第3話:聖女学院


 時計の秒針の音が響く、静まり返った部屋の中――。


「……」


 椅子に深く座り込んだルナは、ローに見つけてもらった悪役令嬢の小説を読みふけっていた。


 所謂いわゆる『悪役令嬢もの』は、小説における人気ジャンルの一つ。

 基本的なストーリーラインは、悪役令嬢に転生した主人公が前世の知識を駆使して、自身の破滅運命はめつふらぐを避けるために尽力じんりょくする、というものだ。


「ふぅ……」


 ちょうど一冊を読み終えたルナは、椅子からスッと立ち上がり、何もない空間に目を向ける。


「――初見しょけんだけど、どうやら私は、あなたのことが大嫌いみたい」


 虫けらを見るような冷たい目をした彼女は、短くそう言い捨て、クルリときびすを返した。


「……く~……っ」


 自室のベッドにバタンと倒れ込み、はしたなくパタパタと足を揺らす。


(わざわざ遠方より謁見えっけんを求めて来た、弱小貴族の嫡男ちゃくなんに対して、こんな酷いことを言うなんて……聖女失格です)


 空想のシチュエーション・架空の相手・妄想の設定――所謂いわゆる『イマジナリー悪役令嬢ムーブ』である。


嗚呼ああ、やっぱり悪役令嬢はたまらない。このなんとも言えない背徳感……最高ぅ)


「はふぅ……」


 満足気な表情のルナが、枕をぎゅーっと抱き締め、たかぶった気持ちをしずめていると――。


「――ルナ様、大丈夫ですか?」


 目と鼻の先にローの顔があった。


「うっひゃぁ!?」


 ルナは思わず変な声をあげて、ベッドから転がり落ちてしまう。


「ろ、ロー!? どうしてあなたがここに!? ノックぐらいちゃんとしてよ!」


「何度もしましたし、お声掛けもさせていただきました。しかし、返事がないうえ、奇声が聞こえてきたので……」


「そ、そう……。それなら、仕方ないね」


 ルナは真っ赤になった顔を隠すため、クルリと反対側を向いた。

 立派な悪役令嬢になるには、まだまだ時間がかかりそうだ。


「ところでルナ様。ここ数日、随分とリラックスされておりますが……大丈夫なのでしょうか?」


「大丈夫って、何が?」


「もう間もなく始まる聖女学院の入学試験、そのテスト対策は大丈夫なのか、と聞いております」


「せいじょがくいん……? にゅうがくしけん……?」


 ルナはポカンと口を開けたまま、コテンと小首を傾げた。

 どこからどう見ても、大丈夫な様子ではない。


「恐れながら……もしかして、例の記憶障害ですか……?」


「そ……そう! それそれ!」


 三百年前の聖女ルナと現代のルナ・スペディオの間に記憶の共有はない。

 そうなれば必然、ルナとスペディオ家の間で、今回のような『認識のズレ』が生じる。

 ルナはそれを埋めるため、自分の記憶にない出来事が発生した場合、馬車に轢かれたことによる『記憶障害』ということにしていた。


「ごめんロー、ちょっと今すぐには思い出せそうにないから、さっきの話を簡単に説明してもらえる?」


「かしこまりました」


 ローはコホンと咳払いをして、聖女学院の基本情報と入学試験の予定について語り始める。


「まずは聖女学院の成り立ちについて、簡単にお話しいたします。今より三百年前――聖女様が処刑されたことにより、彼女を巡る泥沼の戦争は終結し、人類は安寧を享受しました。しかしそれも、長くは続きません。聖女様という抑止力をなくした人類のもとへ、大魔王が再び侵攻を開始したのです」


「ふむふむ(書庫で読んだ本とおおむね同じ内容だ)」


「窮地に立たされた人類は、『救済の手掛かり』を求めて聖女様の旧跡きゅうせきを辿りました。その結果、聖女様の旧家で予言書を発見。そこには、聖女様が遠い未来に転生を果たすことが記されてありました。聖女転生という啓示を得た人類は、すぐさま聖女学院を創設し、聖女様の発見に全力を注いでいる、というわけです」


「なるほど……(えっ、予言書ってなに? 私、そんなの書いた記憶ないんだけど)」


 ルナがいぶかしがっているところへ、『爆弾』が投下される。


「次に入学試験ですが、日程は明日です」


「明日ぅ!?」


「はい。合否は筆記と実技、双方の素点を合算して、総合的に判断されます。聖女の学院に合格するには、聖女にふさわしい教養『聖女学』を修めたうえで、『聖女様たる力』を示さなければなりません」


「い、いや、そんなこと急に言われても……っ」


「ルナ様のお受験、カルロ様やトレバス様はもちろん、領民一同みな応援しております」


 ローはそう言って、部屋を後にした。


「…………」


 一人ポツンと残されたルナは、 


「や、やばいやばいやばい……っ。聖女学ってなに!? 予言書ってなに!? そもそも入学試験が明日ってどういうこと!?」


 頭をガシガシと掻き、パニックにおちいっていた。


「と、とにかく……出来る限りのことをやらないと!」


 根が真面目な彼女は、本棚にあった聖女学の教科書を開き、なんとか知識を詰め込もうと励むのだった。


 翌日――。


「ふわぁ……おはよぅ、ロー……」


「おはようございます、ルナ様。目の下にクマがございますが、昨夜はあまり寝付けませんでしたか?」


「うん、ちょっとね……」


 まさか「徹夜で詰め込んでいました」なんて言えるわけもなく、言葉を濁した。


 その後、いつものようにダイニングで朝食を取ったルナは、スペディオ家の馬車に乗り込む。


 窓の外では、スペディオ領に住む人たちが、ルナに熱い声援を送ってくれていた。


「ルナ様、頑張ってくださいね!」


「ルナちゃん、おばぁも応援しておるじゃき!」


「ルナお姉ちゃん、頑張ってー!」


 若い男性・老齢の婦人・小さな子ども、スペディオ領の領民たちが勢揃いして、ルナの合格を願ってくれていた。


 そしてさらに、


「ルナー! 頑張るんじゃぞー!」


「ルナ、応援していますからねー!」


 屋敷の屋根に上ったカルロとトレバスは、『絶対合格』と書かれた大きな旗を振っている。


「あ、ありがとうございます、頑張ります……っ」


 重くのしかかる期待、ルナの全能力にマイナスの補正が掛かった。


 それから馬車に揺られること数時間、王都にある聖女学院に到着する。


「――ありがとうございました」


 荷馬車を牽いてくれたスペディオ家の御者にお礼を告げたルナは、改めて聖女学院の校舎と向き合う。


「ここが聖女学院……っ」


 見上げるほどに高い時計塔・綺麗に整備された広い庭園・白亜はくあの宮殿のような本校舎、聖女学院は想像を遥かに超える大きさだった。


(とりあえず、受付を済ませなきゃ)


 正門前に設置された仮設の受付に移動する。


「すみません、受験番号1835のルナ・スペディオなんですけど……」


「受験番号1835番ですね。――はい、確認が取れました。こちらの受験票をお持ちのうえ、大講堂へお向かいください」


「ありがとうございます」


 ペコリと一礼したルナは、正門をくぐり、本校舎へ入った。

 本校舎の中には、大講堂の場所を示す赤い矢印が貼っていたため、迷うことなく試験会場に着いた。


 大講堂に入るとそこは――。


「「「……」」」


 先日出席した夜会とは正反対、清らかで静謐せいひつな空間が広がっていた。


(なんというか、凄い空間だ……っ)


 軽く三百人以上の受験生がいるのにもかかわらず、大講堂はシンと静まり返っている。

 唾を呑む音でさえ雑音になりそうで、自然と背筋がピンと伸びた。


 ルナは自分の受験番号がマークされた席に移動し、周囲から浮かないように黙って静かに座る。


 それからしばらくして、試験開始十分前となった頃、女性教員が大講堂の壇上に立った。

 試験監督の腕章を巻いた彼女は、コホンと咳払いをして、受験生の注目を集める。


「これより、第三百回聖女学院の入学試験を開始いたします。入学試験要綱に記されてあった通り、まずは筆記試験から行います」


 彼女がそう言ってパチンと指を鳴らせば、どこからともなく風が吹き出し、受験生の机の上に問題と解答用紙が運ばれた。

 風の魔法を使った、合理的な配布法だ。


 秒針の動く音が聞こえるような静けさの中、


「それでは――はじめなさい」


 開始の合図が告げられ、一斉にプリント用紙をめくる音が響く。


 ルナも周囲に遅れまいと動き出し、氏名と受験番号を素早く書き記したところで――膨大な数の問題に顔をしかめた。


(うっ、凄い量……)


 筆記試験は全百問から構成され、問題は全て記述式。

 制限時間は二時間、中々にヘビーな試験だ。


(ふーっ、焦っちゃだめだめ。まずは落ち着いて、一つ一つ冷静に解いて行かなきゃ)


 彼女は小さく短く息を吐き、第一問に取り掛かる。


問1.聖女様の出生地は?


(これは簡単、グランディーゼ神国しんこくランドニア領カンザス村っと)


問2.幼少の聖女様が拾い育てたという、群れからはぐれた幻獣種の名前は?


(うわぁ、懐かしい。答えは『タマ』。群れに返した後は、一度も会えなかったけど、元気で楽しい一生をまっとうできたかな……)


問3.聖女が幽閉されていた、アルバス帝国の離宮は?


(あ゛ー、あそこは確か……思い出した。ロウザの離宮だ。窮屈な場所だったけど、ごはんだけはおいしかったんだよなぁ)


 栄誉ある聖女学院の筆記試験は、当然ながらどれも難問ばかり。

 教科書の隅に書かれていることはもちろん、聖女の旧跡をきちんと巡っていなければ、解けない問題が山のようにある。


 しかし、本物の聖女たるルナにとって、問われているものは全て自分が過去に経験してきたこと。

 記憶を辿るだけで答えが見つかるため、問題を解くのは容易かった。


(よしよし……これならいける、全問正解まで狙えそう!)


 順調に解を導き出したルナの手が、最終問題を前にしてピタリと止まる。


問100.聖女は処刑される間際に何を思ったか、書き記せ。


 最後の問題は、受験生の思想を問うものだった。


(……何を思った、か……)


 ルナの答えは――空白。


 人類に絶望した聖女は、もはや何も思わなかった。



 筆記試験が終わった後は、三十分の昼休憩を挟み、実技試験に移る。


 実技試験の集合場所は、聖女学院の裏庭にポツンと生えた枯れ木の前。試験開始十分前に迫ったところで、白い髭を蓄えた老爺ろうやが姿を見せた。

 左腕に試験監督の腕章を巻いた彼は、木製の杖で地面をゴツゴツと打ち、受験生の注目を集める。


「え゛ー、それではこれより、実技試験を開始する」


 老爺は左手で自身の長い白髭を弄びながら、右手の杖で背後の枯れた大木を指す。


「儂の真後ろに生えておる木は、呪われた聖樹せいじゅユグドラシル。かつてはこのエルギア王国で、最も美しく力強い大樹だったのじゃが……。三百年ほど前、王国に侵攻した大魔王の黒魔法を――尋常ならざる強力な呪いを受け、このように枯れ萎んでしまった」


 老爺の言う通り、ユグドラシルからは生気を感じなかった。

 漆黒に染まった幹は弱々しく、細腕のような枝には葉もつぼみも花もついていない。

 どこからどう見ても、ただの枯れ木である。


「しかし、この聖樹はまだ死んでおらぬ! 聖属性の魔力を注ぎ込めば、それを生命力に変換し、大魔王の呪いを跳ね返さんとする! 多くの魔力を注ぎ込めば注ぎ込むほど、ユグドラシルは美しく鮮やかに咲き誇る! 今年度の実技試験は、如何に美しく聖樹を咲かせるか――すなわち、受験生の魔力量を測るものじゃ!」


 老爺は一呼吸を置き、続きを語る。


「合格の目安は、最低一つのつぼみを付けること。これを満たせぬ者は、聖女の資質はおろか傍仕そばづかえをする資格なし。この場で不合格を言い渡す」


 厳しい発言を受け、受験生に緊張が走る。


「さて、それでは始めようか。まずは――アスコート、カレン・アスコート」


「は、はい!」


 名前を呼ばれた赤髪の女生徒が、一歩前に踏み出した。

 緊張した面持ちでユグドラシルの前に立った彼女は、漆黒に染まった幹に両手を添え、自身の魔力を流し込む。


 その結果、五つの蕾を付け、そのうちの一つが桃色の華を咲かせた。


「ほぅ……いきなり咲かせおったか。悪くないぞ、カレン・アスコートよ」


「ありがとうございます!」


 老爺から褒められたカレンは、嬉しそうに頭を下げ、受験生の待機列に下がっていく。

 そうして彼女からの魔力供給が断たれると同時、大魔王の呪いが再び活性化し、ユグドラシルは元の枯れた状態に戻った。


 その後、大勢の受験生が実技試験に挑んだ。


 ある者は、蕾を一つだけ付けた。

 ある者は、蕾と緑の葉を付けた。

 またある者は、蕾を付けることさえできず、その場で不合格となった。


 そしてついに――ルナの番が回ってくる。


「では次、スペディオ。…………むっ、スペディオ? おらぬのか、ルナ・スペディオ?」


「えっ、あっ、ひゃい!」


 スペディオという新たな姓になれていなかったため、反応に遅れた挙句、返事の声が裏返ってしまった。


「ぷっ、あはは……っ。何あれ、緊張し過ぎでしょ」


「あらあら、どこのおのぼりさんかしら?」


「きっと凄い田舎からいらしたんでしょうね。スペディオなんて家名かめい、聞いたことがありませんもの」


 周囲の受験生たちから冷ややかな視線が注がれる中、ルナはただ一点、聖樹ユグドラシルを見つめていた。

 周りの雑音など、まったく耳に入らない。

 何せ彼女は今、それどころではなかったのだ。


(これは……マズイ、かも……ッ)


 聖女の魔力は大魔王の魔力に対し、絶対的な威力を発揮する。

 注ぎ込む魔力の量を間違えれば、聖樹に掛けられた呪いを解いてしまうかもしれない。

 たとえそこまでいかなくとも、派手に咲かせてしまったら、無用な注目を浴びてしまう。


(ふー……落ち着こう、きっと大丈夫)


 両手で軽くパンパンと頬を叩き、そっと聖樹の幹に触れる。


(……蕾を一つ二つ付けるなら、これぐらい、かな?)


 ルナが恐る恐る極々小量の魔力を流し込んだその瞬間――聖樹ユグドラシルに異変が起きた。


 せ細った黒い幹は、太ましく健康的な茶色を纏い、太い枝は音を立てて伸び、そこに結んだ数多の蕾は、艶やかな桜色の華を咲かす。

 まさに満開。

 聖樹ユグドラシルは、三百年の時を超えて、真の姿を取り戻した。


「そん、な……馬鹿な……!?」


 試験監督の老爺は、思わずその場で崩れ落ち、


「す、凄い、なんて綺麗なのかしら……っ」


「これが聖樹ユグドラシル……!」


 その場にいる受験生たちもみな、あまりの美しさに見惚みとれていた。


 一方のルナは、


(し、しまった……ッ)


 背中にびっしょりと冷や汗をかき、すぐさま魔力の供給を遮断。

 それと同時、大魔王の呪いが聖樹全体を駆け巡り、ユグドラシルは再び元の枯れ木に戻った。


「「「……」」」


 なんとも言えない沈黙が降りる中、


「す、スペディオ! もう一度、今すぐもう一度やってみなさい!」


「は、はい……っ」


 興奮した老爺に肩を揺らされ、再チャレンジを強いられた。


 期待の視線が注がれる中、


(……ここでしくじったら本当の本当に終わる。私はまた聖女として担ぎ上げられ、理想の悪役令嬢ライフは遠い彼方に消えてしまう……っ)


 彼女は大きく深く深呼吸をし、魔力制御に全神経を集中させる。


(もうミリ、限界ギリギリまで出力を落として……ほんの一瞬だけ、魔力を――流す!)


 その結果、ポンっと一つの蕾が実を結んだ。


「…………うぅむ……やはり先ほどのは、何かの間違いか。おそらくは受験生の注いだ魔力の一部が、聖樹の内部に溜まり続け、たまたま偶然スペディオのタイミングで解放された――こう考えれば筋は通る。……しかし、あれは綺麗じゃったのぅ。今度在校生を集めて、先の現象を再現してみても面白いかもしれぬ」


 老爺はブツブツと独り言をつぶやき、完全に自分だけの世界へ入っていた。


「あ、あの……すみません、もう戻ってもいいでしょうか?」


 立ちぼうけになったルナが問いかけると、彼はハッと我に返った。


「おっと、すまんすまん。つい夢中になっておった。ルナ・スペディオ、もう下がってよいぞ」


「はい」


 受験生の待機列へ戻るルナの背中へ、敵意の混じった視線がグサグサと突き刺さる。


「……なにあれ、な感じ……」


「偶然たまたま咲かせられただけのくせに、得意気な顔しちゃってさ……」


「自分が聖女様の生まれ変わりだって、勘違いしているんじゃないのかしら?」


 受験生たちが小さな声でボソボソと嫌味を口にする中、


(……うぅ、みんなめちゃくちゃこっち見てる。絶対これ悪目立ちしちゃったよ……っ)


 ルナはがっくりと肩を落とし、小さくなって項垂うなだれるのだった。

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