第2話

「ここが図書室。うちの学校では一人につき一冊の本を借りられるよ。借りるときは受付の人に生徒手帳と一緒に差し出す感じかな。手帳に本貸し出し記録のページがあるので、受付の人にタイトルと貸出日、返却日を記載してもらう。借りた本は返却日までに必ず返すのを忘れずに。まあ、説明はこんな感じかな」


 授業後、私は先生に頼まれて米澤さんに校内の説明をしていた。

 朝の気分上昇係での失態があるだけに、彼女と話すことは憚られていたのだが、頼まれたのだから仕方がない。


 私の説明を米澤さんは笑顔で聞いてくれていた。というより、学校では終始笑顔を絶やすことはなかった。休み時間、クラスのみんなが米澤さんの元に寄ってたかってお話ししていた際も彼女は元気に振る舞っていた。


 アイドルは裏ではドライなのかと思ったが、そうでもないようだ。それとも自身のイメージを崩さないように人前ではいつも朗らかにいるのか。アイドルについて無知な私には分からない。でも、もしそうなら大変なお仕事だな。


「ねえ、米澤さん」


 廊下を歩く最中、気になった私は米澤さんに思い切って尋ねてみることにした。 


「どうしたの?」

「その……米澤さんっていつもそんなに笑顔でいるの?」

「もちろんだよ! みんなを元気にするためには、まずは自分が元気でいないとね!」

「すごいね。さすがは現役のアイドルだ」


「ふふふ、ありがとう。でもね、今の笑顔は特別だよ。千早さんに校内を案内してもらえてすごく嬉しいんだ」

「え……どうして?」

「朝の一発芸を見た時から、すごく気になってたから」


「ああ……それは、大変失礼なことをしました」

「なんで謝るの? ははは。千早さんって面白いね。私、千早さんのこと好きだな」

「ええ……いやー、それほどでもー」


 まさか現役アイドルに好かれるとは。私って、自分が知らないだけで魅力に満ち溢れていたりするのかな。いやいや、まさか。


「ねえ、千早さん。今度は私が質問していい?」

「うん。私に答えられることなら」

「その……千早さんって『インペリウム』に感染してたりする?」


 米澤さんの質問に、ほんの束の間、二人の間に沈黙が走る。

 なぜいきなり『インペリウム』について触れてきたのだろう。とはいえ、隠す必要もないから正直に答えよう。


「感染しているよ。蔓延初期くらいには感染者になってた」

「そっか。でも、その割には人からの影響をあまり受けているようには見えないけど」

「あー、そうだね。私の場合はね、人よりミラーニューロンの働きが弱かったから、むしろ感染したことで通常に戻った感じなんだよね」


「なるほど……じゃあ、私と同じだ」

「え……米澤さんも?」

「うん。ねえ千早さん、案内が終わったら、今度は私に付き合ってもらっていい?」

「いいけど……」


 私がそう言うと、米澤さんはガッツポーズを決めた。何がそんなに嬉しいのだろうか。

 現役アイドルからのお誘い。私はそのことに確かな高揚感を覚えていた。


 ****


「うぉー、大きい……」


 連れてこられたのは、都内某所の高層ビル。学校から歩いて電車に乗ること30分ほどの場所にあるところだった。ビルは空を見上げることでやっと頂上が見えるくらい大きなものだった。思わず、小さく声をあげてしまう。


「さあ、入ろ入ろ!」


 ビルを見入っていると、不意に米澤さんに手を捕まれ前へと引っ張られた。

 私たちはビルに入ると受付へと足を運ぶ。米澤さんはバッグから会員証を取り出すと受付にある機械へとかざした。スクリーンに認証完了の文字が浮かび上がる。その後、私たちはエレベータに乗った。


「ねえ、ここって?」

「私の所属する芸能プロダクション所有のビル」

「ですよねー。私なんかがこんなところに来ちゃっていいのかな?」

「大丈夫、大丈夫。何かあれば、私がフォローするから」


 エレベータはすぐに目的の8階に止まった。米澤さんについていくようにして再び歩き始める。フロアには多くの大人がいた。彼らは米澤さんに挨拶をする。米澤さんは彼らに元気よく挨拶を返していた。


 私は米澤さんの後に続いて小さく挨拶をする。その様子はまるでやまびこのようだった。大人たちは私に対して不思議な視線を向けるが、特に何か言うことはなかった。

 しばらく歩いたところで米澤さんは黒色に塗られた扉を開く。


「こんにちはー」


 中に入ると、元気よく挨拶をしてから奥へと進んだ。床一面、茶色に塗られた広い空間。両端の壁は鏡になっており、多くの女性たちが鏡越しに自分の踊りを観察している。

 ダンススタジオ。ここがそうであることに気づくのに時間はかからなかった。


「文香、こんちわ」

「文香ちゃん、こんにちは」


 奥に進むと、二人の女の子が米澤さんに向かって挨拶をした。

 一人は短い髪に凛とした目つきが魅力的なボーイッシュな女の子。

 もう一人は金髪のロングヘアに穏やかな瞳が特徴的なお姫様のような女の子。


「そっちの彼女は?」


 ボーイッシュな女の子が私の方を見ると、米澤さんに質問をする。


「紹介するよ。こちら今日から私たちの新しい仲間になる千早 巴さん」


 米澤さんは私を紹介するように手をかざす。彼女たちが私に目を向けたところで深くお辞儀をした。


「千早 巴です。よろし……ええっーーーーー!」


 その場のノリで挨拶しそうになったものの、先ほどの彼女の言葉を思い出し、驚愕の眼差しを向けた。新しい仲間。それって……私は今スカウトされたの。ていうか、もうスカウト成功確定みたいな感じになっているんだけど。


「米澤さん、それってどういうこと?」

「千早さんには、アイドルの素質があると思ってね。この機会に私たちの仲間に入ってもらおうかなと」

「いやいや、いきなり言われても。心の準備が……っていうか、親の許可が……」


「ふーん、まあいいや。僕の名前は有本 樹(ありもと いつき)。一応女子。よろしく、千早さん」

「私は姫宮 恵理(ひめみや えり)。よろしくね、千早ちゃん」

「あー、よろしくお願いします。ってそうじゃなくて!」


「千早のことは気軽に『アニマル』って呼んであげて」

「ちょっと! 米澤さん!」

「アニマル……由来は?」


 由来。そんなこと言えるわけがない。ただでさえ、朝のホームルームで笑い者にされたのだ。あの屈辱をもう一度味わうわけにはいかない。

 刹那、米澤さんが不意にスカートをめくりあげる。最初は何が起こったのかわからなかったが、理解すると体温が一気に上昇する。すぐに捲られたスカートを元に戻す。


「というわけ」

「「なるほど」」

「なるほどじゃない!」


 まさかこんなことになろうとは、これではお嫁に行けるのは当分後になりそうだ。


「私たち、息のあったチームになりそうだね」

「まだ加入を決めたわけではないのだけど。ていうか、なんで私をチームに?」

「インペリウム感染者であるにも関わらず、自分を貫ける者。そんな人物が現代のアイドルに向かないわけないでしょ。きっと、千早さんは大物のアイドルになれる。私が保証する」


 今日会ったばかりなのに、どうしてそんなことがわかるのか。でも、大物になれる。

 私は自分の鼓動が高鳴っていることに気がついた。アイドルになれると言われて、すごく嬉しくあった。


 何もなく空っぽだった私が、誰かの感情を満たすことのできる人物になれるかもしれない。その絶好の機会が今訪れている。私はどうするべきなのだろうか。


「まあでも、親の許可をとってないのなら、まずはそこからだね。僕たち未成年だから」

「「ですよねー」」


 有本さんの一言で、昂った感情は一気に冷静さを取り戻した。

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