第3部
第1話:聖女様の憂鬱
大転生祭から早一週間。
お泊り&お祭りという大イベントを経て、ルナ・ロー・サルコ・ウェンディの距離はグッと縮まり、最近はもっぱらこの四人で過ごすことが増えた。
特にルナとウェンディの仲は非常に良好で、席が隣同士ということも手伝い、楽しそうにお喋りしている姿がよく見られる。
三百年後の世界に転生した聖女様は、素晴らしい友人に恵まれ、とても充実した毎日を送っていた。
そして今日は、聖女学院の休校日。
雲一つない青空はどこまでも広がり、気持ちのいい風が背中を押してくれる、まさに絶好のお出掛け日和なのだが……。
ルナは学生寮の自室に引き籠り、大好きな悪役令嬢の小説を――『悪役令嬢アルシェ』を読み
「……」
ベッドの上でうつ伏せになった彼女は、足をパタパタと振りながら、本のページをめくり進める。
一時間後、
「……ふぅー……っ」
満足気な表情のルナは、小説をパタンと閉じて、ベッドから起き上がると――おもむろに気取ったウォーキングを披露し始めた。
部屋の中を謎にグルグルと歩き回った後、勢いよくバッと振り返り、飛びっきり冷たい視線を虚空へ向ける。
「――あなたたちは全員、地獄行きよ」
つい先ほど読んだ、悪役令嬢の決め台詞である。
お得意の『
「えへへ、やっぱり悪役令嬢はいいなぁ……っ。冷静で頭がよくて、美しくてかっこよくて……確かこういうの、『クールビューティ』って言うんだっけ? ふふっ、憧れちゃうなぁ!」
クールビューティと対極の位置に立つ聖女様は、決して届かない理想に心を
「ふ、ふふっ、ふふふふ……っ」
テンションの上がった彼女は、気持ちの悪い笑みを零しながら、そのままベッドにダイブし――枕をギュッと抱いてゴロンゴロンと寝転がる。
主人の楽しそうな姿を見たタマは、尻尾をブンブンと振りながら元気よく吠えた。
「わふっ、わふっ!」
「んー……? どうしたの、タマ? タマも遊ぶ? 遊びたい? 遊びたいか! そっかそっか、それじゃ一緒に遊ぼっか!」
「わふっ!」
妄想世界での悪役令嬢ムーブを楽しみ、タマと一緒に犬用のおもちゃで遊んだ彼女は――。
「……はぁ……っ」
ふとした拍子に『現実』へ引き戻され、大きなため息をつく。
「ねぇタマ……ちょっと聞いてくれる?」
「わふぅ?」
「なんか私さ、最近ちょっとやる気が出ないんだよね……」
お腹のあたりにタマを抱きかかえ、柔らかい肉球をふにふにと触りながら、ルナは長く重たいため息をつく。
帝国の大転生祭に参加し、王国へ戻ってからというもの、彼女はずっとこの調子だ。
「いや、別に楽しくないわけじゃないんだよ? ローがいて、サルコさんがいて、ウェンディさんがいて……もちろんタマもいてくれてさ。充実はしているんだけど……」
ただ――どうにも満ち足りない。
(……やっぱり原因は
その正体が何か、本人が一番よくわかっている。
ルナが現代に転生して、真っ先に掲げた目標――『悪役令嬢になる!』。これが思うように進んでおらず、消化不良を起こしているのだ。
(はぁ……どうすればいいんだろう)
悪役令嬢ムーブを決めるには、一定以上の『
その点スペディオ家は、伯爵の地位を授かる王国の中堅貴族。
『伯爵令嬢』という地位は、中々いいところを突いているのだが……。治めている領地の場所があまりにも悪く、実際は子爵並――下手をすれば、最下位である男爵レベルの力しかない。
そのためルナは、スペディオ家の地位向上を目指して、自分なりに手を打とうした。
しかし――。
(……アルバス帝国、凄かったなぁ……)
先日訪れた帝国で、
帝国と王国、両者の発展具合には大きな差があった――否、あり過ぎたのだ。
(たとえ王国で家格を上げたとしても、帝国の大貴族には勝てっこない……)
ウェンディの実家であるトライアード家は、帝都の一等地に屋敷を構え、家の中には豪華な調度品が溢れ、大量の使用人を抱えていた。
あれでもまだ、上から二番目の『侯爵』。
貴族の頂点である『公爵』など、もはや想像さえもつかない、遥か天上の存在だ。
「……なんかちっぽけだな、私……」
自分のしていることが、これからやろうとしていることが、酷く貧しいものに思えてしまい――なんとも言えない無力感・脱力感に
「いっそドカーンと『ルナ王国』でも建てられたら、悪役令嬢ムーブもやりたい放題なのになぁ……。――って、おーい! それじゃ悪役令嬢じゃなくて、悪役女王になっちゃうだろー!」
自分で自分にツッコミを入れ、
「はぁ……」
何度目になるのかもわからない、大きく長いため息をつく。
そんな
「――ルナ様、少しよろしいでしょうか?」
「うん、どうかした?」
「突然ですが、今日明日の二日間、お
「お暇……?」
ルナはコテンと小首を傾げた。
「はい。今朝方カルロ様よりお手紙をいただき、スペディオ領に戻るよう仰せつかりました」
「えっ、またスペディオ領に? つい最近帰ったばかりだよ?」
「どうやら聖女様の代行者のため、新たに宿舎を一軒用意するらしく、その準備の手伝いを頼まれました」
「ぁ、あ゛ー……(そういえば、そんなことを言っていたような……)」
ルナの脳裏に浮かぶのは、シルバーとしてスペディオ領で活動したときの一幕。帝国の徴税官ザボック・ドードーを追い払った後、カルロ・トレバスと交わした『とある会話』だ。
【シルバー様、またいつでもいらしてください!】
【今度はシルバー様専用の宿舎をご用意して、お待ちしておりますね!】
【お心遣い、ありがとうございます】
ルナはてっきり社交辞令的なアレかと思っていたのだが……。
カルロとトレバスは律儀にも、領内の空き家を綺麗に改修して宿舎と成し、内装の最終仕上げをローに頼んだのだ。
「そっか、わかった。私のことは気にしなくても大丈夫だから、お父さんとお母さんを手伝ってあげて」
「はい、それでは失礼します」
ローが部屋から出ようとしたそのとき――彼女は扉の前でピタリと足を止め、スススッと戻って来た。
「念のために言っておきますけれど……。私が留守の間、くれぐれも面倒事は起こさないよう、大人しくしていてくださいね?」
「な、何を言っているの! 私、そんな手の掛かる子じゃないよ?」
「はぁ……本当にそうでしょうか? 自分の胸に手を当てて、よぅく考えてみてください」
ローはそう言って、ジト目で見つめた。
「むっ、いいよ!」
基本的に根が真っ直ぐなルナは、言われた通り、胸に手を当てて思考を巡らせる。
(あっ、そう言えば……ワイズに襲われたとき、勝手に飛び出して、心配掛けちゃったな。この前の大転生祭も、私が迷子になっちゃって、必死に捜してくれていたんだっけ。……昨日、ローが大事に取っておいたプリン、うっかり食べて怒られたばかりだ)
次々に浮かび上がる不祥事の数々……。
叩けば
「……ごめん……」
聖女様は素直に謝れるいい子であり、
「もぅ……今後は気を付けてくださいね?」
ローはそんなルナに対して、かなり甘いところがあった。
これでは主人と侍女ではなく、手の掛かる妹と世話焼きな姉である。
「それでは今度こそ、失礼いたします」
「うん、行ってらっしゃい。気を付けてねー」
「はい」
ローは丁寧にお辞儀をし、学生寮を後にした。
「……ローがいないの、なんか変な感じだな」
普段はルナがローの部屋へ遊びに行ったり、自分の部屋に来てもらったり、一緒にタマとじゃれ合ったり――主人と侍女という関係もあって、二人でいる時間が非常に長い。
たとえ同じ部屋にいなくとも、隣の部屋でローが仕事に
手持無沙汰になったルナは、チラリと本棚に目を向ける。
「もう一冊、読もうかなぁ……って、ダメダメ。そんなことしてたら、すぐに終わっちゃう」
三百年前からの愛読書『悪役令嬢アルシェ』、長くじっくり楽しむため、『一日一冊しか読まない』と固く心に決めていた。
「うーん、特にすることもないし……久しぶりに冒険へ行こうかな?」
前回『カノプス平原の薬草採取』というクエストを受けてから、既にそれなりの時間が経過している。
そろそろ一回ぐらい、冒険を挟んでもいい頃合いだろう。
「――よし、決めた! 今日は天気もいいし、『冒険者ムーブ』をしに行こう!」
元気よくベッドから立ち上がったルナ、そんな彼女の脳裏にローの忠告がよぎる。
【私が留守の間、くれぐれも面倒事は起こさないよう、大人しくしていてくださいね?】
(い、いやいや、大丈夫大丈夫……! 私だって別に子どもじゃないんだから、ちょっと冒険に行くだけだから、ローに迷惑は掛からない……はず!)
そうして気持ちを切り替えたルナは、<
「タマー、ちょっとお出掛けしてくるから、ちゃんといい子にしてるんだよ?」
「わふっ」
「もし私の帰りが遅かったときは、ここの棚にカリカリご飯入れてあるから、それを食べていいからね? ――あっ、食べていいのはごはんだけだよ? こっちのおやつはダメ、オッケー?」
「わふっ!」
幼体フォルムのタマは、喉が退化しているため、人の言葉はほとんど喋れないのだが……。
知性そのものは、大人フォルムと同じ。
人語は完璧に理解できるため、一人での食事もまったく問題にならない。
「それじゃタマ、行ってくるねー」
「あぉーん!」
そうしてプレートアーマーを装備したルナは、<
■
王都に移動したルナが、冒険者ギルドを目指して大通りを歩いていると、周囲がにわかにざわつき始めた。
「お、おい見ろよあれ、シルバーだ……!」
「へぇ、あれが噂の聖女様の代行者か……さすがに貫禄があるな」
「そう言えば、なんか冒険者もやっているらしいぜ……?」
「おっその話、ちょっと聞いたことあるぞ。確か、剣聖を
通りを行き交う人たちはみな、彼女の方をチラチラと見ては、小声で何事かを語り合う。
(ふっふっふぅ、これはこれで悪い気はしませんね……!)
『謎の聖女の代行者&つよつよ冒険者ムーブ』にご満悦の様子だ。
その後、冒険者ギルドに入ったルナは、すぐに異常な空気を察知した。
(ん……?)
いつも陽気な冒険者たちが揃って難しい表情を浮かべ、大勢の職員たちが真剣な顔で話し合いをしているのだ。
(妙に空気が重いけど、何かあったのかな……?)
彼女はそんなことを考えながら、ちょうど受付に立っていた『顔見知り』のもとへ向かう。
「――オッチョさん、お久しぶりです」
「あっシルバーさん、またいらしてくださったんですね!」
「えぇ。ちょっとした息抜きにクエストでも、と思ったのですが……この異様な空気はいったい……?」
「実はつい先ほどエルギア王国から、『かなりヘビーな緊急クエスト』が入ってきたばかりでして……その対応を協議しているんですよ」
「……緊急クエスト……」
いかにも『冒険者っぽい』その単語は、ルナの
「なんでも王国南東部の
「指名手配中の魔族?」
「人類の生息圏に侵入してきた凶悪な魔族の中でも、特に深刻な被害を
オッチョの説明を聞いたルナは、静かに考え込む。
(雷帝メリドラ、雷系統の魔族かぁ……)
三百年前、雷を
ちなみに……雷系統の魔族の間では、「聖女を見たら死ぬ気で逃げろ」というのが定説だ。『速度』に絶対的な誇りを持つ彼らに取って、『自分達よりも高速で動く人間』というのは、ただただ恐怖の対象でしかなかった。
そんなことを知る
説明好きで世話焼きなオッチョは、小棚から地図を引っ張り出し、本件の時系列を簡単に
「およそ三十分前、王国南東の林道にメリドラが出現し、観光帰りの馬車五台を襲撃しました。
「ふむ……」
「<
「なるほど……(んー、つまりは『人助け』かぁ……。なんか聖女っぽくて、ちょっと気が乗らないなぁ……)」
彼女は現在『悪役令嬢ムーブ』に飢えており、聖女らしい行動にはまったく興味がない。
「ちなみにこれは、余談なんですけれど……。緊急クエストの報酬は、エルギア王国の国庫より支払われるため、かなり高額に設定されております」
「ほぅ……おいくらですか?」
「このクエストの難度は『A級』相当なので、本来ならば30~50万ゴルドが相場なんですが……。今回はなんとびっくり、100万ゴルドも出ちゃいます!」
「ひゃ、100万ゴルド!?」
思わず身を乗り出してしまった。
(カノプス平原で薬草を採取していたときは、丸々一日掛けて1万ゴルドの報酬だったから……単純計算で100倍……っ)
これはもう、草なんか
「あの……もしよろしければ、自分が――」
ルナの心が緊急クエストに傾いたそのとき――彼女の魂に深々と根を下ろす『聖女的思考』が邪魔をする。
(い、いやでも、お金のために人を助けるのは、やっぱり悪い気が……はっ!?)
そのとき、電撃が走った。
(お金のために人を助けるのって、なんか悪役令嬢っぽいかも……!)
聖女が無償の善意で動くのに対し、悪役令嬢は金のため・地位のため・名誉のため――己が
ルナは今回100万ゴルドという大金を手にするため、人々を助けようと思った。
この思考回路は紛れもなく、悪役令嬢のソレである。
(……これは新発見だ……)
同じ人助けでも『利益』が絡むだけで、その意味するところは、まったく変わってくる。
お金のための人助けというのは、
「――オッチョさん、その緊急クエスト、自分がお受けしても?」
「えっ、いいんですか!?」
「はい、今日はちょうど退屈していたところなんですよ」
「あ、ありがとうございます! 今すぐギルド長を――バーグさんを呼んできますね!」
オッチョは大慌てで受付の奥へ向かい、その数秒後、バーグがこちらへすっ飛んできた。
「おぅシルバー、オッチョから聞いたぜ! 緊急クエスト、受けてくれんだってな!」
見るからに興奮した様子の彼がそう言うと、その後ろに続くオッチョが「あっ!」と声をあげる。
「バーグさん、やっぱりこれ駄目です! シルバーさんはまだ鉄級冒険者、緊急クエストを受けるには、
「――てめぇはどこまで糞真面目なんだ、馬鹿オッチョ! んなくだらねぇ規則は、ギルド長権限で凍結だ! そもそもシルバーが白金の枠に収まるわけねぇだろ!」
「す、すみません……っ」
「今は一分一秒が惜しい! シルバー、クエストの概要を手短に説明するぞ!」
バーグはそう言って、エルギア王国の地図を受付台の上に広げた。
「おそらく現場はここ、南東の林道沿いにあるクエリ洞窟だ。敵は雷帝メリドラ、<
「えぇ、お任せください」
「ったく、心強い返答だな! っとそうだ。念のため、この地図は持って行っとけ!」
「ありがとうございます」
バーグから簡単な地図を受け取ったルナは、クルリと
「それでは行ってきます」
「おぅ、頼んだぞ、シルバー!」
「シルバーさん、頑張ってください!」
オッチョとバーグに見送られながら、冒険者ギルドを後にしたルナは――プレートアーマーの中で、嬉しそうに微笑む。
(お金のための人助けなんて、生まれて初めてだなぁ。ふふっ、こんなの絶対に上がっちゃうよ、『悪役令嬢レベル』……!)
それはレベル1がレベル1.1になるような、微笑ましいレベルアップなのだが……聖女様にとっては、大きな第一歩だ。
(しかも、緊急クエストを任されちゃうだなんて……なんか私、『デキる冒険者』っぽいかも……!)
見るからに上機嫌なルナは、手渡された地図を開き、目的地の正確な位置情報を確認する。
「えーっと……多分この辺り、かな? ――<
そうして彼女は、クエリ洞窟へ飛ぶのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【※読者の皆様へ】
右上の目次を開いて【フォロー】ボタンを押し、本作品を応援していただけると嬉しいです……!
(素晴らしいレビューを書いてくださった、まな様、touhokujin様、本当にありがとうございます! 一言でもレビューを書いていただけると、カクヨムの読者さんに口コミが広がって本作の露出増加に――新しい読者様の獲得に繋がるので、とてもとても嬉しいです……!)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます