極秘資料3:G県警生活安全部生活安全総務課 キヨタジロウ警部補の日記-2

 20XX年7月15日


 夏の蒸し暑い日。空から照り付ける日差しに辟易し、木陰に避難すればフーッと大きなため息が自然に零れる。熱の籠った息が蒸し暑い空気に撹拌され余計に暑くなったと錯覚を起こす。


 G県K町はちょっとした山間に作られた幾つかの集落の集合体を指す。周囲は見渡す限りの山、視線を落とせば鬱蒼と茂る雑草の隙間から虫の鳴き声や羽音が混じり、更に下流へと流れる川音がザァザァとやかましく音がより一層集中を掻き乱す。どれもこれも都会生まれから見れば厄介で不快だ。


 部下がこの辺の調査に出て、行方不明になった。行方不明者の手がかりがこの小さな集落にあるはずなんだ。何せ俺や上司にそう言付けを残したのだから。だがいけ好かない上司はこう言った。絶対に、何があっても行くな。俺は納得出来なかった。だから個人的に調べ始めた。車を走らせること数時間。しかし、こんな小さな町の何処にそんな手掛かりがあると言うのか。


 試しに何件か聞いて回ったがそれらしい話はないどころか、何処も彼処も無下に扱う。とっとと帰れ、か。言われなくとも帰りますよ。本来なら警察官が行方不明になったとなればもっと大々的に捜査される筈。何か犯罪に巻き込まれていたら警察の沽券にかかわる。末端からすれば実に馬鹿馬鹿しいが、まぁ一理無くもない。犯罪者や予備軍から下に見られてよいことなど一つもないからな。


 が、何故か今回に限れば上は全員ダンマリだ。しかし…本当に何もない。車を走らせ、通れない狭い道にくれば歩いて、それでも何も見つからない。と、ふと目に入った建物があった。鳥居とその上にある古びた社だ。まぁ、こんなところに何かある筈も無い……いや、そういえばと部下の資料をひっくり返した。そうだ、ここ最近の行方不明者の中には民族学者とよく分からない神社の神主やら、意味不明な面子が混ざっていたのを思い出した。


「どうされました?」


 背後から声が聞こえた。凛とした、澄んだ声から女だと分かる。こんなクソ田舎に似つかわしくない、若い女の声だ。


仕事の途中でちょっと休憩がてら寄っただけだと、俺の口は自然とそんな言い訳をしていた。


「そうですか。そうですよね、ココには何もありませんから」


 カラン、カラン――


 軽妙な音が響いた。下駄の音だ。だが、徐々に近づくその音に俺の心臓は止まりそうになる。ついさっきまでを思い出せば、そんな音は何処からも聞こえなかった。虫の鳴き声、時折吹く風に雑草が揺れる音、川の水音、それ位しかなかった。確実に、だ。いや……違う。おかしいぞ。よく耳を澄ませば、周囲から全ての音が消え失せていた。虫の鳴き声も、時折吹く風に雑草が揺れる音も、川の水音も何も聞こえない。照り付ける太陽の中、音一つない世界に放り出された絶望感を理解した身体を悪寒が伝う。


 カラン カラン――


 音は尚も無遠慮に近づき、背後から横を通り過ぎた。視線の端に目をやれば、真白い和服に身を包んだ髪の長い女の背中が辛うじて見えた。首筋と手首は服に負けず劣らず病的な程に白い。赤い日傘を差した白い和服という身形は周囲から浮いていて、酷く非現実的で、それ以上に怖かった。気が付けば身震いしていた。真昼だというのに、酷く寒い。


「どうやらお疲れのご様子。宜しければ休んでいかれますか?」


 また女の声が聞こえた。幾分か距離が離れているのに、まるで耳元から囁かれている様な感覚に頭が混乱する。


「い、いや。結構」


「そうですか」


 女は此方を一瞥さえしないまま俺に問答を寄越し、そのまま離れていった。


 カラン カラン――


 音は少しずつ小さくなる。が、俺は動けなかった。それ以上の声もかけられなかった。自分の有様を見れば酷く滑稽だ。蒸し暑さの中、鳥肌を立てながら身体を震わせ、疲れてもいないのにゼェゼェと呼吸を荒げている。だが、そんな中で視線だけは不思議と小さくなる女を真っすぐ、ブレることなく捉えていた。


 目を離せないのは何故だ……いや、分かっている。アレは人外の何かだ。無遠慮に、無造作に、気まぐれに姿を見せた怪異だ。人の形をしているだけの化け物だ。そうだとすれば、そこから目を離せない理由は1つしかない。離した瞬間に死ぬと、そう直感……


「ア、タ、リ」


 不意に背後から声が聞こえた。凛として、澄んだ、とても嬉しそうな女の声が……


 ※※※


 バッと意識が覚醒した。まるで悪夢から目覚めたかのように呼吸も脈拍も激しく揺れる。


「ここは?」


 混乱する俺は周囲を見渡し……程なく車の中にいる事に気付いた。何がどうなっている?確か行方不明になったイケダが最後に訪れた田舎町の調査に来て……ダメだ。ソコから先の記憶が曖昧だ。俺は何時、車に戻って来た?あの病的なくらいに真っ白い肌の女は暑さで見た幻覚か、それとも本物の幽霊か、はたまた悪夢の中の産物か。


 外を見れば空が夕闇に沈む直前。キーを回し、クーラーをつけ、時計を確認する。あれから数時間が経過していた。俺は外を流れる小川に駆け寄ると顔を洗い、冷たい水を口に含んだ。底冷えする程に冷たい水が喉に吸い込まれる度に腹の底から冷え、同時に落ち着く。


 ようやく一息付けた俺は急いで車に戻ると車内で資料をひっくり返した。行方不明者のリストに10代後半から20代程度の若い女はいない。次に関係者リストも確認する。コッチには条件にヒットする女が数人いるが、関係ありそうかと言われれば甚だ疑問だ。少なくとも誰一人としてこの周辺に住んでいた形跡がない。なら夢だろう。いや夢だ、そうに決まっている。


 ピピピピ――


 不意にけたたましい電子音が鳴り響いた。ポケットから携帯を取り出すと、ディスプレイには上司という嫌な二文字が映っている。


 無視する訳にもいかず、軽く舌打ちした後に通話ボタンを押すと予想通りと言わんばかりに男のがなり声がスピーカーを揺らす。勘弁してくれよ。曰く、仕事をサボったんじゃないかと電話したそうだ。いかにもアイツらしい、ミイラ取りがミイラになった可能性を全く考慮しない浅はかな男の言葉が車内に反響する。もう勘弁してくれ。


『オイ、キヨタ!!聞いてるのか?』


「そう怒鳴らないで……って、今まで何の話してたんでしたっけ?」


『どうした?いや……まさか』


「は?」


『コッチの話だ。とにかく、直ぐに戻って来い』


 やり取りした内容は確かこんな感じだ。どうも物忘れが酷いが、これもここ最近の行方不明事件のせいだ。いけ好かない上司の言葉に対する怒りが先行した俺はサッサと電話を切ると夜の闇に向けて車を走らせた。

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