第6話:入学式


 入学試験から一週間が経過したある日、一通の封筒がルナあてに届いた。

 差出人は聖女学院、中に入っているのは当然、合否通知だ。


「ふぅー……」


 封筒を胸に抱いたルナは、大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせた。

 ダイニングに集まったカルロ・トレバス・ローも、神妙な面持おももちで待機している。


「それじゃ、開けますね?」


「あ、あぁ、頑張れ!」


「大丈夫、きっと大丈夫だからね!」


 ルナが意を決して封を切ると、中から出てきたのは――。


「……合、格」


 聖女学院の印璽いんじが押された、正真正銘の合格証書だった。


 瞬間、歓喜の声が湧き上がる。


「おめでとう、ルナ! あの聖女学院に合格するなんて、凄いじゃないか!」


「もしかしたらあなたは、本当の本当に聖女様の生まれ変わりかもしれないわね!」


 カルロとトレバスは満面の笑みを浮かべ、愛娘まなむすめの頑張りをこれでもかというほどに褒めちぎり、


「合格おめでとうございます、ルナ様」


 ローはそう言って、ささやかな拍手を送る。


「あ、ありがとうございます!」


 みんなにお礼を伝えたルナが、嬉しそうに合格証明書を眺めていると……一つ気になるところを見つけた。


「……支援科?」


 よくよく見れば、その証書には合格(支援科)と記されているのだ。


「あ、あ゛ー……それはなんというかその………なぁ?」


「え、えぇ、これはなんて言ったらいいのか、その……ねぇ?」


 カルロとトレバスが何やらギクシャクしていると、見かねたローがコホンと咳払いをする。


「聖女学院は聖女科と支援科の二学部制を採っております。その振り分けは単純明快、入学試験の上位合格者100名が聖女の見込みありとされた聖女科、下位100名が見込みなしとされた支援科に入ります」


「つまり私は……聖女の見込みがない、補欠合格者ってこと?」


「端的に言えば、そうなってしまいます」


「……そっか、そうなんだ……」


 ルナはポツリと呟き、合格証書をギュッと握り締めた。


 愛娘の悲しむ姿を見たカルロとトレバスは、


「お、落ち込む必要なんか全然ないぞ!? あの聖女学院に合格するってことは、本当に本当に凄いことなんだからな……!」


「えぇ、そうよ! あなたは胸を張って、堂々と学校に通えばいいの!」


 ルナが落ち込まないよう必死にフォローしたのだが……。


「――ぃやったぁ!」


「「え?」」


 彼女は落ち込むどころか、会心のガッツポーズを決めてみせた。


(聖女の見込みなし――こんないい学科があるなんて、偶然そこに受かっちゃうなんて、私はなんてラッキーなんだろう!)


 学生という新たな身分での生活を楽しみつつ、この時代の見聞けんぶんを広めつつ、それでいて聖女の見込みなしと判断されたポジション。


 ルナにとっての支援科は、文字通り『最高の場所』だった。


「ま、まぁルナが喜んでくれるなら、儂等も嬉しいぞ」


「ルナ、楽しい学生生活を送ってくるのよ」


「はい、ありがとうございます!」


 その後、スペディオ家では盛大な祝賀パーティが開かれ、たくさんの領民たちが、ルナの合格を祝ったのだった。



 一週間後、今日はついに聖女学院の入学式。


 聖女学院の制服に袖を通したルナは、自室の姿見すがたみ身嗜みだしなみをチェックする。

 上は真っ白なシャツに赤を基調としたブレザー、下はシンプルな黒のスカート。


 ちなみに……聖女科と支援科の制服は、基本的に全て同じデザインとなっている。唯一の違いは胸元のポケット、ここに聖十字のシンボルがあるかないか、それだけだ。


(この時代の服って、三百年前よりも可愛いくなったなぁ)


 新たなよそおいを纏ったルナは、カルロとトレバスのいるリビングへ移動すると、そこには号泣するカルロとそれをなだめるトレバスの姿があった。


「うぅ……ルナ、ルナぁ……儂を置いていかんでおくれぇ……ッ」


「もうあなた……今日はおめでたい日なんですから、そんなに泣かないでください。ルナが困ってしまいますよ?」


「そ、そうじゃな……うん、儂、泣きむ!」


「はい、よくできました」


 聖女学院は全寮制のため、ルナは今後基本的に寮で生活し、たまの休日や長期休暇にスペディオ家へ帰る、という形になるのだ。


「――それじゃ、行ってきます!」


「くれぐれも気を付けてなー!」


「たまには帰って来てちょうだいね」


「行ってらっしゃいませ、ルナ様」


 カルロ・トレバス・ローに見送られたルナは、最低限の生活用品を積んだ馬車に乗って、聖女学院へ向かうのだった。



 聖女学院に到着したルナは、自分の住む寮へ行き、生活用品の入った木箱を運び込んでいく。


「よっこいしょっと……これでもう全部かな?」


 寮は基本的に相部屋となっており、同学年の生徒と生活を共にする。


(私のルームメイトさん、まだ来てないみたいだけど……どんな人なのかな? 一緒にどこかへ遊びに行けるぐらい、仲良くできたらいいなぁ)


 そんなことを思いながら、淡々と荷解にほどきをしていくと――木箱の中に妙なモノを発見した。


「……あれ? こんな荷物、持ってきてたっけ……?」


 彼女の視線の先には、白い布が被せられたバスケット。 


「なんだろう、ローがこっそり差し入れでもくれたのかな?」


 布を取って中を確認するとそこには、


「わふぅ……?」


 眠たそうなタマが丸くなって入っていた。


「えっ、ちょっ、タマ!?」


「わふっ!」


「しーっ、静かに!」


「くぅーん」


「もう、あなたどうやって紛れ込んだの……? いやその前に、ここってペット飼っても大丈夫なのかな?」


 大慌てで寮の規則を確認すると、


「……あっ、オッケーなんだ」


 そこには意外にも『ペット飼育可』と記されてあった。

 ちなみにこれは「聖女様は動物が好きであられた」という情報が、現代まで伝わった結果である。


「とりあえず、一旦ここで待て! ステイ! オーケー?」


「わふっ」


「よーしよし、いいこいいこ。それじゃ私が帰ってくるまで、ちゃんとお利口に待っていてね?」


 ルナはそう言い残し、入学式の会場へ移動した。



 聖女学院第三百回入学式。


 エルギア王国で開かれる近年の入学式は、どれも簡単に済ませるものが多く、新入生の親族が出席するようなことはない。

 その背景には「魔族に両親を殺されてしまい、一人で入学式を迎える生徒が出ないように」という、この時代特有の問題への配慮があった。


 開式の言葉・学院長の式辞しきじ・新入生代表の喜びの言葉・校歌斉唱、入学式はつつがなく進行し、あっという間に終了。


 大講堂から退出した一年生は、掲示板に張り出されたクラス発表を確認し、それぞれの教室へ移動していく。


(えーっと、ルナ・スペディオ、ルナ・スペディオ、ルナ・スペディオ……あった)


 一年C組の欄に自分の名前を見つけたルナは、人の流れに乗って教室へ向かう。


 木製の扉をガラガラガラと開けるとそこには――信じられない人物がいた。


(あ、あれはまさか……サルコさん!?)


 先日の夜会で猿山連合を築いていたサルコこと、サール・コ・レイトンだ。


 しかもその周りには既に、取り巻きと見られる生徒が複数。

 入学早々、凄まじい統率力を発揮していた。

 きっと彼女は天性のボス猿気質なのだろう。


(まさか同じ学院、それも同じクラスだなんて……っ)


 ルナはサルコに対し、強い警戒を持った。


 二人は先日の夜会で、ハワードに誘拐されており、その際に顔を合わせている。


 ルナが<フレイム>を発動し、ハワードを撃退したのは、サルコが気を失った後の出来事。そのため聖女バレの可能性は低いが……決して『ゼロ』ではない。

 事件後にアリシアから話を聞いたかもしれないし、もしかしたらあのとき朧気おぼろげに意識があったかもしれない。


 それに何より――自分のような普通の人間には、生き血をすする過酷なマウント山では生きていけない。


(サルコさんには、あまり近付かないようにしよっと……)


 小さく身をかがめたルナは、猿山連合から逃れるようにして、部屋の隅をススッと移動していく。


 すると次の瞬間、遥か遠方より鋭い視線が飛んできた。


「あら……? あの地味な子、どこかで……」


 サルコの広大な警戒網に引っ掛かってしまったのだ。


(さ、さすがはサルコさん、なんて縄張り意識の強い人……ッ)


 ルナは全く気付いていないフリをして、そそくさと自分の席に着く。


 そうしてなんとか安全地帯へ逃れた彼女は、ホッと安堵の息をこぼした。


(さて、と……これから私が一年間お世話になるクラスメイトのみんな、誰かお友達になってくれそうな人はいるかな?)


 教室をそれとなく見回したところで、とある『違和感』に気付く。


(……んん?)


 どういうわけか、既にいくつかのグループが形成されているのだ。


(あ、あれ、おかしいな……。今日が入学式だよね? みんな、初めて会うんだよね……?)


 ルナの希望的予想に反して、ここにいる者は、ほぼ全員が顔見知りだった。


 聖女学院に入学できる学生は、聖女学を勉強する時間があり、聖女の旧跡を辿る財力があり、魔力向上に励む環境がある――この難しい条件を満たす者は、必然的に限られてくる。

 具体的には豊かな貴族令嬢、もっと正確に言うならば、王都近郊に拠点を置く大貴族の令嬢だ。


 そして貴族の世界は、薄く浅く広く繋がっている。


 親同士の繋がり、商業上の繋がり、学校の繋がり、みんなどこかしらで利害関係を持っている。

 実際にルナの周りにいる生徒はみな大貴族の令嬢であり、お互いのことをそれなりに知っていた。


(ど、どうしよう。こういうのはスタートダッシュが肝心って聞くのに、なんかもうみんな親しげな感じだ……っ)


 焦燥感に駆られるルナの耳に、聞きなれた声が響く。


「――ルナ、えりが乱れているよ」


「あっごめん、ありがとう……って、ロー!?」


 振り返るとそこには、侍女であるロー・ステインクロウがいた。


 聖女学院の制服に身を包み、髪は今風に巻いており、敬語も取れている。


「ちょ、どういうこと!? なんでここにローが!? しかもその制服……聖女科なの!?」


 眼をぱちくりとさせて質問ラッシュを掛けるルナへ、ローは周囲に聞こえないように声のボリュームを絞って返答する。


「カルロ様とトレバス様より、ルナ様を護衛するよう、言い付けられております。もちろん聖女学院には、正規の方法で合格したのでご安心を」


「そ、そうだったんだ……」


 カルロとトレバスは猛烈な親バカであり、ローは非常に優秀だった。


 ちなみに……聖女学院は一学年につき約二百名、AからEの五クラス編成で一クラスは四十名。

 各クラスには聖女科と支援科の生徒が、それぞれ二十名ずつ割り振られる。


「でも、よかった。ローが一緒のクラスだったら、心細くないね」


「光栄です。ちなみに寮も、私と同じ部屋になっております」


「本当? やった! 凄い偶然だね!」


「はい。ただ……こちらは少々非正規の方法を取りました」


「非正規の方法って、何したの!?」


 二人がそんな話をしていると、教室の前の扉が開き、聖女学院の男性教員が入って来た。

 教壇に立った彼は、コホンと咳払いをして、簡単に自己紹介を始める。


「――はじめまして、私はジュラール・サーペント。一年C組の担任であり、主に薬学を担当している聖女学院の常勤講師だ。以後、お見知りおきを」


 ジュラール・サーペント、40歳。

 身長は190センチ、細身の男性だ。

 肩口まで伸びた漆黒の髪・重たく鋭い目・日焼けのない白い肌、どこか蛇のような印象を受ける。

 漆黒のローブに身を包んだ彼は、聖女学院でも指折りの強面こわもて教師である。


「ふむ……二限の開始まで少し余裕があるな」


 聖女学院の年間カリキュラムは非常に密であり、入学式の開かれた今日でさえ、二限目以降の授業が組まれていた。


「せっかくだ、自己紹介の時間としよう。出席番号一番から順に始めていきなさい」


 ジュラールの指示を受けて、一年C組の生徒たちは自己紹介をしていく。

 自分の名前と趣味を言い、軽くお辞儀をしてから、次の人に順番を回す。


 貴族令嬢揃いということもあって、自己紹介はみんな非常に上手く、ルナもまた無難にこなせた。


「これから一年間、諸君らはこの狭い教室で競い合っていく。お互いに適切な刺激を与え合いながら、少しでも聖女様に近付けるように精進してほしい。願わくば、諸君らの中に聖女様がおられんことを祈る。――それでは授業の話に移ろう」


 ジュラールはそう言って、生徒たちに指示を出す。


「次の授業は、聖女科と支援科に分かれて行う。聖女科の生徒は演習場へ、支援科の生徒は私と共に第三実験室へ移動するように」


 彼が小さくパンと手を打つと、生徒たちはぞろぞろと動きはじめた。


「それじゃロー、私は支援科だから、またあとでね」


「はい」


 そうして支援科のルナは第三実験室へ、聖女科のローは演習場へ移動するのだった。



 第三実験室に移動した支援科の生徒たちは、出席番号順に席へ着く。


 それから少しして、二限の開始時刻になるとチャイムが鳴り、ジュラールが教壇に立った。


「これより、薬学やくがくの授業を始める。シラバスにも書いてあった通り、本授業ではポーション・麻痺薬・解毒薬・止血薬などなど、幅広い薬の生成方法を学んでいく。そして今日早速作ってもらうのは――『下位ポーション』だ」


 彼は一呼吸を置き、話を続ける。


「優秀な諸君らのこと、下位ポーションの作り方など、既に知っていることだろう。しかし、何事も基礎をおこたってはならない。今日は初回の授業ということもあり、薬学において如何いかに基礎が大切か、まずはこれを教えたいと思う」


 ジュラールはそう言うと、あらかじめ教壇の上に準備されていた素材を手に取り、下位ポーションを作り始めた。


「まずは試験管に純水を注ぎ、そこへ適量の薬草をひたす。薬草の有効成分がほどよく染み出たところで、自身の魔力をゆっくりと丁寧に込めていく。えて言うまでもないが、このとき注ぎ込む魔力は当然、聖属性のものでなくてはならない」


 彼は慣れた手つきで作業を進めていき、あっという間に下位ポーションを完成させた。


「――さて、諸君らはこれ・・を見てどう思う?」


 教壇の上に置かれたそのポーションは、恐ろしいほどの完成度を誇っていた。


「す、凄い……。濁りやよどみがどこにもない。あれこそまさに完璧な下位ポーション……っ」


「それにあの作業速度! 一つ一つの工程が信じられないほど速くて丁寧だったわ!」


「さすがは聖女学院の常勤講師ですわね……」


 支援科の生徒たちから、驚愕と称賛の言葉が溢れ出し、ジュラールは満足気に頷く。


「下位ポーションの生成に必要な薬草と純水は、最前列のテーブルに用意してあるので、必要な量を持っていくといい。――それでは各自適当な場所に移動し、作業をはじめなさい」


「「「はい」」」


 ジュラールから課題を与えられた生徒たちは、薬草と純水を手に取り、それぞれが思い思いの場所へ移動、下位ポーションの生成に取り組み始めた。


 ルナもその流れに漏れず、必要な素材を手に取り、空いている場所へ移動する。


(さて……ここからが問題だ)


 ルナはポーション作りが得意だった――否、得意過ぎた。


 聖女の魔力は万物を浄化し、その性能を最大限に引き出す。

 たとえ濁り切ったドブ川の水でさえ、聖女の魔力を通せばあら不思議、伝説の秘薬エリクサーと化すのだ。


 かつてルナはよかれと思って、エリクサーを大量に生産し、困っている人たちに無償で配り歩いたことがある。

 しかしこれが、『悲劇』の引き金となった。


 エリクサーという万能薬が、無償で手に入るという情報は、すぐに世界中へ拡散。

 これによって需要と供給のバランスが完全に破壊され、ポーションの販売価格は大暴落。

 製薬市場を混沌の渦に叩き込んだこの大事件は、『聖薬せいやく戦争』として歴史に記されている。


(私がエリクサーを作れることは、絶対にバレちゃいけない……。同じてつを踏まないためにも、ここは細心の注意を払って、しっかりと下位ポーションを作らなきゃ……っ)


 呼吸を整え、いざポーションの生成に入る。

 試験管に純水を注ぎ、適量の薬草を投入。薬効成分が染み出たところで、自身の魔力をゆっくりと込めた。


 その結果――試験管内に淡い光がポッと生まれ、下位ポーションが完成する。


(ふむふむ……見た目は悪くない)


 ほんのりと緑がかったその液体は、どこからどう見ても安物のそれだ。


(とりあえず、飲んでみよっと)


 彼女は試験管に口を添え、試作品一号を口内に流し込む。


 すると次の瞬間――。


(こ、これは……!?)


 疲労・肩凝り・眼精疲労、ありとあらゆるバッドステータスが、たちまちのうちに吹き飛んだ。


(……失敗だ)


 残念ながら、これはエリクサー。

 こんなものを提出すれば、どんな騒ぎになるやもわからない。


 ルナは失敗作エリクサーを木製の試験管立てに置き、すぐに次のポーション製作に取り組んだ。


 その後、何度も何度も試行錯誤を重ねた果て――ついにそのときがやってくる。


「で、できた……!」


 ドロリと濁った緑色の液・口内に広がる草の苦み・ほんの僅かな疲労回復効果、これぞまさに下位ポーション。

 薬屋でよく売られている、安物やすもののアレだ。


(やった、やった! 初回から中々の難題だったけど、この出来ならきっと大丈夫……!)


 その場でぴょんぴょんと跳ね回りたい気持ちを抑えつつ、拳をギュッと硬く握る。


(後は自分の名前を書いたラベルを貼って……これでよしっと)


 提出用の下位ポーションには、自身の名前を書いたラベルを貼り、他の失敗作と交ざらないように試験管立てに置いておく。


 こうしておけば、後は既定の時間になり次第、ジュラールの助手が回収してくれるのだ。


(ちょっと早めにできちゃったし、お手洗いに行ってこよっと)


 ルナが一時退席した直後、彼女の席に怪しい影が忍び寄る。


「ふふっ……行ったわね?」


「早いところやってしまうわよ。バレたらとんでもないことになるんだから」


「ジュラール先生の視線を切って、そう、そこに立っていてちょうだい」


 五分後――ルナがお手洗いから戻ると、他のクラスメイトたちはみんな自分の席に着いていた。

 ジュラールの立つ教壇には、ポーションの入った試験管がズラリと並んでおり、もう間もなく評価付けが行われるところだ。


(私のは……よかった、ちゃんと回収されているみたい)


 教壇の上に並ぶ試験管、そのうちの一本にはちゃんと『ルナ・スペディオ』と書かれたラベルが確認できた。


「ふむ……そろそろ時間だな。それではこれより、諸君らのポーションを試飲していく。評価基準は液体純度・回復効果・持続性、この三点から総合的に判断し、F~Sのランク付けを行う」


 評価基準を明確にしたジュラールは、一本の試験管を手に取り、そこに張られたラベルを確認する。


「このポーションは……エレイン・ノスタリオのものか」


「はい」


 名前を呼ばれた青髪の生徒が、スッと行儀よく立ち上がった。


「ふむ……僅かな濁りは見られるが、純度は中々いい水準だ。――ほぅ、回復効果・持続性ともに悪くない。Bをやろう」


「あ、ありがとうございます!」


 ジュラールは薬学の権威であり、彼の与える『B』はかなりの高評価だ。


 その後、ポーションの評価は進んで行き……。


「これは――ふむ、濁っているな。回復効果も薄いうえ、持続性も心許こころもとない。……Eがよいところだろう」


「こちらは――むっ、純度が悪いな。だが、回復効果と持続性はよい。……D+といったところか」


「このポーションは――中々に透き通っているが、回復効果と持続性が乏しい。C-を与えよう」


 そしてついにルナの番を迎える。


「次……これはルナ・スペディオのポーションだな」


「はい」


 他の生徒と同じように返事をして、素早く立ち上がったルナは――我が目を疑った。


(えっ、ちょっと待って……うそ!?)


 ジュラールの持つ試験管、そこにあるポーションの色が違った。

 あの澄んだ美しい緑色は間違いない、失敗作エリクサーだ。


(なんで、どうして……!? 提出用の試験管には、ちゃんと私の自信作を――緑のドロドロポーションを入れたはずなのに……っ)


 ルナがお手洗いに行っている間に、彼女を貶めんとする生徒たちが、提出用の完成品と失敗作エリクサーをすり替えたのだが……そんなことはもちろん知るよしもない。


 そうこうしている間にも、ジュラールの評価は進んでいく。


「ほぅ……これは素晴らしい純度だな」


 目を丸くして感嘆の息を零す彼に、ルナは大きな声で「待った」を掛ける。


「せ、先生! ちょっと待ってください!」


「どうした、ルナ・スペディオ」


「実はそのポーションは……えっと、その……あの……っ」


 まさか「エリクサーなので飲まないでください」と言うわけにもいかず……咄嗟とっさに上手い言葉が出てこなかった。


 しどろもどろになって狼狽ろうばいするルナへ、「くすくす」というわざとらしい嘲笑が向けられる。


「あらあら……みっともなく慌てちゃって、恥ずかしいなぁ」


「もう、そんな意地悪を言っちゃダメじゃない。下位ポーションすらまともに作れなかったんですから、狼狽するのも無理のない話だわ」


「ふふっ、あんなのでよく聖女学院に受かったわねぇ」


 何を隠そう、彼女たちがルナのポーションをすり替えた犯人だった。


 一方、突然ルナに待ったを掛けられたジュラールは、怪訝けげんな視線を向ける。


「いったいどうしたというのだ、ルナ・スペディオ。何か言いたいことがあるのなら、はっきりと言うがいい」


「実はそのポーション、ちょっとした手違いで『エリってしまった』というか、なんかあの『突然変異的なアレが起きた』というか……その……っ」


 あわあわとしながら、よくわからない言葉を呟くルナ。


 それを見たジュラールは――全てを理解したとばかりに頷く。


「なるほど、自信がないのだな?」


「えっ? あっいや、自信がないというよりは、あり過ぎて困るというか……」


 ルナが言い淀んでいると、ジュラールはその怖い顔でぎこちなく微笑んだ。


「ふっ、案ずるな。最初は誰しも上手くいかないものだ。伝説にうたわれる聖女様とて、若い頃はとんでもないミスをしたと言われている」


「……はぃ、すみません……」


 脳裏をよぎるのは、いくつもの大失敗。


 ルナを気遣った優しい声掛けは、彼女の精神に大きなダメージを与えた。


「ちょうどいい機会だ。諸君らもよく覚えておくといい。遥か昔より、『失敗は成功の母』と言う。失敗は学びであり、失敗なくして成功はあり得ない。失敗から得たいくつもの経験を糧にして、成功という果実を口にする。これこそが正しい学習の在り方だ」


 力強くそう語ったジュラールは、慈愛じあいに満ちた目をルナに向ける。


「だからルナ・スペディオ、失敗に怯える必要などない。これをかてにして、前に進めばよいのだ」


「は、はい……ありがとうござい……あっ!? 先生、待ってください!」


 ルナの必死の懇願も虚しく、ジュラールは失敗作を一気にゴクリと飲み干した。


 次の瞬間、彼の体に異変が起きる。


「…………ふぉ」


「「「ふぉ?」」」


「ふぉおおおおおおおお……! みなぎる、漲るぞぉおおおおおおおお……!」


 ジュラールの全身から、溢れんばかりの大魔力が吹き荒れた。


「す、素晴らしいッ! なんという回復効果、途轍もない持続性! これは最上位ポーション……いや、エリクサーかと錯覚してしまうほどの出来映えだ!」


「あ、ありがとうございます……っ」


 さすがに「それ、普通にエリクサーです」というわけもいかず、感謝の言葉を述べた。


「ルナ・スペディオ! 後で私の研究所に来てくれ! キミとは是非ポーション談義を交わしたい……!」


「あ、あ゛ー、すみません、今日はちょっと予定があって……」


「むっ、そうか。私としたことが、いてしまったようだ。また後程、日程と時間の擦り合わせを行わせてもらおう」


「ま、前向きに検討しておきます」


 ルナは明後日の方角を見ながらそう答えた。

 そのまま三日四日と引き延ばし、ポーション談義の予定を消滅させたい、の構えだ。


「いやしかし……本当に、本当に素晴らしいポーションであった! 私の薬学人生において、あれほどの一品を目にしたことはない! ルナ・スペディオ、キミにはA+を――いや、S評価を与えよう!」


 ジュラールからとんでもない高評価を受けるルナへ、悪意の籠った視線が向けられる。


「くそ、どうしてこうなるの!? 提出用の中身を捨てて、失敗作っぽいのを入れておいたのに……っ」


「まさか……私達がすり替えるのを読んで、あらかじめ提出用と失敗作の中身を入れ替えていたっていうの……!?」


「あの女、性格悪過ぎでしょ……ッ」


 悪巧みに失敗した三人の生徒が、嫉妬に狂った瞳でルナを睨みつけるのだが……。


(うわぁ、もうやだ……。また悪目立ちしちゃったよ……っ。いったい誰がすり替えなんて酷いことを……)


 当の本人は自分のことでいっぱいいっぱいで、そんな視線にすら気付かないのだった。

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