エピローグ
――エルギア王国南方のとある街道。
普段からほとんど人通りのないこの道を今、全速力でひた走る四本脚の魔族がいた。
「はぁはぁ……っ。やった、やったぞ、やってやったぞ……! 赤の書を、聖女の予言書を手に入れたぞ!」
彼の名はギャロ・アネク、年齢不詳。
身長70センチ・青い皮膚・頭頂部に生えた小さな
「へ、へへっ、これを持ち帰れば
今回、魔王の指令を受けて、二体の魔族がエルギア王国に送られた。
戦闘員のワイズ・バーダーホルンと工作員のギャロ・アネク。
ワイズは任務遂行中、突如出現した謎の鎧に倒されてしまったが……。
ギャロはその間に目標の――赤の書の奪取に成功していた。
後はこれを無事に魔王城へ持ち帰ることができれば、立身出世はもちろんのこと、望むがままの褒美が約束される。
「これで俺様は、幹部昇進・四天王就任! もしかしたら、魔王様の右腕になれちゃったりしてぇ? あぁ~御褒美は何をもらおうかなぁ。やっぱり人間か? よし、決めた。女だ、女にしよう! 女の強い魔法士をもらおう! げぎゃぎゃぎゃぎゃッ!」
下卑た笑みを浮かべたギャロが、ダラダラとよだれを垂らしながら走っていると――背後から地鳴りのような音が鳴り響いた。
ドンッ、ドンッ、ドンッ。
巨大な岩石が高所から落下したような、超重量級の物質が大地を叩くような、そんな腹の底に響く轟音。
それが何度も何度も、規則的に続いた。
その音はゆっくりとしかし確実にギャロのもとへ近付いてくる。
(な、なんだこの音は……? 近くにどデケェ魔獣でもいんのか……?)
キョロキョロと周囲を見回すが、それらしきものは影も形も見当たらない。
数秒後、
(……さ、寒気が止まらん……っ。ヤバイ、何かわからねぇけど、とにかくこれは猛烈にヤバイ……ッ)
ギャロの魔族としての本能が、
彼の全身を
三百年前、細胞の核にまで刻み込まれた『天敵』への恐怖。
十秒後、それが人の足音であると気付いたときには……もう全てが遅かった。
「――待てぇえええええ゛え゛え゛え゛!」
「うげぇっ!?」
プレートアーマーに身を包んだ大男が、
最初はその後ろにレイオスをはじめとした、大勢の聖騎士たちが続いていたのだが……。ルナの速度に付いていけるわけもなく、スタートから1秒でぶっ千切られてしまった。
(や、ヤバイヤバイヤバイ……っ。あいつは、あのワイズを一撃で
真っ正面からの戦闘では勝ち目なし。
素早くそう判断したギャロは、ルナによく見えるよう、後ろ手に赤の書を突き付ける。
「ち、近付くな! この予言書、燃やしちまうぞぉ!?」
「どうぞ!」
「なんでぇ!?」
想定外の返答に彼は困惑した。
「くそっ、こいつは人類の宝じゃねぇのか!? なんだよあいつ、わけがわかんねぇ……ッ」
ギャロの受けた命令は予言書の『回収』。
間違っても、燃やすことなど許されない。
「それなら、こいつでどうだ! ――<
次の瞬間、ルナの前方に突如として巨大な山が出現した。
ギャロは空間魔法に特化した魔族であり、大量の魔力を消費することで、遥か遠方の山をルナの正面に瞬間移動させ――特大の障害物としたのだ。
「よ、よし! 今のうちに距離を稼いで――」
しかし、甘かった。
ギャロは聖女がどういう生き物なのか、まるで理解していなかった。
「――待てぇえええええ゛え゛え゛え゛!」
「嘘ぉおおおおおおおお!?」
ルナは一秒だに止まることなく、ただひたすら真っ直ぐ――目の前の山をぶち抜いて、最短距離を駆け抜けた。
(な、なんだよ、アイツ……頭おかしいんじゃねぇのか!? 普通山を登るか、
ルナは複雑なマルチタスクこそ苦手だが、単純なシングルタスクは大得意だ。
魔族を捕らえ、赤の書を奪い取る。
そう頭にインプットした彼女は、とにかく『最短距離』を突き進む。
目の前に山があろうと、マグマだまりがあろうと、魔族の大群がいようと――そんなものは関係ない。
あらゆる障害を吹き飛ばし、ただひたすら真っ直ぐ突き進むのだ。
そうこうしている間にも、両者の距離はぐんぐんと詰まっていく。
(くそっ、俺様自慢の四本脚でも千切れねぇ。人間のくせに、あんな重そうな鎧を着こんでいるのに、なんでそんなに
このまま速力で逃げ切ることは不可能。
そう判断したギャロは、意を決して振り返る。
「どれだけ強かろうと所詮は人間! 絶対的な種族の差を思い知れぇ! ――<
もはや出し惜しみは一切なし。
ありったけの魔力を込めて、自分の使える最強の魔法を発動した。
これは空間の
「――効かん!」
聖女の強靭な肉体と鎧に
「な、にぃ!?」
「何を驚いている? 次元魔法への対策は、基本中の基本だろう」
三百年前――魔法が全盛を極めたあの時代の魔法士ならば、空間魔法の対策を
「こ、こいつ……っ(なんてふざけた魔法防御をしていやがる。あれか、あの大きな鎧がヤバイのか。わかったぞ、ワイズはあの
「よし、捕まえ……たッ!」
ルナがグッと前に手を伸ばし、ギャロの首根っこを掴もうとしたその瞬間、
「――げ、<
彼は緊急脱出用の魔法を発動し、自らの作り出した特殊な異空間へ逃げ込んだ。
「はぁはぁ……お、驚かせやがって……っ。だが、残念だったなぁ! ここは俺様が作った、俺様だけの異空間だ! お前がどれだけ強くても、どうすることもできねぇよ!」
安全地帯に逃げ込んだギャロが、勝利の雄叫びをあげたそのとき――背後から「コンコンコン」とノックが響く。
「……え?」
彼がゆっくり振り返ると、
「――失礼するぞ」
まるで友達の部屋に入るかのような気軽さで、プレートアーマーがノッシノッシと踏み入ってきた。
「お、お前……っ、どうやって、俺様の世界に……!?」
「さっきから大袈裟な奴だな。閉じたての異空間に入るなど、そう難しいことじゃない」
「……っ」
ルナは聖女。
異空間への出入りなど、
「さぁ、私の黒歴――ゴホン、聖女の予言書を返してもらおうか」
「……っ」
四方八方、逃げ場なし。
完全に追い詰められたギャロは、この盤面における最善手を考える。
(この鎧野郎は、ワイズを瞬殺するほどの実力者。まともに戦っても勝ち目はない。でも……ここで赤の書を返したら任務は失敗。魔王様に殺されてしまう。あの御方は本当に執念深い。俺がどこへ逃げようとも、地獄の果てまで追ってくる……っ)
前門の聖女、後門の魔王。
行くも地獄、帰るも地獄。
苦渋の決断を強いられたギャロは――『最悪の答え』を選択する。
「こうなったらもう一か八かだ! 死に晒せ、鎧野郎ぉおおおお……へばっ!?」
決死の覚悟で特攻を仕掛けた次の瞬間、デコピン一発で消し飛んだ。
天高く舞い上がる赤の書、それを優しく抱き留めたルナは、ホッと
「あぁ……よかったぁ……っ」
目標の確保に成功した彼女は、周囲をキョロキョロと見回し、誰もいないことを確認してから肩の力を抜く。
「ふぅ……やっぱり『冒険者ムーブ』は疲れるなぁ」
低い声と落ち着いた口調をやめ、普段通りに戻したルナは――いよいよ自身の黒歴史と対面する。
「キミ……思いのほかに綺麗だね」
三百年という長い歳月が経過しているのにもかかわらず、赤の書の状態はとてもよかった。
多少の使用感こそあるものの、どれも経年劣化の域を出ない。
人間たちの手で、大切に保管されていたことが
ルナは少しの間、赤の書をジッと見つめ、ポツリと呟く
「……そう言えば、どんな話だったっけ……?」
過去の自分がどんなストーリーを書いていたのか、ほんの少しだけ興味を
博物館でも本の内容は公開されていたのだが……あのときはとても冷静に読めるような精神状態じゃなかったので、ほとんど何も見られていない。
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ読んでみよう」
好奇心に負けた彼女は、赤の書の表紙をめくり――中身をチラリと確認した。
すると次の瞬間、
「……う゛ぅっ……」
ルナの正気度がごっそりと削られた。
彼女がこれほどの大ダメージを受けたのは、大魔王との死闘以来、初のことだ。
「や、やっぱりこんな黒歴史は、さっさと燃やしてしまおう……!」
右手に炎の魔法を宿し、予言書の存在を抹消しようとしたところで――その手がピタリと止まる。
ルナの書いた私小説の出来は、お世辞にも褒められたものじゃない。
文章表現は
ただひたすらに自分が書きたいことを、自分が
しかし、この中には『熱いモノ』が流れていた。
『こういう物語が書きたい!』という、書き手の情熱が宿っていた。
(……生み出された作品に罪はない)
それがどんなに不出来なものであろうと、『黒』であろうと『白』であろうと、自分の『歴史』であることに変わりはない。
いろいろな思いを噛み締めたルナは、赤の書をプレートアーマーの中にそっと仕舞い込んだ。
(とりあえず……処分は保留。私の
こうして赤の書の確保に成功したルナは、ローとサルコの待つ避難場所へ戻るのだった。
■
ワイズとギャロの襲撃から一夜明け、『聖女転生』の
王国・帝国・
世界中が空前絶後の祝賀ムードに包まれる中、全人類待望の聖女様は今――。
「あ゛ぁ~……やっちゃったぁ~……っ」
自室のベッドに顔を
「う゛ー、私のバカバカ……っ。どうしてあそこで、出て行っちゃうかなぁ……っ」
頭をガシガシと
ワイズの
ギリギリのところで理性が働いたため、<
ルナはもう聖女を辞めた存在。
自己犠牲を払う必要もなければ、命を懸けて人助けをする義理もなければ、無用なリスクを負う理由もない。
今回のようなことを続けていたら、いつかどこかでボロが出て、聖女バレしてしまうだろう。
「はふぅ……」
精神的に疲弊した様子のルナは、ぼんやりと天井を眺め、ポツリと呟く。
「そう言えば……レイオスさんって絶対、
最初聖女学院で見たときは、なんなら言葉を交わして名前を聞いたときでさえ、全く気付かなかったのだが……。
昨日、ラインハルトと同じ
三百年前――ルナが世界中から
【……聖女様、このような狭苦しい牢獄に押し入れてしまい、本当に申し訳ございません……っ。私はこれから愚かな王侯貴族たちに直訴し、必ずや貴女様をそこから救い出してみせます!】
【……ありがとうございます。でも、あまり無茶はしないでくださいね?】
絶望に
王侯貴族に
たとえそれがほんの僅かだとしても、そういう人がいるんだとわかるだけで、幾分か心は救われた。
しかしその後、ラインハルトが戻ってくることはなかった。
聖女を全面的に
結局、ルナと初代ラインハルトが生きて会うことは、もう二度となかった……のだが……。
「まさか前世での借りを、三百年後の子孫へ返すことになるとは思わなかったなぁ……」
まったく妙な
「――とにかく! 私が聖女らしい行動をするのは、アレが本当に最後! もう誰かが困っていても、絶対に助けたりなんかしない。悪役令嬢に……私はなる!」
転生直後に発した所信表明を再度繰り返し、気持ちに区切りを付けたルナは――机の上に置いた赤の書にチラリと目を向ける。
(サルコさんの話によれば……聖女の予言書は、現在確認されている限り全部で『七冊』……)
赤の書は確保できたが、残り六冊の行方は不明だ。
(うーわぁー、どの色の本に何を書いたっけ……。今回の私小説でしょ。夢小説でしょ。同人誌でしょ。ポエム集でしょ。後それから、えーっと……あぁ思い出せないや……っ)
どれも『中身がヤバイ』ということは、しっかりと覚えているのだが……。
どの色の本に何を書いたのか、ほとんど記憶に残っていなかった。
しかし一つ、これだけは確実に言えることがある。
「『黒の書』……あの本だけは、世に出しちゃいけない……。たとえどんな手段を使っても、絶対に回収しなきゃ……っ」
黒の書はルナが生んだ負の遺産であり、決して開けてはならないパンドラの箱。
もしもあれが外部に流出し、赤の書のように公衆の面前で晒されるようなことがあれば……彼女は世界を滅ぼし、自分も死ぬだろう。
「とりあえず、この赤の書は大事に仕舞っておこう。――<
ルナがパチンと指を鳴らすと、目の前に空間の裂け目が出現、その中に赤の書を収納する。
これはルナだけの固有空間であり、何人たりとも知覚・干渉することができない。
ちなみに……<次元収納>の内部は無限に広がっており、あの大きなプレートアーマーもここに収納してある。
そうして赤の書を安全な場所に保管したルナは、
「あ゛ぁ~……やっちゃったなぁ~……っ」
また振り出しに戻り、ベッドの上で
彼女はこのあたり、少し切り替えが下手だった。
過去の出来事をいつまでもグジグジと引き
それからしばらくして――この悪い流れを打ち切るため、ルナは現在の状況を言語化し、自分に言い聞かせる。
「ま、まぁでもほら……考えようによっては、生き方に深み(?)的なアレが出たよね? きっと聖女の代行者として、シルバーの名前は売れただろうから、この先『つよつよ冒険者ムーブ』もやりやすくなったし? なんなら『聖女の代行者ムーブ』もできるかも? だから結果オーライ的な……ね?」
自らの失敗へ無理矢理に『付加価値』を乗せ、なんとか正当化を図ろうとする。
ルナの人間としての小ささが、これでもかというほどに出た瞬間だ。
とにもかくにも、ようやく前を向くことができた彼女は、『今後の方針』をはっきりと宣言する。
「第一目標、小説にあるような悪役令嬢として生きる! 第二目標、冒険者として外の世界を自由に生きる! 第三目標、私の黒歴史をこの世界から抹消する! これをモットーにして、第二の人生を思い切り楽しもう……!」
こうして三百年後の世界に転生を果たし、聖女という重荷から解放されたルナは、聖女バレしないよう目立たず静かに過ごしながら――表の世界では『悪役令嬢』として、裏の世界では最強の冒険者『シルバー』として、悠々自適なセカンドライフを送るのだった。
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