魔道の深層

「む、見えてきたぞサザキ。マルガードだ」


「よし。酒が飲めるな」


「ああそうだな」


 馬車で揺られていたフェアドは、酒瓶を揺らすサザキに取り合わず前方に見えてきた街を眺める。


 巨大な城郭からはみ出ている幾つもの巨大な塔、あちこちから立ち昇る赤や青の奇妙な煙はいかにも怪しげで、人によっては街に入るのを躊躇ってしまうだろう。


 街の名を魔法都市マルガード。


 名の通り魔法使いが集まり日夜研究が行われている都市で、ゴーレム馬車もここで生み出されたものだ。


「マルガードは変わっている気がしませんね」


「正解。昔と同じで妙な奴らがうろついてるぞ」


 立ち昇る奇妙な煙に記憶を刺激されたエルリカが、マルガードは変わっていないと予測するとサザキが肯定した。


 かつての魔の大戦中でもマルガードは魔法使い達の拠点であり、日夜怪しげな者達が怪しい研究をしている怪しい場所だった。


 つまり今も昔も世間一般の認識では全てが怪しい街で、そのうち街全体が吹き飛ぶだろうと思われていた。


「着いたぞー」


「いよっし!」


 そんな街への到着を御者が告げると、サザキは馬車から飛び降り、酒瓶を開けて直接口を付け酒を流し込んだ。


「かーっ! 今日も酒が美味い!」


「それじゃあ入りましょうかお爺さん」


「そうだのう婆さんや」


 酒に依存している訳でもなく、単に大好きなだけのサザキを無視して、エルリカとフェアドが街の門へ歩を進める。


「混んでおるの。商人かな?」


「魔道具を取り扱ってるのでしょうね」


 ゆっくりヨチヨチ歩くフェアドとエルリカは、平民らしいながら恰幅のいい者や身なりが整っている者達が門の前で集まっているのを見て、商人が魔法による産物を取り扱うためにやって来たのだろうと考えた。


「帰りの道中で爆発しなけりゃいいけどな」


「戦時中じゃあるまいしそんなこと……え? 今もそうなのか?」


「まあ多分大丈夫だろう。多分」


 酒の味を堪能したサザキが呟くと、フェアドは一旦否定したものの昔を思い出して急に不安になった。


 実は大戦中のこの街の住人、強力な魔道具を開発したはいいが、安全性や信頼性という言葉を知らなかったかのような事態を頻発させていた。


「まさか危険物がないか、出ていく方を確認しとるんじゃなかろうの」


「どけ爺!」


「おっとこれは失礼しましたな」


 街の特異性を考えるとあり得そうなことを確認するためフェアドが列から身を乗り出すと、その後ろから怒鳴り声が響いた。


 だがどけと言った三十代ほどの男とフェアドは十分離れていたため、フェアドは口では謝ったものの、はて、そんなに邪魔だったかと首を傾げた。


「“漸進”だ。通せ」


 そんな男は列を無視してずかずかと歩き続けて門に辿りつくと、これで分かるだろうと言わんばかりにふんぞり返った。


 海岸


 表層


 中層


 漸進層


 深層


 超深層


 この六つで魔法使いの実力は区分されている。


 海岸は魔法使いの入門者を全てひっくるめたもの。表層は修行を終えたきちんとした魔法使い。中層はベテランである。


 だが、半分の中層でベテラン扱いなのは、それだけ魔法の道が深く険しいことを意味している。


 そして漸進層ともなれば超一流の代名詞であり、深層がほんの僅かしかいない時代を代表する天才達、超深層に至っては歴史上数人なのだ。それを考えると例外を除いた場合の頂点は深層であり、その次点である漸進層に三十代で至った男が特別扱いを要求するのも仕方ないことなのかもしれない。


 実際、小国でなら漸進層の魔法使いは強力な戦力となるため、どこへ行っても丁重な扱いを受ける。


 だがここは魔道都市である。小国ではトップに位置する漸進層が履いて捨てるほど、とは言わないがそれほど珍しい存在ではないのだ。


「この街は初めてですか? 規則は規則ですので、緊急時でないのなら最後尾にお並びください」


「なんだと!?」


 それ故にどうでもいい理由で規則の例外を許せば、歯止めが利かなくなることが分かっている門番は、順番を守れと突っぱねたが、男はそれが癇に障って仕方ないらしく顔を真っ赤にする。


「お前では話にならん! 責任者を呼べ!」


 男はこの類の存在の必殺技を繰り出した。


 しかし重ねて述べるがここは魔道都市マルガードなのだ。その必殺技は藪から蛇どころではない騒ぎを引き起こしてしまう。


「まあまあ。層の位階は魔道において飾りでしかないというのがマルガードの理念でしてな。ここはどうか穏便に」


「引っ込んでろ爺!」


 見かねたのであろう。列の真ん中にいた七十代ほどの老人がフードを取り払って仲介しようとしたが、魔道に携わっている癖に理性と知性を感じさせない男は顔を赤くしたまま怒鳴るだけだ。


 代わりに門番たちが顔を真っ青にした。


「マルガードの行政に参加させてもらっているアルドリックと申しましてな。先程貴殿が仰っていた責任者の資格は十分あるのですよ」


「それがど!? な、なに? なに? なに?」


 アルドリックと名乗った老人に再び怒鳴った男だが、脳がその名を認識するにつれて誰よりも青い顔になり言語機能が壊れた。


「う、うそだ」


「嘘と言われても……」


 嘘であってほしいと願う男の眼前にいる老人。


 “焼却”のアルドリック。


 超深層という例外を除いた現実的な魔道における頂点。深層位階に到達した大魔法使い。


 それも単なる深層位階ではない。限りなく超深層に近い存在であると目されている埒外の一人で、二つ名の通り得意にして特異な炎の魔法は、城壁を容易く融解させる古代竜のブレスすら真正面から打ち破れるのではないかと噂されるほどだ。


「しょ、証拠を」


「これでよろしいか?」


 なおも見苦しく悪あがきをしようとした男だが、アルドリックの右指全て、親指、人差し指、中指、薬指、小指に複雑な紋様が記された光の輪が浮かび上がると絶句した。


 魔法使いの利き手の指に浮かび上がる光の輪は、単純にその数が分類に直結する。


 一つなら海岸、二つなら表層、三つなら中層、四つなら漸進層、五つなら深層である。


 漸進層と深層、一つの違いと侮ることなかれ。その一つで途方もない努力と才能が要求されるものであり、魔道の深みに至るにつれてその差は大きくなる。


 そのため男の漸進層とアルドリックの五つ、深層には埋めがたい深さの差があるのだ。


「こ、あ、ああ。こ、こ、これで失礼します」


 明らかに格上で半ば伝説上の人物の証拠を突き付けられた男は、麻痺した舌でそう言い残すと足早に列から離れ去っていった。


(緊張するから特別な出入り口作ってほしい……)


 一方の門番達は、特別扱いされてしかるべきのアルドリックが並んでいることに緊張して、身分に合った行動をしてくれと思う。だが残念なことにアルドリックの言った、層の位階は魔道において飾りでしかないというマルガードの理念は本当のことであり、数百年続いているその考えはアルドリックでも従う必要があった。


 そんなアルドリックが去っていく男の後姿を確認して……植物のように佇み生きているか怪しい老夫婦、最後尾で我関せずと酒を飲んでいる駄目爺の姿を見てしまうと……。


「い!?」


 今すぐお通ししろと門番に叫びそうになったのはなんとか我慢できたが、全身から汗がぶわりと噴き出した。


 ◆


 同時刻。


「フェアドとエルリカ。それと馬鹿亭主が来たかい」


 小さな魔導書屋。限られた者しか認識できない場所で、かつては妖艶そのものだった褐色の肌を持つ老婆が、赤と青のオッドアイを細めて面白そうに呟く。


 老婆の机の中には友人達から送られた、顔を見に行くという連絡の手紙。そして旦那から送られた、遺書と銘打った実質恋文が収められていた。


 名をララ。


 かつて勇者パーティーに所属した魔女である。

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