にも珍しい白烏しろがらすの獣人であり、独特な民族衣装に身を包む。


「白い制服に白銀の十字模様……王国あたりの聖騎士だな」


 ゼルはわずかな情報から、オウルたちの素性を正確に言い当てた。


「問おう。お前たちの目的はなんだ? なんのためにこんな地下深くまで来た?」


 その質問に対し、オウルが代表して答える。


「お察しの通り、ボクたちは王国の聖騎士です。今日はレオナード教国の残党が、妙な動きを見せていると聞き、その調査にやってきました。彼らの企みが邪悪なものであった場合は、計画が実行される前に潰そうと思っています」


「……そうか、それは困るな」


 複雑な表情を浮かべたゼルは、感情の読めない声でそう呟き、


「お前たちに恨みはないが……全ては聖女様のためだ。悪く思ってくれるなよ」


 腰にげた双剣をゆっくりと引き抜いた。


 ゼルにどんな事情があるのかは不明だが……彼が教国にくみしていることは、火を見るよりも明らかだ。


 向こうが剣を向けてくる以上、オウルたちもまた、それに応じなければならない。


「大剣士ゼル様……。あなたの英雄物語は、小さい頃に何度も読ませていただきました。その御姿……随分と衰えましたね」


「全盛期を過ぎ、老いさらばえた今のあなたになら、勝てるやもしれません」


「いやいや無理無理、やめとこやめとこ! 相手は伝説の英雄や、勝てるわけあらへん!」


 オウルとレイオスの見立ては、半分正しく半分間違っていた。


 ろくに食事も与えられず、100年以上も休みなく硬い地層を掘り続けた結果――ゼルのコンディションは、過去最悪のレベルだ。

 鋼如き筋肉はせ細り、白く美しかった羽はくすみ、その体は一回り以上も貧しくなっている。

 老化・栄養不足・状態不良、かつての面影はもはやどこにもない。


 常識的に考えれば、オウルたちの勝ちは固いだろう。


 しかし――三百年前の猛者に、常識という安い物差しは通じない。


「ふぅー……戦闘なぞ、いつ以来だろうな」


 ゼルは小さく息を吐き――静かに双剣を構えた。


 次の瞬間、凄まじい『圧』が解き放たれる。


(な、なんという威圧感だ……っ)


(これが伝説の聖女パーティ……ッ)


(あばばばばばばば……っ)


 オウルたちは警戒を最高レベルに引き上げつつ、どんな攻撃が来ても対応できるよう、重心を深く後ろに置いた。


「どうした、来ないのか?」


「「「……っ」」」


 その言葉を受け、オウルたちは一歩後ずさる。


「まったく……老鳥ろうちょうを待たせるものではないぞ?」


 刹那せつな、ゼルの姿がかすみに消え、


「――レイオス、後ろだッ!」


 唯一その速度に反応したオウルが警告を発し、レイオスは反射的に振り返った。


「ハァッ!」


「ぐっ!?」


 振り下ろされる双刃そうじんに対し、剣を水平に構えて防御する。


「『退魔剣ユーグレア』、ラインハルト家の者か……」


「この剣を……ご存じ、なんですか……ッ」


 ゼルの剛力に耐えながら、レイオスは問いを投げた。


「あぁ、聖なる力を秘めた最高位の業物わざものだ。初代はこの一振りを以って、魔族のしかばねを積み上げたものだが……お前はまだ青いな」


 ゼルが双剣に魔力を流し込んだ次の瞬間、退魔剣ユーグレアは粉々に砕け散った。


「なっ!?」


「剣に『気』が通っておらん。素振りからやり直せ」


 続けざまに放たれる鋭い前蹴り。


「ごふっ」


 それをモロに食らったレイオスは、遥か後方へ吹き飛び――壁に背中を強打する。


「レイオス……!」


「あぁ、また折れとるやんその剣! ほんまどないなっとるんや!? もしかしてパチモンやないんか!?」


「はぁはぁ……やかましい……!」


 額から血を流したレイオスは、瓦礫がれきを蹴り飛ばし――素早く戦列に復帰する。


「いけるか?」


「この程度、どうということはありません。それよりも……得物えものをいただけますか?」


「あぁ、これを使うといい。何もないよりはマシだろう」


 オウルは天恵ギフト【武具錬成】を発動し、魔力で練り上げた簡素な剣を手渡した。


「ボクが前線を張るから、レイオスは動きを合わせてくれ。カースはそのまま後方支援だ」


 オウルが的確に指示を出し、レイオスとカースが無言のままに頷く。


 それからどれぐらいの時間が経っただろうか。


「ヌゥン!」


「ハァッ!」


 ゼルとオウルが激しく剣を打ち合わせ、レイオスがその間隙かんげきを縫うように斬撃を挟み、カースが様々な魔法を使ってサポートに徹する。


(ふぅ……思うように体が動かん。まったく、年は取りたくないものだ)


天恵ギフトの十種同時起動でも押し切れない……っ。さすがに強い、これが伝説の聖女パーティの力か……っ)


(はぁはぁ……三対一でなければ、とっくの昔にられている……っ。この力、ワイズ・バーダーボルンを軽く上回るぞ……ッ)


(あかん、地力の差で徐々に押されとる……っ。このままやったらジリ貧やで……ッ)


 息をつく間もない怒濤どとう剣戟けんげきが繰り広げられる中、


「ぬぅん!」


「ハァッ!」


 渾身の一撃がぶつかり合い――ゼルとオウルは大きく後ろへ跳び下がる。


「ほぅ、若いのにやるじゃないか」


「そちらこそ、お歳を召している割によく動きますね」


 二人が前足に体重を載せ、さらなる激闘に身を投じようとしたそのとき―――『転生の間』の最奥にそびえ立つ巨岩が、ゴゴゴゴゴッと真っ二つに割れ、その奥から仰々しい神服じんぷくを纏った男が現れた。


 彼こそが、レオナード教国の教祖レオナード十五世、53歳。


 身長165センチ、腹に豊かな贅肉を蓄えた肥満体型。

 淡い藤色の髪は長く、オールバックにされている。

 大きな鷲鼻わしばながよく目立つ邪悪な顔付きをしており、その手には禍々しい錫杖を握られていた。


 レオナードは最側近である十名の魔法士と大勢の私兵を――重装歩兵を引き連れ、祭壇の頂上に置かれた玉座へ腰を下ろした。


「……レオナード……? 何故こんな前線に出て来た。ここは危険だ、下がれ」


 ゼルの発言に対し、レオナードは小さく左手を振る。


「くくっ、もうよい……時間稼ぎはもう十分だ」


「どういう意味だ?」


「今しがた『完成』したのだよ、我が一族の悲願が……!」


「ま、まさか……!?」


「あぁ、そのまさかだ! 我らレオナード家が、三百年と焦がれた禁呪<死霊転生しりょうてんせい>! それが今、結実したのだ!」


 レオナードは高らかにうたい、ゼルは歓喜に体を震わせる。


「それではついに、私の願いが……『聖女様の転生』がなされるのだな!?」


「左様。ゼル、よくぞ今日まで働いてくれたな。これでお前の宿願しゅくがんも……成就する、だろ、う……っ」


 レオナードは肩を揺らし、手を口で押さえ――もはや我慢ならぬと言った風に腹を抱え込む。


「ぷっ、くくく……っ。わーっはっはっはっは……っ!」


 彼は天にも轟くわらい声をあげ、それに釣られるようにして、腹心たちも嘲笑を漏らす。


「貴様……何がおかしい!」


「はぁ、はぁ……っ。これがわらわずにいられるか? ことここに至っても、未だ気付かぬ道化どうけっぷり……傑作だ! 獣人とは、ここまで頭が悪い生き物なのだな!」


「なんだと!?」


 ゼルの瞳に危険な色が宿ると同時、レオナードは機先を制するように、スッと右手を突き出した。


「落ち着け、そうはやるでない。さて……そうだな、『いい話』と『悪い話』、どちらから先に聞きたい?」


「もったいぶるな、さっさと話せ!」


「くくっ、そうか。ではまず、いい話から行くしよう。これは先も述べた通り、禁呪<死霊転生>が完成したゆえ、これより『転生の儀式』を執り行うことだ」


 レオナードはニヤニヤと嫌らしいを笑みを浮かべながら、不安に揺れるゼルを見下ろす。


「次に悪い話なのだが……。残念ながら、転生の対象となる魂は、聖女のものではない。我らが呼び戻すのは、今より三百年前――この世界を恐怖のどん底に突き落とした、『最強の大魔族』の御霊みたまだ!」


「なっ!? 貴様、約束が違うではないかッ!」


 憤怒の形相を浮かべるゼルに対し、レオナードは両手を広げて立ち上がる。


「ふははっ、お前は騙されていたんだよ! 300年もの間、馬鹿の一つ覚えみたく穴を掘り続け……なんとむなしい人生か!」


 彼の口は止まらない。


「そもそもの話、『聖女転生』なぞ不可能だ! 魔法の基本は等価交換! あの化物の魂と等価を成すものは、この世に存在せぬ! たとえそんなものがあったとしても、矮小な人類に用意できるはずもなかろう! こんな簡単なことさえわからぬのか、獣人という劣等種族は……!」


 レオナードは楽しそうに手を打ち鳴らし、獣人の純粋さをあざけった。


「……そう、か。やはりそうだったのか……」


 ゼルとて馬鹿ではない。

 冥府より聖女の魂を呼び戻すには、天文学的な量の魔力が必要なことは――聖女の転生が不可能なことは、頭で理解している。


 しかし、聖女という絶対的な心の支柱を失った彼は、わらにもすがる思いで、ありもしない可能性に一縷いちるの望みを託したのだ。


 今より三百年前――初代レオナードは、ゼルの元を訪れ、『とある契約』を持ち掛けた。


【ほ、本当にそんなことが……聖女様の転生が可能なのか!?】


 若きゼルの問いに対し、初代レオナードはコクリと頷く。


【あぁ。この新魔法が完成すれば、彼女の魂を現世に呼び戻すことができる。――しかし、魔法の発明は難しくてね。莫大な金・悠久の時間・優れた魔法士、そして何より、国を守る『武力』が必要なんだ……わかるね?】


【……貴様のもとで働けと?】


【話が早くて助かるよ。キミが労働力を提供してくれるのならば、我がレオナード教国は、聖女様の復活を約束しよう。おっとそう言えば……風の噂で聞いたのだが、獣人にとっての『約束』は特別な意味を持つ、違ったかな?】


 初代レオナードは暗に『この約束は、獣人のそれに準ずるものだ』と言っていた。


【……もう一度だけ聞かせろ。その魔法<死霊転生>とやらが完成すれば、聖女様を蘇らせることができるのだな?】


しかり】


【その言葉、祖霊に誓えるか?】


【あぁ、誓えるとも】


【……わかった。新たなる魔法が完成し、聖女様の転生が成るその日まで――お前の手となり足となろう】


 それから現代に至るまでの三百年、生真面目なゼルは文句一つ言うことなく、レオナードの手足として働いた――自らの口にした約束を黙々と守り続けたのだ。


 しかし、その苦労が報われることは、ついぞなかった。


 結局のところ、性根の腐った邪悪な人間によって、獣人の持つ無垢な純粋性を弄ばれただけだ。


 レオナードたちの嘲笑が響く中、ゼルはオウルたちに向き直る。


「名も知らぬ聖騎士たちよ……すまぬな。迷惑を掛けた」


 誠実な詫びを口にした彼は、レオナードへ鋭い視線を向ける。


「だが、安心しろ。お前たちが逃げる時間ぐらいは稼ぐつもりだ」


「いえ……ゼル様、ここは一緒に逃げましょう!」


「相手は多勢に無勢、そのお体では無理です……!」


「もうなんでもええから、早いところ帰りましょうや!」


 三人の提案に対し、ゼルは小さく頭を振った。


「聖女様がお隠れになり、転生の望みもついえた今……私にはもう生きる目的がない。だから、お前たちは逃げろ、『三百年前の亡霊』はここに捨て置け」


 ゼルはそう言って、大きく前に踏み出し――レオナードが目を見開く。


「ほぅ、向かってくるのか? その老いさらばえた肉体で、ろくに飯も食っておらん状態で、我が教国の誇る1000人の重装歩兵に、立ち向かうというのか?」


「そのムカつく顔を殴ってやらねば、死んでも死に切れぬのでな」


 ゼルは不敵な笑みを浮かべ、静かに双剣を構える。


「聖女様がいちの剣、ゼル・ゼゼド――押して参る」


 次の瞬間、彼は爆発的な速度で駆け出し、最前列の一団に斬り掛かった。


「がっ!?」


「ぐは……っ」


「ぬぁッ!?」


 研ぎ澄まされた双剣術が、敵の急所を正確に斬り裂いていく。


「こ、の……!」


「調子に乗るな!」


「死ねやァ!」


 重装歩兵たちも負けじと反撃に出るが……。


「――遅い」


「「「なっ!?」」」


 彼らの斬撃は、むなしくも空を切った。


 ゼルは天に浮かぶわしのように舞い、獲物を狩るたかのように刺すのだ。


 そうしてわずか一分と経たぬうちに、最前線に立つ100人が倒れ伏した。


「どうした、そんなさまでは、この老鳥ろうちょうの首はれんぞ?」


(あんな老いた体で、なんてスピードだ……っ)


(これが伝説の聖女パーティ……ッ)


(だ、駄目だ……勝てる気がしねぇ……)


 レオナードの私兵たちは、完全に気圧けおされていた。


 死に掛けの老いれに『大剣士』の幻影を見たのだ。


「さて、と……準備運動は終わりだ」


 ゼルは再び駆け出し、次なる一団へ襲い掛かる。


「「「ぐわぁあああああああ……ッ」」」


 私兵たちの凄惨な悲鳴が響く中、レオナードは玉座を殴り付けた。


「こ、この役立たず共め……! 死に損ないの獣人相手に、何をやっておるのだ!? ――おい、サポートしてやれ!」


 レオナードの命を受け、最側近である高位魔法士たちが、一斉に強化魔法を唱える。


「「「――<全能力強化オール・ストレングス>!」」」


 その瞬間、私兵たちの膂力りょりょくが大幅に向上した。


 それと同時、


「ぬっ!?」


 ゼルの振り下ろした刃が、とある兵の前腕ぜんわんに刺さり、魔法で肥大化した筋肉によって、その動きを封じられた。


 彼の足が止まった一瞬を、敵が見逃すはずもなく……。


「「「死ねぇッ!」」」


「が、は……ッ」


 剣・槍・斧――多数の武器が、その背に突き立てられた。


「ははっ! いいぞいいぞ! よくやったッ!」


 レオナードは喝采をあげるが……その判断はいささか早過ぎる。


「――<血斬羽ちぎりばね・烈風>ッ!」


 ゼルは固有魔法を展開、飛び散った鮮血が極小の刃となり、私兵たちを斬り刻んでいった。

血斬羽ちぎりばね>、おのが『血』と『羽』を『刃』と成し、自在に操る固有魔法だ。


「くそっ、薄汚い獣人め、なんという生命力しておるのだ……っ」


「はぁ、はぁ……まだまだ、行くぞ……ッ!」


 その後、ゼルは戦場を駆ける鬼となった。


「ハァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛……!」


 その剣閃は振るえば振るうほどに研ぎ澄まされ、その速度は走ればはしるほどに勢いを増していく。

 戦いに身を投じることで、色褪いろあせた経験に朱が差し、かつての姿を取り戻すかのように強くなっていった。


 そして今――。


「これで……終わりだッ!」


「こ、の……化物、め……ッ」


 最後の一人が、グラリと崩れ落ちる。


 大剣士ゼルは、千人の重装歩兵をたった一人で斬り伏せた。


 残すは教祖レオナードと、その最側近である十名の魔法士のみだ。


「こ、これが伝説の聖女パーティの実力……っ」


「俺たちとの戦いは、本気じゃなかったのか……ッ」


「やっぱ三百年前の連中は、みんなバケモンや……っ」


 オウル・レイオス・カースが息を呑む中、血塗ちまみれのゼルがゆっくりと祭壇を上がっていく。


「はぁ、はぁ……っ。レオ、ナード……三百年もの間、よくも騙してくれたな……ッ」


「ひ、ひぃいいいい……っ」


「――死ね」


 ゼルの振り下ろした渾身こんしんの斬撃は――『不可視の壁』に阻まれた。


「なんだ、これ・・は……!? 何故、私の剣が通らぬ……ッ!?」


「ふ、はは……っ。はーはっはっはっ……! 残念だったなぁ、この間抜けェ!」


 勝利を隠したレオナードが、高笑いを響かせる。

 そんな彼の胸元には――聖なる輝きを放つ古いネックレスがあった。


「まさか、それは……!?」


「そう、聖女の祝福が込められた『聖遺物』だ! このネックレスは、装備した者の危機に反応し、絶対無敵のバリアを瞬時に展開する! 残念だったなぁゼルぅ? 貴様のちんけな斬撃では、この守りを突破することはできんのだ!」


「ぐ……っ」


 もしもゼルが老いていなければ。

 もしもゼルにまともな食事が与えられていれば。

 もしもゼルのコンディションが整っていれば。


 このバリアも斬って捨てたことだろう。


 しかし、今の弱り果てた彼に、もはやその力はない。


「ふははははっ、刮目かつもくせよ! 聖女の力は絶対なのだッ!」


 レオナードはネックレスをギュッと握り締め、そこに自身の魔力を注ぎ込んだ。


 次の瞬間、バリアは途轍とてつもない速度で膨張し、


「が、は……っ」


 不可視の壁に激突したゼルは、遥か後方へ吹き飛ばされた。


「……はぁ、はぁ……ッ」


 なんとか立ち上がろうとするものの、脚が言うことを聞かない。


(これは……俺の血、か……)


 体に刻まれたいくつもの太刀傷から、赤黒い血がじんわりと滲み出し、足元に大きな血溜ちだまりを作っていた。

 四肢に感覚はなく、視界は明滅し、肺に空気が収まらない。


 もはやこれは、『勝負アリ』だ。


 玉座に着くレオナードは、瀕死のゼルを見下ろしながら、思案にふける。


「しかし、その化物染みた力……ここで失うのは実に惜しい。どうだ、ゼル? 今一度、儂につかえる気はないか?」


 彼の所有する聖遺物は、装備した者の意思に関係なく、自動オートで効果を発揮する。

 このネックレスがある限り、ゼルが謀反を起こしても脅威にはならない。


 レオナードは純粋に、獣人ゼル・ゼゼドの力を欲した。


「はっ、馬鹿を言うな。私は聖女様のつるぎ、ゼル・ゼゼド! 貴様のような愚物に仕えるぐらいならば、ここで死んだ方がマシだ!」


 誇り高き獣人は、鞍替くらがえなどしない。

 自らの決めた主人に対し、絶対の忠義を捧げ、その生涯を賭して付き従うのだ。


「そうか、ならば死ね」


 レオナードがパチンと指を鳴らすと同時、


「「「――<獄炎ヘル・フレイム>ッ!」」」


 百を超える大量の焔が、ゼルのもとへ殺到する。


「「「ぜ、ゼル様……ッ」」」


 オウル・レイオス・カースが悲鳴のような叫びをあげ、紅焔こうえんが視界を埋め尽くす中――ゼルの脳裏に走馬灯がよぎる。


【……聖女様、やめておいた方がいいですよ。俺みたいなアルビノ個体をパーティに入れても、いいことなんか一つもありません】


【えー、私は好きだけどなぁ。ゼルの赤い目と白い羽、とってもかっこいいよ?】


【さぁできましたよ聖女様、今日の晩御飯はナーフ豚とヌエニ草の蒸し焼きです】


【んーっ、おいしぃ! ゼルの料理は、世界一だね!】


【聖女様。俺は貴女の矛となり盾となり、この命が尽きるその時まで、永遠の忠義を捧げることを――此処ここに誓います】


【ありがとう、ゼル。これからもよろしくね】


 三百余りと生きた中、思い出されるのは、主人と過ごした僅か一年のことばかり。


嗚呼あぁ、聖女様……最後にもう一度、あなたの声を聴きたかっ――)


 刹那せつな、灼熱の爆炎が世界を埋め尽くした。


 全弾直撃。

 地獄の業火が、ゼルの肉体を焼き焦がす。


 焦げた匂いが一帯に広がり、土煙が晴れるとそこには――瀕死の重傷を負ったゼルが、力なく倒れ伏していた。

 欠けたくちばし・焼けただれた翼・黒く焦げた羽、まだ辛うじて息はあるものの……もはや風前ふうぜんともしびだ。


 大剣士ゼル・ゼゼドの命は、もう間もなく消え失せるだろう。


「くっ、くくく……っ。あーっはっはっはっは……っ! 伝説の聖女パーティも、大剣士ゼル・ゼゼドも、こうなってしまっては惨めなものだなぁ! 見ろ、まるで醜い焼き鳥だ! 骨ばっていて、ろくに食うところもないがなぁ!」


 レオナードが嘲笑をあげ、最側近の魔法士たちもそれに同調する。


 吐き気を催すような醜悪な空気が満ちる中――突如、神聖なる風が吹き荒れた。


「――<聖龍の吐息セイクリッド・ブレス>」


 神の御業みわざである『極位きょくい魔法』が展開され、まるで時がさかのぼるかのように、ゼルの体が再生していく。


「……こ、これは、いったい……?」


 呆然とする彼の真横を、巨大なプレートアーマーが通る。


「――見事な忠義でしたよ、アリエス・・・・


「……ッ!?」


 その瞬間、ゼルは雷に打たれたかのような衝撃が走り、枯れた瞳の奥から一筋の涙が零れ落ちた。


 お日様のように温かく、慈愛に満ちた優しい声。

 そして何より――鎧が口にしたその名前は、祖霊より授かったゼルの真名まなだった。


 これを知っているのは、この世界でただ一人――絶対の忠誠を誓った主人のみ。


(そんな、馬鹿な……あり得ない……っ)


 聖女あるじは死んだ。

 三百年という長い時間を掛けて、ゆっくりとその事実を飲み込んだ。


 しかし、この眼が耳が羽が――自らの魂がそう・・だと叫んでいた。


「……ルナ……様……?」


 プレートアーマーは僅かに振り返り、ヘルムの中で優しく微笑んだ。


「ほぉ……そのプレートアーマー、噂に聞く『聖女の代行者』シルバーだな?」


「……」


 静かな怒りを燃やすルナは返事をすることなく、ただ真っ直ぐレオナードのもとへ向かい――レオナードもまた、それを止めなかった。


「歯を食い縛れ」


 レオナードの正面に立ったルナは、ゆっくりと右腕を引き絞る。


「くははっ、愚か者め! こちらには聖遺物があるのだぞ? それも、聖女の祝福が込められた最上級の――」


 次の瞬間、


「えっ……ぱがらッ!?」


 絶対無敵のバリアは粉々に砕け散り、鉄の拳がレオナードの顔面を打ち抜いた。


「ぺが、おぼ、あば……ッ」


 彼は何度も地面に体を打ち付けながら、遥か後方に飛ばされていく。


 バリアがクッションの機能を果たし、即死こそ免れたものの……レオナードは瀕死の重傷を負い、聖遺物である首飾りはパリンと砕け散った。


「「「……はっ……?」」」


 最側近の魔法士たちは顎を落とし、<転生の間>を困惑が支配する。


 それも無理のない話だろう。

『絶対無敵』を誇った聖女のバリアが、ただの拳骨げんこつによって、いとも容易く叩き割られたのだから。


「あ、アイツ……やりやがった……っ」


「聖女様の聖遺物を……殴り壊した!?」


「なんちゅー馬鹿力しとるんや……ッ」


 不気味なまでの静寂が降りる中、悪役令嬢ルナは氷のように冷たい目を向ける。


「たった今、聖女様よりお告げが下った。――お前たちは全員、地獄行きだ」

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