親友
「なあフェアド。一緒に馬車に乗るなんていつぶりだ? 流石に昔過ぎて覚えてねえ」
「儂も全く思い出せん」
「初めて乗ったときに感動したことは覚えてるが……」
「馬を間近で見てはしゃいだのう」
「だっはっはっ! はしゃぐ前にこの四足の生き物はなんだってお互いビビっただろ!」
「ほっほっ。確かに。維持費と手間を知ったとき、お貴族様しか無理だろうとも思った」
どこか遠くを見るサザキにフェアドも昔を懐かしみながらが頷く。
農村生まれの子供だったフェアドとサザキは、高級生物と言える馬との縁がなかった。そのため初めて遭遇した時、なんだこの生物と慄き、馬の購入費と維持費を知ると更に度肝を抜かれたことがある。
「エルリカの時は」
「もうやめてくださいよお爺さん」
「ほっほっほっ」
懐かしい思い出に記憶が刺激されたフェアドは、エルリカが馬と初めて対面した時のことを口にしようとしたが、彼女は僅かに頬を赤らめて夫を止めた。
(第一声が美味しいのかだったからのう)
それもその筈。フェアドの記憶の中では、若き日のエルリカが初めて見た馬をじっと観察して、この生物は美味いのかと尋ねていた。流石に歳を取った今のエルリカも、当時の反応があんまりだと思っているからこそ、頼むから触れないでくれとフェアドを止めたのだ。
(エルリカが砂糖と塩を間違えたことを蒸し返すのは止めておいてやるか。武士の情けというやつだ)
サザキはじゃれている夫婦を見ながら、エルリカの別のやらかしを心の中で留めた。
事情で箱入り娘であったとしか言いようがないエルリカは砂糖と塩を間違えたこともあり、サザキが気付かねばその日の晩はとんでもないことになるところだった。
しかしそれはかつての話であり、今はちゃんと母親として子供を育てた老婆である。
(それにしても懐かしいな)
狭い馬車の中に他の客もいるため珍しく、それはもう珍しく酒を飲んでいないサザキが昔を懐かしむ。
かつての魔の大戦中、サザキ達は馬車に乗って各地を転戦しており、馬車こそが彼らの拠点であり家だった。
(あの馬も立派に働いてくれたものだ)
サザキは飲みこそしなかったが、当時世界最高の馬と称えられ自分達の馬車を引っ張った名馬に酒瓶を掲げる。流石に世界最高の名馬と言えども寿命には抗えず、サザキ達の戦友と言っていい馬はこの世にいなかった。
いや、馬だけではない。戦後七十年も経てば多くの人間が亡くなり、大戦の当事者であった世代はエルフなどの長命種以外ほぼ残っていない。当時青年だったサザキ達と少し後の生まれが最後の世代であり、彼らが死去すれば世界を別けた大戦は過去のものになる。
(平和だな)
サザキの感覚は周りの全てが平和なことを捉えている。
あくびをしている青年。外の景色を眺めている女。フェアドとエルリカと同じく、身内に会いに行こうとしているらしき老夫婦。
サザキ達が勝ち取ったものだ。
天が腐り落ちた。大地が燃えた。人が死に絶えた。理が解れた。そして暗黒が降臨した。
恐怖と絶望だけが支配していたあの日々。忘れることなき終わりの世界。
『そ! れ! が! ど! う! し! た!』
サザキの目の前にいる、皴だらけの顔を笑みの形にした小柄なヨボヨボ爺、フェアドが立ち上がるまでは。
(ダチながらヤバイすぎる奴だ。あの時代になんとかしてやるだなんて誰が宣言する? 狂人の妄言だろうよ)
当時幼少だろうがサザキは鮮明に覚えている。あっという間に縮小した人類の生存圏、真っ赤になった空。英雄、賢者、英傑、騎士、王。そういった類の者達がなにもできなかった混乱の絶頂期。
そんな時代に、ただ一人の少年だけが空に剣を掲げてなんとかして見せると宣言したのだ。紛れもなく状況が分かっていない子供の妄言。
そして少年は青年となり。
言葉通りなんとかして見せた。
天は青を取り戻した。燃え盛る大地は静まった。人の死すべき定めを打ち破った。理を修復した。そして暗黒を切り裂いた。
(全く。妙な奴と関わっちまった)
サザキは自分のことを棚に上げてフェアドを妙な奴と評するが、全員が奇人変人で曲者揃いのパーティーメンバーの中で、サザキはある意味特に変わり者だった。
大義も志もなく、ダチに付き合ってやるかという感情だけで暗黒の領域まで同行し、最後の戦いに赴いていたのだ。死地に単なる友情で付き合うなど、これを変わり者と言わずなんと言う。
(ララ達は戦う目的意識があったな……ああああああ本っ当にどんな顔したらいいもんか……)
自分と違いきちんとした目的があって大戦を戦い抜いた仲間達のことを思うサザキだが、そこでうっかり自分が会いに行っている、恥ずかしい遺書を送ってしまった妻のことで途方に暮れてしまう。
飄々として年がら年中酔っ払い地面で転がっているサザキだが、意外と普通の感性も持ち合わせている。
そのためフェアドとエルリカの想像通り、今までの思い出と愛しているという言葉を添えていた遺書を、自分の存命中に読まれたことが恥ずかしいのだ。
(ま、まあいい。なるようになれ!)
殆どやけっぱちなサザキの妻ララ。
彼女もまた年老いた老婆であり。
その二つ名は。
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