第2話:聖女の力


「これは驚いた。まさかあの状態から、これほど短期間に全快を遂げるとは……。我が国の回復魔法の発展は、めざましいものがあるね」


「……そうですね」


 ルナは半歩後ろに下がりつつ、そっけない返事をする。

 明らかな拒絶の反応だが、それを知ってか知らずか、ハワードはさらに距離を詰めてくる。


「しかし、以前にも増して綺麗になったね。なんというか……そう、生命力のようなものが、満ち溢れているような気がするよ」


 彼は歯の浮くようなセリフをよどみなくつらつらと述べ――スッと右手を差し出した。


「どうだろう、今夜ボクと一緒に……?」


 次の瞬間、マウント山のお猿さんたちに激震が走る。


「は、ははは……ハワード様が……っ」


「あんなどこぞの芋女に夜のお誘いを……!?」


「これは何かの夢よ、そうに違いないわ……ッ」


 ハワード・フォン・グレイザーは、王家より公爵の地位を授かった大貴族。


 若くしてグレイザー家の当主を継いだ彼は、優れた経営手腕・巧みな交渉術・先進的な軍事財政改革をって、その領地をさらに発展させた。

 領民からの信望しんぼうは厚く、王族からも一目置かれる存在。

 家よし、つらよし、器量よし――この夜会に参戦した全ての戦士おんなが狙う、最上級の物件だ。


 しかし、ルナの聖女眼力アイを誤魔化すことはできない。


 ハワードの瞳の奥にたぎるどす黒い欲望を、ハワード・フォン・グレイザーが持つ悪性を、はっきりと見抜いていた。


「申し訳ございません。今夜は別の予定がありますので……」


 ルナが丁重にお断りを告げたその瞬間、


「「「……!!!!!?????」」」


 無音の衝撃がパーティ会場を貫いた。

 王国屈指の大貴族である、グレイザー家の当主からの夜の誘いを拒否するなど、正気の沙汰とは思えなかったのだ。


 一方、拒絶の返答を受けたハワードは、


「そうか、それは残念だ。もしも気が変わったら、エジオの離宮へ来るといい。甘く優しい、幸せな時間に溺れさせてあげよう」


 特に気を悪くした素振りも見せず、パーティの喧騒けんそうに消えていった。


 この夜一番の衝撃が去った後、


「あの地味女……っ。ハワード様のお誘いをそでにするだなんて……ッ」


「あーやだやだ。お高く止まっちゃって……いったいどこの御令嬢様なんでしょうねぇ?」


「ハワード公爵より上の物件なんて、そうそう見つかるものではないのに……いったい何しに来たのかしら?」


 サルコさん(仮称)・サルーティさん(仮称)・サルモンドさん(仮称)――マウント山に棲む獣たちの視線が、ルナのもとへ殺到する。


(だ、大丈夫ですよー、私は敵じゃありませんよー……っ)


 獰猛な肉食獣たちから逃れるようにして、夜会の枠外へ――展望テラスへ移動したルナ。

 安全地帯に避難した彼女は、「今日は綺麗な満月だなぁ」などと呑気なことを思いながら、夜会の終わりを待つ。


 音楽隊の優雅な演奏も終幕へ入り、今宵こよいもそろそろお開きかという空気が流れ始めたそのとき――事件は起きた。


「――<烈風ゲイル>」


 何者かが風の魔法を発動し、会場内の明かりが掻き消された。

 すると次の瞬間、窓ガラスの割れる音と男の野太い怒声が響く。


「――アリシア姫を探せ! 金髪・・の美しい女だ!」


 その命令を合図にして、会場内へ大勢の野盗たちが踏み入った。


 それと同時、


「「「きゃぁああああああああ!?」」」


 マウント山のお嬢様たちが、甲高い悲鳴をあげて、それぞれの狙っていた貴族えものに抱き着く。


(す、凄い、なんて的確な状況判断能力なの……!?)


 ルナは言葉を失った。

 さすがは猿山連合というべきか。こんな緊急事態さえも利用するだなんて、どれだけたくましい精神をしているのだろう。


「くそっ、こんな数、いったいどこから!?」


「明かりを持て! 早くしろッ!」


「皆様、落ち着いてください! 危険ですから、一旦外へ!」


 警備担当の守衛たちが、すぐさま暴徒鎮圧に乗り出すものの……会場の大混乱に足を取られて、思うように動くことができない。


 その結果――。


(はぁ……どうしてこうなっちゃうんだろう……)


 ルナはさらわれてしまった。

 現在は荷馬車の後部で、仔牛こうしよろしく、ガタガタと運ばれている。


(私、銀髪なのに……金髪じゃないのに……)


 彼女は自身の髪を指でいじりながら、がっくりと肩を落とす。


 夜会を襲った集団は、風魔法で会場の明かりを消してから、標的ターゲットであるアリシアを狙った。

 暗がりにすることで守衛の視界を潰し、その動きを鈍らせたのだ。


 しかし、視界が取れないのは野盗たちも同じ。


 だから彼らは、アリシアの黄金ともうたわれる『金色の髪』を目印にして、あの場にいた金髪の女性を片っ端から攫っていったのだ。

 そのとき折悪くバルコニーにいたルナは、淡い月明かりに照らされており、彼女の澄んだ『銀髪』が『金髪』に見えたため、攫われてしまった――というわけだ。


(はぁ……)


 再び大きなため息を零したルナは、横目でチラリと周囲の状況を窺う。

 現在この荷馬車には、ルナの他に二人の令嬢が囚われていた。


 一人は、ターゲットであるアリシア。


「……っ」


 元々気弱で引っ込み思案な彼女は、荷馬車の隅で小さくなって震えている。


 もう一人は、マウント山の首領しゅりょうサルコ(仮称かしょう)。


「この……狼藉者ろうぜきもの共め! 私をレイトン家が長子ちょうしサール・コ・レイトンと知っての行いですか!?」


 彼女は怒声を張り上げながら、力強くダンダンと荷馬車の扉を蹴り付けていた。


 中々に対照的な二人である。


(それにしても……だなぁ)


 ルナは苦笑いを浮かべつつ、自分の置かれている状態を再確認する。


(縄の結びは緩いし、猿轡さるぐつわもしていない。私達が魔法士や魔剣士だったら、どうするつもりなんだろう? この詰めの甘さは……素人かなぁ)


 前世で幾度となく拉致→監禁のアンハッピーセットをいただいてきたルナは、犯行グループの手際から相手の力量を見抜くことができるのだ。


(我ながら、なんて悲しい特技だろう。こんなのいらない……)


 ルナが嘆息を零し、サルコが怒り狂う中――アリシアが弱々しい声を漏らす。


「わ、私達……これからいったい、どうなってしまうのでしょうか……っ」


「さぁ、どうなるんでしょう」


 ルナの口ぶりはまるで他人事のようで、ともすれば少し冷たく聞こえてしまうものだった。


 しかしもちろん、彼女に悪気はない。

 実際のところ、本当の本当に興味がなかった。

 こんな頭のおかしい犯行ことをしでかす輩の考えなんて、わざわざ思慮を巡らすに値しない、そう考えているのだ。


(いつでも逃げられそうだけど、あまり大きな騒ぎは起こしたくないし……。頃合いを見計らって、こっそりドロンしよう)


 ルナはそんなことを考えながら、馬車に揺られ続けるのだった。



 それからしばらくすると馬車は止まり、ルナたちは森の奥深くにひっそりと立つ、さびれた洋館に連れ込まれた。


(うわぁ、凄いホコリ……っ)


 蜘蛛の巣が張ったエントランスを潜り、今にも踏み抜けそうな木の廊下を抜けるとそこは、広いリビングルームだった。

 まるで生活感のないその部屋には、中央部に椅子が置かれており、暖炉の火がパチパチと周囲を照らしている。


(……これはまた、けっこうなお出迎えですね)


 よくよく見れば、部屋の壁沿いに人影が――ルナたちを取り囲むようにして十人の男たちが立っていた。

 彼らの手には鈍器のような得物が握られており、不穏当な笑みを浮かべている。


 緊迫した空気が張り詰める中、奥の通路からカツカツという規則的な足音が聞こえてきた。


 視界の通らない暗がりの中、優雅な足取りで姿を現したのは、


「――やぁ、手荒な真似をしてすまなかったね」


 大貴族ハワード・フォン・グレイザーだった。


「はぁ……またあなたですか……」


「は、ハワード様……!?」


「ハワードきょう、どうしてここに!?」


 ルナが呆れ、アリシアが驚愕し、サルコが目を見開く中――ハワードは信じられない要求を口にする。


「早速で悪いけど、みんな、服を脱いでもらえるかな?」


「「「……え?」」」


「おや、聞こえなかったのかい? 服を脱げ、と言ったんだよ」


 ハワードがパチンと指を鳴らすと同時、彼の背後から二人の男が姿を見せた。

 下卑た笑みを湛えた彼らは、暖炉の中から熱せられた鉄棒を取り出す。煌々と輝くその先端には、グレイザー家の紋章が彫られていた。


「そ、そんな物騒なものを持ち出して、いったい何をなさるおつもりなのですか!?」


 サルコの問いに対し、ハワードは朗々と答えた。


ボクの・・・所有物・・・に家紋を刻もうと思ってね。ほら、自分の道具には名前を書くだろう? あれと同じだよ」


「「「……っ」」」


 ルナ・アリシア・サルコの柔肌に焼き印を――グレイザー家の家紋を刻もうとしていた。


 しかも、それだけじゃない。


「さぁ、急ごう。あまりモタモタしていると、夜が更けてしまう。この後には『撮影会』も控えているからね」


 彼の背後には、写影機しゃえいきを手にした男が、下卑た笑みを浮かべて立っている。


 ハワードはルナたちに焼き印を刻むだけでは飽き足らず、その姿をコレクションしようとしているのだ。


 異様な空気が漂う中、


「ハワード様……あなたのような素晴らしい領主が、何故このような真似を……!?」


 信じられないといった表情で、サルコが詰問した。


「どうして、と言われてもね。ボクは苦痛と恥辱に彩られた美女の顔が大好きなんだ。わかるだろう? 所謂いわゆるへき』というやつだよ」


「み、見損ないましたわ……! あなたのことを尊敬しておりましたのに、最高の領主だと思っておりましたのに……この外道! 変態! 最低ですわ!」


 サルコの激しい罵声を聞いたハワードは、小さく頭を落とす。


「はぁ……ボクは騒がしい女性が大嫌いなんだ」


 彼がクルリと指を回した次の瞬間、いつの間にかサルコの背後に迫っていた男が、手に持ったシャベルで、彼女の後頭部を殴り付けた。


「ぅ、ぁ……っ」


 苦悶の声と鮮血が飛び散り、サルコの体がグラリと揺れる。

 彼女は前のめりに倒れ伏し、ピクリとも動かなくなった。


 そうして一仕事を終えた男は、血の付いたシャベルを乱暴に放り捨て、揉み手をしながらハワードの足元にひざまずく。


「げへへ、ハワードの旦那ぁ。この女、どうしやしょうか?」


「好きにするといい。でも、死体は残しちゃいけないよ。使い終わった後は、きちんと処分するんだ。いいね?」


「さっすが旦那ぁ! ありがとうごぜぇやす!」


 劣情を隠そうともしない男は、ペコペコと何度も頭を下げた。


「……ここまでの下種げすは、三百年前あのじだいにもそういませんでしたよ」


 ルナはすぐさま回復魔法を展開。

 神秘的な光がサルコの全身を包み込み、頭部の負傷を完全に回復させる。

 まだ意識こそ戻らないものの、これでもう命の心配はない。


「ほぅ、これは驚いた。ルナには魔法の心得があったんだね」


 ハワードの称賛の言葉を受け流し、ルナは魔力を込めた右手を真っ直ぐに伸ばす。


「あまり手荒なことはしたくありません。両手をあげて、膝を突いてください」


 魔法を使える者とそうでない者、両者の間には隔絶とした力の差がある。

 それは男女の筋力差や数的不利を埋めてなお、余りあるものだ。


「なるほど、確かに魔法という絶対的な力があれば、この難局をひっくり返すことも難しくないだろう。だがしかし――愚かだ」


 次の瞬間、ハワードの右手に邪悪なほむらが浮かび上がる。


「あなたも魔法を!?」


「ふふっ、驚いたかい? こう見えてもボクは、グレイザー家で最強の魔法士なんだ」


 彼はそう言って、余裕綽々の笑みを浮かべる。


(これは……マズいかもしれませんね)


 ルナが聖女と呼ばれていたのは、今より遡ること三百年も前のことだ。


 魔法の進化は日進月歩。

 こうしている今でさえ、魔法の研究は進み、新たな魔法理論が生み出されている。

 いくらルナが聖女とはいえ、300年という空白は、あまりにも大き過ぎた。


(どうしよう、逃げる? でもそうなったら、アリシア姫とサルコさんが……)


 そこまで考えたところで、ふっと我に返る。


(あっ……そうだった。私ってもう聖女じゃないんだ)


 ルナは聖女であることをやめた。

 もはや自己犠牲を払う必要もなければ、命を懸けて人助けをする義理もなければ、無用なリスクを負う理由もないのだ。

『人類救済』というお題目おもにを捨てた彼女は、冷静にハワードの魔法士としての力量を分析する。


(火属性の魔法を展開しているのにもかかわらず、ハワード公爵からはまるで魔力を感じられない)


 遥か古より、『優秀な魔法士ほど相手に実力を気取られない』と言われている。

 実際にルナは、ハワードが目の前で魔法を行使するそのときまで、彼が魔法士だと見抜くことさえできなかった。


(……魔力を隠すのが恐ろしいほど上手い、かなり高位の魔法士と見て間違いないですね)


 ルナはハワードの脅威度をグンと引き上げる。


「さぁルナ、無駄な抵抗はやめて大人しく降伏するんだ」


「……無駄な抵抗かどうかは、やってみないとわかりませんよ?(出口までは十歩、洋館の外は薄暗い森。風魔法で逃げ切れば、くことはそう難しくない)」


 ルナは会話を繋ぎながら、最善の逃走ルートを構築する。


 その一方で、


「ははっ、わかるさ。今まで何人もの生娘きむすめが、そう言って必死に抗い――最後には泣きながら、私の靴を舐めたのだからね」


 ハワードは優しい笑顔を浮かべたまま、下卑たことを朗々ろうろうと語る。


「……あなたのお話って、どうしてそんなに下品なんですか?」


「どうしてだろうね。多分、ボクの人間性の問題じゃないかな?」


 邪悪。

 ハワード・フォン・グレイザーは、人の道を踏み外した文字通りの外道だった。


「いやしかし……見れば見るほどに美しい。できることなら、ルナとは争いたくないよ。ボクはキミの容姿を本当に愛しているんだ」


 こんなに中身のない言葉は、久しく聞いたことがなかった。


「また随分と軽いお言葉ですね(風魔法の準備よし、逃走経路もばっちり……よし、いける!)」

ルナが脱兎の如く駆け出そうとしたそのとき――。


「ははっ、軽くなどないさ。わざわざ片田舎のボロ屋敷まで足を運び、薄汚い老夫婦に愛想を振り撒く。そんな労を厭わない程度には、ルナの顔と体を愛しているんだ」


「……薄汚い老夫婦……?」


 彼女の思考がピタリと止まった。


「ん……? あぁ、すまない。もしかして、気に障っちゃったかな? どうにも昔から嘘が下手でね。思ったことをつい口に出してしまうんだ」


 脳裏をよぎるのは、馬車にかれたルナが無事だと知ったときの、カルロとトレバスの優しい顔。


「ルナ、ルナぁ……」


「よかった、無事で本当によかった……っ」


(あの優しくて温かい二人が……薄汚い老夫婦?)


 その発言を聞き逃すことはできなかった。

 聖女ルナとして――ではなく、悪役令嬢ルナ・スペディオとして引けない、引いてはいけない一線ラインがあった。


 ルナが目を尖らせて戦う姿勢を見せると、ハワードはやれやれといった風に肩を竦める。


「はぁ……やる気なんだね?」


「えぇ、こちらにも引けないところがありますので」


「そうか、ならば仕方ない。一度は婚約を誓い合った仲だ。せめてもの慈悲に一撃で終わらせてあげよう。――<フレア>」


 ハワードが右手を伸ばすと同時、灼熱の炎が真っ直ぐ一直線に解き放たれた。


 その瞬間、強烈な違和感がルナを襲う。


(遅……い? この魔法はフェイク、本命は別角度からの攻撃! いやでも、周囲に魔力反応はない。もしかして、未知の魔法!? それとも、遅延発動魔法!? いや、破却はきゃくをトリガーとした高等魔法!?)


 いくつもの危険な可能性が脳裏をよぎる中、彼女は考え得る限り最善の手を打つ。


(困ったときは……思い切り殴る!)


 聖属性の魔力で右手を包み、迫り来る炎を殴り消した。


「……は?」


 ハワードの口から、間の抜けた声が零れる。

 自身の放った魔法が、目の前で突然消失した。

 彼の動体視力では、ルナが何をしたのか、捉えることができなかったのだ。


「……ん?」


 ルナの口からもまた、困惑の声が零れる。

 自身に放たれた弱々しい炎を、とりあえず殴り消した。

 彼女の理解力では、ハワードが今何に戸惑っているのか、理解できなかったのだ。


「……あなたはいったい――」


「……キミはいったい――」


「「――何を?」」


 ルナとハワードの言葉が重なり、なんとも言えない沈黙が降りる。


 束の間の静寂。

 それを破ったのは、ハワードの笑い声だった。


「は、ははははは……! ルナ、キミには驚かされてばかりだ。手心を加えた下位魔法とはいえ、まさか無効化されてしまうとは……少しはできるようだね」


 警戒を強めた彼は、さらに強力な魔法を展開する。


「しかし、これならどうする? ――<獄炎ヘル・フレイム>!」


 先ほどよりも一回り大きな火が、真っ直ぐルナのもと突き進む。


「……?(さっきと同じ魔法? ……わからない、いったい何が狙いなの?)」


 彼女は迫り来る紅炎にフッと息を吐き、蠟燭ろうそくの火が如く吹き消した。


「なん、だと……!?」


 今度こそ、ハワードの顔に焦りの色が浮かぶ。


 いったい何が起きているのか、どんな手品を使っているのか、まるで見当がつかない。


 しかし現実の問題として、最も得意とする火属性の魔法が、ルナにはまるで通用しない。

 その純然たる事実に大きな衝撃を受けた。


「あの……さっきから何をしているんですか?」


 ルナの発した疑問は、心の底から湧き出たものだった。


 魔法合戦とはすなわち殺し合い。

 命のやり取りをする真剣勝負において、こんな子ども遊びのような魔法を使う意味が――ハワードの意図するところが、まったく理解できなかったのだ。


「な、なるほど、わかったぞ! 天恵ギフトか! ルナは魔法耐性を強化する天恵を持っているんだな!?」


「え?」


 天恵。それは選ばれし人間のみが持って生まれる、天より授けられた超常の力。

 ハワードは自身の魔法が防がれたのは、ルナの天恵によるものだと推理した。


「いえ、私は天恵なんか持っていませ――」


「――しかし悲しいかな。いくら魔法耐性を強化したところで、そこには『強化限界』という壁がある。……ふふっ、このボクに本気を出させたんだ、あの世で自慢するといい!」


 ハワードは自信満々にそう語り、ゆっくりと右手を上げる。


「我が最強の魔法に平伏ひれふすがいい――<冥府の獄炎アビス・フレイム>!」


 次の瞬間、彼の挙上きょじょうに直径一メートルほどの大きな炎球が出現した。


 凄まじい熱波を受け、周囲の男たちに驚きが走る。


「な、なんて大魔力だ……っ」


「ひゅーっ、さすがはハワードの旦那だぜ!」


「いくら天恵持ちとはいえ、こんな大魔法を食らったら、ひとたまりもねぇ!」


 そしてもちろん、ルナもまた衝撃を受けていた。


「こ、これ・・が……最上位魔法……!?」


「ふふっ、さすがに驚いたようだね? しかし、後悔してももう遅い。キミは龍の逆鱗げきりんに触れてしまっ――」


「――はぁ……この時代の魔法は、随分と廃れてしまったのですね」


「は?」


「――<フレア>」


 次の瞬間、ルナの頭上に灼熱の大炎塊が浮かび上がる。

 全容が把握できないほど巨大なそれは、あまねすべてを燃やし尽くす焦熱しょうねつほむら

 太陽かと見紛うほどの大魔法により、洋館の二階より上が完全に『焼滅しょうめつ』してしまった。


「こ、これは……極位きょくい魔法<焔獄焦炎インフェルノ>!?」


 呆然と見上げるハワードへ、ルナは淡々と真実を告げる。


「そんな大層なものじゃありません。これはただの下位魔法フレアです」


「あ、あり得ない……こんな……馬鹿なことが……ッ」


 歴然とした格の違いを見せ付けられたハワードは、その場で腰を抜かしてしまう。


「ところでハワード様、泣きながら靴を……なんでしたっけ?」


 灼熱の炎塊を背負ったその姿は、自然に零れたその台詞は、ハワードを見下したその視線は――紛れもなく『悪役令嬢』のそれだった。


「ひ、ひぃ……っ。助け――」


「――問答無用」


 刹那せつな、凄まじい轟音が鳴り響き、灼熱の衝撃と紅蓮の爆炎が吹き荒れる。


 崩壊した洋館に残火ざんかが灯る中、月光に照らされたルナが悠然と佇む。


「大きなことばかり言うくせに、小心者なんですね」


 彼女の視線の先では、


「ぁ、ば、ぁばば……っ」


 ハワードとその配下たちが、魔法の余波を受けて失神していた。

 あのまま消し炭にしても仕方がないので、屋敷から遠く離れた場所に<炎>を落としたのだ。


 相手の戦意を挫くための軽い威嚇射撃のつもりだったのだが、まさか泡を吹いて気絶するとは思っていなかった。


(アリシア姫とサルコさんは……よかった、大丈夫そうですね)


 聖女の大魔力に当てられたアリシアは肩を抱いて震え、サルコは未だ気絶したままだが……ルナの展開した防御魔法のおかげで、二人とも無傷だ。


(さて、そろそろ撤収しましょ……ん?)


 ルナが帰宅しようとしたそのとき、遠方から馬のいななきが聞こえた。


(馬の鳴き声とひづめの音……方角から考えて、王国の正規兵かな)


 彼女の予想は珍しく当たっており、エルギア王国の護衛騎士団が、アリシアを奪還しにきていた。


(見つかったら面倒なことになりそうだし、早いところ逃げちゃおっと)


 ルナがそんなことを考えていると、アリシアが恐る恐るといった風に声を掛けた。


「あ、あの……ありがとうございました」


「いえ、どうかお気になさらず」


 彼女は短くそう言うと、人差し指で空に文字を描く。


「――<精霊の秘匿>」


 魔法が起動すると同時、淡い光があちこちに浮かび上がり――髪の毛・飛沫・魔力の残滓ざんし、この場に残るルナの痕跡を完全に消し去った。


(よし、これで追跡の魔法を使われても、こっちの身元は割れない)


 ルナはこれまで聖女へいきとして、離宮・地下牢・内裏だいりなどなど、様々な場所に幽閉されてきた過去を持つ。

 夜逃げや脱獄は慣れたものであり、その手際はもはや職人のそれだ。もっと女の子らしい特技がほしいものである。


 一切の痕跡を消した彼女に、アリシアが声を掛ける。


「つかぬことを御伺いするのですが、これからどうなさるおつもりなのですか?」


「それはもちろん、撤収はけます」


「で、では……最後に一つだけ、お聞きしてもよろしいですか?」


「はい、なんでしょう」


「あなたはいったい、何者なんですか……?」


「私はせい……いいえ、もう違いましたね。私は通りすがりの――悪役令嬢です」


 そうしてルナは走り出し、夜の闇に消えていった。



 翌日。

 自室の椅子に腰掛けたルナは、新聞を片手に紅茶を飲む。


「……」


 全国紙のヘッドラインを飾るのは、昨日の夜会襲撃事件、その横にはハワードの青く腫れあがった顔がデカデカと載っている。


(まぁ、妥当な処罰かな)


 新聞記事によれば……グレイザー家は公爵の地位を没収、主犯のハワードには、大逆罪によりアーザス極北きょくほく流刑地るけいちでの労役ろうえき999年――実質的な終身刑が下されたそうだ。


 一瞬の苦しみで終わる極刑ではなく、死ぬまで続く極寒地区での強制労働。


 この決定からは、国王の怒りのほどがうかがえた。


「んーっ」


 新聞を読み終えたルナがぐーっと伸びをしていると、コンコンコンとノックの音が響く。


「失礼します」


 そう言って部屋に入ってきたローは、廊下に置いてあった木箱をガンガンガンっと山積みにしていく。


「えーっと……これ、何?」


「ルナ様がご所望されていたものです」


「え……う、うそ!? 見つけたの!? 本当に!?」


 木箱の中を漁るとそこにはなんと、彼女が三百年前に愛読していた小説『悪役令嬢アルシェ』の全巻セットが入っていた。


「うわぁ!」


 小さな子どものように目を輝かせたルナは、すぐさま第一巻を手に取った。

 カバーは日に焼けて色落ちし、くすみや経年劣化があるため、コレクションには向かないものの……中身ストーリーを楽しむ分にはなんら問題がない状態コンディションだ。


「あ、ありがとう! ロー、大好き!」


「恐縮です」


 空はどこまでも青く、気持ちのいい春風が吹き、小鳥の綺麗な声が響きわたる。


「こんな清々しい日は……家に引き籠って、悪役令嬢の小説きょうかしょを読み漁りましょう!」


第一章:聖女転生編、完結。

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