第8話:聖女適性試験


 ルナが聖女学院に入学してから、ちょうど一週間が経過したこの日――聖女学院の一年生は全員、王都の東方に位置する『とある森林』の入り口に集合していた。


 各クラスの担当教員の指示に従って、A組からE組まで二列になって並び、学院長が到着するまでの間、しばらくその場で待機する。


「うわぁ……見てロー、すっごい森だよ。どれだけ広いんだろう」


「随分と瘴気しょうきが濃いですね。それに……あちこちから魔獣のにおいがします」


「えっ、鼻いいんだね。私、全然わかんないや」


 ルナとローが小声でそんな話をしていると、森の奥から立派な真っ白いひげたくわえた大男が、のっそのっそと歩いてきた。


「せ、仙人だ! 森の仙人様が出て来たよ!?」


「仙人ではありません。あの方は聖女学院の学院長、入学式で一度お会いしましたよ」


「あれ、そうだっけ?」


 森の中から出て来た大男は、懐からハンカチを取り出し、額の汗をポンポンとぬぐう。


「ふぅ……遅れてすまんのぅ。『下準備』にちょっと手間取ってしもうてな」


 予定より一分遅れたことを陳謝ちんしゃした彼は、コホンと咳払いをして、一年生全員の注目を集めた。


「――生徒諸君、こうして顔を合わせるのは、入学式以来になるかのぅ。もう覚えておらん者も多いじゃろうから、この場を借りてもう一度自己紹介をしておこう。儂の名はバダム・ローゼンハイム、この聖女学院の学院長を務めておる」


 バダム・ローゼンハイム、百二十歳。

 身長2メートル、お腹周りに豊かな贅肉ぜいにくを付けた恰幅のいい体型。

 長い白髪が顔の周囲をぐるりと覆い、その立派な髭とほとんど一体化していた。

 知性溢れる群青ぐんじょう色の瞳・よく通った高い鼻・人を安心させる穏やかな顔つきだ。

 魔法の掛かった特殊な眼鏡を掛け、白を基調とした高貴な魔法装束に身を包んだ彼は、生徒たちに向けて話を始める。


「まずはこの一週間、本学院の厳しい授業によく耐えた。諸君らのその努力は、まっこと素晴らしいものじゃ。しかしながら……そろそろ苦しくなってきている者もおるのではないかな?」


 バダムは生徒一人一人の目をジッと見ながら、話を先へ進める。


「例年、だいたいこれぐらいの時期になると、『息切れ』を起こす生徒がポツポツと現れる。周囲の学生のレベルに圧倒された者、授業の進度に付いて来られなくなった者、自分こそが聖女であるという自信が持てなくなった者……まぁ理由は様々じゃ」


 彼は左手でその長い髭をもてあそびながら、続きを語る。


「しかしながら、そういうことをおのずから言い出すのは難しい。何せ諸君らの背中には、親族の期待も重く乗っているからのぅ。そこで――我が聖女学院は毎年、入学して一週間が経つ頃を目安に『聖女適性試験』を実施しておる」


 バダムは一呼吸置き、説明を進める。


「試験の内容は至って単純、聖女科と支援科の生徒がバディを組み、二人揃ってこの『瘴気の森』を抜ける――ただこれだけじゃ。制限時間は六時間、スタート地点は今いる南口、ゴールは真反対にある北口。無事に森を踏破した者たちは合格、今後も聖女学院で研鑽を積んでもらう。途中でリタイアした者たちは不合格――その場で退学処分を下す」


 その厳しい発言を受け、


「「「……っ」」」


 一年生に緊張が走った。


 聖女適性試験は非常に有名なため、もちろん彼女たちはみんなこれを知っていたのだが……。改めてはっきり言われると、お腹の底にズンとのしかかるものがあったのだ。


 一方のルナは、他とは少し異なる受け止め方をしていた。


「でもこれ、考えようによっては優しい試験だよね? 生徒が自分から『やめる』って言うのはつらいだろうから、学院側がやめる機会を用意してあげるってことでしょ?」


「いいえ、違います。聖女学院のシステムは、非常に効率的で――残酷。彼らは聖女様を見つけるためならば、文字通りなんでもするのです。そもそも本当に生徒のことを思うのなら、あの・・瘴気の森を抜けて来いなどという、ふざけた試験を課す必要はありません。きちんと面談の時間をもうけて、自主退学を促せばいいだけです」


 瘴気の森の危険性を知るローはそう話し、


「言われてみれば……確かに……っ」


 ルナもその意見に納得を見せた。


「聖女学院の上層部は、学生をえて危機的状況に置くことで、その『真価』を見ようとしています。その者に聖女の資質があればそれでよし、聖女の資質がなければ、速やかに学院から排除する。そうして残った者たちを次のふるいに掛けていく――一日でも早く聖女様を見つけるため、徹底的な効率化を図っているのです。……まぁ人類の置かれたこの窮地を考えれば、彼らの気持ちもわからなくはありませんがね」


「なる、ほど……」


「ときに……ルナ様はあらゆる物事を好意的に受け取るきらいがあります。それは確かに美点なのですが、世界はそんなに優しい人ばかりではありません。貴女は純粋でとても騙されやすい性質、邪悪な者につけ込まれないよう、くれぐれもご注意ください」


「わ、わかった……っ」


 ローからの親身なアドバイスを受け、ルナはコクコクと頷いた。

 それから少しして、生徒たちのざわつきが収まったところで、バダムは話を再開させる。


「先ほど話した聖女適性試験の内容なのじゃが、ただ森を抜けるだけでは、ちぃとばかし簡単過ぎるでな。故に儂は、皆に先んじて森へ入り、魔獣を百体ほど放っておいた。諸君らにはこれらの魔獣を倒しながら、迷路のような瘴気の森を進んでもらいたい」


 ちなみに……この適性試験の過年度の合格率は50%。

 二人に一人が不合格――退学処分となる計算だ。


「もちろん我々教員は、学生の安全にも配慮しなければならん。そこで諸君らには、後でこの巻物スクロールを配布する。これには青く着色した特殊な<フレイム>が込められており、救難信号の役割を持つ。もしものときは、大空に向けて解き放つがよい。待機中の教員が、一分以内にそこへ駆け付けよう。もちろんその場合、試験の結果は不合格、聖女学院を去ってもらうがのぅ」


 そうして本試験に係る基本事項を伝え終えたバダムは、いつにも増して真剣な表情を浮かべる。


「それから最後に一つ、注意事項がある。瘴気の森の中央部には、『死の谷』と呼ばれる、深さ1000メートルもの巨大な渓谷けいこくがある。この高さから落ちれば、まず以って命はない。いくつもの奇跡が重なり、無事に谷底へ降り立てたとしても、そこは凶悪な魔獣が跋扈ばっこする地獄。どう足掻いても助からん」


 真剣な空気が流れる中、バダムはパンと手を打つ。


「さて、これで聖女適性試験の説明は全て終わりじゃ。質問は……ふむ、特にないようなので、早速バディを決めていこうかのぅ」


 彼は空中に指を走らせ、空間魔法を発動、机と木箱を二セットずつ取り出した。


「これは儂が昨晩、夜なべして作ったくじじゃ。聖女科の生徒は白の箱から、支援科の生徒は黄色の箱から、それぞれ一枚くじを引き――同じ番号の書かれた者同士がバディを組む。では、一年A組から順に引いていってもらおうかのぅ」


 バダムの指示に従って、A組の生徒たちが動き出す。


「バディかぁ、ローと一緒だといいなぁ」


「こればかりは運ですからね。祈っておきましょう」


 聖女科と支援科に分かれて、それぞれがくじを引いていく。


 厳正なくじ引きの結果――ルナのバディが決定した。


「……る、ルナ・スペディオです。よ、よろしくお願いします……っ」


「レイトン家が長子サール・コ・レイトンですわ! よろしくお願いしますね、ルナさん」


 支援科のルナは、聖女科のサルコことサール・コ・レイトンと組むことになった。


 サール・コ・レイトン、十五歳。

 身長160センチ、非常にスタイルのよい体型、たなびく金髪の縦ロールが美しい。

 澄んだライムグリーンの瞳・自信に満ち溢れた勝気かちきな表情・非常に目鼻立ちの整った顔、聖女学院聖女科の制服を着ている。


(あぁ、私ってなんて運が悪いんだろう。まさかよりにもよって、あのサルコさんとバディを組むことになるなんて……)


 ルナはどちらかと言えばインドアの草食派で、サルコのようなゴリゴリの肉食派はちょっと苦手だった。

 それに何より、サルコには『聖女の力』を見られた可能性がある。そのため、よっぽどのことでもない限り接触は避けたい――というのが、偽らざる本音だ。


 ルナが心の中でため息をついていると、サルコがズィッと顔を覗き込んでくる。


「あの、なんでしょうか……?」


「……入学式の日に初めて見かけたときから、ずっと思っていたんですけれど……。あなた、以前どこかでお会いしませんでしたか?」


「き、きっと気のせいですね。どこかの誰かさんと間違えていませんか?」


「うーん……いやでも、どこかでお見掛けしたような記憶が……」


 サルコは納得がいっていないようで、記憶の川をさかのぼり始めた。


 このままではマズい、そう判断したルナは、パンと手を打ち鳴らす。


「そ、それよりもほら、早く『作戦会議』をしましょう! もう他のバディはみんな始めちゃっていますし、あまりゆっくりしていたら、待ち時間がなくなってしまいますよ?」


 くじを引いてバディを組み終えた生徒には、三十分の持ち時間が与えられる。

 生徒たちはこの時間を有効に活用し、お互いの得意な魔法や戦い方などを共有――本番での意思疎通を円滑にしておくのだ。


「……そう、ですわね。では、私達も始めましょうか、作戦会議」


「はい!(ふぅ……助かったぁ……っ)」


 その後、二人は近くの切り株に腰を下ろし、お互いの持ち物を確認していく。


「私は聖女科なので、魔具・ポーション・巻物スクロールといった、補助アイテムの持ち込みは一切許可されておりません。武器はこのレイピア一本だけですわ」


 サルコはそう言って、左腰に差したレイピアをチラリと見せた。


「私は支援科なので、くじ引きのときに、けっこういろいろといただきましたよ」


 ルナはそう言って、配布された支援セットの中身を取り出す。


 ポーションの生成に必要な薬草・純水・試験管。

 下位の支援魔法<敏捷性強化>・<防壁ウォール>・<フォッグ>が込められた巻物三本。

 救難信号をあげるための特殊な<フレイム>の巻物が一本。

 そして最後に、これら全てを持ち運ぶための肩掛けポシェットだ。


「なるほど……巻物に込められた魔法を見る限り、教師陣は支援科の生徒に後方での戦闘補助を期待しているわけですね」


「どうやらそうみたいですね」


 持ち物の共有を終えた後は、戦闘スタイルや得意な魔法について話し合う。


「それではルナ、まずはあなたの得意なことを教えてください」


「えーっと…………体力には自信があります」


「それはつまり、魔法も剣術もさっぱりということですわね?」


「……はい、そういう感じでお願いします」


 それは『完全無能宣言』に他ならないが……馬鹿正直に○×が得意と言った場合、戦闘に駆り出されてしまうかもしれない。

 下手なリスクを背負うぐらいながら、無能と笑われた方がいい、ルナはそう考えたのだ。


「まぁ問題ありませんわ。私一人いれば、こんな試験ちょちょいのちょいですもの」


 サルコは不敵な笑みを浮かべ、金髪の横髪をふぁさっと掻き上げた。


「す、凄い自信ですね……っ。ちなみにサルコさんは、どういう戦い方を――」


「――サルコ?」


「あ゛っ。す、すみません、今のはちょっと油断したというか、なんというか、その……っ」


 マウント山を支配する猿山連合の大将――故にサルコ。

 そんなこと口が裂けても言えるはずもなく、ルナがおろおろとしていると……。


「なるほど、サール・コ・レイトン……略してサルコですか。いいですわね、好きにお呼びなさい」


 彼女はどういうわけか、少し嬉しそうに微笑んだ。


 その後、二人は試験中のコミュニケーションを円滑にするため、残りの時間を雑談に費やし――持ち時間の三十分が終了する。


「さぁ行きますわよ、ルナ!」


「は、はい!」


 こうして二人は、瘴気の森に足を踏み入れるのだった。



 瘴気の森に入って早二時間――ルナとサルコのペアは、順調に進んで行き、そろそろ森の中央部に差し掛かろうとしていた。


(サルコさん、凄いなぁ……)


 彼女は大口を叩くだけあって、非常に優秀だった。


 得意の風魔法を使って、気流の流れを完璧に読み、迷路のような森をすいすいと進んで行く。


 そして何より――強かった。


「――ふっ!」


「――そこっ!」


「――ハァッ!」


 風魔法により敏捷性を強化したサルコは、レイピアを巧みに操り、襲い来る魔獣たちを次々に斬り伏せていく。


「おー、お見事です」


「ふっ、造作もないことですわ」


 ルナの拍手を受けたサルコは、満更でもなさそうに微笑んだ。


 そうして二人は順調に進んで行き、いよいよ森の中央部に到達する。


「うわぁ、これが『死の谷』ですか……。凄く深い、底が全然見えませんね」


「ルナ、あまり覗き込んではいけませんよ? こんなところから落っこちたら、ひとたまりもありません。危険ですので、谷からは距離を取って進みましょう」


「はい(サルコさん、優しくて喋りやすいなぁ。ずっと怖い人だと思っていたけど、実はいい人なのかな……?)」


 二人が死の谷から離れようとしたとしたそのとき――ルナとサルコのもとへ風の刃が殺到する。


「これは……!? ハァッ!」


 いち早く攻撃に気付いたサルコは、レイピアで素早く迎撃。


 その一方で、


「……?」


 風の斬撃を『攻撃』とさえ思わなかったルナは、「気持ちのいい風だなぁ」と心を癒される。


「ルナ、大丈夫ですの!?」


「何がですか?」


「えっいや、確かあなたのところにも風の魔法が……あれ?」


 不思議そうに小首を傾げるルナとサルコ。


 そんな彼女たちの前に、とあるバディが立ち塞がる。


「――あら、ごめんなさい。あまりにも不細工なシルエットだったから、てっきり魔獣かと思って、間違えて攻撃しちゃったわ」


 カレン・アスコート、十五歳。

 赤いショートヘアと好戦的な目が特徴の聖女科の生徒だ。


「カレンちゃん、ちょっと言い過ぎだよ? 間違えてっちゃったなら、ちゃんとごめんなさいしなきゃ」


 エレイン・ノスタリオ、十五歳。

 青いミドルヘアとおっとりした空気感が特徴の支援科の生徒だ。

 カレンとエレインの安っぽい言い訳を聞いたサルコは、「やれやれ」と首を横へ振る。


「『間違えた』だなんて、また見え透いた嘘を……。私達が気に入らないのなら、はっきりそう言ったらどうかしら?」


「あっ、バレてた?」


 カレンはまるで隠すことなく、ケロッとした表情で、その心のうちを暴露する。


「あんたたち、純粋シンプルにムカつくのよね。無駄に偉そうなボス猿女と支援科ほけつごうかくの癖に目立ちまくる馬鹿女、もう鬱陶うっとうしいったらありゃしない」


「カレンちゃん、毒舌だなー」


 毒を吐き続ける相方を止めようともせず、エレインは苦笑を浮かべるだけだ。


「でもさ、あたしは我慢したんだ。あんたらは今注目を浴びているから、下手にちょっかいを出すと面倒なことになりかねないしね。ムカつく気持ちをグッと押し殺して……ずっと静かにうかがっていた。そしてようやく来た、聖女適性試験が実施される、この日がなァ!」


 邪悪な笑みを浮かべたカレンは、両手を広げて嬉々として語る。


「この試験に落ちた奴は、問答無用で退学になる! ここであんたらをボコっちまえば、厄介者二人をいっぺんに排除できるってわけだ!」


 勝ち誇った顔で楽しそうに語る彼女に対し――意外にもここまで静かに話を聞いていたサルコは、納得がいったとばかりに何度も頷く。


「なるほどなるほど……つまり、ひがみですわね?」


「……あ゛?」


 その瞬間、カレンの瞳に危険な色が宿った。


「自分より目立っている生徒に苛立つという気持ちは、まぁわからなくもありません。ただ――あなたが・・・・本当に・・・優れた者・・・・であれば・・・・自然に・・・注目は・・・集まって・・・・きますわよ・・・・・? それが来ないからって、ねて暴力に訴えるだなんて……アスコート家の跡取り娘は、いじらしいですわねぇ」


 サルコはクスクスといやらしく微笑み、


「て、てんめぇ゛……ッ」


 カレンは顔を赤く染め、拳を固く握り締める。


 この前哨戦ぜんしょうせんは、サルコの完勝だった。

 それもそのはず……彼女は海千山千うみせんやませんの猛者がひしめき合う夜会に乗り込み、幾度のマウント合戦を越えて不敗――この手の争いでは、無敵の強さを誇るのだ。


 一方、女の熾烈しれつな戦いを間近で目にしたルナは、


(こ、こわぁ……っ)


 まるで小動物よろしく、カタカタと震えている。


「レイトン家のボンボンが……ぶち殺してやる……ッ!」


「ふふっ、やってごらんなさい。格の違いというものを教えてさしあげますわ!」


 一触即発の空気が漂う中、サルコとカレンはゆっくりと剣を引き抜き――まるで口裏でも合わせたかのように、同じタイミングで駆け出した。


「「ハァ……ッ!」」


 二本の剣閃けんせんが宙を舞い、硬質な音と共に赤い火花が咲き乱れる。 


「これでも食らいな――<風撃ゲイル>ッ!」


「それならこちらも――<風撃ゲイル>」


 風の衝撃波がぶつかり合い、お互いの間に距離が生まれた。

 

二人が得意とするのは、しくも同じ風属性の魔法だ。


「ふーん、口だけかと思ったら、意外とやるじゃん」


「あら、まだ小指の先ほどの力しか、出していませんことよ?」


「ほんっと、どこまでもムカつく女だなぁ……!」


 風の力を全身に纏った二人は、再び激しい剣戟の中に身を投じていく。


 一方その頃、ルナとエレインは――意外な展開を迎えていた。


「――ねぇあなた、ルナちゃんだよね?」


「そうですけど……」


 ルナは警戒の姿勢を崩さず、首だけでコクリと頷く。


「私はエレイン・ノスタリオ。せっかくの機会だしさ、ちょっとお喋りしない?」


「……えっ?」


 それは思いもよらない提案だった。


「ほら、私たち所詮『落ちこぼれの支援科』だしさ、必死になって戦うのもダルイでしょ?」


「ま、まぁ……そうかも、ですね」


 言葉の節々にとげのようなものを感じながらも、ルナはコクリと頷く。

 力加減がすこぶる苦手な彼女としても、穏便にコトを済ませられるのなら、それが一番だと思ったのだ。


 一時休戦となった二人は、横一列に並び、ゆっくり歩きながら雑談を交える。


「私とカレンちゃんはさ、所謂いわゆる幼馴染おさななじみってやつなんだ」


「へぇ、そうなんですか」


「うん。親同士が仲良くて家も近かったから、小さい頃はずっと一緒に遊んでたの。……あの頃はよく『聖女様ごっこ』をやってさ。お互いに『私こそが聖女様の転生体だ!』って言い合って、何度も喧嘩したっけか」


 エレインは昔を懐かしむように、ポツリポツリと語る。


「……聖女様ごっこ……」


 いったいどんな遊びなんだろう、ルナはちょっとだけ気になった。


「でも……私は駄目だった、私は聖女様じゃなかった。幼稚舎ようちしゃに入ってすぐの魔力測定で、わかっちゃったの。カレンちゃんは……私の十倍以上の魔力を持っていたんだ」


「十倍以上……」


 魔力はあらゆることに応用できる『力の源』だ。

 体にまとえば運動能力が上がり、魔法に込めれば威力が高まり、傷口に当てれば回復が速まる。

 そして個人が持つ魔力の総量は、先天的な要素によってほとんど決まっており、修業や訓練によって増やすことは難しい。


 仲のよかった友達に十倍以上もの大差を付けられていたという現実は、エレインの性格を大きくゆがめた。


「私は諦めた。どうやったって、カレンちゃんより目立てないし、カレンちゃんには勝てない。私は……落ちこぼれなんだ」


 エレインの心の奥から、仄暗ほのぐらい感情が沸々と湧き上がる。


「落ちこぼれはさ、どれだけ努力したって、何も変わらないし変えられない。結局のところ、落ちこぼれたまま。だから私は両親の強い反対を押し切って、支援科に入ったの。聖女科にも合格していたんだけど、どうせ私は聖女様になれないしね」


「そ、そうなんですか……」


「うん」


 二人の会話はそこで途絶え、


「……」


「……」


 重苦しい空気が流れ出した。


 それから数秒が経ったあるとき、エレインがポツリと呟く。


「なんというかさぁ――ムカつくんだよね」


「……ムカつく?」


 このとき、彼女のトーンが明確に変わった。

 穏やかで静かなものから、暗くおどろおどろしいものへ。


「そう、ムカつくの……。なんの才能もないくせに運だけで注目されている人が、大した実力もないくせに偶然目立っている人が、虫唾が走るぐらいムカつく」


 エレインはそう言って、晴れやかな笑みを浮かべる。


「私ね、あなたみたいな『勘違い女』が――大嫌いなんだ」


 次の瞬間、


「死んじゃえ」


 ルナの体がトンと押された。


「えっ?」


 僅かな浮遊感が体を包んだ直後、彼女の体は、死の谷へ吸い込まれていく。


(うそ、どうして……!?)


 エレインの重たい身の上話に意識を取られていたため、ルナはまったく気付かなかった。自分が死の谷のすぐ隣まで、誘導されていたことに。


「ばいばーい」


 遥か上空のエレインは、無邪気な微笑みを浮かべながら、小さく手を振っている。


(もう、酷いことするなぁ……。こんなところから落ちたら、制服が汚れちゃうよ……)


 ルナは聖女。

 たとえ上空一万メートルから落下したとしても、かすり傷一つ負うことはない。


 しかし次の瞬間、彼女は驚愕に目を見開いた。


「ルナ……ッ!」


 なんとサルコが、ルナを助けるために死の谷へ飛び込んできたのだ。 


「えっ、ちょっ!? サルコさん、いったい何を!?」


「いいから黙っていなさい!」


 鬼気迫る表情のサルコは、ぴしゃりとそう言い放ち、


「三……二……一……今ッ! <風霊の剛撃エア・ブロウ>!」


 迫る大地に向けて、完璧なタイミングで風の魔法を発動する。


(……ほんの少しでも、速度を落とせれば……ッ)


 地面に放たれた<風霊の剛撃>によって、落下速度は少しずつ減衰げんすいしていくが……。


 二人分の落下エネルギーを完璧に相殺することはできず、


「ぐ……ッ」


 ルナとサルコは、固い地面に全身を打ち付けた。


「だ、大丈夫ですか!?」


 当然のように無傷のルナは、慌ててサルコのもとへ駆け寄る。


「はぁはぁ……っ。えぇ……少し痛みますが、魔力で肉体を強化したので、なんとか無事ですわ。それより、あなたは……?」


「あー……打ちどころがよかったのでセーフでした」


「う、打ちどころ……? まぁ問題ないのなら、それでいいですわ」


 サルコはそう言って、ホッと安堵の息を吐く。


 お互いの無事を確認し合ったところで、ルナはとある質問を口にする。


「サルコさん、どうして私を助けたんですか……?」


 聖女であるルナとは違い、サルコは普通の人間だ。

 あんな高さから飛び降りて、平気なわけがない、怖くないわけがない。

 実際に今回だって、下手をすれば死んでいた。


 それなのに……今日たまたまバディを組んだだけの自分を、どうして命懸けで助けたのか。


 ルナは、それが知りたかった。


「これはまたなことを聞きますわね。私は聖女様の生まれ変わり。バディを助けるなんて、当たり前のことですわ」


 サルコは至極当然のようにそう言い放った。

 彼女は心の底から、自分こそが聖女の転生体であると信じているのだ。


「そ、その考え方は……っ」


 ルナは何かを言い掛け――呑み込んだ。


(その考え方は……間違っているんですよ、サルコさん……)


 正しいけれど、正しくない。

 赤の他人のために、親しくもない人のために、知らない誰かのために、命を懸けるのは……違う。


 三百年前、聖女はそれをやり過ぎた結果――破滅した。

 サルコには、自分と同じ道を辿ってほしくなかった。

 ありもしない聖女の理想像を追い掛けて、絶望に沈んでほしくなかった。


 しかし今の自分が――聖女をやめたルナ・スペディオがそれを言ったところで、サルコが考えを変えるわけもない。


 ルナの胸中は、とても複雑だった。


「さて、そんなことよりも、これからどうするかを考え……っ」


 サルコが立ち上がろうしたそのとき、彼女の顔が苦痛に歪む。


 見れば、左の足首が痛々しくれあがっていた。

 先の落下の衝撃で、くじいてしまったのだ。


「これは……捻挫ねんざですね。今治しちゃいますから、じっとしていてください」


 ルナは回復魔法を使おうとして――やめた。


(っと、危ない危ない)


 回復魔法は非常に習得が難しく、それを行使可能なだけで、周囲から一目置かれてしまう。

 無用な注目を避けるためにも、ここでは使うべきじゃない、そう判断したのだ。


「すぐにポーションを作るので、少し待っていてください」


 ルナは肩掛けポシェットの中から、薬草・純水・試験管を取り出し、素早くポーションを生成する。


「――できました、こちらをどうぞ」


「ありがとう、助かりますわ」


 礼儀正しく謝意を告げたサルコは、ポーションをぐぃっと一気に飲み干した。


 すると次の瞬間、


「こ、これは……!?」


 カレンとの戦闘で負った傷も、風の魔法で消耗した魔力も、捻挫した足首も、全て完璧に回復した。


「……凄い回復量。ルナ、あなたポーション作りの才能があるんですね! きっとこれ、高く売れますわよ!」


「ど、どうも……っ」


 先ほどサルコに渡したのはエリクサー。

 状況が状況だったので仕方なく作ったのだが……あまりそこには触れてほしくなかったので、急ぎ別の話題を振ることにした。


「そ、そう言えばサルコさん、ここって確か凶悪な魔獣がたくさんいる、とても危険な場所なんですよね?」


「えぇ。死の谷には、非常に強い魔獣が多数生息しています。一応ここもエルギア王国の領土なので、聖騎士たちが年に一度の巡回調査を行っているそうなのですが……そのたびに大きな被害が出る、魔の領域ですわ」


「魔の領域……」


「ちなみにこれは余談ですが……。昔は罪人をここへ放り込む、投獄とうごく刑というものがあったらしく、死の谷の底からは罪人たちの恨み言やすすり泣く声が聞こえる――という有名な怪談がありますわ」


「……っ」


 その瞬間、ルナの顔からスーッと血の気が引いた。


 魔獣についてはさしたる問題ではないのだが……幽霊が出るとなれば話は別だ。


「きゅ、救難信号を! 早く救難信号をあげましょう……!」


 ルナが大慌てで特殊な<フレイム>の巻物スクロールを開こうとするが――サルコが素早く「待った」を掛けた。


「いけませんわ、ルナ! そんなことをしては、不合格になってしまいますわよ!?」


「で、でも……私達もう死の谷に落っこちちゃってますし……っ」


「いいですか、落ち着いて聞いてください。学院長は『死の谷に落ちたら助からない』と言っておりましたが、『死の谷に落ちたら不合格』とは言っておりません。私達の試験は、まだ終わっていませんことよ!」


「それはそうかもしれませんが……。どうするつもりなんですか?」


「それはもちろん――この壁を登るのです!」


「こ、この断崖絶壁を……?」


 死の谷の壁はほとんど垂直。

 聖女であるルナにとっては、平地を歩くのと同然の行いだが……。

 普通の人間に、これを登り切ることは不可能だ。


「ふふっ、問題ありません。我がレイトン家は風魔法の名家。そしてこのサール・コ・レイトンは、歴代で最も風に愛された女。私の風魔法があれば、どんな絶壁も軽くひとっ飛びですわ!」


「な、なるほど!」


 ルナは感心しきった様子で、ポンと手を打つ。

 彼女としても自分が足を引っ張って、サルコが退学になるような事態は望んでいない。

 無事に崖を登り切れるのであれば、それがベストだった。


「まぁさすがの私も、人間二人をあそこまで飛ばすには、それなりに大きな魔法を使わなくてはなりません。今から『風の儀式』を準備しますので、少し待っていてくださ――」


 サルコが地面に魔法陣を描こうとしたそのとき、前方からドスドスドスという鈍重な足音が響く。


 そちらに目を向ければ、


「ゲギャギャギャッ!」


「ゴフッ! ゴフッ!」


「ギッギッギ!」


 ゴブリン・コボルト・オークなどなど、数えるのも馬鹿らしくなるほどの魔獣の大群がいた。


 久しぶりに人間こうぶつを見つけた彼らは、なんとも醜悪な笑みを浮かべている。


「はぁ……間の悪い奴等ですわね」


 嘆息たんそくを零したサルコは、一歩前に踏み出す。


「ルナ、危険ですから下がっていてください」


「は、はい……っ」


 腰のレイピアをスーっと引き抜き、臨戦態勢に入った彼女は――魔獣の軍勢に突撃する。


「ハァアアアア……!」


 サルコは強かった。

 得意の風魔法によって強化された敏捷性。そこに研ぎ澄まされた剣術が加わった結果、圧倒的な速度で魔獣を斬り刻んでいく。


(森にいた個体よりも、幾分か強いですが……。この程度ならば、押し通りますわ!)


 十分後――彼女はたった一人で、百体もの魔獣を討伐した。


「ふぅ……さすがにちょっと疲れましたわね」


 汗をぬぐうと同時、ルナの悲鳴のような叫び声が響く。


「サルコさん、『上』……ッ!」


「~~ッ!?」


 咄嗟とっさの判断で、大きく前に跳んだ。


 その直後、先ほどまで自分がの立っていた場所が、文字通り『粉砕』された。


 大地がグラグラと揺れ、激しい土煙が巻き上がる中――。


「グゥオオオオオ゛オ゛オ゛オ゛……!」


 見上げるほどに巨大な魔獣が、凄まじい雄叫びを上げる。

 全長10メートルに達する巨体・頭部から伸びるじれた双角そうかく・ぎょろぎょろと動く大きな目・大木のように発達した二本の前腕ぜんわん・全身を覆う漆黒の被毛ひもう、外見的特徴的から『オーガ』しゅであることは間違いない。


 しかし、通常のオーガ種とは決定的に異なる特徴が一つ――首周りの被毛が、真紅に染まっていた。


 僅かな違いだが、これが意味するところは非常に大きい。


「このサイズは、オーガの『上位種』!? いや、被毛の色が少し違う。この魔獣はまさか……オーガの『変異種』!?」


 変異種、それは突然変異を起こした魔獣の総称だ。

 その発生確率は極端に低く、十万匹に一匹とも百万匹に一匹とも言われている。


 そして最大の特徴は――デタラメに強い。


 討伐対象を『通常種』と誤認した聖騎士大隊が、『変異種』に皆殺しにされた例もあるぐらいだ。


 聖女学院へ入学したばかりの生徒に、どうこうできる相手ではない。


(む、無理ですわ……っ。上位種ならばまだしも、変異種の単独討伐なんて……絶対に不可能。私一人では勝てない。ここは撤退すべき。でも、ルナの足では逃げ切れない……っ)


 サルコがルナの方へわずかに視線を向けたそのとき、変異種の姿がフッと消える。


「えっ?」


「サルコさん、後ろ……!」


 振り返るとそこには――大きく右手を振り上げた、変異種の姿があった。


「は、速……っ!?」


 刹那せつな、変異種の巨腕きょわんがサルコの腹部を深々とえぐる。


「か、はぁ……っ!?」


 肺の中の空気を全て吐き出した彼女は、地面と平行に飛び、後方の壁面に背中を強打。


「……ル、ナ……今すぐ、逃げな、さぃ……ッ」


 彼女は必死にその言葉を絞り出すと、静かに意識を手放した。


「ウ゛ォオオオオオ゛オ゛オ゛オ゛……!」


 獲物を仕留めた高揚感か、変異種は興奮して雄叫びをあげる。

 その大声が呼び水となって、さらに多くの魔獣が集まってきた。


「ガロロロロ……ッ」


「オ゛ー、オ゛ー、オ゛ー……」


「ギュルゥウウウウ……!」


 サイクロプスの変異種・グールの変異種・キメラの変異種、まるでこの世の地獄のような光景だ。


 死の谷は、その名に負けず、文字通りの『死の谷』だった。


 変異種の群れはダラダラとよだれを垂らしながら、サルコの肉をむさぼらんと足を伸ばす。

 魔獣の好物は人間、特にサルコのような強い魔力を持つ個体は、これ以上ないほどの御馳走だ。


「グギャギャギャギャ……!」


「オ゛ッ、オ゛ッ、オ゛ッ……!」


「ギョッギョッギョッ!」


 興奮した魔獣たちの前に――ルナがスッと立ち塞がった。

 常人ならば泡を吹いて失神するような状況の中、彼女は落ち着き払った様子で、周囲の状況を確認する。


「ここなら誰も見ていないし、きっと大丈夫なはず……。それに何より、サルコさんは、とてもいい人だからね」


 ルナはもう聖女ではない。

 しかしその前に、彼女は一人の人間だ。


 受けた善意には、善意で返す。

 死の谷に突き落とされてしまった自分を、命懸けで助けてくれた大切な友達――それを見捨てるような人間が、悪役令嬢になれるわけがない。


 格好よくて立派な悪役令嬢になるためには、きちんと『人としての筋』を通さなければいけないのだ。


「「「ガルラァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛……!」」」


 せっかくの御馳走タイムに水を差され、苛立った変異種たちが猛然もうぜんと押し迫る中――。


「さて、早いところ終わらせちゃおっと」


 ルナはそう言って、軽く拳を握るのだった。

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