第2話:雷帝メリドラ


 ルナが緊急クエストを受注した時から、さかのぼること二十分――。


 早馬はやうまに騎乗した屈強な聖騎士が、十二人の部下を引き連れて、王国南東部の林道りんどうを駆けていた。

 漢らしい精悍せいかんな顔付きの彼は、ナインゴラン・ビトールド、第七聖騎士大隊の隊長を任された実力派の重戦士だ。


(くそ……雷帝メリドラ、なんという化物だ……っ)


 メリドラ出現のほうを受けて、討伐に向かったのはいいものの……強大ないかづちの力に押され、無残にも敗北。

 古典的な煙幕で敵の視界を潰し、命からがら離脱した。


 現在は一般市民の乗る馬車五台を護衛しつつ、王国方面に向かって全速力で逃げ帰っている。


(……すまぬ。苦しいだろうが、もう少しだけ頑張ってくれ……っ)


 眼下で気を吐く愛馬をいたわり、その背中を優しく撫ぜると――遥か上空、晴れ渡る青空の一部が漆黒に染まり、バチバチという破裂音が響いた。


「くっ、来るぞ……!」


 ナインゴランが警告を発した次の瞬間、まばゆ稲光いなびかりが弾け、


「ぐぁああああ……!?」


 激しい雷撃を受けた一人の聖騎士が、力なくズルリと落馬した。

 彼は鍛え上げられた聖騎士、おそらくまだ息はある。

 今すぐにポーションを飲ませれば、回復魔法を掛けてやれば、きっと助かるだろう。


 しかし、ここで足を止めれば、全滅はまぬがれない。


 第七聖騎士大隊の面々は、大切な仲間を路傍ろぼうに捨て置き――ただひたすらに馬を走らせた。


(くそ、くそ、くそ……っ。あの野郎・・・・、完全に遊んでいやがる……ッ)


 憤怒の形相を浮かべたナインゴランは、肩越しに背後を睨みつける。


 遥か後方で幽鬼のように揺れる痩身そうしんの人影、あれこそが『雷帝メリドラ』だ。

 いったいどんな手品を使っているのか、彼はゆっくりと歩いているのにもかかわらず、馬で走行するナインゴランたちと付かず離れずの距離を維持し――時折思い出したかのように指をパチンと鳴らしては、聖騎士を一人また一人と雷の魔法で撃ち落としていく。


 その気になれば、いつでも皆殺しにできるだろうが……そんなもったいないことはしない。

 メリドラは今、趣味の『人間狩り』を楽しんでいるのだ。


(この不可思議な雷は、奴の固有魔法と見て間違いない。おそらく有効射程は、大空の下にあるもの全て……つまり現状、奴に心臓を握られているのと同義……っ)


 最優先事項は、この『空』から逃げること。


(俺の固有魔法は、立体的な攻撃に弱い。……どのみち死路しろであるならば、僅かでも可能性が高い方を……!)


 覚悟を固めたナインゴランは、この先のクエリ洞窟へ逃げ込み、籠城戦に臨むことを心に決める。

 彼はすぐさま<交信コール>の魔法を発動し、王国聖騎士本部・冒険者ギルド・エルギア王城の三か所に連絡を繋げた。


「俺は第七大隊隊長ナインゴラン・ビトールド! 時間がないため、一方的に話させてもらう! 現在我々は多数の一般市民を保護しながら、王国南東の林道を王都方面へ走行中! 敵は雷帝メリドラ! 奴の実力はこちらの想定を遥かに上回っていた! 大空を支配する雷の魔法を――」


 彼が端的に状況を説明している間にも、天より降り注ぐ蒼雷そうらいが聖騎士を襲い――。


「がぁああああ……!?」


 長く苦楽を共にした仲間が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


「ぐっ……我々はこれより、クエリ洞窟に突入し、決死の籠城戦に臨む! これはただの延命策であり、まず間違いなく勝てない! 俺たちも一般市民も、皆殺しにされてしまう! だから、無理を承知で頼む! 大至急、増援を送ってくれ! 誰か、メリドラを倒せるような猛者もさを……頼む……っ」


 ナインゴランは魂の叫びを届け、<交信>の魔法を打ち切った。


 雷帝メリドラは、大隊長の自分が手も足も出ない化物。

 これを討伐しる実力者はみな、王城の警護・国境警備・最前線での戦闘など、それぞれに重要な任務が与えられている。

 他国と比較しても戦力に乏しいエルギア王国が、こちらへ増援を送れるわけもない。


 ナインゴランはそんなことなど百も承知のうえで、わらにもすがるような思いで、救援を要請を行った。


 その後、クエリ洞窟に移動した一行のもとへ、蒼雷そうらいまといし魔族が迫る。


「――おいおい、どうした? 追い掛けっこは、もう終わりかァ?」


 雷帝メリドラ、外見上の年齢は二十代半ば。

 青い長髪をたなびかせ、額に双角を生やした、長身せ型の男だ。

 白と青の着物を纏い、嗜虐的な笑みを浮かべるメリドラに対し、決死の覚悟を固めたナインゴランが立ち塞がる。


「あぁ、鬼事おにごとはもう終わりだ。ここから先は持久戦、俺かお前か、どちらの魔力が先に尽きるかの根比べ。先に言っておくが……俺は王国で最も諦めの悪い男だぞ?」 


「くはっ、持久戦だぁ? 尻尾巻いて逃げ出した雑魚助が、どのつら下げてモノ言ってんだよォ!」


 メリドラが指を弾くと同時、きらめく蒼雷が空を駆けた。


 それに対してナインゴランは、両手を力強く打ち鳴らす。


「――<積層結界プロテクション>!」


 迫り来る雷撃は、透明な結界によって防がれた。


「ほぅ……珍しい魔法を使うな」


 メリドラは感心したように目を細める。


 固有魔法<積層結界>、あらかじめ指定したポイントに極薄の積層結界を築く防御魔法だ。

 上下左右の立体的な攻撃にこそ弱いものの、真っ正面からの単一的な攻撃には滅法強い。


 そして今この場は一本続きの狭い洞窟であり、メリドラの攻撃は正面からに限られる。

『地の利』はナインゴランにあった。


「俺は『鉄壁』のナインゴラン! 貴様のちんけな雷なぞ、全て受け切ってくれるわ!」


「くくっ、面白い! ちょいとばかし、遊んでやるよ!」


 その後、どれくらいの時間が経っただろうか。


「――おいおい、さっきまでの威勢はどうした? 御自慢の『鉄壁』は、こんなもんなのかァ!?」


 メリドラの攻撃は苛烈かれつを極め、


「ぐ、ぉ……っ」


 ナインゴランの展開した積層結界は、一枚また一枚と割られていく。


(地の利は握った、魔法陣も敷いた、魔道具の補助も受けた。それでもなお、ここまでの『差』があるのか……っ)


 雷剣らいけん雷槍らいそう雷斧らいふ――蒼い雷で作られた武器が、雨やあられのように殺到する。


 そしてついに――最後の結界が砕かれた。


「そぉら、後がなくなったぞ! どうする、『鉄壁』ぃ!?」


 メリドラが右腕をげば、きらめく雷槍が凄まじい速度で射出される。


「……ッ」


 背後には守るべき市民、ナインゴランに選択の余地はない。


「ぬぉおおおおおおおお……!」 


 ありったけの魔力で強化した両腕をクロスし、迫り来る雷槍を真っ正面から受け止めた。


「ぐっ、はぁ、はぁはぁはぁ……っ」


 荒々しい息を吐きながら、焦げ付いた両腕をダラリと垂らす。

 なんとかギリギリ防げたものの……腕はもう使いものにならない。


 両者の力の差はあまりにも大きく、この先に待ち受ける凄惨せいさんな悲劇は、誰の目にも明らかだった。


「うぅ、ナインゴラン様……っ」


「もう十分です、あなた様はもう十分に戦ってくださいました……ッ」


「私達のことはけっこうですから、もうおやめください。これ以上は、いたずらに苦しむだけです……っ」


 ナインゴランの遥か後方――壊れた馬車の裏で、人々は涙を流した。


 しかしそれでも、ナインゴランの目は死んでいない。


「はぁはぁ、どうした? 俺はまだまだ、元気いっぱいだ、ぞ……?」


 彼は絶対に諦めない男。

 増援の可能性が――奇跡の起こる可能性が0.1%でもある限り、決して諦めることはない。


「くくっ……いぃ、いぃぞ、ナインゴラン! 骨のある人間は、大好きだ! お前の血肉は、きっとい~ぃ味がするんだろうなァ!」


 興奮したメリドラは、腰に差したる長刀を引き抜いた。

 それはあまねく一切を断ち斬る、呪われた雷剣らいけんギュラン。


(なんだ、アレ・・は……っ。あんなおぞましい剣が、存在していいものなのか……ッ!?)


 内包する魔力の質・量ともに規格外。

 この世の全ての不吉をはらんだ、最悪にして災厄の一振りだ。


「さぁ、終幕フィナーレと行こうか! い~ぃ声を聴かせてくれよッ!」


 雷剣ギュランを振りかぶったメリドラは、爆発的な速度で走り出し、ナインゴランは焼け焦げた右拳で迎え撃つ。


(一秒、コンマ一秒でも長く、増援が来るまでの時間を稼ぐ……!)


 籠城戦を選んだ時点で、元より死は覚悟のうえだ。

 腕を斬られれば脚で組み付き、脚を落とされれば歯で食らい付く。

 あらゆる手を駆使して、刹那せつなの時間を稼ぐ。


 ナインゴラン・ビトールドは、弱き民のために身を捧げる、誇り高き聖騎士だった。


「ぬぉおおおおおおおお……!」


 凄まじい雄叫びが轟く中――クエリ洞窟に一本の<交信コール>が鳴り響く。


「――冒険者ギルドのバーグだ! お前らもう少しだけ耐えろ! 今そっちに『とんでもねぇの』が向かったところだッ!」


 次の瞬間――ナインゴランとメリドラを分かつようにして、何もない空間から、巨大なプレートアーマーがヌッと姿を現した。


「「なっ!?」」


 招かれざる来訪者イレギュラーの出現を受け、二人は反射的に跳び下がる。


(あのプレートアーマー……もしやシルバー殿か!?)


(今のは最上位魔法<異界の扉ゲート>……? この鎧、油断ならねぇな)


 緊迫した空気が流れる中、


「ん……? おぉ、これは中々いいところに飛べたみたいだな」


 聖女様は自分の発動した<異界の扉ゲート>の精度に、大変満足気な様子だった。

 それもそのはず、彼女は魔法の精密な操作が苦手なため、いつもだいたいの感覚で飛んでいるのだが……。


(ここ、絶対『当たり』だよね!)


 薄暗い洞窟の中、目の前にいるのは、酷くおびえた様子の一般市民。

 十中八九、本件の保護対象と見て間違いないだろう。


「私は冒険者シルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハート、みなさんを助けに来まし――」


 ルナが長ったらしい自己紹介を交えつつ、怯える人々のもとへ一歩踏み出したそのとき――ナインゴランの大声が響く。


「――シルバー殿、後ろだ!」


「ん?」


 ルナが振り返ると同時、


「――遅ぇよッ!」


 雷剣ギュランが、ルナの頭部を――ヘルムを強襲した。


 次の瞬間、カランカランという乾いた金属音が響き、


「……は?」


 この世の全ての不吉を孕んだ一振りは、見るも無残に砕け散った。


 一方のルナはまったくの無傷、ヘルムは一ミリとして動いていない。


「その弱々しくも邪悪な魔力……。さては――『魔獣・・』だな?」


「あんな畜生共と一緒にするな! 俺は誇り高き大魔だいまぞ――」


 激昂げきこうするメリドラに対し、ルナはまるで羽虫でも払うかのように右手を振るう。


 次の瞬間、


「ゴ、ぷ……!?」


 まさに『一撃』。

 メリドラは超高速で洞窟の壁面に激突し――モノ言わぬ赤いシミと成り果てた。


「「「……えっ……?」」」


 洞窟内に広がるのは、純粋な『困惑』。


 絶対的な力を誇った雷帝が、絶望的な存在であったメリドラが、軽い手首のスナップで死滅した。

 そのあまりにもおかしな現実を、すぐに呑み込めなかった。


 突如出現した巨大なプレートアーマーは、文字通り『強さの次元』が違ったのだ。


 誰も彼もが呆然とする中、雷帝メリドラを一撃でほふったルナは、いつになく真剣な表情で一般市民に向き直る。


「改めまして――みなさん、御無事で何よりです。私は冒険者ギルドから依頼を受けて、あなた方を保護しに来ました」


 聖女の代行者が助けに来てくれた。

 この事実は、恐怖でり固まった人々の心を解きほぐし、辺り一帯に弛緩しかんした空気が流れ出す。


 しかし、その後に続くルナの言葉で、状況は一変する。


「現在、このクエリ洞窟周辺には、『雷帝メリドラ』という凶悪な魔族がうろついているそうです。まだ奴に見つかっていない今こそ絶好のチャンス! 私が先導しますので、急ぎトット村まで避難しましょう!」


「「「……えっ……?」」」


 本日二度目の困惑が広がった。


(いや、今あなたが潰したそれ……メリドラ……)


(こ、これはシルバー殿のジョーク、なのか……!?)


(……わからない。こんなとき、いったいどうすればいいんだ……っ)


 悲しいかな。

 聖女様は『魔族』と『魔獣』を明確に区別することができない。

 いつも『なんとなくの勘』で決めており、その的中率は30%を切る。


 実際、先のメリドラに対しては、『弱い魔獣』という誤った判定を下しており……。

 その結果として、この世界でただ一人、彼女の中でだけは『雷帝メリドラの脅威』が健在なのだ。


「みなさん、私の後ろに整列してください! さぁ、早く……!」


 根が真面目なルナは、緊急クエストを全力で遂行し――彼女のその真剣さに押され、人々はいそいそと動き出す。


「シルバー様、ありがとうございました……!」


「貴方様のおかげで、命拾いしましたですじゃ!」


「本当に、本当に感謝いたします……っ」


 人々はみな口々に感謝の言葉を述べたが……誰一人として『真実』を伝える者はいなかった。


 いくら聖女の代行者とはいえ、冒険者として助けに来てくれたとはいえ――雷帝メリドラを瞬殺する『本物の化物』に対し、ツッコミを入れるような真似はできなかったのだ。


 なんとも言えない微妙な空気が漂う中、ポーションでの治療を終えたナインゴランが動き出す。


「――シルバー殿、危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました。感謝の言葉もございません……っ」


「……失礼、あなたは……?」


「申し遅れました。自分は第七聖騎士大隊を率いる、ナインゴラン・ビトールドです」


 聖女の代行者の前ということもあって、彼の姿勢はいつもよりさらにピンと伸びた。


「これはご丁寧にどうも。私は今から、ここにいる皆さんをトット村まで安全に誘導します。ナインゴランさんも一緒に行きましょう」


「いえ。自分にはまだやらなければならないことがあるので、ここで失礼させていただきます」 


「やらなければならないこと……?」


 ルナの問いに対し、ナインゴランはコクリと頷く。


「敗走中、大切な仲間たちが何人もやられました。いや……もしかしたらまだ、息のある者がいるかもしれない。そうでなくても、せめてあいつらの亡骸なきがらは、家族のもとへ送り届けてやりたいんです」


「ふむ……お気持ちは理解できますが、それは少々危険かと。はっきり言って、あまりおススメできません。何せこの周辺には、雷帝メリドラが潜んでいるんですから」


 ルナはいかにも『デキる冒険者』っぽい感じで、格好よくキリッと忠告を発したのだが……全ての事情を知ったる者からすれば、とんでもない勘違い&空回りである。


「えっ、ぁ、あ゛ー、そう、ですね……。メリドラに見つからないよう、周囲に気を配りながら、仲間たちを捜そうと思います」


「……そうですか。そこまで意思が固いのでしたら、自分はもう止めません。せめてあなたが無事に帰れることを祈っております」


 ルナがスッと右手を伸ばし、


「はい、ありがとうございます」


 ナインゴランはそれをがっしりと掴み、固く握手を結んだ。


(ナインゴランさん、あまり強くなさそうだけど、なんて『勇敢な人』なんだろう……)


(シルバー殿、とんでもない強さだが、なんて『ド天然な人』なんだ……っ)


 まったく噛み合わないこの二人は、お互いの無事を祈って別れるのだった。


 その後、大勢の民間人を引き連れてクエリ洞窟から出たルナは、苦手な索敵に全神経を集中させ、魔族や魔獣のいない長閑のどかで平穏な林道を慎重に慎重に進んで行く。


 トット村への道中、


「むっ!?」


 ルナがバッと樹上に目を向けると、


「「「っ!?」」


 一般市民に大きな緊張が走った。


「なんだ……トカゲか」


「「「ほ……っ」」」


 弛緩しかんした空気が流れ、


「はっ!?」


「「「ッ!?」」」


「なんだ……リスか」


「「「ほ……っ」」」


 世界一無駄な緊張の時間が、十分・三十分・一時間と経過しところで――ようやくトット村に辿り着いた。


「ふぅ、ここまでくればもう大丈夫でしょう」


「「「あ、ありがとうございました……!」」」


「いえ、自分は冒険者として、ただ仕事をこなしただけですから。――それでは、自分はこのあたりで失礼します」


 久しぶりの冒険者ムーブを満喫したルナは、<異界の扉ゲート>を発動し、王都の街へ飛ぶ。


(ふぅー。中々大変なクエストだったけど、とっても冒険者っぽいことができた……なんか『いい仕事した』って感じ!)


 実際のところ、彼女は安全な林道を意味もなく慎重に進んでいただけなのだが……聖女様はとても満足そうだった。

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