第12話:聖女の代行者


 突如戦場に降り立った謎の大男に、ワイズは警戒の色をにじませた。


「お前、誰だ……?(銀華ぎんかの直撃を受けて無傷、だと? 魔法で防いだ様子も、天恵ギフトを使った形跡もない。おそらくはあの鎧に何か秘密ネタがあるな……)」


 その問い掛けに対し、ルナは不敵な笑みを浮かべる。


「ふっ、よくぞ聞いてくれた。我が名は――シルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハート!」


 彼女はまだ、『シルバー』という略称を受け入れていなかった。


「長いね、シルバーでいいでしょ」


「ぐっ……やはりそうなるのか……っ」


 ワイズの先制攻撃、ルナの精神に小ダメージ。


「それでシルバー、お前はいったい何者なのかな……?」


「私は聖……じゃなくて悪役あくやくれ――でもなくて、冒険者だ」


 何度も言い間違えるルナだが、ワイズは特に気にめなかった。


 彼女は今、敵戦力の測定に全神経を注いでおり、会話の中身なぞ二の次三の次なのだ。


「ふーん、冒険者ねぇ(こいつ……魔力の反応がまるでないぞ。あの大仰おおぎょうなプレートアーマーから判断して、『耐久力が自慢の重装歩兵』ってところか? はっ、俺に取っちゃいいカモだな)」


 機動力に欠けるが、耐久力に秀でた重装歩兵――それはワイズが最も得意とするタイプの相手だ。

 相性は抜群。いざとなれば、すぐにでもほふれる。


 そんな余裕が、彼女の顔にありありと浮かんだ。


「ワイズとやら、私からも一つ質問をいいか?」


「お好きにどうぞ。ちゃんと答えるかどうかは、わかんないけどね」


「では――お前は自分を『聖女の代行者』と言ったが、それは本当なのか?」


「あぁ、もちろん! 俺は聖女の代行者! 彼女の遺志いしを継ぐ者だ!」


 ワイズは両手を大きく広げ、眼下の民衆に聞かせるように、大きな声で語り始める。


「俺はあるとき、『聖女様の死霊しりょう』と出会い、幸運にも話しをする機会に恵まれた! 彼女の人間に対する憎しみといったら、そりゃもう凄かったぜぇ? まぁ当然だよな。これまで助けてきた人々に裏切られ、むごたらしく焼き殺されたんだからなぁ!」


「「「……っ」」」


 負の歴史をほじくり返され、その場にいた人々は、みな一様に顔を伏せる。


「聖女様は見限ったんだよ! お前たちの非人道的な行い、その残虐な本性を見て、もう無理だとお思いになられた! 人間は邪悪の結晶! こんなごうの深い生き物を救えるわけがない、となァ!」


「それはそうだな」


 ルナは否定せず、深くコクリと頷いた。

 人類の秘めた残虐性については、今日の社会科見学で、これでもかというほどに見せつけられたばかりだ。


「お前……随分あっさりと認めるんだな(……このシルバーって男、何かおかしいぞ。俺の固有魔法<言霊罪過ソウル・ギルト>がまるで効いてねぇ。人間の癖に、『聖女への罪の意識』がないのか?)」


 固有魔法<言霊罪過>。自身の発する言葉によって、相手の精神に『罪悪感』を植え付けた際に発動し、対象者の全ステータスを大きく弱体化する。

 ワイズの言葉は文字通りの口撃こうげきであり、『心をくじいて肉体からだを砕く』というのが、彼女の基本戦法だった。


 実際に此度こたびの襲撃においても、人類の禁忌タブーである『聖女処刑』について厳しく責め立て、レイオスをはじめとした敵戦力の弱体化に成功していたのだが……。

 聖女本人であるルナには、当然なんの効果も発揮しない。


(まぁこの際、シルバーのことは一旦置いておくとして……俺は自分の役割・・・・・を果たさねぇとな)


 そう判断したワイズは、両の掌に銀の光を集中させる。


「俺は聖女様のご遺志に従い、人類への復讐をはじめる! 聖女様は言っているんだ、『悪しき人間どもを滅ぼせ』となァ!」


 両手の目玉があやしく輝き、白銀の閃光が解き放たれた。

 それは街を蹂躙じゅうりんしていき、人々は甲高い悲鳴をあげながら、蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う。


「はっはっはっ! どうしたぁ、もっと喜べよ! 敬愛する聖女様の魔法だぞぉ?」


 嘲笑を浮かべた彼女は、人々の心をへし折る言葉と共に銀華を撃ち、街を破壊していく。


 その光景を目にしたルナは、「得心とくしんがいった」とばかりに頷いた。


「あぁ……なるほど、そういうことか・・・・・・・


 やっとわかった。

 ワイズを初めて見たときからずっと感じていた、なんとも言えない胸のムカつき。

 その理由が、今ようやく理解できた。


同じ・・なんだな」


 ワイズの発言と行動は、三百年前の醜い人間たちと同じだった。


 ルナの脳裏によぎるのは、過去に交わした不快なやり取り。


【何故、あそこまで苛烈かれつな攻撃を? もう敵に戦意はありませんでしたよ】


【せ、聖女様!? ち、違うのです! これは団長殿に言われて、仕方なくやったことでして……!】


 自分の行いは、誰それに言われてやっただけ。


【何故、あのような心ない発言を……? この国では、獣人差別を禁止しているはずです】


【ご、誤解です! これは宰相さいしょう殿が言っていたことで、決して私の本意ではございません!】


 自分は言っていない、誰それが言っていただけ。


【何故、市民の井戸に毒をいたのですか? 敵国の民とはいえ、そこまでする必要が本当にありましたか?】


【わ、私はそこまでやれとは言っておりません! 実行部隊の馬鹿共が、勝手な判断でやったことでして……!】


 自分はやれと言っていない、誰それが勝手にやっただけ。


 決して自らが責任の主体とならず、他の誰かに言われてやったことだとうそぶく――聖女ルナはこの姿勢が嫌いだった。


 口を開けばすぐに「聖女様はこう言っていた」、「これは聖女様の遺志だ」とのたまい、聖女に全ての責任を押し付けるワイズの姿は、三百年前の醜い人間たちとぴったり重なった。


「――ワイズよ」


「なんだぃ、シルバー?」


「初見だが、どうやら私は、お前のことが大嫌いのようだ」


 胸やけの正体は単純明快――ただただシンプルな『嫌悪感』だった。


「あはっ、大嫌いと来たか。そうだね、俺も大嫌いだよ。聖女様をむごたらしく殺した、お前たち人間がなァ!」


 ワイズの右手から白銀の閃光が飛び出し――ルナの顔面に直撃する。


「ふむ……確かにこれは聖女と同じ魔法だ。誰に教わった?」


 銀華の直撃を受けたルナは、さも当然のように無傷だ。


「さっきも言っただろ? 聖女様の死霊しりょうに、だよ」


「なるほど、まともに答える気はなさそうだ」


 ルナが肩を竦めると、ワイズが問いを投げてくる。


「それにしてもシルバー、お前けっこう強そうだな?(さっきの銀華は、かなり強めにったんだけど……まるで効いていない。あの鎧、相当ヤバイな。常軌じょうきいっした魔法防御力、おそらくは伝説の聖女パーティが残した『聖遺物』の一つだ)」


「一応、昔はそれなりに・・・・・強かった・・・・んだが……今はどうなんだろうな」


 この時代に転生してから、ルナが拳を交えた人間は三人。


 自称最強のド変態ハワード壁イソギンチャクオウル最上級保護対象レイオス


 残念ながら、どれも参考にならなかった。


 彼女は未だ、現代における自分の立ち位置というものを掴めずにいる。


「まぁなんにせよ、このままチマチマ銀華を撃ったところで、お前は倒せなさそうだな」


「えらく弱気じゃないか。降伏でもするのか?」


「まさか! そうじゃなくて……ちょっとばかし、本気を出してやろうと思ってね」


 ワイズは両手を広げ、大口を開ける。

 すると次の瞬間、右の掌・左の掌・口腔内――銀華の発射口である三つの目玉が、スゥッと空中へ浮かび上がり、一つの巨大な眼球と化した。


「恐れおののけ! これが聖女様の偉大なる魔法、あまねすべてを葬り去る究極の一撃――正真正銘の『銀華』だッ!」


 彼女が叫ぶと同時、天に浮かぶ眼球へ、途轍とてつもない大魔力が集まっていく。


 その異常なまでの出力を目にした人々は、一人また一人とその場で膝を突く。


「な、なんという馬鹿げた出力だ……っ」


「あの野郎、まだこんな奥の手を隠し持っていたのか……ッ」


「やはり人間では、魔族に勝てないのか……っ」


 絶望的な空気が漂う中――ルナは「うぅむ」と喉をうならせる。


「ワイズよ、一ついいか?」


「どうした、辞世じせいの句でもむのか?」


「何か勘違いしているようだが――銀華ぎんかという魔法は、単体で使うものじゃないぞ?」


「あ゛?」


 ルナが右手を前に伸ばした次の瞬間、


「銀華―千景せんけい―」


 輝く千の銀閃ぎんせんが、大空を埋め尽くした。


「…………は?」


 ワイズの口から、頓狂とんきょうな声が漏れる。


(何故、シルバーが銀華を……!? いやその前に、なんだこのふざけた魔法の規模は!? なんだこのイカれた出力は!? あ、あり得ない……っ。こんな化物、いったいどこから湧いて出た!?)


 まるで神話の一ページのようなその光景に、彼女はただただ圧倒された。 


 一方のルナは――悪役令嬢の冷淡な微笑みを浮かべ、ワイズの言葉を借りた、意地の悪い質問を口にする。


「――どうした、喜ばないのか? 敬愛する聖女様の魔法だぞ?」


「こ、の、糞野郎……っ。ワイズ=バーダーホルンを舐めんじゃねぇッ!」


 ワイズは持てる全ての魔力を燃やし、最強の一撃ぎんかを撃ち放った。


 それに対して、ルナはスッと右手を横へぐ。


「――かい


 次の瞬間、解き放たれた白銀の流星は、ワイズの稚拙ちせつな銀華を一瞬で喰らい尽くし――、


「……ぁ、ガ、ぉ……ッ」


 圧倒的な超火力による、全方位からの集中砲火を受けた彼女は、細胞のひとかけらも残さず、コンマ数秒のうちにこの世から消え去った。


 まさに一撃。

 聖女ルナは『純然たる格の違い』を、これでもかというほどに見せ付けた。


 そして――。


(ば、馬鹿な……ッ)


 戦闘の一部始終を目にしたレイオス・ラインハルトは、言葉を失う。


(あの化物染みた強さを誇るワイズが、完全に子ども扱いだった……っ)


 文字通り、『強さの桁』が違った。

 あんなものは戦いと呼べる代物じゃない、ただただ一方的な蹂躙劇じゅうりんげきだ。


(シルバー・グロリアス=エル=ブラッドフォールンハート、あの男はいったい何者なんだ……!?)


 街中がシンと静まり返る中――ルナは眼下の人間たちに告げる。


「――私こそが、聖女の代行者だ」


「「「……!?」」」


 その言葉を受け、人々は息を詰まらせた。


「予言書にあった通り、聖女様は転生をなされた。しかし、彼女は思い悩んでいる、人間を信じられなくなっている。だから、見せてほしい。人類が――あなたたちが救済に足る存在であることを……!」


 ルナが言葉を切ると同時、街のあちこちから嗚咽おえつが漏れ出す。


「う、うぅ……聖女様が……聖女様がついに転生なされた……ッ」


「聖女様、愚かな先祖の非礼をここにお詫びします。本当に申し訳ございませんでした……っ」


「聖女様、ありがとうございます、ありがとうございます……っ。貴女様の転生を心から祝福いたします……ッ」


 感涙にむせぶ者・歴史の過ちを詫びる者・感謝を繰り返す者、彼らの顔は涙でぐしゃぐしゃになっているが……もちろんそれは、悲しみによるものではない。

 抑えきれぬほどの歓喜が、大粒の涙となって、溢れ出しているのだ。


 そんな中――聖なる十字架を握り締めた集団が、どこからともなくぞろぞろと現れる。


「――さぁみな! 今こそ聖女様に全身全霊の祈りを捧げるのだ!」


 指導者の男がそう言うと同時、彼らは一斉に張り裂けんばかりの大声を張り上げた。


「「「聖女様……ッ! 聖女様……ッ! 聖女様……ッ!」」」


 普段は冷ややかな目で見られるこの祈りだが……。

 今この場において、それを馬鹿にする者は、もはや一人としていない。


「……女様……」


 若い男性がボソリと呟き、


「聖……様……っ」


 壮年そうねんの女性が小さな声で続き、


「……聖女、様……」


 老齢の貴婦人がはっきりと口にし、


「聖女様!」


 小さい子どもが声をはずませ、


「……聖女様……ッ!」


 大きな男がたまらず叫んだ。


 一人また一人と聖女様の大合唱シュプレヒコールに加わった結果――。


「「「「「「「聖女様……ッ! 聖女様……ッ! 聖女様……ッ!」」」」」」」


 街全体の意識が完璧に統一され、熱狂的で異常な空間じごくが完成する。


(ごめん、それは本当にやめて、普通に怖いだけだから……っ)


 ルナがドン引きする中――彼女の背後に一人の聖騎士が、レイオス・ラインハルトが降り立った。


「――おい貴様、シルバーと言ったな」


「……なんだ?」


 しばしの沈黙の後、ルナはゆっくり振り返る。

 一瞬、「フルネームをちゃんと名乗ろうかな?」と思ったのだが……。レイオスの声色が真剣そのものだったので、仕方なくゴクンと呑み込んだのだ。


「貴様は聖女様と繋がりがあるのか?」


「あぁ」


「そうか……いろいろと聞きたいことはあるが、どうせ答える気はないのだろう?」


「まぁな」


 ルナはコクリと頷いた。


 今回は聖女の代行者を名乗る不届き者ワイズが現れたので、仕方なく『冒険者シルバー』を『聖女の代行者』に立てただけ。

 当然ながら、表舞台に戻る気などさらさらなかった。


「では一つ、言伝ことづてを頼まれてほしい」


「なんだ?」


「聖女様に伝えてくれ。『人間の成長を――我らの輝きを見ていてください』、とな」


「……ふっ、いいだろう」


 とにもかくにも、これでワイズの脅威は去った。


(街の人達はみんな頭がおかしくなっちゃったし……早いところ帰ろっと)


 ルナが<異界の扉ゲート>を使おうとしたそのとき、背後から大きな爆発音が響く。

 そちらに目を向ければ――巨大な火柱が天高く立ち昇り、紅蓮の炎の中に四本脚の丸いフォルムをした生物が浮かんでいる。


(魔族……もう一体いたんだ)


 新たに出現したこの魔族は、市街地の一角に着地、回れ右をして全速力で逃げ出した。


(あの魔族、何かを大事そうに抱えていたような……?)


 一瞬チラリと見えたのは、赤い表紙の本。


(……なんだろ、どこかで見覚えが……?)


 ルナが頭をひねっていると――爆心地のすぐ近く、研究者らしき男が悲痛な叫びがあげた。


「だ、誰か、あの魔族を捕まえてくれ! 聖女様の予言書が、赤の書が奪われた……!」


「「「なっ!?」」」


 敵はもとから二人一組だった。


 ワイズは陽動、表で派手に暴れてヘイトを買う役回り。

 そして先の四本脚の魔獣こそが本命、裏でこっそりと暗躍し、エルギア王国の国宝を奪い取る。


 奴等の狙いは、街の最深部に保管された聖女の予言書だったのだ。


「あ、あぁ……聖女様の予言書が……っ」


「せっかく聖女様が、転生なされたというのに……ッ」


「これでは聖女様に顔向けができん……っ」


 人々が悲嘆ひたんに暮れる中、聖騎士たちが気を吐いた。


「はぁはぁ……追え、追うのだ! 絶対に逃がしてはならぬッ!」


「聖女様の予言書は……人類の、希望……!」


「この命に代えても、取り戻すのだ……ッ」


 ワイズとの戦闘で既に満身創痍の聖騎士たちは、幽鬼ゆうきのように立ち上がり、重たい体に鞭を打ち、魔族の後を追い掛ける。


 しかしそこへ、


「――待てッ!」


 レイオスが制止の声を掛けた。


「先の戦闘で、お前たちは疲弊しきっている。敵の詳細な戦力は不明だが、少なくともあの・・ワイズと同等以上であると予想される。ここで追うのは完全に悪手、ただ命を捨てに行くようなものだ!」


 彼の発言に対し、聖騎士たちは異を唱える。


「し、しかし……っ。それでは聖女様の予言書が、魔族の手に渡ってしまいます!」


「シルバーの、あの代行者の言葉を思い出してください!」


「我々は聖女様に『救済に足る存在である』と示さねばならないのですよ!?」


 口々に異論を述べる聖騎士たちに、レイオスの一喝が響く。


「愚か者め、頭を冷やせ! 『聖女様の真意』をよく考えるんだ!」


「「「聖女様の、真意……!?」」」


「かつて聖女様は、人類の救済を掲げ、その身をかえりみず、人民の命を最優先に行動なされた! たとえそれが聖遺物だったとしても、聖女様がお書きになられた予言書であったとしても、人民の命より優先すべきものではない! 聖女様は、きっとそう仰るはずだ!」


「「「……ッ」」」


 それは反論の余地がない、完璧な正論だった。


 強く優しく美しく、人民のためを思い、人民のために戦い、人民のために尽くす。 

 それこそが――人類救済の象徴『聖女様』だった。


「くっ……俺たちはこのに及んで、また誤った判断を……ッ」


「聖女学を学んでおきながら、その考えに辿り着けなんだとは……ただただ自分が情けない……っ」


「もっと思考を深め、聖女様の真意をみ取らなくては……ッ」


 聖騎士たちは己が浅慮を恥じ、そして――感動した。

 聖女様がどれほど人類のことを考えてくれていたかを、その海よりも深く山よりも高い慈悲の心を思い出し、涙が止まらなかった。


 聖女の真意を完璧に捉え、聖騎士の暴走を止めたレイオスは、クルリと振り返る。 


「聖女様ならば、赤の書よりも人民の命を優先するはず――。なぁ、貴様もそう思うだろう、聖女の代行者シルバー?」


「そんなわけないだろう! 今すぐ全員、死ぬ気で追い掛けるんだ……!」


「え、えぇ……っ」


 予想とは真逆の答えが返って来たため、レイオスはあんぐりとあごを落とすのだった。

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