第11話:魔族


 人道じんどうにもとるはずかしめを受けたルナは、うっすらと涙目になりながらプルプルと震えていた。


(……今すぐあの黒歴史をビリビリに破り捨てたい……っ)


 途轍とてつもない破壊衝動に駆られた彼女だが、ギリギリのところで踏みとどまる。


 脳裏をよぎるのは、サルコのあの言葉――。


【ここに展示されているものは複製レプリカ原典オリジナルは、王国の最深部にて厳重に保管され、今なお解読が進められておりますわ】


 今ここで赤の書レプリカを破り捨てたとて、なんの意味もない。

 全ての元凶を――『ルナの手書きの私小説』をなんとかしない限り、複製品はいくらでも無限に作られてしまう。


 自身の黒歴史を消すためには、原典の保管場所を特定し、大元を叩く必要があった。


(……これは完全にライン越えのいじめだ。人類許すまじ……もはや慈悲はありません……っ)


 ルナがグッと拳を握り締めたそのとき――凄まじい轟音が響き、博物館全体が大きく揺れる。


「わっ!?」


「ルナ様!」


「い、いったいなんですの!?」


 ルナたちを含めた来館客に動揺が広がる中、慌ただしい足音がドタドタドタと近付いてきた。


「――緊急連絡! この一帯は現在、敵性魔族の攻撃を受けています!」


「これより我ら聖騎士部隊が、避難誘導を行います!」


「みなさまは慌てず落ち着いて、我々の後に続いてください!」


 その後ルナたちは、聖騎士たちの指示に従い、非常用通路を通って出口へ向かう。


 博物館を出るとそこには――変わり果てた王都の街が広がっていた。


(……酷い……)


 綺麗だった街並みからは火の手が上がり、舗装された道はめくれ、あちこちから悲鳴が聞こえる。


 そんな街の上空――翼の生えた魔族らしき女性が、邪悪な笑みを浮かべていた。


「俺は『聖女の代行者』ワイズ・バーダーホルン! 愚かな人類に聖女様のメッセージを伝えに来た!」


 ワイズ・バーダーホルン、外見上の年齢は二十代前半。

 身長は170センチ、中性的な体型、アイボリーの長髪をポニーテールに纏めている。

 背中には漆黒の薄羽うすばねが生え、右目の下に黒いハートの紋様があり・両の掌には漆黒の目玉がぎょろぎょろと不気味に動く。

 上にはズタズタの黒絹くろぎぬを羽織り、下にはぴっちりとした黒いズボンを穿いていた。


「ふ、ふざけるな! 何が『聖女の代行者』だ……!」


「貴様のような魔族風情が、聖女様の名をかたるでないわ!」


「今すぐ人間の国から出て行け……!」


 この街に住む国民たちから、非難の声が次々にあがった。


「おやまぁ、これはまた元気な烏合うごうだこと……。そんな糞みてぇな戯言ざれごとは、こいつを見てから言うんだな――銀華ぎんか!」


 ワイズが地表に右手をかざした次の瞬間、白銀の閃光が解き放たれ、市街地の一部が吹き飛んだ。


「「「き、きゃああああああああ……!?」」」


 轟音と悲鳴が響きわたり、人々は顔を青く染める。


 魔法の絶大な威力に怯えた――のではない。


 今の魔法には、街を破壊する以上の『特別な意味』があった。


「そ、そんな……あれはまさか……っ」


「聖女様の魔法……銀華!?」


 銀華は聖女が使っていたとされる魔法であり、悪名高き聖滅運動によって、その使用法および習得法が失われてしまったものだ。

 現代で銀華を使用できるのは、聖女および聖女に近しい極々一部の限られた者だけ――この事実は、民衆の心を大きく揺さぶる。


 一方のワイズは、満足気に口角を吊り上げた。


「ふふっ、だから言っただろう? 俺は聖女の代行者なんだ! この銀華って魔法は、成仏することもできずに苦しむ、彼女の死霊しりょうに教わったんだ、よォ!」


 彼女が右手を大きく薙げば、広範囲に銀の閃光が放たれ――その軌跡きせきをなぞるように爆炎が上がり、人々の悲鳴が響き渡る。


「おいおい、そんな悲しそうにくな。大好きな聖女様の魔法で死ねるんだぜぇ? もっと喜んでくれよぉ!」


 底意地の悪い笑みを浮かべたワイズは、まるで見せ付けるかのように銀華を使い、次々に街を破壊していく。


 そんな中――若き聖騎士がくうを駆け抜けた。


「――水明すいめい流・霞断かすみだち!」


 解き放たれた青い斬撃は、正確にワイズの首筋へ滑り込む。


 しかし、


「っと、危ない危ない」


 彼女は背中の薄羽をはためかせ、器用に空中で回避――そして眉をひそめた。


「んー……手配書・・・にない顔だな。お前、誰? 剣聖じゃないだろ?」


浮遊フロート>で空に浮かぶ聖騎士は、小さく鼻を鳴らし、退魔剣ローグレアを中段に構える。


「ふんっ、薄汚い魔族に名乗るとでも思ったか?」


 男の名前はレイオス・ラインハルト。

 彼の率いる第三聖騎士小隊は、たまたま偶然この周辺を巡回しており、その際に異常な魔力反応を感知――すぐさま現場へ駆け付けたところ、聖女の代行者を名乗る罰当たり者を発見したのだ。


「どこから入り込んだのかは知らんが……。貴様はここで斬る!」


 彼が臨戦態勢に入ると同時、地上から「待った」の声が掛かった。


「あ、あかんて、レイオス! いくらなんでも、それは無茶や! 学生の身分で魔族をとうなんて……そんなアホな話あるかい!」


「レイオス小隊長、今回ばかりは危険過ぎます。お父上の――剣聖の到着を待ちましょう!」


「せめて中央からの増援が来るまでは、待機するべきかと……!」


 小隊のメンバーが必死にストップを掛けるが、レイオスは首を横へ振る。


「父上は今、北方の最前線で戦っておられる! 中央政府からの増援も、まだかなりの時間を要する! 呑気に彼らの到着を待てば、その間に何人の民が犠牲になる!」


 エルギア王国は、剣聖に代表される『主力』を王都の守護および国境警備にてている。

 そのため王都郊外に位置するこの街には、必要最低限の聖騎士しか配備されておらず、彼らは救助活動と避難誘導で手一杯。


 つまり現状、ワイズの相手をできるのは、レイオスの率いる第三小隊だけだった。


「くっそぉ……ボクまだ、こんなところで死にとうないのに……っ」


 副隊長を任されている茶髪の軽薄な男は、泣き言を述べながら剣を抜き――それを見た他の隊士たちも、それぞれが戦う覚悟を決める。


「「「――<浮遊フロート>!」」」


 第三小隊の面々は、空中に浮かび上がり、戦闘態勢を整えた。


 一方、その様子を静かに見ていたワイズは、パチパチと拍手を打つ。


「ひゅー、かっこいいなぁ! 『何人の民が犠牲になる!』だってぇ……!」


 嘲笑を浮かべた彼女は、挑発的な言動でレイオスを煽るが……。

 彼は冷静にそれを受け流し、小隊のメンバーに指示を出す。


「敵は魔族、どんな力を隠し持っているかわからん。妙な攻撃をされる前に、立体包囲陣で一気に仕留めるぞ!」


「「「はっ!」」」


 聖騎士たちは大きく散開し、ワイズを取り囲むようにポジションを取った。


「おいおい、こりゃなんのつもりだぁ? 剣を握ったデカい男どもが、たった一人の女を取り囲んでよぉ? ……あぁ、そうか。あのとき・・・・の聖女様は、きっとこんな気持ちだったんだろうなぁ」


「「「……っ」」」


 その言葉は、レイオスたちのトラウマを深くえぐった。


「あれから三百年も経ったのに、人間は何も変わっていない。お前らどうせあれだろ? 聖女様が転生しても、また同じことを繰り返すんだろ? ボロ雑巾のように使い倒した挙句、全ての責任を押し付けて焼き殺す。――人間と魔族、本当の悪魔はどっちだろうなぁ?」


 ワイズのねっとりとした精神攻撃。

 悪意の煮凝りであるそれは、人類が最も触れられたくない禁忌タブーを容赦なく抉っていく。


 それに耐えかねた一人の聖騎士が、無謀にも単騎で斬り掛かった。


「この糞野郎が……こっちの気も知らねぇで、好き勝手言うんじゃねぇッ!」


「待て、奴の挑発に乗るな!」


 レイオスの制止も虚しく――ワイズの魔手ましゅが、聖騎士の腹部を貫く。


「が、は……っ」


「はい、一丁あがりぃ~」


 彼女が軽く手を振るうと、聖騎士はまるで人形のようにだらりと落ちていった。


「おー、怖い怖い。ちょっと図星を突かれたら、すぅぐ暴力に訴えるんだもん」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたワイズは、手に付着した血をペロリと舐める。


「「「く……っ」」」


 聖騎士たちは感情を表に出さないよう努めているが……。


(くそ、くそぅ……)


(俺たちは、俺たちの祖先は、なんて罪深いことを……っ)


(聖女様、うぅ……聖女様……ッ)


 執拗な精神攻撃を受けて、大きく乱されてしまっていた。


(このままではマズい、完全に奴のペースだ……っ)


 そう判断したレイオスは、


「くだらない戯言ざれごとに耳を貸すな! 奴は聖女様の代行者でもなんでもない! 口が立つだけのペテン師だ! 我らは聖女様の矛であり盾! 何も考えることなく、目の前の魔族を討ち滅ぼせ!」


 隊員たちにげきを入れ、勝負を急いだ。


「――立体包囲陣、行くぞ!」


「「「はっ!」」」


 レイオスたちは一斉に飛び掛かり、全方位からワイズに斬り掛かる。


 だが――。


「ははっ、遅い遅い!」


 彼女は迫り来る剣閃けんせんを最小限の動きで回避し、すれ違いざまに鋭い打撃カウンターを叩き込んでいった。


「ぐ、ぉ……っ」


「くそ、が……ッ」


「畜、生……っ」


 一人また一人と聖騎士たちが撃墜されていく。


「ははっ! どうしたどうした、こんなもんかぁ!?」


 ワイズは単純に強かった。

 魔法はもちろんのこと、体術や膂力りょりょくにおいても、レイオスたちを大きく上回っている。

 人間と魔族では、基本的な『スペック』が違い過ぎた。


 次々に倒れ伏す聖騎士、それを見た国民たちは膝を突き、必死に祈りを捧げる。


「聖女様、どうかお願いです……っ」


「今一度、我らをお救いください……ッ」


「どうか、人類に救済を……っ」


 人々は手を合わせ、聖女に救済を求めた。


 しかし、今更になってもう遅い。

 聖女は死んだ、否、彼らがその手で殺してしまったのだ。


 人々が無意味な祈りを捧げる中――レイオスが大声を張り上げる。


「――祈るのではない! 自らの価値を示せ!」


 彼はワイズに苛烈かれつな連撃を仕掛けながら、魂の雄叫びを吐き散らす。


「聖女様が救うのは、藻掻もがき苦しみ、それでもなおせいを求める者だけだ! 祈っているだけでは何も変わらない、何も変えられない! 我らが救済に値する存在だと示さねば、聖女様はお戻りになられない……ッ!」


 レイオスのラインハルト家は、三百年以上も前から続く、由緒正しき名家だ。


 その開祖である初代ラインハルトは、聖女の処刑に反対した数少ない王侯貴族の一人。


【あなたがたは間違っている! 聖女様はこれまで、いくつもの奇跡を起こし、我々を導いてくださった! この時代に戦争が蔓延はびこっているのは、愚かな人類の悪政あくせいが招いた結果であり、聖女様の責めに帰するところは何もない! それなのに……全ての責を彼女に押し付ける? ふざけるのも大概にしてもらいたい!】


 初代の話は正しかった。反論の隙も無い、完璧な主張だった。


 しかし、人心じんしんの腐敗したあの時代において、正しいかどうかなど、どうでもよかった。

 人々は『け口』を求めていた。


 戦禍せんかによって引き起こされた飢饉ききん疾病しっぺい・貧困――閉鎖的で鬱屈うっくつとした世界に充満する、行き場のない負の感情。

 おりのように溜まったそのドロドロをぶちまけられる、わかりやすい『悪者わるもの』が必要だった。


 王侯貴族はその役目を聖女に求め、彼女のありもしない悪評を各地に流した。

 それはたちまち世界中へ広がり、膨れ上がった世論はやがて暴走した正義となり――聖女を死に追いやった。 


 聖女処刑後、初代ラインハルトは公爵の地位を剥奪され、地下牢獄に幽閉。

 彼はそこで手記を書き残し、それは現代までラインハルト家の嫡子ちゃくしに引き継がれている。


 レイオスは十歳の誕生日を迎えたその日、当主である父より、初代の手記を渡された。


 そこには処刑当日の様子が、生々しくつづられており……続くページには、愚かな人類への憎悪・聖女様への謝罪・無力な自分への罵倒、その後はただひたすらに後悔と贖罪しょくざいの言葉が並ぶ。


(処刑される直前、聖女様は何も言い残されなかった。彼女は人類の救いようのなさに呆れ果ててしまった。聖女様は死んだ、俺たちがこの手で殺してしまったんだ……っ)


 レイオスの剣を握る手に、自然と力が籠る。


(聖女様は人類に絶望した。救いようがないと思われた、もはや救う価値すらないと思われた。――なればこそ、今、見せねばならぬ、示さねばならぬ! 人間の力を! 人類の進歩を! 人が変わったということを! それこそが原罪を償う、ただ一つの方法だ……!)


 レイオスの激情に呼応して、退魔剣ローグレアに大きな光が宿る。


「――水明流・霧斬きりぎり!」


「ぐ……ッ」


 ワイズの肌に太刀傷が走り、一筋の鮮血が流れ落ちる。

 この戦闘中、初めて彼女に通ったダメージだ。


「わ、ワイズを斬ったぞ!」


「さすがはレイオスさんだ!」


「勝てる、勝てるぞ……!」


 聖騎士たちの士気が一気に跳ね上がる。


「ちょこまかちょこまかと、鬱陶しい野郎だなァ(確かにスピードはあるが……所詮は人間、本体はもろい。一発でも銀華を当てれば、それで終わりだ……!)」


「ふっ、そういう貴様は鈍重どんじゅうだな(敵は典型的な重火力タイプ、機動力はこちらが上だ。両の掌の黒い目玉――銀華の発射口はっしゃこうにさえ注意を払えば、攻撃の軌道は読みやすい。十分、押し通る……!)」


 両者はその後、お互いの『強み』を押し付け合った。


「ハァアアアアアアアア……!」


 レイオスはひたすらに距離を詰め、スピードを活かした接近戦を仕掛ける。


「とっととくたばりやがれぇ……!」


 ワイズはダメージ覚悟で攻撃を放ち、大火力を前面に押し出した一撃必殺を狙う。


 拮抗した戦いの天秤てんびんは――徐々にレイオスの側へ傾いていった。


(このカス野郎、どんどん速くなっていやがる……ッ)


 両者に差を付けたのは、退魔剣ローグレアの存在だ。

 ラインハルト家に代々伝わるこの一振りは、清き心に恵みバフを与え、悪しき心にデバフす。


「く、そ……うざってぇなぁおぃ゛……!」


 ワイズは遮二無二しゃにむに両手を振り回し、四方八方へ銀華を撒き散らす。


「ぐ……っ」

 

 レイオスはたまらずバックステップを踏み、無作為に飛び散る銀閃から逃れた。

 両者の間に距離が生まれたところで、ワイズは薄羽をはためかせ、大空高くへ飛び上がる。


「貴様、逃げるつもりか!?」


「バァカ、誰が逃げるかよ。こいつはポジション・・・・・取り・・だ」


 彼女はそう言うと、右手をスッと頭上にかかげた。


「――銀華」


 しかし、銀の閃光は発射されない。

 まるで掌に水を溜めるが如く、ワイズの右手に銀の光が集まっていく。


「愚か者め、その技なら既に見切った。手掌しゅしょうで操る魔法ゆえ、動きは単調で読みやすい。どれだけ威力を高めようとも、当たらなければどうということはない」


「はっ、浅いねぇ。当たらないかどうかは、『打つ方向』によるだろぅ?」


「なんだと?」


 レイオスが眉をひそめると同時、ワイズは光る右手を下方に向けた。


「お前の真下には今、大勢の人間が馬鹿みてぇに祈っている。こいつを避けたら、大勢の民草むしけらが死ぬだろうなぁ……!」


「貴様……卑怯だぞ!」


「おいおい、卑怯なのはお前たちだろう? 寄ってたかって聖女様を悪者に仕立て上げ、火炙ひあぶりにして焼き殺した、悪魔共がよぉッ!」


「……っ」


 ワイズの口撃こうげきを受け、レイオスは下唇を噛む。


 そうこうしている間にも、右手に集められた魔力は、どんどん膨れ上がっていく。


「さぁさぁ、心の優しい聖騎士様は、いったいこいつをどうさばくんだろう、なァ!」


 解き放たれたのは、視界を埋め尽くさんとする、極大の銀閃ぎんせん


 ワイズの放った銀華は、文字通り、規格外の威力を誇っていた。


「お、終わった……」


「こんな大魔法、どうすることもできねぇよ……っ」


「聖女様、どうか我らに救済を……ッ」


 誰も彼もが絶望の底に沈む中、


「魔族風情が……人間を舐めるなよ?」


 この場でただ一人、レイオスだけは諦めていなかった。


 彼はここで、切り札を投じる。


天恵ギフト起動――【限界突破リミットバースト】ッ!」


 刹那せつな、レイオスの魔力が一気に膨れ上がった。


 天恵【限界突破】。一分という極々限られた時間、自身の限界を超えた莫大な力を手にする。

 但し、天恵の効果が切れた直後は、反動でほとんど動けなくなってしまう。

 これを使用する際は、必ず一分内に相手を仕留めなければならない。


「――水明流・瀑剣ばっけんッ!」


 退魔剣ローグレアがかがやき、迫り来る銀華を両断した。

 これにはさすがのワイズも、目を丸くして感嘆の息を吐く。


「へぇ……こいつは驚いた。お前、天恵持ちだったのか(魔力の総量がデタラメに上がった。単純な強化系の天恵……にしては、振り幅がデカ過ぎる。『条件付きの超強化』ってところかぁ?)」


「さぁ、それはどうだろう、なッ!」


 ゼロコンマ一秒さえ惜しいレイオスは、<浮遊フロート>の出力を最大まで引き上げ、ワイズのもとへ肉薄する。


「ハァッ!」


 退魔剣がいくつもの弧を描き、


「ぐ……っ」


 ワイズの肉体に鈍い痛みが走った。

 彼女は今、レイオスの超高速移動に付いていくことができず、完全に防戦一方を強いられている。


(くそったれ……この俺がなんてザマだ……ッ)


 銀華こうげきに使っていた魔力を皮膚の硬化に回し、なんとかギリギリのところでしのいでいるが……これもいつまで持つかわからない。


「ハァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛……!」


 眼球は血走り、筋肉は断ち切れ、凄まじい痛みが全身をさいなむ中――レイオスはひたすらに剣を振るい、敵の硬質な皮膚を削り取っていく。


「こ、の……離れやがれぇッ!」


 ワイズはたまらず両手を無茶苦茶に振り回し、先ほどと同じように拡散性の銀華を放つ。


 しかし――レイオスは止まらない。


「水明流・渦割うずわりッ!」


 手足を銀華で焼かれながら、さらに苛烈な攻撃を仕掛けて来た。


(こ、こいつ……イカレてんのか!?)


 ワイズの心に湧いた、ほんの僅かな恐れ。

 恐怖で錆びた頭が、『防御』と『回避』の二択に迷いを――致命的な遅れを生む。


「――水明流・双昇閃そうしょうせんッ!」


 きらめく二本の斬撃が空を駆け、泣き別れたワイズの両腕が宙を舞う。


「こ、の……クソガキが……ッ」


 眼前に広がるのは、がら空きの正中線せいちゅうせん、千載一遇の好機。


(銀華の射出口は、両腕の目玉は潰した! 反撃カウンターはない!)


 ここが勝負どころと判断したレイオスは、ありったけの魔力を退魔剣に注ぎ込む。


「これで終わりだッ! 水明流奥義――」


 とどめの一撃を放とうとしたそのとき――悪意の華が咲いた。


「――残念でしたぁ!」


 ワイズが大口を開けるとそこには、銀華の発射口である漆黒の目玉。


「なっ!?(隠し玉ッ。回避、無理だ……天恵も、じきに切れる。この一撃で仕留める……!)」


「無駄な努力、ご苦労様ぁ!」


 ワイズの顔が醜悪に歪み、世界が真白ましろに染まる。


「が、は……ッ」 


 超高火力の銀華をモロに受けたレイオスは、遥か後方の時計塔に背中を打ち付け、そのまま外壁にうずもれた。


「ふぅ……無駄に疲れちった。天恵【限界突破】、極々短い時間に限り、本体のスペックを大きく超えた力を与えるって感じかぁ? こんな雑魚助でも、そこそこの・・・・・強さ・・になるんだから、やっぱり天恵の力は恐ろしいねぇ」


 ワイズはそう言って、中位の回復魔法を発動――失った両腕を瞬時に生やし、体力も一気に全快となる。


(こいつ、回復魔法まで使えたのか……っ)


 レイオスは絶望に沈んだ。

 自分が命懸けで与えたダメージが、一瞬にして回復されてしまったのだから、それも無理のない話だろう。


(この化物め、何枚の手札を持っていやがる……ッ)


 口腔内こうくうないの目玉に中位の回復魔法――もしかしたら、他にもまだ『奥の手』を隠しているかもしれない。


 レイオスとワイズの間には、天恵を使用しても埋めきれない、あまりにも大きな力の差があった。


「ふふっ、死霊となった聖女様も喜んでおられるぞ? 憎き人間が、また一人死んでくれるってなぁ!」


 ワイズは右手の照準を、莫大な魔力を込めた銀華を、外壁にうずもれたレイオスへ向ける。


「く、そ……っ」


 絶死ぜっしの攻撃が迫る中、しかし、彼は動けずにいた。

 天恵【限界突破】の副作用のせいで、体が言うことを聞かないのだ。


(俺は……こんなところで終わるのか……っ)


 文字通りの限界。

 これが今のレイオス・ラインハルトの天井てんじょうだ。


 避けようのない『死』を突き付けられた彼は、ゆっくりと目を閉じ――己の無力を噛み締める。


 誰よりも剣を振った。

 誰よりも肉体を鍛えた。

 誰よりも自分に厳しくした。

 雨の日も晴れの日も雷の日も、周りが遊んでいるときも、休んでいるときも、惰眠だみんむさぼっているときも、ただひたすら修練に励んできた。


 全てはそう――敬愛する聖女様のために。


 だが、その努力も今、全て水泡すいほうす。

 ワイズ・バーダーホルンという『本物の化物』の前では、自分のしてきた努力など、まったくの無意味だったのだ。


 レイオスの瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。


(……聖女様、申し訳ございません……)


 次の瞬間――白銀の華が咲き誇り、途轍もない大爆発が巻き起こる。


「あはっ、天恵ギフト【限界突破】だっけぇ? ほらほらぁ、超えられるものなら超えてみなよ! 『死』っていう限界をさぁ……!」


 ワイズの嘲笑が木霊こだまする中――お日様のような優しい香りが流れた。


(……聖女、様……?)


 明滅する視界の中、レイオスが捉えたのは――見上げるほどに巨大なプレートアーマー。



「――名も知らぬ聖騎士よ、見事な戦いぶりだったぞ」



 そこに立っていたのは、全身に甲冑かっちゅうまとった、謎の冒険者だった。

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