弟子 表

 剣聖と勇者が久方ぶりに再会したのだから、それはもう世を揺るがすような会話に。


「さ」


「ない」


 全くならない。


 酒は勿論持ってきたよなと言いかけた剣聖サザキを、フェアドがそれこそぶった切った。この二人、少年期からの付き合いで親友と言っていい間柄なのだが、その分遠慮が全くない。


「そ」


「ないです」


 そう言いつつ秘蔵の酒を持ってきてくれたんだろうと言いかけた浮浪者サザキを、エルリカもぶった切った。彼女もまたかつての旅の中で酔っ払いの生態とあしらい方を学んでおり遠慮がない。


「っていうかなんで山から下りてきたんだ?」


 そしてフェアドとエルリカが把握している通りサザキは、一言目の酒を切り捨てたらちゃんと本題に入る。


「迎えが近いからな。知り合いと息子、孫、ひ孫の顔を見に行く旅に出た。最初は近場にいたお前だ」


「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。うん? 息子連中は確か……」


「隣の大陸だ」


「そりゃあ長旅ご苦労さん」


 年老いたフェアドは、相変わらずの親友に引っ張られたのかつい若かりし頃の口調で、山から下りてきた理由を説明する。


「まあ実際、俺も十年ちょいだろうよ」


「よく酒で死ななかったと思う。なあエルリカ」


「全くです」


「だはははは! 俺が酒で死ぬとかあり得ねえ!」


 笑うサザキと対照的に、フェアドとエルリカが心底呆れた表情になる。かつての苦難の旅ですらサザキは常に酒を飲み続けており、その酒量は普通に考えたら臓器がやられて生きている筈がないほどだ。


「よし。なら俺もその旅に同行しようじゃねえか」


「なに? まあ……どうしようかエルリカ」


「私は構いませんよ」


「なら、そうだな。久しぶりに旅に行くとするか」


「決まりだ。エルリカも加えて八十年ぶりにシャイニングスターを再結成といこうじゃないか」


 急なサザキの宣言にフェアドの皴と頬が引き攣り、今すぐ悪友の口に酒瓶を突っ込みたくなった。


 旅に同行すると言い出したことにではない。知人に会いに行く旅が、昔懐かしいパーティーメンバーとの旅にもなることは、フェアドもエルリカも嬉しいものだ。


 しかしシャイニングスターとは、戦士として駆け出しだった頃のフェアドとサザキが結成した二人のチーム名で、エルリカが初めて聞いた単語の意味を夫に視線で尋ねている通り、妻にも秘密にしていた若き日のだった。


「そんで次は誰に会いに行くんだ?」


「ララだ」


「ああっと……」


 笑みを湛えたままだったサザキが、フェアドが口にした名前を聞いた途端、参ったなと言わんばかりの妙な表情となり、後頭部をガシガシと掻いた。


「どうやら俺の旅はここまでみたいだな。幸運を祈る」


「徒歩ゼロでなに言ってるんですか」


 ぐるりと頭を揺らしたら急に晴れやかな表情となったサザキに、ジト目となったエルリカが突っ込む。


「なんだかんだと会ってるんだろう?」


「まあそうなんだが……」


 フェアドの言葉に対しサザキは再び頭を掻く。彼の歯切れが悪いのはララという名の女が原因だ。


「俺が死んだとき、遺産はララと倅のところに行くように手続しちまっててな。あれだ。格好つけたから気恥ずかしい」


「あー。なるほど」


 どうしたもんかと首が下がっていくサザキに、フェアドはなんとも言えない顔になる。


 ララという女は一応サザキの妻で子供まで儲けている間柄なのだが、付かず離れずの関係を七十年近く続けてきた相手でもある。サザキはそんな相手に対し、自分の死後に手持ちの数少ない物品を送るよう手続きしたことが気恥ずかしいようで、どんな顔して会えばいいのかと悩んでいた。


「いや、まあ……そろそろララに会おうかと思ってたし丁度いいか。なら旅の準備をするとしよう。弟子共にも伝えんとな」


 だが悩んだサザキは結局旅に同行することを選んだようで、ゆっくりと立ち上がった。


 この剣聖、今までずっと酒瓶を片手に握ったまま地面に座りっぱなしだったのだ。


 ◆


「え!?」


 クローヴィス流派に入門した新しき剣士のひよっこ、カールは信じられないものを見た。


「ああいたな、洟垂れカール」


 浮浪者サザキが、なんと二本の足で歩いているではないか。


「ついに酒で頭やられたのか!?」


「昔から俺が普通に歩いただけで、どいつもこいつも似たような事を言いやがる」


 カールは非常に失礼なことを叫んだが、サザキを知る者達はほぼ全員同じ反応をするだろう。実際サザキは昔から同じようなやり取りを繰り返しており、かつての大戦中に一時だけ禁酒状態だった際は、ついに人類が負けて世界の終わりかと騒がれもした。


「ちと旅に出ることにしてな。じゃあ伝えたぞ」


「ちょっと待ってろ! 今すぐなんとかして酒買ってくるから、それまで死ぬんじゃねえぞ!」


 サザキの急な発言に、カールは酒で頭をやられたのではなく、酒がなくなったから頭がやられたのだと判断したようだ。


「まあ聞け洟垂れ。ダチと顔見知りに会いに行くことにしてな。かなり遠くに行くかもしれんから、まあ三年以上は帰ってこん」


「はあ!?」


 普段なら笑いながら早く買ってこいと流すサザキだが、珍しくちゃんとした顔でカールに予定を告げる。


 だがカールにしてみれば、どう見ても浮浪者の爺が急に旅に行くと言い出し、しかも三年は帰ってこないと宣うのだから驚くしかない。


「ぽっくり死んじまうぞ!?」


「馬鹿言え。年がら年中街で寝っ転がってる奴が、旅に出ただけで死ぬか」


「いや、まあ、うん。確かに」


 カールはサザキをなんとか正気に戻そうとしたが、言われてみればこの爺、酒で酔っ払っている以外はやたらと健康だったなと思い返す。


「でもなんで急に」


「まあ旅に出ただけでは死なんが、爺になったら最後に顔だけは見とかねえといけない付き合いってのが多いんだよ」


「あー、ジジババならそういうのはあるだろうけどよ……」


 旅の理由を聞いたカールは、年寄りらしいサザキの言葉に納得をするが語尾が弱い。


 なんだかんだと面倒を見てくれたサザキが急にいなくなることが、まだ少年と言っていいカールには寂しいのだ。


「なに、死ぬ時はここの酒に囲まれてと決めてるから戻ってくる」


「そこは孫とかだろ!?」


 そんなカールの寂しさを斜め上にかっ飛ばしてしまうほど、サザキはどうしようもない酒馬鹿だったが。


「ってな訳で俺は旅に行くからな。自分が強くなる理由は忘れるなよ」


「分かったよ分かりました! 弟と妹が頼れる兄貴になる! これでいいんだろ!」


「おう。それでいい」


「旅してる最中にくたばんじゃねえぞ爺いいいい!」


「誰に言ってやがる洟垂れめ」


 一方的に予定を伝える以上のことをしないサザキは踵を返し、カールの罵声のような声にニヤリと頬を釣り上げる。


 この少々騒がしい少年と酒にだらしない老人。奇妙な師弟に湿っぽいものが似合うはずもなく、実にさっぱりしすぎている別れだった。

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