第2話:スペディオ領
メインヒロインの襲来から数日が経過し、聖女学院は休校日を迎える。
早朝から馬車に乗り込んだルナとローは現在、スペディオ領へ向かっていた。
「ルナ様、突然どうしたんですか? 急にお屋敷へ戻るだなんて……」
「うん、実はちょっと調べたいことがあってね」
ルナの手元には、『猿でもわかる! 簡単に
(ふむふむ、なるほどなるほど……。『家格を上げるにはまず、自分の領地の特色を知り、それを活かして経済圏を発展させること』、か。……凄い。この本とっても高かったけど、マル秘情報がいっぱい書かれてる! 露天商のおじさんがおすすめするだけあって、大当たりだ!)
定価の十倍という超ぼったくり価格で、どこにでもある本を売り付けられた哀れなカモは、そうとも知らずに嬉々として喜び、
(はぁ……。この子ったら、また妙なことをしでかさないといいですけど……)
主人の突拍子もない行動に振り回される侍女は、深く長いため息をついた。
そのまま揺られ続けること数時間、スペディオ家の屋敷前に到着。
スタッと華麗に地面へ降り立った聖女様は、
「う、う゛ぅ……気持ち悪ぃ……。助けて、ロー……っ」
強烈な馬車酔いに苦しんでいた。
「揺れる馬車の中で、無理して本を読むからですよ」
「ちょっと……部屋で横になってくる……っ」
「この声は……っ。ルナ様……ッ!」
「うぷっ!?」
ローはルナの
「ちょっ、何するの……!? 危うくとんでもないものが、出ちゃうところだったじゃない!」
「失礼しました。ですが、屋敷の中をよくご確認ください」
「屋敷の中……?」
ルナは音を立てないようにそーっと扉を開け、ほんの僅かな隙間から中の様子を窺い見る。
長い廊下の先にある開放的なダイニングルーム、食卓にはカルロとトレバスが着いており、その対面には――人相の悪い男たちが、ズラリと五人も集まっていた。
玄関からダイニングまではかなりの距離があるため、何を話し合っているのかわからないが……険悪な空気が漂っていることだけは伝わってくる。
(な、なに……あの怖そうな人達……?)
いろいろと気に掛かるところはあるけれど、この場で最も存在感を放っているのは、机の上に置かれた大量の硬貨だろう。
金・銀・銅と種類は様々だが、その総額は50万ゴルドにも上る。
何やら緊迫した空気が流れる中、
「――おいおいカルロさんよぉ、この
「そ、それは……その……っ」
集団の先頭にドンと居座り、威圧的な言葉を口にするこの男は、帝国の徴税官――ザボック・ドードー、三十四歳。
身長175センチ、標準的な体型。赤みを帯びた大きな鼻と睨み付けるような鋭い眼が特徴の地方
彼の主な業務は
「まったく泣けてくるぜ。帝国の最南端にある、こんなド田舎に出向いた結果が……
彼はそう言って、机に置かれた、大量の硬貨に目を向ける。
このお金はカルロとトレバスが、家の中から必死に掻き集めたものなのだが……ザボックの要求額には遠く及んでいない。
「も、申し訳ございません……っ。しかしザボック殿、私共は既に今年分の税を納めていま――」
「――ぐだぐた言ってんじゃねぇぞ、糞爺ッ! 俺はここら一帯の徴税を、『皇帝陛下』より任されているんだ。ほら見えるよなぁ、
「……っ」
ザボックの
「ったく、わかりゃいんだよ、わかりゃあ……。とにかく後二日、明後日の正午までは待ってやるから、それまでに死ぬ気で金を集めろ。まずは明日の朝一番に王都へ行って、ありったけの私財を売り払ってこい。屋敷・家畜・内臓、値がつくものは片っ端から金に換えていけ」
「そ、そんな無茶苦茶な……っ」
「無茶でも
扉の外から盗み見ているルナには、どんな会話が行われているのか、はっきりとは聞こえていないのだが……。
ザボックの横暴な態度は、目に余るものがあった。
「あの人、ちょっと嫌いかも……。さっきからずっと偉そうだし、何をあんなに怒っているの?」
「腕章から判断するに、あの男は帝国の徴税官ですね。おそらく
『地税の取り立て』という冷や水を浴び、ルナは幾分かトーンダウンする。
「……えっ、うちってそんなに貧しいの……?」
「難しい質問ですね。豊かでもあり、貧しくもある、というのが答えでしょうか」
「どういうこと……?」
「スペディオ家が治めるこの地は、
「なんか話を聞く限り、めちゃくちゃ裕福そうだけど……?」
その意見に、ローは賛同する。
「はい、この領地を単体評価すれば、非常に豊かだと言えるでしょう。ただ……『立地』が最悪です」
「田舎だから?」
「まぁ交通の便が悪いという意味では、それも少しありますが……。やはり一番の問題は、東西南北を『四つの大国』に囲まれていることでしょう」
ローはそう言いながら、地面に簡易的な地図を描いていく。
「北にアルバス帝国、東にエルギア王国、南にグランディーゼ神国、西にユーン共和国。スペディオ領はこれら四大国のちょうど中間に位置しており、各国がそれぞれこの地の領有権を主張しています。過去の慣例的に、王国領として扱われることが多いのですが……毎年この時期になると、他の三国が図々しくも顔を出し、それぞれが手前勝手な税を要求してきます」
「そ、そんな……っ。四か所から税金を取られちゃ、お金なんか一瞬でなくなっちゃうよ」
「はい。ですからスペディオ家は、豊かでもあり貧しくもある、という先ほどの答えになりま――っ。ルナ様、こちらへ……!」
「もが……っ!?」
口と鼻をがっしりと鷲掴みにされたルナは、そのまま屋敷の側面に連れ込まれる。
その僅か数秒後――玄関の扉が荒々しく開け放たれ、帝国の徴税官たちが屋敷を去っていった。
「……行きましたね」
「ん゛ー、ん゛ー……っ」
「あっ、申し訳ございません」
どこか天然の入っているローは、主人の口と鼻を塞いでいることをすっかり忘れていた。
「ぷはぁ……っ。はぁはぁ……ねぇロー、私何かあなたを怒らせることした!?」
「いえ、大変失礼いたしました」
平謝りするローに対し、ルナは「まったくもう」と御立腹の様子だ。
「それで……これからどうする?」
「非常に入りづらい雰囲気ですが、いつまでもここでボーッとしているわけにもいかないでしょう」
「……だよね」
ルナは意を決して、扉をギィッと開ける。
「た、ただいまー……っ」
「……ルナ……? なんだ、帰って来ていたのか」
「う、うん」
そのどこかぎこちない態度を見て、カルロはピンと来た。
「もしかして……さっきのを見ていたのか?」
「えぇっと、その……」
彼女は返答に窮したが、嘘をついても仕方がないので、無言でコクリと頷く。
「……そうか、すまないな。随分と格好悪い姿を見せてしまった」
「う、うぅん。全然そんなことないよ!」
ルナはブンブンと首を横へ振ったけれど、カルロは気落ちしたままだ。
「さっきの人たちって、帝国の徴税官だよね……?」
「あぁ、よく知っているな。定められた地税はもうちゃんと納めているんだが……今年の徴税官は、本当に
沈痛な表情を浮かべた彼は、両手で静かに頭を抱える。
「ちなみに、お金っていくら必要なの……?」
「……300万ゴルド」
「さ、300万……!?」
「今日なんとか50万は用意したから、正確には残り250万だな……」
カルロはそう言って、深く重いため息をつく。
「で、でも地税って普通、領地全体に掛けられるものだよね? 領民のみんなにお願いして、ちょっとずつお金を出してもらえば、なんとかなるんじゃないの……?」
ルナの指摘は
地税はスペディオ
しかし、カルロは首を横へ振る。
「いいや、それはできない。みんな、ギリギリのところで頑張ってくれているんだ。領民の生活を保障するのは、領主である当家の義務――儂等がなんとかするほかあるまい」
「で、でも……っ」
「ありがとうルナ、お前は本当に優しい子に育ってくれたな」
カルロはそう言って、自慢の愛娘の頭をそっと撫でた。
「……っ」
ルナはとても複雑な思いだった。
この体の本当の持ち主は、ハワードの馬車に
しかし、それを伝えるのは非常に酷な話であり、『今ここにいるルナ・スペディオは何者なんだ?』となってしまう。
なんともいたたまれない気持ちになったルナは、
「そ、それじゃ私、ちょっと書庫で調べ物があるから……っ」
クルリと
そんな彼女の背中に、
「……はぁ、どうすればいいんだ……っ」
カルロの疲弊しきったため息が、ずっしりとのしかかった。
その後、書庫に移動したルナは、ローを招き入れ、相談を持ち掛ける。
「ねぇロー、さっきの話でちょっと気になるところがあるの」
「なんでしょうか」
「お父さん、徴税官から『更地にする』って脅されているみたいなんだけど……帝国は本当にうちへ攻撃してくるのかな?」
「いいえ、まず以ってあり得ませんね」
ローの回答は、清々しいほどにはっきりとしていた。
「えっ、そうなの……?」
「はい。あのような
「ひ、酷い……っ。徴税官が悪いことをしているって、帝国の偉い人――たとえば皇帝陛下とかに伝えたら、どうにかしてくれないかな?」
ルナの提案に対し、ルーは首を横へ振る。
「残念ながら、それは難しいかと」
「どうして?」
「スペディオ家と帝国の繋がりは非常に薄く、この時期に地税の受け渡しをするぐらいのもの、当然ながら皇帝への連絡窓口もありません。それに何より――地方
「ロー、皇帝のことを何か知っているの?」
ルナの問いに対し、ローは「まぁ人並み程度にですが」と断りを入れて話し始める。
「第三十三代皇帝アドリヌス・オド・アルバス。彼は即位後すぐに大規模な構造改革を実施し、長らく低迷していた帝国経済をわずか三年で建て直しました。一部では『帝国史上最高の名君』であるとも言われております」
「へぇ、凄い人なんだ」
「ただ……その成功の裏には、多くの犠牲がありました。皇帝は行き過ぎた効率主義者で、成長産業には投資を惜しまないものの、不採算部門には容赦なく
「け、けっこう強引なんだね(そう言えば三百年前の皇帝も、無茶苦茶な人だったなぁ……。こういうの『先祖返り』って言うんだっけ?)」
「皇帝はあらゆる場面で過当な競争を求め、強く有望な者のみを育て、弱く見込みのない者は容赦なく切り捨てる。そして――この苛烈な改革に反抗した弱小貴族・貧しい商人・力のない農民たちを、片っ端から処刑していきました。即位後10年で一万ものギロチンが降ろされたと言われています」
「そう、なんだ……。皇帝陛下に助けを求めるのは、ちょっと難しそうだね」
「はい、他の案を考えた方が賢明でしょう」
その後、二人はこの難局を打開する
(期限は明後日の正午。250万ゴルドなんて大金はうちの家にない。領民に税の負担をお願いする案は駄目だった。帝国の偉い人に訴えても効果はなさそう。……う゛ぅ~……っ)
現状、完全に八方塞がりだ。
そうして三十分ほどが経過したところで、ローがチラリと時計に目を向ける。
「ルナ様、大変申し訳ございません。そろそろお屋敷の掃除がありますので……」
「あっうん、ごめん、ありがとう」
「いえ、お気になさらず」
ローは小さく頭を下げ、書庫を後にした。
そうして一人きりになった彼女は、もぞもぞと自室へ移動し、ベッドの上でゴロンと仰向けになる。
「……うちって、そんなに苦しい状況だったんだ……」
スペディオ領は広く、パッと見たところ農耕や牧畜も盛んだったので、それなりに裕福な家だと踏んでいたのだが……。
現実は周囲の列強諸国に
「はぁ……困ったな。こんなの、
結局この日、彼女はほとんどずっと自室に引き籠り、何かいい案はないものかと考え続けるのだった。
その後、二日という時はあっという間に流れていき――時刻は午前五時。
まだ東の空が
「それじゃ私、学校があるから行くね」
「せっかく帰ってきてくれたのに、何もできずにすまなかったな。……徴税官のことは気にしないでくれ。父さんには『秘策』があるんだ」
「そうよ。子どもはお金のことなんか、何も考えなくていいの。ルナは学校に行って、楽しくお友達と遊んでいらっしゃい」
そう言ったカルロとトレバスの瞳には――不安の色が浮かんでいた。
愛娘に余計な心配を掛けないように強がっているのは、誰の目にも明らかだ。
しかし――。
「うん、わかった」
ルナはそれに気付いていないフリをして、ローと共に馬車へ乗り込む。
今ここで変な気を回し、両親の心遣いを無下にするのは――無粋極まる行いだ。
そんなことは、あまり空気の読めない彼女にもわかった。
「それじゃまたね」
「あぁ、元気でな」
「体には気を付けるのよ」
その後、馬車に数時間ほど揺られ、聖女学院の学生寮前に到着。
時刻は既に午前八時三十分を回っており、あまりゆっくりとしている時間はない。
「ルナ様、お急ぎください。朝のホームルームが始まってしまいます」
「うん」
自室に戻った二人は、聖女学院の制服に着替え、鞄に教材を詰めていく。
そうしてそろそろ準備が整うかというそのとき――ルナが突然、その場でしゃがみ込んだ。
「うぅ、痛ぃよぉ。頭が、割れそぅ……っ」
「ルナ様、大丈夫ですか!?」
「駄目だぁ。これはもう頭が……その……駄目だぁ……っ」
絶望的に
「すぐに病院へ行きましょう!」
「ちょっ、待った待った……! そこまでじゃない! 病院に行くほどじゃないから大丈夫!」
「そう、ですか?」
急に元気になったルナに対し、ローは不思議そうに目を丸くする。
「一日ゆっくり休めば、きっとよくなるはず。だから、今日は学校を休もうと思うんだ」
「かしこまりました。では、私も御一緒しま――」
「――それはやめて! 私は一人で平気だから、ローはちゃんと授業に出て……ねっ?」
「ふむ……」
ローは当然、ルナの様子が何かおかしいことに気付いている。
しかし――。
(まぁ、いつものことですね)
主人がおかしいのは、今に始まったことではない。
「なんだかよくわかりませんが……とにかく、私はこのまま登校すればいいんですね?」
「うん、お願い」
「承知しました。それでは、失礼いたします」
彼女はペコリと一礼し、早足に部屋を出て行った。
そうして学生寮に一人残ったルナは、
「さて、と……ズル休みだけど、仕方ないよね? ――<
高位の空間魔法を使用し、
■
時計の針が正午を回った頃――突然、スペディオ家の扉が荒々しく蹴破られた。
「――邪魔するぜぇ、カルロさんよぉ?」
帝国の徴税官ザボック・ドードーとその取り巻きたちが、屋敷の中に踏み入って来た。
彼らは我が物顔でダイニングを歩き、カルロとトレバスの対面――食卓の椅子にどっかりと腰掛ける。
「それで……金はどこにある?」
ザボックはそう言って、グルリと部屋を見回した。
彼とて、残額の250万ゴルドを全額回収できるとは思っていない。
もともと適当に吹っ掛けた地税、要求額の半分――否、三割でも取れれば「いい小遣いなる」という腹積もりだ。
しかし、その予想は大きく裏切られる。
「あ、あなた方に支払うお金は……一銭たりともありません……っ」
カルロは声を震わせながらも、強くはっきりとそう宣言した。
すると次の瞬間、
「……あ゛?」
ザボックの瞳に危険な色が宿る。
「んー……おっかしいなぁ、俺の聞き間違いかなぁ? 今、払う金はねぇとか、ほざかなかったか?」
「す、既に適切な地税は納めております。これ以上、あなた方に支払う義務は――」
「――てめぇ、舐めてんのかごらぁッ!」
「義務も糞もねぇんだよ! 天下の徴税官様が払えっつってんだ、黙って金を用意すんのが筋だろうがッ! 俺の機嫌を損ねたらどうなるか、イマイチよくわかってねぇみたいだな? 今すぐてめぇらに戦争吹っ掛けて、ここに住む領民どもを皆殺しにしてやってもいいんだぞ、あ゛ぁ!?」
耳をつんざく怒声が響く中――カチャリという金属が
「――今の言葉、『宣戦布告』と受け取ってもよろしいですね?」
まるで「その言葉を待っていた」とばかりに声をあげたのは、カルロでもなければトレバスでもない。
ダイニングルームの最奥――壁際に飾られた、巨大なプレートアーマーだ。
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