第5話:砂漠の水神
午後八時――ルナ・オウル・レイオス・カースの四人は、とある建物の前に集まっていた。
「シルバー、今日はこの宿に泊まろうと思うんだが……どう、だろうか?」
オウルはどこかバツが悪そうに問い掛け、
「えっと……
ルナは口角を引きつらせながら、逆に聞き返した。
正面にそびえ立つのは、大きな洋風の屋敷。
屋根の塗装は
普通の神経をしていたら、とてもここに泊まろうとは思わない。
「……すまない。いや、本当に心の底から申し訳なく思っている。まさかログレスにここまで宿屋がないとは……完全にこちらの調査不足だ」
オウルは言い訳を並べることなく、素直に
古書店で大量の難読書を買い込んだ後、明日の備えとなる品々を購入しつつ、今夜の寝床を探していたのだが……これが中々に難航した。
そもそも宿屋の絶対数が少ないうえ、まともなところは全て満室。
街をひたすら歩き回った末、ようやく見つけたここは、とんでもない幽霊屋敷だった。
オウルが
果たして本当にここへ泊まるのかどうか、その意思決定を外で行っているのだ。
「職業柄、いろいろな宿屋には何度も泊まってきたつもりだが……っ」
「これはまた強烈なんがきたなぁ……っ。もはや野営の方が安全なんとちゃいます?」
聖騎士という過酷な職業に
「みんなの気持ちは、とてもよくわかるけど……夜の砂漠はとても危険だ。正直なところ、野営はおすすめできない。たとえこのレベルの宿でも、取るべきだと思う」
オウルの意見は正しい。
実際に夜のタムール砂漠は、非常に危険な場所だ。
氷点下の気温・広く分布する有毒生物・夜行性の魔獣――宿が取れるのであれば、贅沢を言わずに確保した方が賢明である。
「まぁ確かに……野営を張るぐらいなら、こちらに泊まった方がいいでしょうね(絶対お風呂には入りたいし……。それに何より、ちゃんと部屋を分けてもらわなきゃ、この鎧を脱げない……っ)」
ルナの後押しもあって、レイオスとカースは共に承諾し、幽霊屋敷めいた宿屋『グレイブ』に泊まることが決定。
「よし、それじゃ行こうか」
オウルを先頭にして正面玄関を潜るとそこには、薄暗い受付があり、腰の曲がった老婆が立っていた。
「――何度もすまない。先ほどの者なんだが、四人一泊・二部屋をお願いしたい」
「あぁいいよ、一人3万ゴルドね」
「さ、3万ゴルド!? さすがにそれは、ちょっと高くないか……?」
3万ゴルドも出せば、王都でも中堅クラスの宿を取れるだろう。
砂漠地帯にある幽霊屋敷で、一人3万ゴルドというのは、
「ひっひっ、嫌なら外で寝な。この辺りはよぅく冷えるから、凍死しなきゃいいけどねぇ」
「はぁ……お婆さん、いい商売してるね」
「あらやだ、そんなに褒めたってなんにも出やしないよ?」
「まったく、仕方がないな……」
背に腹は代えられない。
オウルは仕方なく、既定の料金を――12万ゴルドを支払った。
「あっオウルさん、自分の分は――」
「――お金のことなら気にしないでくれ、シルバー。そもそもの問題は、ボクたちの調査不足だ。それに、宿代は経費で落ちるからね」
今回の依頼は緊急クエスト扱いであり、交通費・宿泊費・ポーション代などの諸経費は全て、エルギア王国が負担することになっていた。
もちろん無駄遣いは許されないが、今回のようなケースはやむを得ないだろう。
「ひっひっ、まいどあり。――ほら、サービスだ。一番
「そりゃどーも(『サービス』、ね……。どうせ全部屋空室の癖して、抜け目のない婆さんだこと)」
老婆の投げた鍵を受け取ったオウルは、フロアマップに目を向ける。
「ボクたちの部屋は……っと、最上階か。お婆さん、ランタンを借りてもいい?」
「あぁもちろんさ、レンタル料は5千ゴルドだよ」
「ほんっとにボロい商売してるね……」
「ひっひっ、まいどあり」
その後、ランタンの弱々しい火を頼りにしながら、薄暗い廊下を進んで行く。
床板がギシギシと頼りない音を鳴らす中、
(う、わぁ……なんか、お化けとか出そう……っ)
我らが聖女様は、カタカタと小刻みに震えていた。
何を隠そう、彼女はお化けの類が
「はぁ、まったく……なんて強欲な婆さんだ」
オウルが愚痴を零せば、
「商魂のたくましい方でしたね。アレは相当に長生きするでしょう」
レイオスがそれに同意し、
「でもここ……見ようによっては、
頭とノリの軽いカースは、早くもこの幽霊屋敷に適応していた。
それから少しして――会話の切れ目が訪れる。
「「「「……」」」」
なんとなく話すこともなく、淡々と移動していたそのとき――珍しくカースの方から、ルナへ話題が振られた。
「そう言えばシルバーさんは、『砂漠の
「砂漠の水神……? なんでしょう、聞いたことありませんね」
ルナの返答を受け、カースは妖しく微笑む。
「――ここだけの話、実はこのオアシスの街って、
「……えっ……?」
「これは今から百年以上も前のこと、『オアシスの街』ログレスに泉が湧き出した頃の話――当時この街には、砂漠の遊牧民族たちが集まってきてて、その中に青い髪の少女がおった。彼女は水神に愛されていたらしく、周囲にはいつも水があったそうな。一説によれば、その子がオアシスの泉を生み出したんちゃうか、言われとるみたいです」
カースは滑らかな語り口で話を進めていく。
「少女は水神の力を使って、人々に格安で水を分け与え、貧しいながらも幸せな生活を送っとった。でもあるとき、水神の力に目を付けた欲深い夫婦が、彼女を捕まえて
「そ、そんな……酷い……っ」
人並み以上に共感性の高い聖女様は、カースの話にのめり込んでいた。
「夫婦の振るう暴力は、どんどんエスカレートしていき――ついにやり過ぎてしもうた、力加減を間違えて、少女を殺してしもうたんや……。するとその晩、何が起きたと思います?」
「いったい、何が……っ!?」
「綺麗やったオアシスの泉が、血のように赤く染まったんや。これを見た夫婦は『水神の祟り』や思て、なんもかんも捨てて逃げ出した。相手は水神やから、あらゆる『水』から距離を置いた。でも――無理や、生き物が水から逃げるなんて不可能や。しんしんと雨の降る夜、ついに見つかってしもうた。夫婦の足元にある
「……っ」
ルナはゴクリと唾を呑み込む。
「水神に愛された少女の霊は、今でもこの街の水をジィっと見とる。何せここの水は、彼女が痛めつけられて出した、文字通り『命の水』やからな。大切にされとるか、無駄にされとらんか、監視しとるんや。だから、この街の水を使うときは、感謝の気持ちを忘れたらあかん、無駄遣いなんか絶対にあかん。何せあの言葉が聞こえたら、もう終わりやからな……『見ぃつけた』ってなァッ!」
カースは大声を出して怖がらせようとしたが――ルナの反応は、予想外のものだった。
「はっはっはっ、水神の祟りだなんて、そんなものあるわけないじゃないですか」
「……あれ? シルバーさんって、こういう怪談とか、へっちゃらな感じですか?」
その問いに答えたのは、オウルとレイオスだ。
「はぁ……。そんな話に怖がるのは、せいぜい幼稚舎の子どもぐらいだよ」
「そもそもの話、『砂漠の水神』は怪談ではない。この地域に伝わる有名な寓話の一つで、『砂漠における水の大切さ』を子供へ教え
「そ、そない言わんといてくださいや……っ。ちょっと沈黙があれやったさかい、気ぃ使っただけですやん!」
そうこうしているうちに、最上階へ到着。
「――シルバー、キミの部屋の鍵だ」
オウルはそう言って、鍵をパッと放り投げた。
「ボクたちはこっちの三人部屋、キミはあっちの一人部屋だよ」
「はっはっはっ、ありがとうございます」
ルナは陽気に笑いながら、感謝の言葉を伝える。
「それじゃまた明日ね」
「じゃあな、シルバー」
「ほな、おつかれっしたー」
「はっはっはっ、また明日!」
不気味なほどに明るいルナは、ぎこちない足取りで自分の部屋へ移動し――玄関の鍵をしっかりと閉めた。
それと同時、
「はっ、はは……っ、は、は、は……ッ」
膝から崩れ落ち、両手を床に
(あ、あの……アホ、ボケ、カスゥ……っ。どうして去り際に、あんな怖い話をするの……!?)
聖女様はお化けの類が、文字通り死ぬほど苦手だ。
先ほどは『シルバーの設定』を守るため、なんとか笑って誤魔化したが……。
本当は悲鳴をあげて、布団の中に逃げ込みたい気分だった。
(お、落ち着こう……。大丈夫、水神の祟りなんかない。そもそもの話、今のは寓話であって、怪談でもなんでもない! とりあえず、深呼吸をしよう。確かこういうときは……ひっひっふー、ひっひっふー……っ)
なんとか気持ちを落ち着かせたルナは、<
それなりに広い部屋には、ベッド・机と椅子・ソファなど、必要最低限の調度品が置かれていた。
(……<
そこまで考えたところで、ブンブンと首を横へ振る。
(いや、みんな我慢してここに泊まっているのに、一人だけそんなズルしちゃダメだ……っ)
どこまでも真面目な聖女様である。
(とりあえず……鎧の隙間から砂とか入っているし、ちょっと汗もかいちゃっているし、お風呂に入らなきゃ)
<
脱衣所に移動して服を脱ぎ、タオルを片手に恐る恐る浴室へ入った。
「……意外と綺麗だ……」
浴室の中は掃除が行き届いており、ウォッシャーやヒーターなど、基本的な設備は揃っている。
バスチェアに腰を下ろし、ウォッシャーを取ろうとしたところで、その手がピタリと止まった。
(……水、使っても大丈夫だよ、ね……?)
カースが披露した怪談『砂漠の水神』によれば――水神に愛された少女の霊は、水の無駄遣いがされていないか、今もこの街を監視をしているという。
「へ、平気平気! 頭を洗うのは、全然無駄遣いじゃないもんね!」
そうして自分の正当性を主張したルナは、ウォッシャーを使ってわしゃわしゃと頭を洗い始めた。
「こ、こわくなーい~。ぜんぜぇん、こわくなんかぁなーい……っ」
オリジナル楽曲『こわくない』を歌うことで、先ほどの怪談を忘れようとしていた。
彼女が涙ぐましい作戦を実行していると、不意にナニカの気配を覚えた。
(……っ!? い、今、背中に視線を感じたよう、な……?)
当然ながら、ただの気のせいである。
シャンプーをしているとき、無性に後ろが気になってしまうというアレだ。
しかし、この手の嫌な感覚というのは、一度気になってしまったが最後、風呂を上がるそのときまで、ずっと意識に残り続けてしまう。
(うぅ……ロー、サルコさん、ウェンディさん、タマぁ……っ)
信頼できる友達を――楽しい過去の記憶を思い出しながら、わしゃわしゃわしゃと頭を洗う。
そうして鬼門のシャンプーを乗り越えた彼女は、サササッと手早く体を洗い、湯船にチャポンと
「ふぁ~……っ」
ここまで来ればセーフティゾーン、ようやく一息つくことができる。
温かいお湯で体の芯まで
十分後――湯船から上がり、脱衣所へ移動したルナは、自分の寝間着がないことに気付いた。
(……あっ。着替えの服、ベッドの上に置きっぱなしだったっけ)
最低限の水気を拭き取り、バスタオルを体に巻いた彼女は、リビングへ向かう。
すると次の瞬間、コンコンコンと大きなノックが響いた。
「うっきゃぁ……!?」
油断しきったところへのクリティカルアタック。
ルナの口から、甲高い悲鳴が飛び出した。
「シルバー、いるか?(今、女性の声がしなかったか?)」
「れ、レイオス、さん……っ(マズ、聞かれちゃった!? シルバーの中身が、女性だってバレちゃう……ッ)」
「なんというか、別に盗み聞きするつもりはなかったんだが……今、女性の声がした、よな?」
「……っ(やっぱり聞かれてた……ッ)」
「シルバー、まさかお前――」
聖女の代行者シルバーの正体が女性だと知られれば、シルバー=聖女という図式が一気に浮上してしまう。
(うわぁ、どうしようどうしよう、やっちゃった……ッ)
ルナが両手で頭を抱え、『最悪の展開』を覚悟した次の瞬間、
「――聖女様と<
「……はっ……?」
レイオスの口から飛び出したのは、斜め上の回答だった。
(……あー、そうだ。レイオスさんは『節穴』だった)
レイオス・ラインハルトという男は、
両目は節穴・頭は空っぽ・出てくる答えは
それでいて本人は、自分のことを鋭いと思っている、『一番厄介なパターン』だ。
しかし今回は、その鈍感さに救われた。
だからこそルナは、彼の勘違いに全力で乗っ掛かることにした。
「ふぅ……聞かれてしまっては、仕方がありませんね」
「で、ではやはり……!?」
「えぇ、レイオスさんの推察した通りです。私は毎晩こうして聖女様と交信し、三百年後の世界の状況を――人類の様子を事細かに報告しています」
「やはりそうだったのか……っ。す、すまない……ッ。知らなかったこととはいえ、神聖な時間に水を差してしまった。俺は今一度出直す、聖女様に詫びを入れてくれ!」
扉一枚を挟んだ状態でも、レイオスが頭を下げる音が聞こえてきた。
「あっいえ、今ちょうど終わったところなので、どうかお気になさらず」
「本当に大丈夫なのか……? 俺のことなど一切気にするな。聖女様のことを最優先にしてくれ」
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、本当にもう大丈夫なので、問題ありません」
「そうか。では、こちらの用件を話させてもらおう。――つい先ほどオウルさんと話し合って、明日の行動予定が決まった。それを共有しておこうと思ってな」
「ぜひお願いします」
レイオスはコホンと咳払いをして、オウルからのメッセージを伝える。
「まず午前六時にこの宿をチェックアウト。それから一時間ほど砂漠を渡り歩き、秘密の入り口からレオナード教国へ潜入する。おそらく明日は『かなりの荒事』になるだろうから、今日はゆっくりと体を休めてほしい、とのことだ」
「えぇ、わかりました」
「話は以上だ。邪魔をしたな」
簡潔な業務連絡が終わり、レイオスが自室へ引き返そうとしたそのとき――ルナが「待った」を掛ける。
「あの、レイオスさん」
「どうした?」
「なんというか、その……さっきのことなんですが……」
「聖女様と交信していた件か?」
「……はい。ちょっと難しいお願いだと思うのですが、他の人には内密にしてもらえると――」
「――承知した」
レイオスはコンマ一秒と迷うことなく、文字通りの『即答』を返してくれた。
「えっ?」
「何を意外そうにしているんだ? 先の出来事、聖女様が秘密にしたがっておられるのだろう? ならば俺は、その意に従うまでだ。王国上層部にも決して報告しない。約束しよう」
「えっと、気持ちはとても嬉しいのですが……。立場的に大丈夫なんですか?」
レイオスは聖騎士、国に奉公する義務を持つ。
そんな彼が、聖女に関する重要な情報を伏せ置くというのは、常識的に考えてマズいことのように思われた。
「ふぅ……わかっていないな。我がラインハルト家は代々、聖女様にお仕えする誇り高き血族。我らが忠を尽くすのは、この世界にただ一人――聖女様だけだ。彼女が白と言えば白、黒と言えば黒。聖女様がお前との交信を秘密にしたがっているのならば、俺は一族の誇りと退魔剣ローグレアに誓って、その秘密を守り抜こう」
レイオスの瞳には、一片の曇りさえなかった。
彼はたとえどれほどの責め苦にあったとしても、聖女の情報を絶対に漏らさないだろう。
「そ、そうですか、ありがとうございます(そう言えばレイオスさんって、聖女への忠誠心が凄い人だったっけ……)」
「それで、話は終わりか?」
「はい」
「では失礼するぞ――おやすみ」
「えぇ、おやすみなさい」
レイオスの足音が離れて行き、遠くで扉がバタンと閉じる音が鳴った。
「はぁー……ビックリしたぁ……」
ルナはホッと安堵の息をつく。
悲鳴を聞かれたのが
「……まぁなんとかなりそうかな……」
結論、今回のパーティメンバーは、『聖女バレしない』という意味では当たりだった。
「は、ふぁ、へくち……ッ」
長い間バスタオル一枚でいたため、くしゃみが出てしまう。
「うぅ、早く着替えなきゃ」
それからしばらくして、寝支度を整えたルナが、チラリと壁時計を見れば――時刻は午後十時。
「ちょっと早いけど……明日は六時に出るみたいだし、今日はもう寝ちゃおうかな」
ルナは寝る前に扉と窓の鍵をチェックし――その強度に不安を覚えた。
(これ、大丈夫かな……?)
扉も窓も見るからに頼りなく、ちょっとした衝撃で、簡単に壊れてしまいそうだ。
「とりあえず、魔力で補強しておこっと」
扉と窓、それから念のために壁一面を、分厚い魔力でガッチリとコーティングしていく。
「これでよし」
鉄壁の防御を敷いたルナは、燭台の火をフッと吹き消し、もぞもぞとベッドに入る。
(明日はいよいよレオナード教国に潜入、か。砂漠の地下にあるって話だけど、どんなところなんだろう? やっぱり『地下ダンジョン』みたいになっているのかな……? ふわぁ……とにかく、『聖遺物』だけは、絶対に……回収しな、きゃ……)
彼女の
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