第3話:宣戦布告
突如として口を開いたプレートアーマーは、ガッシャガッシャと歩き出し――カルロに代わって、食卓の椅子に腰を下ろした。
「なんだこの鎧……置き物かと思えば、中に人が入ってやがったのか」
ザボックの呟きに対し、ルナは何も答えず、先の発言を問いただす。
「もう一度お聞きします。さっきの言葉は、宣戦布告と受け取――」
ルナが全てを言い切る前に、ザボックは椅子を蹴り飛ばした。
「おぅ、宣戦布告だよ! てめぇら全員、皆殺しだッ!」
「「……っ」」
その迫力と勢いに押されたカルロとトレバスは、ビクッと体を震わせた。
それに気をよくしたザボックは、優しい声で語り掛ける。
「まぁでもよぉ、こっちとしても譲歩の余地はある。何せ皇帝陛下は『戦争ほど愚かな経済行為はない』と仰っているからなぁ。お前らがそれなりの誠意を……100万ゴルドでも支払うってんなら話は別だ。俺も矛を収めて、宣戦布告を取り下げてやっても――」
「――いいえ、やりましょう。この手の問題をうやむやにするのはよくありません。白黒はっきりと付けるべきです」
ルナはあくまでも戦いに前向きだった。
「ほぉ……さっきから随分と威勢がいいな。戦争になって困るのは、スペディオ家とその領民たちなんだぜ? ――
一般人ならば身を
三百年前、誰よりも多くの戦場を駆け、誰よりも多くの敵を討ち、誰よりも多くの涙を見てきたルナにとって、そんな安っぽい言葉は響かない。
「それは怖いですね。――さて、開戦の日時を詰めていきたいのですが、いつ頃にしましょうか?」
まるで
(な、なんだこいつ……っ。俺の脅しが、帝国の
あまりにも冷静過ぎるプレートアーマーに対し、ザボックが不気味な怖さを感じ始めたそのとき――背後に控える部下が、ひそひそと密談を交わす。
「な、なぁあの鎧って……もしかして、『例のアレ』じゃねぇのか……?」
「あ、あぁ、王国領に出現したっていう、『聖女の代行者』……だよな?」
二人の会話を耳にしたザボックは、ギョッと身を固めた。
「あんた、まさか……っ。二体の魔族を
「別に惨たらしく殺した覚えはありませんが……。確かに、自分はシルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハートです」
ルナはここぞとばかりにフルネームをねじ込む。
彼女はまだ、この名前を諦めていなかった。
「聖女の代行者が、どうしてこんなド田舎に……!?」
「スペディオ領には、ちょっとした縁がありましてね。現在はここを活動拠点の一つにしているんですよ」
「は、はは……っ。あんたも人が悪ぃな。それならそうと言ってくれりゃいいのに……ッ」
ザボックは引き
まさかこんな辺境の地で、聖女の代行者という超大物に出くわすとは、夢にも思っていなかったのだ。
「それで先の宣戦布告についてなんですが……具体的な日取りを決めていきましょう。いつやりますか?」
「ま、待て待て、そう焦んじゃねぇよ。さっきのは売り言葉に買い言葉っつーか……こっちだって、本当は戦争なんざ望んじゃいねぇ。そっちがそれなりの『誠意』ってもんを見せてくれりゃ、大人しく引き下がるさ」
ザボックはそう言って、ルナから『譲歩』を引き出そうとした。
「ふむ……こちら側の主張としては、既に定められた地税はお支払いしているので、『びた一文払うつもりはない』――と言いたいところですが……。わざわざこんな
「さすがはシルバー殿、話のわかる人で助かるぜ!」
元々このあたりが『落としどころ』だと思っていたルナは、戸棚の奥から
「こちらが私の『誠意』です。いかがでしょうか?」
「こ、これ、は……?」
机の上にドンと置かれたのは、大きなバスケット、その中には『大地の恵み』がたくさん詰め込まれていた。
「スペディオ領で育った、朝採れ野菜になります。ここのは格別においしいですよ?」
春トマト・キャベツ・ジャガイモ・タマネギ・アスパラガス、今が旬の野菜が目白押しだ。
ルナの前世は農家の娘であり、『旬の朝採れ野菜』というのは、きちんとした敬意の表れなのだが……。
金に飢えたザボックの一味は、これを明らかな『挑発行為』と捉えた。
「おいこらてめぇ……っ。さっきから黙って聞いてりゃ、調子に乗るのもいい加減にしろやッ!」
一団の中でも特に気の短い男が、荒々しく机を蹴り上げる。
木製の食卓は真っ二つに折れ、野菜の入ったバスケットが宙を舞い――ルナの顔面、ヘルムに当たる部分は、潰れたトマトでびちゃびちゃに濡れた。
「「「……っ」」」
緊迫した空気が漂う中、ルナは床に散らばった野菜を丁寧に拾い、バスケットの中に一つ一つ戻していく。
彼女は穏やかな性格をしており、基本的にほとんど怒ることはない。
ただ、このときばかりは違った。
「……食べ物を粗末にするな」
怒りの
前世のルナは、貧しい農家に生まれた。
農業がどれほど過酷な仕事か、その収穫物がどれほど尊いものか、貧困な生活での食べ物がどれほど貴重か、実際の経験を通して知っている。
そんな彼女にとって、食材を
「あぁ、なんだってぇ……?」
「聞こえなかったのか? 『食べ物を粗末にするな』、と言ったんだ」
ルナはそう言って、ほんの僅かな殺気を放つ。
それは彼女にとって、
三百年前、あらゆる魔族を恐怖のどん底に叩き落とした聖女の殺気は、とても常人が受け止められるようなものではなく……。
「ぁ、あぁ、あ゛ぁああああ……ッ」
男は生まれたての小鹿が如くガクガクガクと体を震わせ、そのままフッと意識を手放した。
恐怖のあまり頭髪は白く染まったうえ、ハラハラと力なく抜け落ち、まるで
その異様な光景を目にしたザボックたちは、顔を真っ青に染めた。
彼らは小物がゆえ、迅速に『理解』したのだ。
目の前のプレートアーマーには、決して逆らってはいけないということを。
「も、ももも……申し訳ございません! こいつ、本当に死ぬほど馬鹿な奴でして……! い、いやぁそれにしても、スペディオ領のお野菜はおいしいですなぁ! なぁ、お前ら? なぁ゛!?」
「「「た、大変おいしゅうございます……!」」」
ザボックたちはみな、死ぬ気で野菜を
トマトを頬張り、キャベツの葉を噛み、アスパラガスを
ここで食わねば殺される、彼らの生存本能がそう訴えたのだ。
「ふむ……まぁいいでしょう」
ルナはトレバスの用意してくれたタオルで顔を拭き、ザボックたちへ目を向ける。
「お野菜を食べていただけたということは、『こちらの誠意が伝わった』、そう理解してもよろしいですね?」
「もちろんでございます! シルバー殿のお心遣い、大変ありがたくいただきました!」
「それはよかったです」
「で、では! 私達はまだ仕事がありますので、失礼させていただきます!」
ザボックたちはそう言うや否や、まるで逃げるようにして屋敷を飛び出した。
(ふぅ……これでひとまず一件落着だ)
帝国の徴税官はスペディオ領を去った。
これで後一年は――次の納税期が来るまでは、平穏無事に暮らせるだろう。
「シルバー殿、
「おかげさまで、なんとか今年も暮らしていけそうです……っ」
カルロとトレバスは深々と頭を下げ、感謝の言葉を述べた。
「いえ、どうかお気になさらず。ここは聖女様に
「なんと、このスペディオ領が……!?」
「あぁ、誇らしい限りでございます!」
自分の領地が『聖女所縁の地』であると知り、二人は心の底から喜んだ。
(ま、まぁ嘘は言っていないからね……?)
縁が結ばれたのは、『三百年前の聖女』ではなく、『現代の聖女』なのだが……一応、嘘はついていない。
(あまり長々とお話ししていたら、シルバーが私だってバレちゃうかもしれないし……そろそろ帰った方がいいかな)
そう考えたルナは、コホンと咳払いをする。
「では、私もこの辺りで失礼しますね」
「も、もう行かれてしまうのですか……?」
「せめて何か、お礼を……!」
「いえ、お構いなく。それほど大層なことはしていませんから」
彼女がそう言って屋敷から出ると、カルロとトレバスが見送りに来た。
「シルバー様、またいつでもいらしてください!」
「今度はシルバー様専用の宿舎をご用意して、お待ちしておりますね!」
「お心遣い、ありがとうございます。では――<
ルナは高位の空間魔法を起動し、次元の狭間に消えていった。
「――ふぅ、疲れたぁ」
聖女学院の学生寮に跳んだルナは、プレートアーマーを<
すると次の瞬間、
「わおーんっ!」
「わっ!?」
主の帰宅に目を輝かせたタマが、勢いよく飛び掛かっていった。
尻尾をブンブンと振ったタマは、もぞもぞと胸の上まで進軍を果たし、ぺろぺろとルナの頬を舐める。
「あはは、もぅくすぐったいよぉ……っ」
彼女は嬉しそうに微笑みながら、ふわふわの毛並みをよしよしと撫ぜてあげた。
「いろいろ大変だったけど、ちゃんと上手くいってよかったぁ……」
無事に一仕事を終えたルナは、ホッと安堵の息をつく。
昨日、自室で頭を悩ませていた彼女は、とある妙案を思い付いた。
それがつい先ほど実行した、『偶然出会った鎧が聖女の代行者だった件』という、聖女様が直々に名付けられた特別作戦だ。
①プレートアーマーを着込んだ状態で、お金を工面するために質屋へ向かうトレバスと、偶然を装ってばったり出くわす。
②聖女の代行者である身分を明かしたうえで、スペディオ領の問題を聞き出し、
③聖女学院に帰った後、授業をズル休みしてスペディオ領に移動し、壁際に飾られた鎧としてスタンバイ――その後は流れに身を任せる。
(いやぁそれにしても、我ながら完璧な作戦だったなぁ。ふふっ、もしかしたら私、参謀役としてもいけるかも……?)
とんでもなく調子に乗っているルナだが、確かに今回は彼女にしては非常に珍しく、きちんと頭を使っていた。
いつものような行き当たりばったりではなく、作戦を成功させ
まずシルバーは聖女の代行者として、広く名を知られており、好き好んで敵対する者はいない。
そしてザボックに戦争を仕掛ける権力がないことは、既にローから確認済み。
こちらが強気で押せば、相手は引かざるを得ない――そんな考えのもとに作戦を決行し、実際に予想した通りの展開になった。
(後は……念のために『アフターフォロー』をしておかないと)
この作戦には、『シルバーとスペディオ領を繋げてしまう』という大きなデメリットがある。
一応、「スペディオ領は活動拠点の一つ」と言って、軽いフォローは入れておいたものの……。
この付近での目撃情報が重なれば、シルバーとスペディオ領の関係が取り沙汰され――いずれは自分のもとへ、「聖女様なのでは?」という疑いの目が向けられてしまうだろう。
それだけは、絶対に避けなければならない。
(しばらくの間は、スペディオ領に近付かないようにしつつ、冒険者シルバーとして他の活動拠点を作っておこっと)
そうしてアフターフォローのことまで、きっちりと考え終えたルナは――タマの肉球をふにふにといじりながら、静かに物思いに
(あぁ、早く悪役令嬢ムーブをしたいなぁ……。でもそのためには、家を大きくしないと。それに冒険者として、三百年後の世界も見て回りたいし。……あぁそうだ、黒歴史の回収も急がなきゃ)
『やりたいこと』と『やらなければいけないこと』がぐしゃぐしゃになり、心と頭が大渋滞を起こしていた。
(……誰かに相談できたら、きっと楽になるんだろうけど……)
ルナは聖女であることを隠しているため、相談相手になるような人物は誰一人として存在しない。
「はぁ……こんなときに
剣士ゼル・魔法士シャシャ・僧侶フィオーナ、今は亡き仲間たちのことを思い出しながら、大きく長いため息をつくのだった。
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