第4話:皇帝アドリヌス・オド・アルバス


 太陽が西の空に沈んで久しい頃――アルバス帝国へ逃げ帰ったザボックは、老爺ろうやのようにしぼんだ仲間を国立病院へ運んだ後、帝城一階に位置する総合受付に向かった。


「俺はザボック・ドードー、帝国南部15号地区に勤める、地方徴税官だ! 今すぐ、皇帝陛下にお目見えを願いたい!」


「申し訳ございません。皇帝陛下は多忙につき、今すぐの謁見は不可能です。所定の申請用紙を提出いただき、一週間ほどお待ちくださ――」


「――馬鹿野郎、そんなに長々と待てるか! 俺はなぁ、あの・・シルバーの情報を持っているんだぞ!?」


「聖女様の代行者の……!? しょ、少々お待ちください……っ」


 驚愕に目を見開いた受付嬢は、大慌てで上席の指示を仰ぎに行った。


 ザボックがこのような行動を取っているのは、帝国の利に資するため――ではない。

 皇帝は現在聖女の代行者シルバーの情報を広くつのっており、有益な情報提供者には、多額の報奨金を出すというお触れが出ているのだ。


(シルバーの糞ったれには、大恥をかかされたが……。俺ぁ転んでもタダじゃ起きねぇ男だ! てめぇの情報を売りさばいて、陛下からとんでもねぇ額の報奨金を貰い受ける! へへっ、スペディオ領なんて『ゴミ箱』を漁るより、何十倍も効率がいいぜ……っ)


 ザボックが邪悪な笑みを浮かべていると、上階から二人の近衛兵が降りてきた。


「ザボック殿、玉座の間へどうぞ」


「皇帝陛下がお待ちです」


「は、はい……!」


 皇帝は政務で忙しく、謁見にはおおよそ一週間以上の時を要するのだが……。「シルバーの情報」ということもあって、すぐに玉座の間へ通された。


 ザボックは目を伏したまま近衛兵の後に続き、所定の位置でひざまずく。


「――ザボック・ドードー、おもてをあげよ」


「はっ」


 美しさと威厳を兼ね備えた声が響き、ゆっくりと顔をあげる。


 視線の先――黄金の玉座に居座るは、アルバス帝国が世界に誇る、絶対的支配者。


(さ、さすがに『生』で見ると、迫力が違ぇな……っ)


 アルバス帝国第三十三代皇帝アドリヌス・オド・アルバス、二十八歳。

 身長185センチ、細身の体型。

 髪は透き通るような緑に染まり、背まで伸びるほどに長い。

 大きな黄玉おうぎょくの瞳・よく通った形のいい鼻・きめの細かい肌、精悍せいかんかつ優美な非常に整った顔立ち。

 最高級の白絹に金の意匠が施されたローブを纏い、裾口すそぐちの広い緩やかなズボンを穿いている。


「ザボックよ、シルバーの情報を持っているとのことだが、それはまことか?」


「は、はい……! 奴は帝国最南端にある、スペディオ領を活動拠点の一つとしております!」


「ほぅ……続けろ」


「はっ、承知しました!」


 確かな手応えを感じたザボックはゴクリと唾を呑み、スペディオ領で起きた事件のあらましを――自分に都合が悪い部分を脚色しながら語っていく。


「じ、自分は徴税官でありますゆえ、次年度の適切な地税を把握するため、スペディオ領へ向かい――」


 そこまで口にしたところで、彼の視線の真横を鋭いナイフが通過した。

 切れた横髪よこがみがハラハラと舞い、浅く線の入った耳から鮮血がツーっと垂れ落ちる。


「ぇ、ぁ……?」


 困惑するザボックへ、アドリヌスが忠告を発する。


「ザボックよ、俺は男の嘘と女の世辞が嫌いだ。次に虚言を吐けば、その不細工な顔に風穴がくと知れ」


 彼の左手には、既に次のナイフが握られていた。


「な、なんのことでしょう……?」


 未だにしらを切ろうとするザボックへ、失望の目が向けられる。


「ザボック・ドードー、三十四歳。帝国士官学校を卒業後、中央の下級書記官に就任。翌年、素行不良により、地方官吏かんりへ左遷。勤務態度は悪く、仕事に熱意は見られない。――貴様のような腑抜けた男が、適正な地税管理のため、あんな辺境の地に視察へ行くと思うか? 大方、税と称して小銭でもせびりに行ったところ、偶然シルバーと遭遇したのであろう」


「も、ももも、申し訳ございません……っ」


 全てを完璧に言い当てられたザボックは、頭を低く尻の位置よりも下げ、自らの軽薄な偽証を謝罪した。


「これが最後のチャンスと心得よ。貴様が見聞きしたシルバーの情報、嘘偽りなくつまびらかに話せ」


「は、ははぁ……っ」


 その後、彼は一切の脚色を加えることなく、自分が知り得た情報を語っていく。


「――このようにして、なんとか逃げ帰った次第でございます……っ」


「なるほど……」


 アドリヌスはその優れた頭脳を駆使して、ザボックの話を咀嚼そしゃくし――ニヤリと微笑む。


「ふむ……この情報には価値がある。特に今このタイミングで、スペディオ領がシルバーの活動拠点の一つであると知れたのは非常に大きい。おそらくこれは、まだ王国側も掴めていないはずだ。――でかしたぞ、ザボック」


「あ、ありがたき幸せ……!」


 ホッと安堵の息をつくザボックだが……次の瞬間、アドリヌスの瞳が鷹のように鋭く尖る。


「――しかし、だ。今回の件で、シルバーは少なからず帝国に不信感を抱いた。奴との不和は、よろずの国難に値する。……まったく厄介なことをしてくれたものだな」


「た、大変、すみませんで、ございました……っ」


 恐怖に舌が回らなくなったザボックは、何度も何度も、額を床へ打ち付けた。

 皮膚が裂け、骨がきしみ、血が飛び散る中、ただひたすらに土下座を続ける。

 皇帝の不興を買ったものがどんな末路を辿るか、帝国士官である彼は、嫌というほどに知っているのだ。


 痛々しい土下座を続けるザボックへ、アドリヌスは嘆息し、慈悲を掛ける。


「はぁ……もうよい。それ以上、血を無駄にするな」


「へ、陛下……っ」


 なんとか温情を勝ち得た。

 ザボックの心がにわかにゆるんだその瞬間、彼の両腕を屈強な近衛兵このえへいが抱え込む。


「ぇ、あ……?」


「たとえ貴様のような愚物の血でも、貴重な栄養価であることに変わりはない。俺は資源の無駄は好かんのでな」


「へ、陛……下……?」


「地下へ運べ、すり潰して魔獣の餌にするのだ」


「「はっ!」」


 淡々とした指示を聞き、ザボックの顔が真っ青に染まる。


「へ、陛下、お待ちください……! どうか、どうか御慈悲を……! 陛下ぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛……ッ!?」


 必死の懇願こんがんも虚しく、彼は帝都の地下にある『魔獣研究所』へ運ばれ……悲惨な末路を遂げるのだった。


「さて、今日の政務はここまでとしよう。――ラド、付いて来い」


「はっ」


 玉座を離れたアドリヌスは、最側近を引き連れ、城の最上階にある私室へ移動する。


 ラド・ツェズゲニア、28歳。

 身長180センチ、細身の体型、薄い茶色のロングヘア。

 幼少の頃よりアドリヌスに付き従い、絶対の忠誠を誓う男だ。


 皇帝に後に続いて、私室へ入ったラドは、小さく魔法を詠唱する。


「――<フレイム>」


 壁面に据え付けられた燭台しょくだいに火が灯り、穏やかな輝きが部屋を温める。


「陛下、お飲み物はいかがなされますか?」


「ふむ……『グロキス七十年』を」


「はっ」


 氷の魔石を利用した小型のフリッジから、指定のボトルを取り出したラドは、透明なグラスに朱色のワインを注ぎ、皇帝に献上する。


 真紅のソファに体を預けたアドリヌスは、芳醇ほうじゅん葡萄ぶどうと樽の香りを堪能した後、ワインを少量だけ口に含み――満足気に吐息を漏らす。


「ふぅ……先の情報で確定した。聖女はエルギア王国に潜伏していると見て間違いない」


「王国内で立て続けに、シルバーを観測できたからでしょうか?」


「くくっ、俺はそこまで短慮ではないわ」


 上機嫌なアドリヌスは、ワインのこうをくゆらせながら、自論を展開する。


「お前も知っての通り、王国の国宝『赤の書』には、聖女が300年後に転生を果たすという予言が記されている。――聖女は処刑される直前、自身に転生の魔法を掛けた、これは確定事項だ」


 アドリヌスのこの意見は、帝国聖女学会の間でも、完全に一致した見解である。


「そしてここから先は、一般に明かされていない『極秘情報』だ。――<次元収納ストレージ>」


 彼は空間魔法を展開し、何もない空間から古ぼけた書物を取り出した。


「それは……魔法書、ですか?」


「我がアルバス王家に引き継がれし聖遺物が一つ――伝説の聖女パーティ『大魔法士』シャシャの遺した魔法書だ」


「なっ、なんと……!?」


 聖女様が益体やくたいのない黒歴史を遺す一方で、シャシャは魔法の叡智えいちを後世に伝えていた。


「シャシャの記したところによれば――転生の魔法は、生前にえにしが深く刻まれた場所で成るという。俺はこの情報から、聖女が転生を果たすのは、生誕地である神国しんこくか処刑地である王国か、このどちらかだと睨んでいたのだが……。シルバーの目撃情報と活動範囲から判断するに、どうやら刻まれた縁は、死の方が強かったらしい。聖女の人類への憎悪は、相当だったようだな」


 アドリヌスがククッと邪悪にわらう中、ラドは思考を深めていく。


「聖女が転生を果たす場所は、神国か王国の二択に絞られていた……。そしてシルバーが姿を現したのは、エルギア王立博物館と王国のスペディオ領……なるほど、これならば確かに聖女の潜伏場所が王国という考えにも頷けます」


 アドリヌス満足気に口角を吊り上げ、グラスに口を付ける。


「ときにラドよ――何故シルバーは、あの博物館に現れたと思う?」


「魔族に奪われたという、『赤の書』を取り返すためでは?」


「いいや違うな。それでは時系列が合わん。奴が戦列に加わったとき、赤の書はまだ王国の地下に保管されていた」


「……確かに」 


「ここまでひたすらに姿を隠して来たシルバーは、何故かあの日あの瞬間を選んで表舞台に姿を現し、『聖女の転生』を宣言した。俺はこれに強烈な違和感・・・・・・を覚えずにおられん」


「違和感……?」


 ラドは小首を傾げた。


「考えてもみろ。アレ・・は果たして適切であったか?」


「……申し訳ございません、質問の意図を掴みかねます」


「そう難しく捉えるな。『聖女転生』を告げる場として、先の舞台では役不足という話だ。シルバーからしてみれば、三百年も渋った大発表だぞ? どうせやるのならば、王都のど真ん中で派手に行うはず……いや、そうするべきだ。それにもかかわらず、奴は何故か郊外の博物館に姿を現し、そこで宣言を成した」


「つまり……先の宣言は、意図したものではなく、偶発的なものであったと?」


しかり。おそらくあのとき、シルバーは・・・・・出ざるを・・・・得なかった・・・・・。これは俺の勘だが――ワイズという差し迫った脅威から、『大切なナニカ』を守るため、自らが出るという選択を下したのだろう。奴がそうまでして守りたいものは、守らなくてはならないものは、この世に一つしかあるまい」


「まさか……あの場に聖女がいたと!?」


「あぁ、間違いない。あの日、あのとき、あの瞬間、聖女はエルギア王立博物館にいたのだ。『転生直後の聖女は、力と記憶が著しく劣化している』――聖女学会の発表と照らしても、俺のこの推理は整合性が取れている」


 推理の過程はともかくとして、アドリヌスの至った結論は、見事に的中していた。


「しかし……エルギア王立博物館は、世界的な観光名所。その来館者は、日に三万人を超えます。たとえあそこに聖女がいるとわかったとしても、その調査は困難を極めるかと」


「あぁ、帝国の諜報員を総動員したとして、あの場にいた全員を追うのは不可能だろう。だが、たった一つ『とある条件』を付すだけで、調査対象は劇的に狭まる」


 アドリヌスはソファから体を起こし、黄玉の瞳を尖らせる。


「知っているか? あの日あの場所には、少々変わったステータスの集団がいた」


「変わったステータスの集団……?」


「王国聖女学院の一年生だ。どうやら社会科見学に来ていたらしい」


「な、なんと……っ」


「ここまでの話を整理すると……聖女の転生先は神国か王国かの二択。そしてつい先日、聖女の代行者を名乗る者が、実に奇妙なタイミングで王国の博物館に出現し――しかもそこには王国聖女学院の一年生が、たまたま居合わせた。果たしてこれは偶然か? いや違うな。この世界に偶然などない。全ては必然だ」


 アドリヌスがパチンと指を鳴らした次の瞬間、何もなかったはずの壁面に大量の写真が浮かび上がる。


「これは……!?」


「王国聖女学院に通う一年生、全員分の顔写真――そしてこれが、その詳細な調査書だ」


「……さすがでございます(速い、全てが速過ぎる。この御方は、いったい何手先を読んでおられるのだ……ッ)」


 ラドが言葉を失う中、アドリヌスはさらに話を進める。


「こいつらの身辺を徹底的に洗った結果――不審な生徒が見つかった」 


「不審な生徒……?」


「旧態依然とした王国聖女学院に通う生徒は、大貴族・豪商・中央官吏などを親に持つ歴々れきれきたる子女ばかり……。しかし、この中に『とある辺境の領地』で生まれ育った、『イレギュラー』が存在するのだ」


「辺境の領地……まさか!?」


「そう、此度こたびシルバーが姿を現したスペディオ領だ」


 世界全土から、エルギア王国へ。

 エルギア王国から、王立博物館へ。

 王立博物館から、聖女学院の一年生へ。

 聖女学院の一年生から、スペディオ領の子女へ。


 アドリヌスはその聡明な頭脳を以って、聖女の潜伏地を的確に絞り込んでいく。


「知っての通り、スペディオ領は四大国に貪られる被虐ひぎゃくの地だ。そんな貧しい場所から、聖女学院の合格者が出た。ちなみにこれは、スペディオ領の長い歴史でも初のことらしい」


「既にそこまで調べが付いていらしたとは……っ」


 その深き智謀、全てを見透かす慧眼けいがん、驚異的な手の速度――ラドのアドリヌスへ捧げる忠誠心は、もはや留まるところを知らなかった。


「この調査書を見る限り、聖女学院では凡俗ぼんぞくを装っているようだが……甘い。節々に漏れずる非凡さ、ぬぐいきれぬ違和感、優秀さを隠し切れておらぬ。所詮小娘の演技では、我が眼を欺くことなぞできん」


「し、して、その者の……聖女の名前は……!?」


 もはや我慢ならぬと言った様子で、ラドは前のめりになって『答え』を求めた。


「ふっ」


 不敵な笑みを浮かべたアドリヌスは、懐からナイフを取り出し、勢いよくシュッと投げ放つ。


 それは一直線に空を切り――とある顔写真に突き刺さった。


「――ロー・ステインクロウ、こいつが聖女だ」 


 惜しくもニアピン賞である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【※読者の皆様へ】

右上の目次を開いて【フォロー】ボタンを押し、本作品を応援していただけると嬉しいです……!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る